38.夜明け
日が昇る頃、ダンさんが施療院に戻ってきた。
疲れているようだったが、特に怪我をしている様子は無い。
「ダンっ! 無事でよかったぁ……!」
入口に立つダンさんを見て、ルカさんが泣き出しそうな顔で駆け寄る。院長先生も目を潤ませた。
それなのに、なぜかダンさんはぽかんとしている。
「無事でって……何が? てか、どうしてルカたちがここにいるんだよ。朝っぱらからなんの騒ぎだ?」
「…………」
絶句して、私たちは顔を見合わせた。
ダンさんの隣には苦笑いしている若い男の人がいる。ダンさんを連れて帰ってくれたことを考えると、彼がおそらく城に潜入していたカラスなのだろう。
問いかけようとすると、推定カラスさんの後ろから、ひょいっとリースさんが顔を出した。どうして!?
「──母さんっ!? なんでここに!?」
「なんでって……なんでなのかしら?」
首を傾げるリースさんに、ルカさんも私もひっくり返りそうになった。
それはこっちが聞きたいんですけど!
「……一体どういう状況だったの。彼は攫われたわけじゃなかったってこと?」
マイカちゃんが強い口調で問いただす。
姉さん、地が出てますよ!?
ダンさんの顔がムンクさんみたいになってるし。
「それが、自分から城を訪ねたらしいんだ。おかげで把握するのが遅くなって」
悪かったな、と男の人が疲れたように笑った。
「はあ!? 城を訪ねたって……なんだってそんなことしたのさ!」
ルカさんの剣幕に、ダンさんはあ然としている。
マイカちゃんをチラチラ気にしつつ、説明してくれた。
「院長先生がお前の畑の場所、レオン様には教えたって言ってたから、それを聞きに。案内された部屋でひたすら待たされるわ、扉に鍵がかかってて出られないわで大変でよ。側近の人とは何度も施療院で話したことあるし……行ったらすぐ会ってくれっかなと思ったんだけど」
「ダンくん……。その側近さんが頻繁に施療院に来てたのは、わたしを脅すためだったんですけど……」
力なく院長先生が突っ込んだ。
ダンさんは「脅し!?」と驚きの声を上げて、目を白黒させている。推定カラスさんがてきぱきと後の説明を引き受けた。
「このダンさんって人、『ニフェルの件でお話したいことが』って薄笑いを浮かべながら切り出したらしくて。レオン様は疑心暗鬼になっちまったみたいだな。院長を脅してることを知った薬師が、それをネタに自分を脅しに来たんじゃないかと」
……ややこしいな。
そして薄笑いってなに?
「俺が脅しなんてするはずねぇだろ! 側近の人とちょっと会えればと思っただけなのに、レオン様本人が部屋に入ってきたから緊張したんだよ!」
必死に言い募るダンさんを遠い目で眺めながら、推定カラスさんが続ける。
「またタイミングも最悪で。ウィンザー伯は昨日から領内の視察に出ていてね。その隙にレオン様一派を拘束するはずだったから、オレらもかなりバタバタしてて……」
「ええと……ウィンザー伯爵さんは、息子さんがニフェルの密売をしてることは知ってたんですか?」
思わず口を挟むと、彼は私を見て不思議そうに目を瞬いた。
代わりにマイカちゃんが答えてくれる。
「知らなかったと思うわ。ウィンザー伯は冷酷な人柄と評判だしね。いくら親だからといって、さすがにバカ嫡男の所業を知ったら見逃さないでしょうよ。息子はふたりいるから後継ぎには困らないし」
そうなのか……。
納得したところで、リースさんに目を向けた。私の視線を受けて、彼女はにっこり笑う。
「私はお城の住み込み下働きなの。ダンくんがレオン様にお目通りに行くって言ったきり帰ってこないから、心配になっちゃって。帰りにまた寄ってくれるって言ってたのに」
ぷうぅっと頬を膨らませた。
「だから側近さんを探して、聞いてみたの。『ダンくんをどこに隠したんですかぁ? うふふふふ』って。そしたらなぜか、ダンくんと同じ部屋に閉じ込められちゃったのよ。怖くて怖くて、もう生きた心地がしなかったわ」
「……その割にくつろいでませんでした? 救出に行ったら『さすが良い茶葉使ってるのねぇ』とか言いながら、優雅にお茶を楽しんでるし」
……なんだそのカオスな状況。
疲れきっている推定カラスさんが気の毒になった。横に立っているルカさんも、目眩をこらえているようだ。
推定カラスさんはマイカちゃんに視線を戻す。
「まあ、なんとか取りこぼしなく全員拘束できたからよかったものの。施療院に刺客が放たれちまったのは、こっちの対応が後手に回ったせいだ。本当にすまなかったな」
「……いいわよ。一直線バカを甘く見ていたあたしにも非はあるし」
マイカちゃんがぶすりと答える。
心配になりダンさんを見てみると、一生懸命自分のほっぺたをつねってた。……残念ながら夢じゃないよ?
さて、と言ってマイカちゃんがパンと手を叩いた。
「これから山のような事後処理ね。ウィンザー伯ともやり合わなきゃならないし。……院長先生、あなたもひとまずの引き継ぎを終えたら、支部に出頭してもらうわよ」
「……はい。覚悟はできていますから」
静かに答える院長先生に、マイカちゃんはうなずいた。
「えっ、出頭!? つか、マイカちゃん……? え、なんだよ、これって夢……?」
混乱の極みにあるダンさんの腕をがしっとつかんで、ルカさんがずりずりと奥に引きずっていった。あとはもう親友に任せるしかない。合掌。
「ユッキー、スーロウにはもう少し滞在するの?」
マイカちゃんが私に問いかける。
「うん、まだ足が完全じゃないし。それに院長先生のことも気になるから……」
「なら、動きがあればリース薬店に連絡してあげるわ。今日はもう帰って休みなさい」
徹夜でさすがに眠いので、お礼を言ってマイカちゃんと別れる。
ディーンは……とキョロキョロすると、壁際からぬっと現れた。
「わっ! ディーン、どこにいたの?」
「いや、その辺に。……帰るか」
その様子に釈然としないものを感じながらも、疲れと眠気に負けてうなずいた。「私も今日は薬店に帰ろうかしら」というリースさんと連れ立って、三人で施療院を後にする。ダンさん担当のルカさんは置いていった。……厄介事を押し付けた気がしなくもないけど。
「なんだかよくわからない一日だったわー。……ところで、ユキコちゃん。あれからお嫁の件は考え直してくれた?」
前を歩くディーンの肩が、ピクリと動いた。
「いえ、あの、その……。内緒、です」
ディーンをびくびくと気にしつつ答える。
別にルカさんからはプロポーズされたわけではないけれど。本人より先に、お母さんに返事するわけにいかない。
「あらまあ、そうなの! あらあらあらぁ」
なんだか嬉しそうなリースさん。
違う……違うんです……!
せっかく麻薬密売事件が解決したのに、棚上げしていた難問に頭を抱える私だった。




