30.決壊
それから。
施療院に到着するまで、お互い一言も発しなかった。
リンくんを施療院の馬屋に預けると、待合室で診察の順番が来るのを待つ。中はかなりの混み具合だった。
「あらあらぁ! あなた、この間の!」
待合室にいたおば様が、ディーンを見ていきなり嬌声を上げる。
……この間の?
「クラート商会、あれから軍の立ち入り捜索が入ってたわよ! とんだ悪党だったみたいねぇ。検挙されたのはお兄さんのおかげねっ」
糸目成金の一件か。
ディーンはひとつうなずくと、きゃいきゃい騒ぐおば様たちの群れに入っていった。そして何やら盛り上がっている。
今度は施療院の情報収集をしているのだろう。
(……ホント、美形は得ですこと)
やさぐれた気持ちで、ただそれを眺めた。フードをしっかりと押さえ、うつむく。
私なりに最善を尽くそうと決めたばかりなのに。
底の底に落ち込んだ気持ちは、一向に浮上しない。深いため息が漏れた。
「──あれ? アンタ……」
怪訝そうに声をかけられ、顔を上げる。ダンさんが立っていた。
「あ、こんにちは……。足を診てもらいに来たの」
「ああ、薬と包帯か? そんぐらいルカに頼めばいいのに」
それでは施療院に来られない。
それに……やっぱりルカさんとも気まずいし。
「ああ、えっと……。マイカちゃんにも会いたかったから」
曖昧に笑って誤魔化すと、ダンさんは嬉しそうに笑った。
「なんだ、そういうことか。アンタたち歳も近そうだし、仲良くしてやってよ」
「ん、私もそうできたらなって」
マイカちゃんには後で俺から知らせとく、と言って、ダンさんはせかせかと奥に入っていった。患者さんが多くて忙しそうだ。
しばらく待つと私の順番が回ってきたので、ディーンとともに診察室に入る。相変わらず、私たちの間に会話はない。
「こんにちは。今日は包帯の巻き直しだね?」
ゴツい男の先生が、ぱぱぱっと早業で薬を塗って包帯を巻いてくれた。
今日は院長先生じゃないらしい。
「はい、お大事にー!」
……早すぎて情報収集どころじゃなかった。プロの技を見た。
「──俺は、もう少し情報を集めてみる。これだけの大所帯だ、出入りの業者も多いだろうしな」
診察室を出ると、久方ぶりにディーンが言葉を発した。
私はかたくなに目を逸らしたまま返事する。
「じゃあ、私は昨日会った下働きの女の子のところに行ってるね」
ディーンと別れ、昨日お邪魔させてもらった作業部屋へ向かう。
別行動になると、張りつめていた気持ちがゆるむのを感じた。今は彼の側にいたくなかった。
扉をノックしようとする前に、中から扉が開く。
部屋の中から出てきたのはマイカちゃんだった。私を見てぱっと顔を輝かせる。
「ユキコさん! そろそろ診察終わったかなって、迎えに行こうとしてたんです。ちょうどあたしも休憩なので、一緒にお茶でも……えええええええっ!?」
言葉の途中で、いきなり驚き出すマイカちゃん。
何事?と思うが、彼女はおろおろと私の肩をつかむ。
「どうしたんです! 何があったんですか!?」
「……え……?」
軽く揺さぶられて、初めて自分が泣いてることに気が付いた。ボロボロと、みっともないくらい大粒の涙があふれてる。
「ごめ……なんでも、なくて……」
「なんでもなくないです! とにかく中に入って!」
うながされ、作業部屋の中に入る。
「はい、これ。洗濯したてですよ」
椅子に座ると、タオルを手渡してくれた。いまだ止まる気配のない涙を拭い、ぎゅっとタオルを握りしめる。
温かいお茶を運んでくると、マイカちゃんも私の正面に座った。
勧められて、おずおずとお茶を飲む。砂糖がたっぷり入っていたようで、その甘さにほっとした。
「……落ち着きましたか?」
「うん……。いきなり、ごめんね」
深呼吸を繰り返して、なんとかまともに話せるようになった。ぎこちなく笑う。
「急に緊張が切れちゃって……。マイカちゃんの顔を見たら、安心したのかも」
「そうですか……。あたしなんかでよければ、お話聞きますよ?」
優しく聞かれ、また涙がにじんでくる。
どう話せばいいのか迷いつつ、ぽつぽつと口を開いた。
たったひとりの保護者を亡くし、ディーンに同行させてもらって旅に出たこと。
ある人が、この街に残らないかと誘ってくれたこと。
ディーンからも、それを勧められたこと。
マイカちゃんは黙って聞いてくれた。私が話し終えると、まっすぐに私を見つめる。
「あたしは……ユキコさんがどうしたいか、だと思います。ユキコさんは、そのディーンさんという人と離れたくないんじゃないですか? だったら、彼にそう言うべきです」
マイカちゃんの言葉に、無言でかぶりを振った。
私だって、できればそうしたい。でも……。
「それは、できないの……。だって、私はディーンに迷惑かけるばっかりだから。ディーン本人からこの街に残るよう言われたのに……そんなこと、言えないよ……」
「ユキコさん……」
つらそうな顔をするマイカちゃん。
私が愚痴を吐き出したせいで、彼女にこんな顔をさせてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
(私の方が年上なのに、情けない……)
きつく目をつぶり、涙を封じ込める。
今度はうまく笑うことができた。
「聞いてくれて、ありがとう。おかげでスッキリしたみたい」
明るく言ってみるが、マイカちゃんの顔は晴れない。見抜かれているのだろう。
「……そうだ! よかったら、マイカちゃんの話も聞きたいな」
雰囲気を変えるため、わざとお姉さんぶって言ってみる。マイカちゃんは目を丸くした。
「あたしですか!? あたしには、人様にお話できるような恋バナは……」
……なぜに、恋バナ?
私たち、今そんな話してましたっけ……?
マイカちゃんも悩みがあるなら聞くよ!って言いたかったんだけど。
「うぅん、そうですねぇ……。なら、今は好きな人いないので、好きなタイプの話にします!」
しばらく悩んでから、さもいいことを思い付いたというようにマイカちゃんは手を打った。
それはそれで興味あるかも。私はぐっと身を乗り出した。
「あたしは、付き合うなら歳の近い人がいいですね! やっぱり同じ目線で物を見て、泣いたり笑ったり共感したりしたいっていうか」
……歳の近い人。
性格とか容姿ではなく、まさかの年齢縛りが来た。
ダンさんは、明らかにマイカちゃんより年上だと思う。
「へぇ……。ちなみに、職場でいいなぁと思う人とかいないの?」
上目遣いに探りを入れてみる。
「いません! あたし、年齢差は三歳までって決めてるから。施療院の皆さんとは三歳以上離れてますからね~!」
ほがらかに言い切ると、マイカちゃんは天使のように微笑んだ。
ダンさん……なんか余計なこと聞いちゃってゴメン……。
運命とは、過酷なものであるらしい。




