25.嵐のような
目が覚めると、とっくに陽は高く昇っていた。
昨夜は遅かったし、なんだかんだあって疲れていたのだろう。
うーんと伸びをして、ふと枕元を見ると。叫んでいるような顔をしたムンクさんがそっと座っていらっしゃった。
いつの間に置いてたんだ、あの男……?
「おはよう……」
あくびを噛み殺しながら一階に下りると、ルカさんが嬉しそうにこちらを見た。今日も今日とて麗しい女装姿である。
「おはよ! そろそろ起こそうかと思ってたんだ。朝ごはんできてるよ。僕とディーンは今から出掛けるから、ユキコはゆっくりしててね」
ディーンとルカさんは、もう朝食を済ませたらしい。
むっつりとお茶を飲んでいる男の側にそっと近付き、「気を付けてね……?」と言ってみる。
「……まあ、適当に付き合ってくる。どうせ数日の話だからな。お前はとにかく大人しくしててくれ」
任せろ。引きこもるのは得意ですからね!
元気よくうなずくと、やっと少し笑ってくれた。
裏山に出掛けるふたりを見送った途端、なんだか気が抜けてしまった。朝ごはんを食べて食器を片付け、庭で道具を借りて洗濯を済ませたら、もうやることもない。
(……勉強でもするかな)
二階に上がり、ベッドの上に寝そべってだらしなく勉強を始める。この格好、ムンクさんとめっちゃ目が合うわ~。ちょっと楽しくなってきた。虹糸の腕輪をにまにまと眺めたり、ムンクさんをつついたりしつつ、勉強に勤しんだ。
──ガチャッ
扉の開く音がして、はっと目が覚めた。
いつの間にやら寝てしまっていたらしい。目をこすりながら「お帰り」と言って入口を見ると──
壮年の女性が愕然と立ち尽くしていた。
ルカさんと同じ銀髪で、顔立ちもどことなく彼に似ている。
『…………』
無言で見つめ合う私たち。
昨日も同じようなことがあったような……? デジャヴかな……?
◇
「いやあ、びっくりびっくり」
リースさんは、昨日の誰かさんとそっくり同じことを言った。
一階に下りて、リースさんの入れてくれたお茶を飲んでいる。もう見られてしまったので、髪を隠すことはしていない。
「急に帰ってきてごめんなさいねぇ。バカ息子が店を休んでるって、人づてに聞いたものだから心配になっちゃって」
「ああ……。ラザロに行っていたそうですよ。そういえば、お店今日も閉めてますよね」
薬店なのにこんなに連日閉めて大丈夫なんだろうか、と他人事ながら心配になる。だが、リースさんは笑って首を振った。
「ウチは店売りの薬店じゃないの。施療院に薬を卸すのが仕事なのよ」
「……施療院?」
首を傾げると、てきぱきと説明してくれた。
施療院とは先々代のウィンザー伯爵がスーロウに設立した病院であり、領内に住む人なら誰でも安価に治療を受けることができるそうだ。
リース薬店を含めた数店の薬屋が、施療院で使われる薬のほとんどを調剤しているらしい。
「行きがけに施療院に寄ってきたら、今日はちゃんと納品してたって。だから、いるかなぁと思って寄ってみたんだけどねぇ」
裏山に行く前に仕事もしていたのか。
リースさんには、ルカさんが旅の途中で捻挫してしまった私を助けてくれた、としか話していない。麻薬うんぬんの話は、リースさんがどこまで知っているのかわからないので、うかつに持ち出すわけにはいかない。
「私の旅の連れと出掛けちゃって……。私だけ留守番なんです」
「──連れですって!? それって男!?」
リースさんがいきなり凄い勢いで食いついてきた。何事!?
「あ、はい。男、ですけど……?」
答えた途端、リースさんはがくぅっ!と頭を抱え込んだ。苦しげに声を絞り出す。
「ユキコちゃん、彼氏いたのね……? ウチのバカ息子の嫁にどうかしら、と思ったんだけど……」
「か、彼氏なんかじゃ! というか、こんな髪の女を息子さんに勧めるのはやめた方が」
リースさんは大真面目な顔で、パタパタと横に手を振った。
「あんな女装の男に、嫁の来手があると思う? 髪なんて全部刈ってしまえば問題ないわ」
つるっぱげの嫁も問題あると思いますよ!?
「……心から遠慮させていただきます」
「そうよねぇ……。髪は女の命だものねぇ……」
ふたりで揃ってため息をついた。
命を刈り取ろうとした、意外と恐ろしいお母様かもしれない。
「ただいま、ユキコー!」
突然、音を立てて扉が開いた。
聞いてよ最悪なんだー!と叫びながら、いきなりルカさんが抱きついてこようとした。そしてそのまま後ろに下がっていった。ディーンに襟首をつかまれたのだ。
「ああもう! 本気でうざいな、このわんわんはっ」
「虫なら虫らしく外で鳴いてろ」
外に引きずっていこうとするディーンを慌てて止めた。目の前に恐ろしいお母様がいるのです!
「えっ、いたの母さん!?」
本気で気付いていなかったようで、ルカさんはぎょっと固まった。
ディーンはリースさんと私の髪を見比べて……あきれたように天を仰いだ。ごめんよー。
帰ってきた息子には目もくれず、リースさんは無言で立ち上がった。つかつかとディーンに歩み寄ると、じっと見上げる。
「……いい男ね。あなた、ウチのバカ息子の婿にどうかしら?」
リースさんを除く全員が盛大にずっこけた。
「嫁を探してるんじゃなかったんですか!?」
「もうこの際、婿でもなんでもいいかなって」
「よくないよ! 僕は女の子が好きなのに!」
「早く孫の顔が見たいのよ!」
「僕と彼が結婚したら、永遠に見られないだろ!」
全員が一斉に発言して、わあわあとすごい騒ぎになった。
いや、一言も発していない男ひとり。心配になり、そっと近付いて見上げてみる。
「……ユキ。足の調子はどうだ。俺は、一刻も早くこの街を離れたい……」
めっちゃ遠い目をしとる。
足はだいぶいいけれど、完治するまでもうしばしお待ちくだされ。