6.別れ
別れはあまりに唐突で、あっけなかった。
近所の人に医者を呼んでもらったが、医者が到着する前にダガルさんはひっそりと息を引き取った。私は彼の手を握ることしかできなかった。
親交のあった街の人々が、率先して葬儀の準備を行ってくれた。私は後ろからぼんやりとそれを見ているだけ。
このあたりの記憶はほとんどない──その場にいるのに、何もかもが非現実的で、立っている足元さえもあやふやだった。
埋葬を終え、薬店に戻ると崩れるように床に座り込む。思考は麻痺したように働かない。
「……失礼。少し、話をしてもいいだろうか」
突然現れた赤毛の大男を、のろのろと見上げる。
……たしか、ヴァンダール少佐、だったっけ……。
無言でテーブルの方を示し、ふらつきながらもなんとか立ち上がった。
お茶を入れなければ、と思うけれど、手足に力が入らないのであきらめる。
「……わたしの息子は幼いころ病弱でな、ダガル殿とはその縁で知り合った。……彼には恩もあるし、その最後の願いを叶えたいとは思う。……だが……」
ためらうように私を見た。
「ダガル殿には身寄りがない。身寄りのない者が亡くなった場合、家土地は国の所有となり売買される。ダガル殿は引き取った君を養子として届け出たが、受理されなかった。理由は……」
言いよどむ彼の言葉を、淡々と引き取る。
「私の、この、髪と眼……ですね?」
しかも当時の私は、こちらの世界の人から見るとわけのわからない言語を話していた。髪と眼も相まって、さぞ怪しく見えたことだろう。
「……そうだ。ダガル殿は、この夏ごろから身体の不調を感じ始めたそうでな。時折ひどく胸が痛むことがあったらしい。それで君の行く末を案じて、なんとか君に相続させることができないかと相談されていたんだ」
そうだったのか……。
私を頻繁に街に行かせたのも、少しでも街の人々と交流が持てるように、という店主の親心だったという。
(それなのに、私は……)
唇を噛んでうつむく私に、少佐さんは言いにくそうに続けた。
「……結論から言うが、相続はできない。君の扱いは、あくまで住み込みの使用人だ。もう少し時間があれば、なんとかできたかもしれんが……。ダガル殿自身も、まさかこんなにも早く逝くとは思っていなかったのだろう」
それはそうだろう。
なにせ「やっぱり今日はやめておこうかな」と言っていたくらいなのだ。
「遺産に関しては、ダガル殿の遺言もあるし……満額とはいかないまでも、給与でも慰労金でも適当な名目を付けて、少しでも多く君の手に渡るようするつもりだ。住まいは、またどこかに住み込みで雇われるのが一番だと思う。──当てはあるかね?」
もちろん、当てなどあるはずがない。無言でかぶりを振った。
「ならば、わたしのほうでも探してみよう。この家は本来なら一週間以内に立ち退いてもらわねばならないが、半月、待とう。どうするか考えてみてくれ」
それを潮に少佐さんは立ち上がり、私を見る。何か言おうとするように口を開きかけ──結局、何も言わずに立ち去った。
彼が飲み込んだ言葉など、容易に想像できる。
忌み色の黒を持つ、特技もない正体不明の娘。雇ってくれる先を探すなど、不可能に近いだろう。
テーブルに頬杖をついて、ぼんやりと宙を眺めた。
(そういえば、もう随分長いこと、お酒を飲むところ見てなかったな……)
以前は夕食のときにほぼ毎回飲んでいたが、最近では寝室で晩酌を楽しむのだと言ってお茶を飲んでいた。
思えば、それも夏頃からの話だ。自分がお酒にあまり興味がないせいか、全く気にしていなかった。
それ以外にも、きっと兆候はあったはずだ。うかつな自分が気付かなかっただけで。
自分が情けなくて、悔しくてたまらなくて、いつまでもその場から動くことができなかった。
◇
あれからニ日。
私は相変わらず、職探しに奔走するわけでもなく、ただぼんやりと過ごしている。店舗の看板は下げ、出入口には鍵をかけてただ引きこもっている。
これから、どうするべきなのか。
思考は全然まとまらなかった。眠くもならないし、お腹も減らない。
(人間って、どのぐらいのあいだ食べなければ死ぬんだっけ……)
物騒な考えが浮かびかけ、慌てて首を振った。
店主は私にこの家を相続させようとしてくれた。
これからも私が平穏に暮らすことを願ってくれていたのだと思う。ならば、その願いに応えることが、店主の思いに気付けなかった自分のできる、唯一の罪滅ぼしなのではないだろうか。
よし、とお腹に力を込めて立ち上がろうとすると──
ガシャーンッ!!
突然、窓から何かが飛び込んできた。
窓ガラスが無残に割れ、破片が散らばる。恐る恐る近づいて手を伸ばせば、どうやら投げ込まれたのは紙に包まれた石のようだ。
紙を広げてみると、ぐねぐねした線のような文字が見えた。
(馬鹿みたい。こんなことしたって、どうせ私には読めないのに)
きっと「出ていけ」とでも書いてあるのだろう。
足が震えて、その場にしゃがみこむ。
再び動き出す力はなく、じっと膝を抱え込んで耳をふさいだ。
気がつけば朝になっていた。
(やっぱり……もう、いいかな……?)
タナカ、と優しく呼んでくれた彼はもういない。ならば、頑張らなくてもいいんじゃないか?
終わらせてしまえばいい、楽になれる……。
暗い思考に囚われそうになったとき、ドアを激しく叩く音がした。
「タナカ! いないのか!?」
聞き覚えのある声。
店主以外で私を「タナカ」と呼んでくれる、唯一の心当たり。
はっとして立ち上がり、もどかしく鍵を開ける。
朝陽を浴びながら輝く、金に近い茶髪──……
かすれた声で、私はその名を口にした。
「……ディーン……」