54.二日酔い
目覚めは最悪だった。
「あたま、イタ……きもちわるっ……」
頭はズキズキ、胃は気持ち悪くて吐き気が込み上げる。
うおぉ、とベッドでもだえていると、エイダさんがお水を渡してくれた。
「はい、これを飲んで。朝食は、消化に良いものを部屋に運んでいただくよう頼みましたから。……昨夜のことは覚えています?」
恐る恐る水を飲み込んで、しゅんと頷いた。
「覚えてマス。酔っぱらってゴメンナサイ……」
むしろ忘れてしまえばよかったのに……!
うるさくはしゃぎ、エイダさんに絡み、アホみたいに泣きまくった。昨夜の醜態を思い出すだけで、恥ずかしくて死にそうだ。
(……しかも、しかも……っ!)
ディーンへの想いを、自覚してしまった。
今そんなものを自覚したところで、ますます会いたくなるだけだというのに。
ベッドの上で膝を抱えていると、エイダさんがそっと横に腰掛けた。手を伸ばして頭を撫でてくれる。
「エイダさん……」
泣き出しそうになる私に、エイダさんは微笑する。
「……優しく頭を撫でてくれる、でしたわよね。それから、ぎゅってしてほしい……だったかしら。わたくしでよろしければ、ぎゅってしましょうか?」
「お願いですから忘れてくださいいぃ!!」
追い打ちをかけられて、大ダメージをくらう。
黒い、黒いよエイダさん……!
◇
午前中は、エイダさんの部屋で死んだように眠りこけ。
ノックの音で目が覚めた。ノア君とエイダさんが部屋に入ってくる。
「伯爵様は、もうお帰りになられましたわよ」
「ユキコ、だいじょうぶ? 父様も心配してたよ」
目をこすりながら起き上がると、心配そうなノア君が走り寄ってきた。目を潤ませながら私の顔を覗き込む。
「苦しいの? ユキコ、しんじゃヤダ……」
「いや、死なないよ!?」
やめて、そんな純粋な瞳で見ないで!
ただの二日酔いなんです!
「でも、だいぶ顔色が良くなられましたわ。これなら午後からの授業には参加できますわね」
エイダさんがにこやかに鬼発言をする。
マジですか……。
身支度を整えて、食欲がないままに昼食を取る。
食休みをしたら午後の授業スタートである。
「では、昨日の続きから。現代史を学んでいきますわ」
授業用の部屋で、黒板をビシッと指すエイダさん。
歴史は年代順に学ぶのではなく、今のところは近現代が中心である。
私はこっそりあくびを噛み殺した。たくさん寝たはずなのにまた眠気が……。
「今日は近年制定された法律についてお教えします。たくさんありますから、まずはわたくしたちの生活に関わる身近なものからにいたしましょう」
うつらうつら……。
「ユ・キ・コさん? デコピンいたしますわよ?」
いつの間にかエイダさんが至近距離に来て、私の額に手をかざしていた。慌てて顔を上げる。
「はっ……! すみません、現代史ってなんだか退屈で……。もっと昔の歴史は勉強しないんですか? 古代史とか」
「実生活で役立つのは、やはり近現代史ですもの。でも、そうですわね……。少し、検討してみますわ」
エイダさんは考え込むように宙を睨んだ。ややあって大きく頷いてくれる。
さて、と再び黒板に注目を集めた。
「二代前──レオンハルト陛下の御代に、子どもの安全を守るため定められた法があります。病気以外の原因で子供が亡くなった場合、その保護者に刑罰が課されるというものです。虐待や不注意による事故で、子どもが亡くなることを防ぐためですわ」
淡々と説明され、思わずノア君と顔を見合わせる。
ノア君が、はいっと手を挙げた。
「子どもって、ぼくぐらいのですか?」
「ええ。十歳未満の子どもと定められておりますわ」
ノア君につられて、私も手を挙げる。
「虐待はともかく、事故もですか?」
「その通りです。小さな子どもを守り、導く責任が保護者にはありますから。子は国の宝──保護者を戒め、子どもたちを守るための大切な法なのです」
エイダさんの言葉に頷きかけ──
はっと目を見開く。
ディーンの妹さんは、家の中の事故で亡くなったと言っていた。確か、まだ五歳だったはず。
「あっ、あの! 刑罰って一体どんな……?」
「虐待の場合は、逮捕されて裁判にかけられます。事故の場合は……法律上は罰金刑とされていますわ。それも、かなり高額の」
そうなのか……。
妹さんの保護者はディーンのご両親だから、罰金を払うのはディーンじゃない。
それでも……ディーンのことだ。絶対知らぬふりなどできないだろう。
唇を噛んで考え込む私に、エイダさんは苦笑した。
「ですが、この法は戒めという側面が強いのです。もちろん虐待は重罪ですが、事故死に関しては……表向き、病死として受理されることが多いのが実情ですわ」
「そう、なんですか……」
表向き、病死として……。
ディーンのご両親も、そうしたのかな……?
ぼんやりしていると、ノア君が不思議そうに首を傾げる。
「ぎゃくたいって、なんですか?」
その言葉に我に返り、慌ててエイダさんを見つめた。
七歳にはヘビーな話題なんじゃ、と今ごろ焦ってしまう。
「大人が、子どもをいじめることですわ。本当はそれだけじゃないのですけれど……今は、そうとだけ覚えておいてくださいませ」
「はぁい!」
元気のいい返事に、エイダさんはにっこりと頷いた。
「歴史や法律のお話は、ノア様にはまだ難しいかと存じます。ですが、一度にすべてを理解できずとも良いのです。焦らず少しずつ学んでいきましょうね?」
「はーい!」
今度は私が元気よく返事する。
すると、エイダさんはジト目で私を見た。
「……ユキコさんは大人なのですから、一度にすべてを覚えるつもりで学んでくださいな」
がくりと机に突っ伏した。
エイダ先生の鬼ー!
◇
翌日、夕方。
「うっぎゃああああああっ!?」
一日のノルマを終え、部屋に戻った私は絶叫した。
腰が抜けて、部屋の入口にへたりこむ。
「ユキコさん!? どうされましたの!?」
「ユキコ様! 賊ですか!?」
エイダさんとセバスチャンがすぐに駆けつけてくれた。
声も出ない私は、震えながら部屋の奥を指差す。
「…………」
エイダさんも絶句して、茫然と部屋の中を見つめた。
壁際には少なくとも十体、隙間なくびっしりと。
そしてベッドの上には、一際巨大なソレが座っている。
目と口をぽっかりと虚ろに開けた、土気色の人形が……。
まるで助けを求めるかのように、ねじれた手をこちらに伸ばしている。例えるなら、墓土から這い出してきたゾンビの群れといったところか。
「あっ……! それは、旦那様からユキコ様への贈り物でございます!」
焦ったように言うセバスチャンを、エイダさんも私もぎぎぎぎと首を動かして睨みつけた。
「……伯爵様は、一体どういうご趣味をなさっておりますの?」
「っていうかコレ、嫌がらせですよね!? 信じらんない、あの粘着陰険男!!」
セバスチャンは泣き出しそうに目を白黒させる。
「ですが、旦那様はノア様からお聞きになったそうなのです! ユキコ様が、このような人形を愛用されていたと!」
エイダさんが信じられないものを見る目で私を見た。さりげなく私から距離を取る。
──ブチッ!
「こんな気味の悪いもの愛用してたまるかーーー!! 人形は人形でも大違いよ!!!」
うちのムンクさんはミニサイズだったし、もっと愛嬌のある顔立ちですから!?




