65.決着点
「というわけで。フィッツロイ公爵が応接間で待ってるから、今から行くわよ。……なんだかんだで結構待たせちゃったけど、相手は誘拐犯だからまあいいわ」
フンッとマイカちゃんが吐き捨てた。
私たちをうながして扉へ向かう。立ち上がった私の腕を、ディーンがつかんで引き止めた。
「お前はここで待って……」
「駄目よ。あんたに止める権利はない。……ユッキーが公爵の顔も見たくないって言うなら別だけど、どうする?」
問いかけられ、戸惑いながらマイカちゃんを見返した。
ディーンと再会できた今となっては、激しい怒りは消えた気がする。もちろん恨みはあるけれど、最後に会うくらいならという気持ちになった。
「大丈夫。あんまり待たせると面倒臭そうだから、早く済ませちゃお」
マイカちゃんはひとつ頷くと、嫌そうな顔でディーンを見やる。
「むしろあたしは、あんたを置いていきたいわ。くれぐれも、物騒な事はしないように」
「……善処する」
あさっての方向を向きながら答える男に、私とエイダさんは怖々と顔を見合わせた。
……何かあったら、全身全霊で止めよう。
心に誓う私であった。
◇
ぞろぞろと応接間に入る私たちを、ナルシスト男は不機嫌な顔で睨みつける。
「──遅い。このわたしを、こんなに待たせるとは」
空気を読まない俺様発言に、男の後ろに立つセバスチャンが真っ青になった。
マイカちゃんはにっこり微笑むと、二人の側へと歩み寄る。
「まあ、そんなに待ちわびていらっしゃったんですね? では、さっさと済ませてしまいましょう。フィッツロイ公爵閣下──人身売買と監禁の容疑で、あなたを逮捕します」
……えっ!?
逮捕って……そういう事になっちゃうの!?
驚いて動けなくなる私をよそに、セバスチャンの動きは素早かった。土下座するような勢いで、マイカちゃんの足元にひざまずく。
「違います! 旦那様は何もご存知ありませんでした! 全てはこのわたくし……セバスチャンが計画した事でございます!!」
見え見えの大嘘に、あ然として言葉を失った。
マイカちゃんは深くため息をつき、苦い顔をして私を振り返る。やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめた。
「……と、こうなるわけよ。高位の貴族ってのは、平気でこういう事するんだから」
突如、無言でナルシスト男がソファから動いた。
荒々しくセバスチャンの腕をつかんで立ち上がらせると、険しい視線をマイカちゃんに向ける。
「見くびるな。己の罪を家来に押し付けて、逃げるような恥知らずな真似はしない。逮捕でもなんでも、好きにするがいい」
ふんぞり返って宣言した。
ただでさえ青かったセバスチャンの顔が、真っ白になってしまう。
「なりません、旦那様! ノア様を、どうされるおつもりなのです!?」
「そうよ! 父親のくせに、ノア君を残していくわけ!?」
あ。思わず口を挟んじゃった。
でも、黙っていられない。
止めようとしたディーンに首を振り、ナルシスト男に歩み寄った。
「……あなたを、許したわけじゃないけど。ノア君には絶対、あなたが必要なの。大好きなお父さんなんだから」
男の瞳が揺れる。
こぶしを握り締め、苦しそうに私から目を逸らした。
……ああもう、しょうがないなぁ!
ぐしゃぐしゃと髪を掻き、傍らに立つマイカちゃんを見る。
「マイカちゃん! 私、逮捕とか望んでない。なんとか穏便にできないかな?」
「……ユキコ様!」
セバスチャンが、泣き出しそうな悲鳴を上げる。その声には安堵が含まれていた。
マイカちゃんは厳しい表情で私と男を見比べる。
腕を組んで黙り込み、ややあって重々しく口を開いた。
「……被害者である、あんたがそう言うなら。条件次第では認めてもいいわ」
男に向かって、ゆっくりと告げる。
「閣下のご子息──ノア様と定期的に面談させてもらうこと。それから、少しずつでもノア様を屋敷の外に出すこと。……このふたつを受け入れるなら、今回の件には目をつぶりましょう」
ユッキーも、それでいい?
問いかけられ、大きく頷き返す。男はと見ると、戸惑っているようだった。
「面談はともかく、外に出すとなると……。ノアが、差別に苦しむことになる……」
「では、一生屋敷に閉じ込めておくおつもりですか? たとえ傷つくことになるとしても、ノア様は外の世界を知るべきです。知った上で、どうしていくのか……。決めるのは、少しずつ大人になっていくノア様自身だわ」
マイカちゃんの言葉にはっとしたように、男は目を見開く。
それから長いこと考え込んでいたが、最後にはためらいながらも頷いた。
「わかった。……条件を、受け入れよう」
ほっとして、思わず笑みがこぼれる。
これで一件落着だ。喜び勇んでマイカちゃんにお礼を言おうとすると、ぱしりと男が私の手を取った。
「君にも、礼と謝罪を。──本当に、申し訳ないことをした」
初めて見る男の様子に、思わず息を呑む。
「トールの街に、黒髪の女性がいると聞いた時……君と祖母を重ねたのかもしれない。祖父が祖母を生涯この屋敷で守り通したように──わたしが、君を保護するべきではないかと思ったのだ」
私だけを見つめて、真摯に言葉を紡ぐ。傲慢な男らしくない姿に苦笑して、かぶりを振った。
「もう、いいんです。ノア君のことを、よろしくお願いします」
「もちろん、約束しよう。……だが、叶うなら……君にも、ノアとわたしの側に居てほしい」
……はい?
ぽかんとしていると、男は握ったままだった私の手を口元に近づける。そのままそっと口づけた。
「ユキコ。どうか、わたしの妻となってくれないか」
「…………」
絶句した。
すげえ。
この状況で……プロポーズ、だと……!?
我が道を行く男に、不覚にも感動してしまう。俺様もここまで来ればアッパレである。
セバスチャンも、感極まったように潤んだ目元を押さえた。
「わああああっ!? 落ち着けディーン! せっかく円満に終わりそうなのにっ!!」
背後からルークさんの悲鳴が聞こえた。揉み合うような音もする。……怖い。振り返れない。
「素敵ですわ。あの伯爵様が、飾らない言葉で素直な求婚。わたくし、感激いたしました」
熱っぽく言うエイダさんの声も聞こえる。
……なんか呑気じゃね?
傍らにいるマイカちゃんも、うんうんと頷き同意する。
「本当ねー。あたしもちょっと見直しちゃったわ」
「マイカああああ! 感心してないで、お前も止めろおおおお!!」
マイカちゃんはうるさそうにルークさんの方をちらりと見ると、ぽんと私の肩を叩いた。……了解です、姉さん。
ナルシスト男をまっすぐ見上げる。
「ごめんなさい。あなたとは、結婚できないです」
私の答えは予想済みだったのだろう、男はほろ苦く笑って私の手を放してくれた。
私も笑顔で男を見上げ、最後にエイダさん仕込みのお辞儀を披露する。──これで、さよならだ。
急ぎディーンとルークさんの元へと向かった。
……他の皆は狼とか熊とか言うけれど。
どちらかと言えば、最近のディーンって過保護なお父さんと化してない?




