67.昔の事
屋敷の入口には、支部から迎えに来た馬車が停められていた。
エイダさんとセバスチャンが見送りに出てくれる。軍に召喚されたと言うと心配されそうなので、そのことについては黙っておくことにした。
「ユキコさん、本当にお世話になりました。不謹慎かもしれませんが、あなたと過ごせて本当に楽しかったですわ」
優しく微笑みながら、ぎゅっと私の手を握ってくれる。
「エイダさん……。私も、エイダさんが支えてくれたから頑張れたんです。本当に、ありがとうございました」
涙ぐんで、深々と頭を下げる。
大泣きしているセバスチャンが、ぢんと鼻をかんだ。
「ユキコ様っ……もしもこの先、気が変わられることがあれば、ぜひ旦那様と──」
「すみません。それは絶対にないです」
即座に否定する。
隣のお父さんが怒り出すから、余計なこと言うの本気でヤメテ。
「……そうでしたわ。ディーンさん、よかったらこれを」
エイダさんが私の手を放し、黄金色の液体が入った瓶を差し出した。
ディーンは不思議そうな顔をしながらも受け取る。
「わたくしのお気に入りの蜂蜜酒ですの。お土産に差し上げますわ」
「……いや。折角ですが、俺は酒を飲ま」
「ユキコさんに飲ませてあげてくださいな。笑って泣いて、怒って甘えて大変面白いことになりますの。ああ、見たのはわたくしだけですから、どうかご安心を」
エイダさああああんっ!?
抗議しようとすると、ディーンは返しかけていた蜂蜜酒をさっと腕に抱え込んだ。
「……ありがたく頂きます」
大真面目に礼を言う。
おおいっ!?
「へえぇ。それはあたしもぜひ見たいわね。ユッキー、今度女ふたりで飲みに行きましょう」
「駄目だ」
マイカちゃんからの誘いに目を輝かせた瞬間、ディーンが即断る。なんでやねん。
ぶうとむくれながら、ぞろぞろと馬車に乗り込んだ。簡易な馬車で、屋根は付いていない。座ったところで、セバスチャンが外から鞄を渡してくれた。
「着替えが何着か入っております。普段着なので、動きやすいかと存じます」
……動きやすい服があるなら、毎日着させてくれたらよかったのに……。
嬉しい反面、ドレスに苦しめられた身としてはがっくりしてしまう。まあ、最後は毎日夜着で過ごしてたけど。
セバスチャンに礼を言って鞄を受け取ると、最後に二人に大きく手を振る。
──こうして、長い滞在となった屋敷を後にした。
◇
「あのね、黒花の事なんだけど──」
馬車が出発して言いかけた途端、ディーンもマイカちゃんもルークさんも、しっと人差し指を口に当てた。慌てて口を閉じる。
マイカちゃんが意味ありげに御者台を振り返った。あ、そっか。御者さんも軍人なのだろう。
「別の話をしましょう。……ねえねえユッキー、実際のところどうだった? 求婚されてときめいた? ちょっとだけでも迷わなかったの?」
うきうきと問いかける。
……なんでその話題をチョイスした。
隣からドス黒い何かが立ち昇ってくる。マイカちゃんの横に座るルークさんが、ムンクさんの叫びみたいになってるし。
「迷ってない! ときっ、ときめいてもないし!」
「あっ、今どもったー! あっやし~」
「……マイカあああ! 頼むからもうやめてくれえぇ!」
ルークさんが半泣きになりながら、マイカちゃんの口を塞ぐ。すぐに邪険に振り払われてたけど。
「うるっさいわね。女子同士なんだから、恋バナくらいさせなさいよ」
「……お前、女子じゃないだろ。もういい年なんだし……ぐっぐぐっ!」
マイカちゃんから首を絞められて、断末魔のような声を漏らした。……この二人、仲いいよねぇ。
そうだ、仲がいいと言えば。
「ディーンとルークさんは、親友なんだよね?」
ひょいと隣の男を見上げると、鋭い目で見下ろされた。怒気を感じる。
やっとマイカちゃんの腕を首からはずしたルークさんが、嬉しそうに私を見た。
「そうそう! オレら、軍の同期だったんだ。オレは捜査部でディーンは警備部だったから、所属は違……痛え!!」
立ち上がったディーンから、今度は肘鉄をくらう。……今日、受難だな。
ぱちくりと、むすっとしている男を見上げた。
「……ディーン、軍人だったの?」
「……ああ」
短く答えて、ぷいと逆方向を向いてしまう。
あからさまな拒絶の態度に、私まで機嫌が悪くなってきた。馬車の空気が重くなりかけたところで、マイカちゃんがあっけらかんと口を開く。
「実はね、ユッキー。カラスは特殊な職務だから、他部署から有能な人材を引き抜くことになってるの。ルークを引き抜いた時、そこの猛獣も同時に候補に挙がってたのよ」
えっ!?
興味津々で身を乗り出した。
ディーンとルークさんも初耳だったのか、驚いたようにマイカちゃんを見る。
「選んだのはあたし。だから、スーロウで初めて猛獣と会った時はびっくりしたわ。猛獣はあたしを知らないんだし、焦る必要はなかったんだけどね」
そういえば、ディーンを見て驚いた顔をしていたような。
あの時の事を思い返していると、ルークさんが目を輝かせた。
「つまり、オレとディーンを比べると、オレの方が優秀だったってわけだ。……だとよ、ディーン!」
ばしばしとディーンの腕を叩く。
ディーンは平然としていたが、私はなんとなくムッとしてしまう。
……絶対ディーンの方が凄いのに、マイカちゃんってば間違えてない?
私の不満顔に気づいたのか、マイカちゃんがにやりと笑った。
「理由はふたつあってねぇ。ひとつは、猛獣男には空気を読めないところがあること。悪気なく失礼な事を言ったりするでしょ?」
「……うん、する」
否定できないので、仕方なく頷く。
「もうひとつは、顔が良すぎること。美形はうまく使えば役立つことも多いけど、必要だったのは可もなく不可もない普通顔。その方が目立たず溶け込めるからね」
「…………」
わあ。ルークさんが傷ついた顔してる。
「えっと……ルークさん、格好良いと思うけど」
「ぱっと見はね。一瞬格好良いかなと思っても、よく見たらそうでもないわ」
マイカちゃんがバッサリと切り捨てた。
……いわゆる雰囲気イケメンというやつか。
思わずまじまじとルークさんを観察してしまう。ルークさんはわっと顔を覆った。
「やめて! アタシの顔を見ないでぇ!」
「やめろ。気持ちが悪い」
ディーンが容赦なくルークさんの膝を蹴り飛ばす。夫婦漫才か。
なんとなく妬けるし、ディーンは昔の事を教えてくれないし。
拗ねた気持ちになって、風景の方に目を逸らした。
ルークさんはそんな私に気付いたのか、困ったように微笑む。
「……まあでも、オレもコイツの顔を結構便利に使ってたんだよ。捜査の聞き込みで助太刀を頼んだりな。美形って聞き込みに有利なんだよ、知ってた?」
……知ってた。
道理で手慣れていたわけだ。
「ルーク! 余計な事を言うな」
一喝するディーンを、耐えきれずに刺々しい視線で見上げる。
「ふぅん。そんなに、私には教えたくないんだ」
嫌味っぽく言うと、ディーンもみるみる眉を吊り上げた。
「……お前こそ。誘拐犯から求婚されて、嬉しかったんだろう?」
あんまりな言い草に、むっと顔をしかめた。誰がいつ、嬉しかったとか言ったよ!?
ぐぬぬぬとお互い睨み合い、同時にフンッとそっぽを向いた。気まずい沈黙が満ちる。
腹が立ってるんだか泣きたいんだか、自分でもよくわからなくなってきた。




