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27.施療院

「どこに行くの!? 降ろしてってば!」


 男の背中でわめいた。

 あれから問答無用でおんぶされて、ルカさんの家から連れ出されたのだ。


「うるせぇっ! 大人しくしてろ!」


 一喝されて、あえなく黙り込む。ヤンキーこわい。


 しばらく走ると、立派な建物が見えてきた。ぐるりと塀に囲まれており、敷地もかなり広そうだ。

 男は迷わず正面から入っていく。


「……ありゃ。何事ですか? ダンさん」


 庭で洗い物をしていた女の子が、目を丸くして私たちを見た。茶髪を三つ編みにした、小柄な女の子だ。黒縁の大きな眼鏡をかけている。


「マイカちゃん、怪我人だ。院長先生を呼んでくれ」


 マイカと呼ばれた女の子はうなずくと、機敏に立ち上がり駆け出した。

 このヤンキー男はダンというらしい。

 そしてここは……。


「……施療院?」


「そうだ。診察室に行くぞ」


 建物の中に入ろうとする男を慌てて止めた。

 私はこの街の住人ではないので、治療は受けられないはずだ。


「黙ってりゃわかんねぇよ。治療費は俺が払うから、いいから行くぞ」


 えっ、治療費いいんですかぁ?

 ……じゃなく。勝手にこんなところに来て、ディーンにバレたら確実に怒られそうだ。想像するだけでげんなりしてしまう。


 診察室の椅子に腰掛けて少し待つと、院長先生とやらが入ってきた。

 灰褐色の髪の、四十代くらいの柔和そうな男の人だ。院長というから、もっと年配かと思っていた。


「こんにちは。今日はどうされましたか?」


 私を見てにっこりと微笑んだ。

 病院なんて久しぶりすぎて緊張していたが、優しそうな先生でほっとする。


「二日前に捻挫をしたんですけど、今日また同じ場所を痛めてしまって……」


 今日は部屋着のブカブカズボンを履いていたので、右足の裾をまくり上げる。

 先生は私の説明にうなずきながら、丁寧に診察してくれた。


「骨は折れてないようですね。お薬を塗って包帯で固定しますから、とにかく安静に!ですよ」


 てきぱきと右足の手当てをしてくれるのを、恐縮しつつ眺める。

 それまで黙っていた傍らの男が、怪訝そうに言った。


「……お前、なんでフード脱がねぇの? 診察室の中は暖かいだろ」


 ぎくりっ。

 何か良い言い訳……言い訳……。


「……実は、頭に大きな丸ハゲがありまして……」


 それしか思いつかなかった。

 リースさんの言葉が頭の中に残っていたのかもしれぬ。


「えええぇっ!?……そっか、余計なこと聞いて悪かった……」


 すまなさそうに謝る男。

 なんか、こっちの方がゴメン……。


 そういうことなら、と院長先生がぽんと手を打った。診察室から出ていき、緑色の液体が入った小瓶を手にして戻ってくる。


「育毛剤です。一日一回、マッサージするように優しく塗ってくださいね。お近付きのしるしに差し上げますよ」


 優しく微笑まれ、ぎょっとする。


 違うんです!

 サラサラの髪は私の唯一の自慢っていうか、最近ではルカさんにも褒められたっていうか!

 だからそのお薬は、必要とする人にあげてください!


「……ありがたく使わせていただきます」


 言えんかった。



 ◇



「マイカちゃん。悪いんだけど、こいつ預かっててくんない? 家に送るのに、荷車を借りてくるからさ」


 施療院の中の、生活感のある部屋に連れて来られた。

 マイカちゃんは山のような洗濯物を取り込んでいる最中だった。


「いいですよ! ダンさん、優しいですねぇ」


 にこっと笑う。

 ……と、男が真っ赤になった。おお?


「べ、別にそんなんじゃねぇし! なるべく早く戻るから待ってろよ!」


 後半の台詞は私に言うと、逃げるように部屋から出て行った。ほうほう。

 マイカちゃんへと目をやれば、彼女も興味津々に私を見ていた。


「施療院で下働きをしている、マイカっていいます!」


「あ、私はユキコです。よろしくね」


 マイカちゃんは十八歳だそうだ。

 歳も近いし身長も近いので(といっても私よりは高そうだが)、初対面でもおしゃべりが盛り上がった。

 座ったまま、私も洗濯物をたたむのを手伝う。


「──ところで、ダンさんってどういう人なの?」


 マイカちゃんに探りを入れた。

 なんだか有耶無耶になってしまったが、彼はニフェルを盗んだ容疑者である。マイカちゃんはきょとんとした。


「どういうって……ダンさんは薬師ですよ。施療院に薬を卸してる薬店の息子さんで、毎日じゃないけど施療院の仕事もされてます」


 ルカさんの同業者なのか。

 一体どういう関係なのだろう。


「おい、帰るぞ」


 ヤンキー男が戻ってきたので、私はマイカちゃんに手を振った。


「今日はありがとう! よかったら、また遊びに来てもいいかな?」


「もちろん! あたしもユキコさんとおしゃべりできて楽しかったです」


 にこにことうなずいてくれる。


 外に出ると、男が私を荷車に乗せてくれた。

 先に荷車に積まれているのは……松葉杖のようなもの?


「これを使えば、足にあまり負担をかけなくてすむ。足が治ったら返しに来いよ」


 こんなものまで貸してくれるとは。やっぱり、悪いヤツではないのかも。

 男がガラガラと荷車を引いて動き出したところで、意を決して問いかけた。


「……ね、どうしてルカさんの畑からニフェルを盗んだの?」


 男はぐっとつんのめった。危なっ!


「盗んだっつーか……! しょうがねぇだろ! あいつを裏山から遠ざけるためには、それしかなかったんだから……!」


 遠ざける……?

 あえて黙っていると、男はバツが悪そうにぼそぼそ言い訳しだした。


「裏山の畑は、前から俺も手伝うことがあったんだ。まさか他にも畑があるとは知らなかったけどな。……ルカのやつ、ニフェルを悪用してる奴らがいるとか、密売されてるかもしれねぇから隣の港町を調べに行くとか、わけわかんねぇこと言い出しやがって」


 男は一度言葉を切ると、憤然と私を振り返った。


「挙げ句、裏山に黒花が出ただと! そんな危険なところに、いくら薬のためでも行かせられねぇだろ!」


 わからなくもないけど……。


「んで、大ゲンカ。だから今日も居留守使ってると思って……。アンタには悪かったな」


「それはいいけど。ルカさんにはちゃんと事情を話して謝ってね?」


 男は黙り込んだが、ややあって仕方なさそうにうなずいた。

 この件に関してはひとまず解決した。なので目下の懸念はあとひとつ。ディーンより先に帰り着かねば……!


 リース薬店が見えてきた。よしっ!


「──ユキコ!? なんでダンと一緒にいるの!」


 薬店の前には、今帰ってきたっぽいディーンとルカさんが立っていた。

 ……終わった。


「……ルカさん、ダンさんが話したいことがあるんだって。私とディーンは、先に中に入ってるから」


 力なく言うと、ダンさんの手を借りて荷車から降りた。

 松葉杖をてんてんと突いて、無言のディーンをうながし店内に入る。


「──で?」


 はい、怒ってますね。想像通りですよ。


「待って、私のせいじゃないから。それに、おかげで新事実も判明したし。──ああ、そうだ! ディーンにお土産もあるの」


 緑色の液体が入った小瓶を手渡す。

 ディーンが不思議そうに瓶の中を覗き込んだところで、(おごそ)かに告げた。


毛生(けは)え薬です」


「なんでだ!?」


 将来、必要になるかもしれないじゃん?

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