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4.黒という色

 ピチチチ……と鳥の声がする。


 裏庭に出て朝陽を浴びると、ふああ、と大きなあくびが飛び出した。両手を広げて大きく伸びをする。

 井戸から水をくんで朝食の支度をせねばならないが、早起きしたおかげでまだまだ余裕がある。


 昨夜はほとんど眠れなかった。

 欲しかった情報は手に入ったが、どう考えるべきなのかわからない。


「──早いな」


 背後から声が聞こえ、振り返ると旅装を整えた男が立っていた。


 昨夜はなんだかんだで遅くなったので、簡単な夕食をすませた後、男には薬店に泊まってもらったのだ。

 もちろんダガル薬店には客室なんて立派なものはないので、店主の部屋で一緒に休んでもらった。

 どちらが寝台でどちらが床で寝たのかは知らないけれど。


「……おはよう。昨日はありがとう」


 良識ある大人として一応お礼を言うと、男はまじまじと私を見つめた。


「なんだ。非常識だと思ったら、きちんと礼ぐらい言えるんだな」


 誰が非常識だ。

 アンタにだけは言われたくないわ。


「……何度も断っているのに、強引に送ろうとするのは非常識じゃないの?」


 皮肉げに言ってやると、男はばつが悪そうに口ごもった。


「それは……悪かった。俺とぶつかったせいで街の連中に黒髪だと知られてしまったから、帰り道が危険かもしれないと思ったんだ。──それに、年端もいかない子どもだと勘違いしていたからな」


 昨夜のうちに私の年齢は伝え済みである。

 実年齢を知った時の男の失礼な反応は……推して知るべし。


 まあ、性別に関しては間違えたのも無理はない。


 平凡顔な私にとって、手をかけずともサラサラの黒髪は唯一の自慢だったが、こちらの世界に来てから短く切ってしまった。

 といっても、フードで隠せる程度のショートカットだ。

 さすがに刈り上げる勇気はない。これでも一応女なもので。


 女性は足首まで届くスカートをはくのがこちらの常識だが、現代日本で育った私にとっては、動きにくいことこの上ない。

 野山で薬草の採集だってするし、庭の薬草畑の世話だってするのだ。


 だから、身体の線が隠せる大きめの上着とズボンという男物で通している。

 凹凸の少ない身体なので、隠すのはさほど難しくない。


 ……別に悲しくなんかありませんけど?


「こちらの世界では、なぜ黒髪が嫌われるの? ダガルさんに聞いても、縁起の悪い色だから、としか教えてくれなくて」


 気を取り直して尋ねると、男はため息をつく。


「黒髪黒眼が、というより、黒そのものが忌み色なのだ。黒い服や黒い調度品など見たことはないだろう?──黒花(くろばな)の色だからな」


 ──黒花……?


「黒花とは……花も茎も葉も真っ黒な、巨大な植物に似た化け物だ。葉は鞭のようにしなりながら自在に動き、獲物に巻きつき動きを封じる。捕らえられた獲物は、まるごと花弁に飲み込まれ死んでしまう」


 めちゃくちゃグロいんですけど!?


 恐るべし異世界。

 そんな危険な生き物が存在していたとは知らなかった。


「理由はわからんが、黒花が喰らうのは人間だけだ。他の動物には目もくれない」


 人間だけを食べる、黒い花のような化け物──……


 想像するだけでぞっとするが、おかげで長年の疑問が氷解する。それで、私の黒髪はあんなにも忌避されていたのか。


 でも、と私は言う。


「それならどうして、あなたは私を心配してくれたの? 黒花と同じ色を持つ縁起の悪い子どもなんて、放っておけばよかったのに」


「……俺は、黒花を狩ることを生業としている。駆除師といってな、危険だが割のいい仕事なんだ」


 男は苦笑した。


「恐ろしい黒花を狩る駆除師は、街の人間にとっては黒花と同じく畏怖の対象だ。触ったら伝染(うつ)るとでも思っているんじゃないのか? 駆除師と知られると、宿に泊めてもらうことすら難しい。──だから、黒というだけで恐れられるお前を放ってはおけなかった」


 男の言葉に驚き、言葉を失う。ぎゅっと目を閉じうつむいた。


 ──そうしなければ、泣き出してしまいそうだったのだ。


 この世界に来て、黒髪黒眼というだけで奇異の目を向けられて。

 どうして私がこんな目に合わなければいけないのだと、何度も自問自答した。


 他者の視線が恐ろしかった。

 七年もここにいるのに、ダガルさん以外の誰にも心を開けなかった。


 昨日初めて会ったばかりなのに。

 この人は見知らぬ人間に、どうしてそんなに優しくしてくれるの……?


「そろそろ俺はここを発つ。黒花の駆除依頼があったからな」


 うつむいていた顔を上げると、男はふわりと微笑んだ。


「また近くに来たら寄らせてもらう。稀人の情報も気にかけておく。──自己紹介が遅れたが、俺はディーン・レイシスという。それではな、タナカァ」


 ……だから、どうしてタナカの「カ」にアクセントを置く……?

 この世界の人の特性なのか?


 体の力が抜けて、笑いがこみ上げてくる。

 おかげで出そうになっていた涙は引っ込んだ。うん、もう大丈夫。

 長身の男を見上げて、しっかりと目線を合わせる。


「うん、またね。本当にありがとう」



 ◇



 水をくんで家に入りながら、ふと思う。


(そういえば、朝ごはんはよかったのかな……?)


 まあ、急いでいるみたいだったし。


 野菜スープを作った後で、昨日買ったパンの残りを切ろうとすると、紙袋がからっぽになっていた。


 ダガルさんはまだ寝ている。

 つまり、容疑者はひとり。真実はいつもひとつ。



 ぶちっ。



「あの男ぉっ! 返せ私たちの朝ごはんーーーっ!」


 どこまでも残念なイケメンである。

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