48.黒の子供
我に返ったのは、私より子どもの方が先だった。
ぱっと私に駆け寄ると、私の髪を一房つまんだ。嬉しそうに頬を紅潮させる。
「……まっくろ! ぼくと、おんなじだ!」
きらきらした瞳で私を見つめた。
私も、その吸い込まれそうに綺麗な碧眼を見返した。この子が黒いのは髪だけだったのだ。
「ねえ、見てセバスチャン! ぼくたち、おんなじなんだよ!」
興奮冷めやらぬ様子で、初老の男を振り返った。
……セバスチャン?
まさか、執事のセバスチャン……だと……!?
なんて執事っぽい名前なんだ!と愕然としている私をよそに、セバスチャンは潤んだ瞳にハンカチを当てた。
「ええ、ええノア様……。その方はこれから、ずっとノア様のお側に居てくださいますよ。新しいお世話係の方なのです」
「…………」
ちょっと待て!
誰が新しいお世話係だ!!
怒りのあまり口がきけない私を、幼い子どもは満面の笑みで覗き込んだ。
「うれしい! ぼくはね、ノアっていうんだ。あなたのお名前は?」
きらきらきら。
「……ユキコ……」
いかん、純真無垢な子どもを邪険にできない……。
(……っていうかこの子、むちゃくちゃ可愛くない?)
透けるように白い肌、うるつやな髪、碧眼の大きな瞳に長いまつ毛……。息子と聞いていなければ、完全に女の子と間違えるところだ。むしろ天使と言われても驚かない。
「ユキコ! よろしくね? ぼくのことは、ノアって呼んでね。様、なんてつけちゃダメなんだから!」
「……ええと……。じゃあ、ノア君で……」
駄目だぁ!
可愛さにやられて完全に転がされとるー!
己のチョロさに頭を抱えていると、セバスチャンがノア君の横にひざまずいた。
「タナカ様……ではなく、ユキコ様?は、お疲れなのですよ。お元気になられるまで、ノア様がお邪魔してはなりません」
「……はぁーい」
しゅんと頷くと、私の手をぎゅっと握り締めた。頬を染めて、可愛らしくはにかむ。
「はやく元気になって、いっぱい遊んでね……?」
その言葉に、カッとなって口を開いた。
私は君のお世話係になんて、なる気はないの!
そもそも誘拐されて、無理矢理ここに連れてこられたんだから!
「…………ハイ」
何も悪くない幼い子どもに八つ当たりするなんて、もちろんできるはずもなく。しおしおと素直な返事をした。
……だって、天使から上目遣いのお願いとか!
逆らえるはずないじゃん!!
◇
長いことまともに食べていないはずなのに、食欲は全く無かった。お茶だけもらって、お風呂に入るため案内されて一階に下りる。
ちなみに私がいた部屋は二階にあった。歩きながら屋敷の広さにあ然としてしまう。
「うわ……すご……」
豪華な入浴場に圧倒された。
大きな湯船には、もうもうと湯気が立っていた。髪と身体を洗い、ゆっくりと湯船に浸かる。手足を伸ばし、ほっと息をついた。
(……ディーン……)
黒花は無事に駆除できたのだろうか。
怪我なんか、してないよね?
不安に胸が押し潰されそうになるが、今は強いて考えないようにする。
私が考えるべきは、どうやってここから解放してもらうかだ。ノア君には悪いけど、お世話係なんか冗談じゃない。
「待っててね……」
膝を抱え込んでぽつりと呟く。
──必ず、帰り着いてみせるから。
(セオさんも、大丈夫だといいけど……)
ぼんやりと、思いを馳せる。
暴漢に殴られて気を失っていた。私が狙われたせいで、気のいい彼まで巻き込んでしまったのだ。……早くここから逃げて、セオさんにも謝らなくては。
ばしゃりと顔を洗い、思考を追い払う。茹だる前に上がることにした。
お風呂から出ると、黒いメイド服を着た女性が着替えを用意していた。セバスチャンといい、この屋敷では普通に黒い服が着られているようだ。ぼんやり見つめていると、彼女が私に気付いてにっこりした。
「どうぞ。ドレスを着付けさせていただきますね」
彼女の言葉に首を振り、あえて無表情に言い放つ。
「着替えぐらい、ひとりでできます。出て行ってください」
この屋敷の人々とは馴れ合いたくない。
お世話係に相応しくない女だと、悪感情を持って欲しいぐらいだ。
私の剣幕に恐れをなしたのか、メイドさんは慌てたように一礼して出て行った。
深緑色の、首元が白いレースで覆われたドレスを手に取ってみる。
「…………」
これ、どうやって着るねん。
びらびらしたドレスを手に、途方に暮れた。
ドレス本体の他にも、下着っぽい何かやコルセットっぽい何かもある。……着替えぐらい、ひとりでできなかった……。
今さら、やっぱ手伝ってとは言えない。
裸にタオルを巻き付けただけの格好で頭を抱えていると、入口から若い女性が静かに入ってきた。青いドレスを着て蜂蜜色の髪を綺麗に結った、清楚な感じの美人さんだ。
誰、と問いかけるよりも先に、女は唇に人差し指を当てて私を制した。
「……話は後ですわ。まずは、これをお返しします」
落ち着いた口調でささやきながら、私の後ろに回って何かを首に掛けてくれる。──マイカちゃんからもらった、ロケットペンダントだった。
小さく悲鳴を上げて、慌ててペンダントを引っつかむ。
(よかった……これさえあれば……!)
マイカちゃんに、助けを求められる。
ディーンと再会する手助けもしてくれるかもしれない。
安堵に泣き出しそうになりながら、ペンダントを握り締めた。
「見つかったらいけないと、わたくしが預かっておりましたの。……気を付けた方がよろしくてよ。万が一、それの意味を知る者がいたら事ですもの」
花のように微笑む。
思わずその笑顔に見とれてしまった。
「あの、ありがとうございます……。あなたは……?」
「後ほど正式に紹介されるはずですから、その時に。……では、わたしくはこれで」
優雅に一礼して出て行こうとする清楚美人さんを、焦って引き止める。
「あのっそのっ! もしよかったら……着替えを、手伝ってもらっても……」
着方が全然わからなくて、と半泣きで訴えると、彼女はぽかんとしたあと噴き出した。
「まあ、そうだったんですの。もちろん構いませんわ」
また私の後ろに回り、手早く着付けてくれる。
胸のあたりの紐をきゅっと縛られると、ぐえっとなりそうになった。ウエストも苦しいし、なんだこの服は……。
「慣れていないようですから、緩めにしておきましたわ」
これで緩めなのか!
お礼を言いながら、へなへなと崩れ落ちそうになった。
……脱出より先に、まずは服を取り返そう。
強く決意する私であった。




