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35.急転

 翌日。


 もうすぐ昼になる、という時刻になってやっと全員が台所にそろった。

 昨夜もいろいろ考えてしまい、なかなか寝付けなかった。私だけでなく、ディーンとルカさんもあくびを噛み殺している。


「……それで、今日はどうしよっか?」


 誰にともなく問いかけると、ルカさんは大きく伸びをしつつ答えた。


「今日は施療院への納品はないし、大人しく店にこもって調剤しようかな。……ユキコ、手伝ってくれる?」


「もちろん! ディーンはどうするの?」


 元気よく答えて、むっつりしながらパンを食べているディーンに目を向けた。


「寝る」


 短く答えただけで、黙々と食事を続行している。

 ……機嫌悪いな。低血圧かな?


 朝食だか昼食だかわからない食事を終えると、ディーンは宣言通り二階へ上がってしまった。私とルカさんは顔を見合わせる。


「……なにあれ」


「さあ……?」


 首を傾げつつも、ふたりで仕事を開始する。

 久しぶりに和やかな時間が過ぎ、無事に一日が終わ──らなかった。


 事が起こったのは、とっぷりと日が暮れてからのことである。


「──ダンが帰ってこない!?」


 ルカさんの剣幕に、年配の男性は目を白黒させた。ダンさんのお父さんである。


「どうした、ルカちゃん? 大の男のことだし、そんなに心配しなくても。……ただまあ、昨日は施療院の夜勤で、今日の昼には帰ってくるはずだったもんだから。うちの奴が遅い遅いってうるさくて、念のため聞きに来たんだよ」


「そんな悠長な話じゃ……!」


 お父さんに食ってかかるルカさんを、強い調子でディーンが制した。


「よせ!……ダンなら俺たちが探してくるから、心配いらない。もう遅いから、見つかったら今晩はこの家に泊めよう」


 いいな?と確認するディーンに、呼吸を整えながらルカさんがうなずいた。

 お父さんもほっとしたようにディーンを見る。


「ルカちゃんの友達かい? 面倒かけて悪いが、よろしく頼むよ」


 お父さんが帰ると、ルカさんも上着を羽織って出て行こうとする。ディーンがすばやくルカさんの腕をつかんで引き止めた。


「ダンは俺が探してくるから、お前はここで連絡を待て。……ユキ、お前ももちろん留守番だ」


 険しい顔をしている男を、気遣わし気に見上げる。ダンさんのことも心配だから、止めるわけにもいかない。


「うん……。気を付けてね、ディーン」


「ああ。なるべく早く戻る」


 外套と剣を手にすると、さっさと出て行った。


 ルカさんは椅子にぐったりと座り込む。手のひらで顔を覆った。


「どうしよう、院長先生に直接聞いたりしたからかな……。でもダンは先生を信頼してるし、これっぽっちも疑ってなかったよ。本当に人のいいヤツなんだ……。物事を深読みしたりもしないし」


 マイカちゃんにも「一直線バカ」って評されてたしなぁ……。


「大丈夫だよ、ディーンに任せておけば! きっとダンさんを連れて帰ってくれるから」


 元気付けるため、あえて元気よく言ってみる。ルカさんもぎこちなく笑ってくれた。


 ふたりでじっとディーンが戻るのを待つ。


 時間の進みがじれったいくらいに遅い。気分を変えるためにお茶を入れ、思い付いて砂糖をたっぷり入れてみた。


「……おいしい」


 温かいカップを両手で持って、噛みしめるようにルカさんが言った。

 やっぱり落ち込んでいる時には甘いモノだよね。マイカちゃんの直伝である。


 そのままふたりでひたすら待つ。もう深夜をとっくに回っているだろう。


「遅い、よね」


 長い時間が経ち、ルカさんがぽつりと言った。

 私も……ディーンが心配で、居ても立っても居られなくなってきた。ぎゅっと手を握り締める。


「僕……施療院に、行ってみる。少なくとも院長先生はいるはずだし」


「駄目だよ! ディーンに言われたし、それにカラスさんだって施療院には近付くなって……!」


 ルカさんは静かに首を振った。


「ごめん、ユキコ。でも、ここで動かなかったら絶対に後悔するから。……もう二度と、ミナの時のような思いはしたくないんだ」


 強い決意を秘めたルカさんの瞳を見て、はっとする。


(……私だって……)


 大切な人を失うのはもう二度と嫌だ。

 勢いよく立ち上がった。


「なら、私も行く。足はもうほとんど痛まないし、我慢すれば走れないわけじゃないから」


「えっ!? ユキコは駄目だよ! ていうか、もし君に何かあったら僕がディーンに殺される……」


 引きつった顔をするルカさんに、きっぱりと首を振った。


「私が行かないなら、ルカさんも行っちゃだめ。それだけは絶対に譲れない」


 ルカさんはしばらく黙って私を見つめ、意を決したようにうなずいた。


「──音が響くといけないから、リンは使えない。なるべく静かに歩いていこう」



 ◇



 施療院の表門は閉じられていた。


「ユキコ、こっち。裏門から入ろう」


 小声のルカさんに導かれ、裏門に向かう。

 裏門は施錠されておらず、無事に中に入ることができた。庭を突っ切り、施療院の従業員が出入りする裏口の扉をほとほとと叩いた。


「……はい。急患さんですか?」


 少し経って、中から返事がある。

 げげっ、この声は……!


「こんな遅くにすみません、リース薬店のルカです。至急、院長先生にお会いしたいのですが……」


「…………」


 おぉっと、扉から殺気があふれ出してる気がするよ~。


 どう言い訳すべきか思い付く前に、音を立てずに扉が開いた。


「どうぞ。夜間に容体の急変した患者さんがいましたが、今は落ち着いたようです。じきに戻られると思いますから、院長室でお待ちくださいね」


 微笑むマイカちゃんに、ルカさんは安堵したようにお礼を言った。


「案内はいらないです。本当に遅くにごめんね?」


「いいえ。お茶を入れますから……ユキコさん、台所まで付いてきてもらっても?」


 言いながら、ぐわしっ!と私の腕をつかむ。

 ……逃がす気ゼロじゃん?


 ルカさんといったん別れ、有無を言わさず台所まで引っ張られた。

 台所に着いてマイカちゃんが口を開くより早く、小声で怒涛のように事情を話す。怒られる前に謝るべし。


「……そういう結論に達したか。浅はかなことね」


 吐き捨てるようなマイカちゃんの言葉に首をすくめる。すると、マイカちゃんが苦笑した。


「あんたに言ったわけじゃないわ。──ダンはおそらく、人質代わりにウィンザー伯側に捕まったんでしょうよ。城にもカラスは潜入してるから、彼に関してはそう心配しなくても大丈夫」


 安心してほっと息を吐く。

 だが、マイカちゃんはなにやら難しい顔をしている。


「……むしろ、危ないのはこの施療院の方かもしれない。それも緊急でね。付いてきなさい」


 身をひるがえして出て行くマイカちゃんの後を慌てて追う。


 階段の前まで来たところで、ちょうど上から男がひとり降りてきた。腕を吊り、入院患者のような恰好をしている。


「ああ、ちょうどよかった。大至急、支部まで使いに出てちょうだい。実はね……」


 ぼそぼそと男に何やら話している。

 男はひとつうなずくと、私には目もくれず去っていった。


「あの人も……?」


 カラスなの、という私の問いにマイカちゃんはかぶりを振る。


「あれはスーロウの軍人よ。もちろんウィンザー伯とは繋がっていない、ね」


 言いながらずんずん歩いていく。


「次は院長室に行くわよ。──事情、知りたいんでしょ?」

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