2.トールの街にて
「ダガル薬店」はトールの街の南端にある。
商店は街の中心部に集中しているので、パン屋に向かうため急ぎ足で石畳の路を北へ向かう。
夕暮れ時の街は喧騒に満ちていた。
仕事を終え家路に急ぐのだろうか、人通りも多い。
ダガルさんいわく、トールは小規模な街で、身も蓋もなく言ってしまえば田舎町だそうだ。
(……それでも、私にとっては賑やかすぎる)
道行く人々の視線が、自分に集まっている気がする。
フードをさらに深く被り、なるべくうつむいて歩いた。
ヒソヒソ、と否応なしに声が聞こえてくる。
──あれが、例の薬屋の?
──髪と眼の色が見えるか? 本当に黒いのか?
できることなら耳を塞いでしまいたい。
心臓がバクバクいって、嫌な冷汗が背中をつたった。
どうして? と思う。
(どうしてダガルさんは、私に行かせたんだろう……)
疑問を追い払うように首を振り、さらに足を速める。
とにかく、早く買い物を終わらせて安全な場所に帰りたい。その一心だった。
──ドンッ!
曲がり角を曲った瞬間、強い衝撃を感じた。
勢いで転びそうになる私を、力強い腕がつかんで引き留めてくれる。
「おい、ちゃんと前を向いて歩かないと危ないぞ」
「……っ」
己の失態に、私は思わずきつく目をつぶった。
誰とも関わりたくないのに。
絶望しながら恐る恐る顔を上げると、眉根を寄せた男の顔が目に飛び込んでくる。
ぽかんと、馬鹿みたいに見入ってしまった。
三十歳ぐらいだろうか。
長身で端正な顔立ち。
色素の薄い茶色の瞳。
たが、私が何より目を奪われたのは、その髪だった。
首元でくくった金に近い茶色の髪が、夕陽を反射してきらきらと輝いている──
何も答えない私に焦れたように、「聞いているのか?」と言いかけた男は、突然ハッと息を呑んだ。
「お前──……その髪は」
(……! まずいっ)
フードが脱げていることに気が付かなかった。
街の人々も遠巻きに私たちを眺め、ざわついている。
あからさまに私を指差す子どもまでいた。
私はとっさに男の腕を振り払い、そのまま一目散に駆け出した。
◇
「はい、毎度あり」
無愛想なパン屋のおかみさんが差し出す紙袋を受け取って、私は黙って頭を下げた。
なんとか無事にお使いをこなすことができてホッとする。
フードをしっかりと押さえながら店を出て、歩き出そうとした瞬間──
いきなり、がしっと腕をつかまれた。
「探した。お前さん、家はどこだ? 送っていってやる」
(さっきの男……っ)
上目遣いで睨みつけ、黙ってかぶりを振る。
いいえ結構です、という思いを込めて。
「子どもが遠慮するな。もうじき暗くなるし、危ないだろう」
誰が子どもだ!
そりゃあ背は低いし童顔だけれど、私はもうニ十歳だ!
とっさに飛び出しそうになった反論を飲み込み、再度黙ってかぶりを振る。
失せろこのイケメンめ、という思いを込め、険悪な目を向けてやる。
私は別にイケメンになんぞ興味はない。
さっきのは見とれていたわけではなく、普段じいさんしか見ていないが故に、ちょっとびっくりしただけなのだ。
……ええ、断じて。
腕を振り払い歩き出した私の後ろを、男はあきらめず付いてくる。
(なに、この男。痴漢? それとも変態?)
いやでも、相手は私を子どもだと思っているみたいだし──……ハッ! ということは、まさかのロリコン!?
「おい。口がきけないのか?」
考え込む私に、男はしつこくまとわりついてくる。
舌打ちしそうになるのをこらえ、私は嫌々ながら口を開いた。
「口はきける。ひとりで帰れる。さようなら」
足を止めずまっすぐ前を向いたまま、早口で単語だけ並び立てる。
「よかった、耳が聞こえないのかと思った。それで、家はどこだ?」
だから、送らなくていいって言ってるでしょ!?
少しは人の話を聞けっ!
とうとうブチ切れた私は男を振り返った。
こらえ性がないと笑いたければ笑うがいい。普段ダガルさん以外と関わることなど皆無なため、我慢ももう限界なのだ。
「私の家は日本にある。こことは違う世界。──私は、この世界の人間じゃないの」
攻撃的に言い放ち、どうだとばかりに胸を張る。
これで男は私のことを変人と思い、引いてくれるに違いない。
とにかく今この場から逃れられるのならば、見知らぬ相手からどう思われようが構わない。
案の定、男は信じられないものを見るような目を私に向けてきた。
……よし、今のうち。
さらばイケメンよ。
今だとばかりに踵を返して歩き出すと、男が慌てたように私の前に回り込んできた。
肩をつかみ、私の顔を覗き込む。
「待て。こことは違う世界、だと?──まさかお前は、稀人なのか……?」




