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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編小説

理不尽な暴力系ヒロインに、全力でクロスカウンターをぶち込みたいと思います

「あんた、バッカじゃないの!」


 脇腹に鋭い痛み。


 時にお人形と称される、美しい顔立ちとは正反対の暴力性。ミドルキックを打ち込んできたサキは、蹲った俺に嘲笑を投げかける。


「なによ、その反抗的な目……あんたが私の荷物、落としたからでしょ? じゃんけんで負けたんだから、ちゃんと、家までしっかり荷物もちなさいよ」

「だからって、そんな蹴らな――っ!!」


 頭を平手で叩かれる。


 痛がる俺を見下ろしたサキは、仁王立ちしたまま鼻で笑う。


「弱い癖に、舐めた反論してんじゃないわよ。昔からヒョロガリで、私に守ってもらってるような分際で、なにを偉そうに」


 誰も頼んでねぇよ。


 そう言いたかったが、総合格闘技までおさめている『魔王』には逆らえず、情けなく口をつぐむ。


「はい、じゃあ、よろしくね、荷物持ちく~ん!」


 俺は、トレーニング用のウェアとダンベルが入った、サキのスポーツバッグの重さでよろけながら追いかける。


 よく、友人に聞かれる。


 なんで、あんなのと一緒にいるんだよ――答えは、たったひとつ、たったひとつの単純な答え(シンプル・アンサー)


 幼なじみである冥道咲希に――アイツの顔面に――報復の一撃(クロスカウンター)をぶち込むためだ。




「つっても」


 人気のない神社の階段に座り込んだ俺は、物憂げに夕焼け空を眺めていた。


「ジムに通ってる格闘技経験者に、どうやって、クロスカウンターをぶち込むんだよってなぁ……顔だけは百点満点のアイツが、泣き崩れる姿を撮影して、動画投稿サイトにアップしたいだけなのに……難しいもんだよなぁ……」


 冥道咲希は、それはそれは、可愛らしい少女だった。


 『だった』だ。過去形。


 現在は、鍛え抜かれたしなやかな身体から、圧倒的な“暴”を繰り出す小型ゴリラだ。幼い頃の『りょーくんと結婚するぅ!』とか言うような、テンプレ幼なじみ代表だった面影は全くない。


 おしとやかに歩いてたのは小学生までで、中学生の時点で、もうナックルウォーキングしてたからね。ゴリラは交尾の時期にオスがメスを殺したりするらしいけど、アイツは、年がら年中(オレ)を殺そうとしてます。


「この辺りのジムに通いだしたら、間違いなく、アイツの耳に入ってていの良いサンドバッグにされて終わりだ……妨害されるのは確定として、俺が辞めるって言うまで追い込んでくるだろうな……俺が勝手になにか始めるとブチ切れるし……」


 無人の神社で独り言に浸る俺は、THE 不審者(シンプル2000シリーズ)に視えるだろう。だが、人間、本気で追い込まれると、頭の中がパンクして考え事が口に出たりもするものなのだ。許して欲しい。


「あ~、クソッ! 強くなりて――」

「力が」


 声が、聞こえた。


 唐突に、吹き抜けていく突風。木の葉が舞い上がって、神様をおちょくるみたいに、賽銭箱へと落ちていった。夕焼けの赤橙に染まった拝殿が、重苦しい闇に溶け落ちていき、どこからともなく寒気が訪れる。


「力が……欲しいか……?」


 振り向いた、俺の目線の先。


 そこには、両足で木にぶら下がっている“狐の仮面”がいた。見るからに不審者、怪しさで、審査員が10点満点をつけるような。


 甚平じんべいを着込んだ男は、涼し気な出で立ちで、偉そうに両腕を組んでいる。ぶらぶらと木にぶら下がったまま、天地反対になって、俺のことを見つめていた。


「力が欲し――ァぉおん!!」


 そして、急に落下して、頭をしたたかに打ち付ける。


「…………」

「えっ、嘘、急に現れてなにこの人……こわ……え……大丈夫ですか……なにかの撮影ですか……もしもし……?」


 揺さぶるものの、反応がない。


「ほ、本当に失神してる……こ、こわ……下手なホラーよりこわい……な、なにがしたかっ――どわっ!!」


 急に身を起こした狐の仮面は、すっと、音もなく立ち上がる。


 そして、華麗にその場で跳ね跳び……着地した。


「力が欲しいか……少年……?」

「助けが欲しい。お前以外の、正常な人間の」


 涼気をまとって甚平を着込んだ男は、袖口に両腕を突っ込んだまま、下駄をカラカラと鳴らす。


「ハッハッハ、上手いつもりか、無様なジョークだなぁ少年」

「無様なのは、お前だよ」


 喉元にボイスチェンジャーを仕込んでいるのか、神秘的なデジタルボイスが聞こえてくる。演出へのこだわりが垣間見えた。


「自己紹介しよう。

 わたしの名前は、謎の狐仮面。世の憂いを薙ぎ払うために、神から遣わされた神使のひとり……という設定で、青少年に夢と希望を与える活動を行っている、今年で3留目の無能大学生でーっす☆」

「そんな、長い自己紹介要ります? 『こんにちは、ゴミです』で良くない?」

「ふざけるな! わたしは、大学で『歩く三角コーナー』とまで言われているんだぞ!」

「ゴミじゃん」


 想像以上のゴミ人間を前にしたら、関わりたくなくなるのが人の常である。


 風が吹いて、参道の木の葉が舞い上がり、それを合図に離脱することにした。


「では、コレで」


 俺は、適当に挨拶をして、そこから逃げ出そうとし――


「シッ!」


 鼻先に風を感じ、思わず、立ち止まっていた。


「んっふっふ……強く、なりたいんじゃないのぉ、少年(ボォ~イ)?」


 俺の前で、彼は、ゆっくりと拳を開く。


「なっ!」


 開かれた拳の中には、木の葉が一、二、三……大量に握り込まれていた。あの一瞬で、幾度のジャブを打ったのか、周囲に舞い散った木の葉をすべて掴んだらしい。


「あ、あんた、す、すごいな! 格闘技、やってんのか!?」

「いや、最初から、拳に握り込んでただけだけど……君、純粋ピュア過ぎない? 大丈夫? 近いから離れて?」


 俺の殺意が萌芽ほうがし始めると、彼は、木の葉を払い捨ててこちらに向き直る。


「さて、本題に入ろうか。

 君、本当に強くなりたいのかい?」

「あぁ、強くなりたい……強くなって……」


 俺は、力強く宣言する。


「美少女の顔面を!! 思い切り!! ぶん殴って!! 泣きじゃくる姿を視たい!!」

「別の意味に聞こえるから、本当にやめて。わたし、弱いオタクだから、かわいそうなのは抜けない」


 別の意味もなにも、そのままの意味ではあるが……いさめられた俺は、気持ちをクールダウンさせる。


「では、少年、君を強くしてあげよう」

「…………」

「目の前の変態に格闘技を習い、人間性を捨ててまで、俺は強くなりたいんだろうかみたいな目はやめなさい」

「さっきのジャブを視る限り、経験者なのは間違いないし、サキに負けず劣らずの速さだったけど……本当に、あんたに習ったら、俺はマウンテンゴリラに勝てるようになるのか?」

「マウンテンゴリラに、人間が勝てるわけないだろ。急になに言ってんだ、君は」


 素で間違えた。心の中で、サキのことをゴリラ変換し過ぎた。


「違う、人間のゴリラの方で……俺の幼なじみ、サキのことだよ」

「君の幼なじみ、ゴリラなの!?」

「だから! 人間のゴリラだって!! それくらい強いんだよ!! リンゴを素手で握り潰してから食べる系女子なの!!」

「なにそれ……インスタ女子、皆殺しに出来るじゃん……」


 余裕で出来る。T○kTokで踊ってる女子も、片手で捻り潰す15秒動画に出来る。


「で、どうなんだ? あんた、俺が、ヒト亜族のゴリラに勝てるように出来るのか?」


 袖口に手を突っ込んで、静止していた狐の仮面は、足指を使って素足を掻いた。


「別に……余裕だが?」

「なんで、急になろう主人公みたいなイキり方した?」

「んっふっふ。こう見えても、わたしはね、ただの不審者ではないんだよ。暇つぶしに、見知らぬ少年の青春を中二病で染め上げて、黒歴史を大量生産しているだけの留年生ではないのだ」

「邪悪一辺倒の遊び方はやめろ」


 ゆらゆらと身体を揺らしていた男は、急に反転したかと思えば――回し蹴り――轟音、大木が、バネみたいにぐわんぐわん揺れる。


「んふっ、ちゃんと、実力は備わっている。クソガキの素人を、素行不良の喧嘩自慢に染め上げるくらい、お茶の子さいさいサイさんってかわい~!」

「韻を踏みながら、あざとくなるのやめて」


 冷静に受け答えしているつもりでも、俺は、心臓がバクバクと高鳴っているのを感じる。コイツの実力は本物だ。女性みたいな細身の身体をしているにも関わらず、さっきの回し蹴りは、サキ以上のものを感じさせた。


 この変態は、サキを上回っている。


「……よろしくお願いします」

「おっ!」


 だから、俺は、頭を下げた。


 この人に、教えてもらうと決めたからには、舐めきった態度はおしまいだ。師弟関係になる以上、目上には、敬意を払わなければいけない。


「俺に……格闘技を教えてくださいっ!!」

「いっすよ(笑) じゃ、早速、やっちゃいます?(笑)」


 コイツのイキリオタク感、本当にムカつくわ~! 敬意を払いながら、ブチのめして差し上げてぇ~!


「で、師匠せんせい、まずはなにからすればいいですか?」

師匠せんせい(笑)」


 強くなったら殺すリストに、この人の名前も追加だ~! 脳内ノートに、10回も書き込んじゃうからな~!(強い殺意)


「まぁ、やっぱ、まずは基礎かね。大体、どの格闘家も、コレから入るっていうのがあるから。それから、やろうか」

「体力トレーニングとかですか? 階段ダッシュとか?」

「いや、室内で座ってやる」

「室内で……座って……?」


 想像のつかない俺の前、不敵な彼は、超然と起立していた。




「で」


 俺は、密着しながら、隣で体育座りをしている狐仮面に目を向ける。


「なんすか、コレ?」

「トレーニングだけど?」


 とあるネットカフェのカップルシート……スゴイ良い匂いのする狐仮面と肩を並べて、俺は、薄暗い照明の下でモニターを見つめている。


 正確に言えば、モニターに映し出されている女児向けアニメを視ている。


「……なんで、俺たち、日曜朝に早起きする女児みたいなマネしてるんですか?」

「だから、トレーニングだよ」

「……プリ○ュアで?」

「プリ○ュアで」


 ノリノリなOPがまた始まって、俺が飛ばそうとすると、狐仮面にものすごい力で止められる。


「OP飛ばしたら……殺すぞ?」

「というか、そもそも!」


 俺は、立ち上がって、思わず叫んでいた。


「なんで、俺たち、プリ○ュア視てるんですか!? ずっと、頭の中で、キュアキュア言ってるんですけど!? 治療キュアはもう間に合ってますが!?」

「なに言ってるんだ、コレは、れっきとしたトレーニングだよ。どの格闘家も通る、当たり前の基礎レッスンなんだ。

 ほら、言うだろう、全ての道はローマに通ず」

「絶対、プリ○ュアには通じてねぇよ!! 日曜朝に早起きしてる女児が、全員、グラップラーになってたら日本はおしまいだよ!!」

「でも、ふたりは~?」

「「プリ○ュア~!!」」


 ダメだ、もう、俺はおしまいだ。『ふたりは~?』と問いかけられたら、『プリ○ュア~!!』と答えてしまう身体にされてしまった。


「劇場版がね、コレ、スゴイんだよ。ぬるぬる動くからぬるぬる。

 ほら、コレ、この関節技。ブラジリアン柔術とか古式ムエタイっぽいけど、現実でやろうとしたら、ちょっとアレンジしないとかかんないね。流れの中で、こんな風に極めるのは、相当に足が長くないと無理かな。

 どう? 君は、どう思う?」


 うるさいよ、この人。人の期待を裏切って。もう、返事なんてしてやらん。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ふたりは~?」

「「プリキュア~!!」」


 クソがぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!


 結局、その日、俺と狐仮面は徹夜でプリ○ュアを視て、明け方に解散した。まごうことなき、名作だった。




「あんた、昨日、どこ行ってたの?」


 寝不足のまま学校に行くと、案の定、サキに教室で絡まれる。


「……別に。散歩」

「は? なにその態度? 舐めてんの? こっちは、心配してやってんだけど?」


 腕を掴まれる。激痛。思わず、顔をしかめる。


「痛かったぁ? ごめんねぇ? 2割くらいしか力入れてないけど、ひ弱なりょーくんじゃ、イタイイタイになっちゃったかなぁ?」


 相も変わらず、舐めた態度の女だ。


 なにがキッカケで、暴力で人を屈服させることを覚えたのか、何時からこうなってしまったのか……俺にはわからないが、コイツのやっていることが、間違っていることだけはわかる。


 暴力で人を押さえつけ、言いなりにするなんて、気高き人間がやるべきことではない。


 だから、暴力クロスカウンターで泣かせてやるよぉ……楽しみにしてろよ、クソ女ァ……!


「なに笑ってんのよ、気色悪い。今度、私の許可なしに消えたら、許さないからね。人に心配かけんな、このバカ」


 拳で頭を殴られる。手加減知らずなので、痺れるような痛みが脳天に残った。


 頭を擦りながら、立ち去る彼女の背を睨みつける。絶対に、アイツをぶん殴るという決意をめて。


「あ~、りょ~ちゃ~ん」


 帰り道、ジムに向かったサキと別れた後、ほわほわとした声音に呼び止められる。


「いま、かえり~? おかえりなさ~い」


 冥道江莉……サキの姉で、大学生だ。


 凶悪なまでに発達した胸部と、見目麗しい尊顔をもつお姉さんである。サキからゴリラ要素を除いて、イチゴオレを混ぜたらエリ姉になるとは、俺界隈では有名な説である。


 小走りで近寄ってきたエリ姉は、嬉しそうにこちらを見上げる。


「うれしいな~、りょ~ちゃんとあえて~。げんきにしてた~? きのう、サキちゃんが、おりょうりもってたんだけど、おうちにいなかったんでしょ~? どこにいってたの~?」


 特徴的なほわほわボイス、あくびを噛み殺しながら、俺は懇切丁寧な嘘を答えた。


「散歩っす」

「そっかぁ~、えらいねぇ~、しょ~らいはそうりだいじんさんだね~」


 なんで?


「いつも、サキちゃんが、ごめんね~。あのね~、りょーちゃんはわかってるとおもうけど、あれはゆがんだあいじょうなのよ~」

「本当の愛情ってのはね、歪まないんですよエリ姉。変形しないの。愛ってのは、永遠にかわらないものでしょ?」

「うわ~、りょ~ちゃんはいいこというね~、しょ~らいはホームレスさんだね~」


 良いこと言ったのに、急に判定が厳しすぎる。


「でも、サキちゃん、やりすぎだよね~。だいじょうぶ、おねえちゃんが、ちゃ~んとおしおきするから」

「そんな、お仕置きだなんて……両目をえぐるのは、やり過ぎですよ……もっと、やってください……」

「えぐんないよ~?」


 コアラを思わせるゆったりとした動きで、エリ姉は腕時計をノロノロと見つめる。


「いっけな~い! 遅刻しちゃ~う!」

「なんで、急に、口にパンを咥えた遅刻少女みたいなセリフを……?」

「あと3びょうで、おひるねのじかんだ~!」

「秒針を的確に捉えて、絶対に間に合わないのウケますね」

「それじゃあ、わたし、かえるね~。ねむくてねむくて~。ばいばいね、りょ~ちゃん、さよなら~」


 駆けていくエリ姉の背を見送ってから、俺は、神社にまで走って向かった。




「早かったな、少年」

「その木にぶら下がるの癖なんですか、それとも依存症ですか」


 またもや、狐仮面は、両足で木にぶら下がっていた。腹筋で起き上がってから、今度は綺麗に着地する。


「では、今日は、本格的に身体を動かすトレーニングをやっていこうと思うが……君には、たったみっつのことしか教えない」

「たったみっつ?」

「左ジャブ、右ストレート、そして――」


 指を二本立てた男は、三本目の指を、ゆっくりと立てる。


「奥の手だ」

「奥の手……」

「まぁ、まず、成功しないとは思うがね。だから、本当に必要なのは、君の勝ちたいという強い気持ちだ。その気持ちこそが、勝敗を明確に分ける」

「それは、まぁ、良いんすけど」


 俺は、不安を、素直に吐露する。


「左ジャブと右ストレートだけで、サキに勝てるんですか? アイツ、キックとか関節技とか寝技とか、当然のように器用にこなしますよ。総合やってるんで」

「問題ない。タックルは、完全に封殺できるからね。だから、タックルの切り方を君に教えるつもりはない。

 キックに関しては、ブロッキングは覚えてもらう。君の体格では、上手くさばけなかったら、上段ハイをもらって終わりだ。ただ、君自身に、キックを教え込むつもりは一切ない」

「いやいやいや! キックなしは無理ですよ! そもそも、左ジャブと右ストレートだけって! 

 せめて、フックくら――」

「殴ってみなさい」


 仁王立ちした狐仮面は、ちょいちょいと、俺を指で招きながらささやく。


「右でも左でもいい。見様見真似で、フックを、わたしに打ってみなさい」

「……思い切り?」

「思い切り」


 俺は、ネットで調べた構えを、見様見真似でとってから――一気に駆け寄って、左フックを放ち――


「っ!?」


 上体をズラしながら、頭を突き出した師匠せんせいの額に拳が当たる。凄まじい激痛が、左拳を突き抜けた。


「いっでぇ!! いでぇ!! うわっ!! いっでぇ!!」

「とまぁ、この様に、ド素人のフックは非常に動きがわかりやすい。頭で受ければ、簡単に拳を壊せる」

「クソ……俺、アイツの顔面に、クロスカウンターをぶち込むのが夢だったのに……」

「クロスカウンター? 無理無理、彼女のストレートに合わせられるほど、君に当て感は身につかないと思うよ。タイミングがドンピシャであれば、1%くらいの確率で当たるかもしれないがね。

 なので、これからは、ひたすらに左ジャブと右ストレートの練習。平行して、基礎体力向上と拳の方も鍛え始める」

「うぅ……ちくしょう、昨日まで、プ○キュア視てたのに……」

「もちろん、合間にプリ○ュアも挟む」

「挟まなくていいよ!! 左ジャブと右ストレートに関しては、まったくもって、参考にならねーだろアレ!!」


 構えから始まって、ステップの仕方。木の枝で腕やら足を叩かれながら、拳を打つ度に適宜修正を施される。あっという間に日暮れになって、汗だくの俺は、バンテージを巻いた拳の痛みでうめき声を上げる。


「どっから、持ってきたんですか、サンドバッグなんて……いってぇ……何発、打たせるんだよ……いでで……」

「家では、シャドーをやってね。それと、明日から、家は早めに出るように」

「え、なんでですか?」

「フロントステップで通学しなさい。たまに、サイドステップとバックステップを織り交ぜて、ワンツーを入れ込みながら」

「……もしかして、その不審行為を下校時も?」

「もちろん。ゴリラの彼女には、見つからないように」


 あの独特なステップで、通学はキツいな……今日、足の裏の感覚が鋭敏になるくらいにはやったけど、登下校時にまで、やらされることになるとは思わなかった。


「はい、コレ、姿見。シャドーやる時は、コレの前に立って、適宜、構えを修正しながらやってね。変な癖つけてきたらぶっ殺すよ」


 我が物顔の狐仮面は、拝殿の裏から姿見をもってくる。


 自分の全身が映る鏡を担ぎ上げた俺は、薄暗い帰り道を辿り――


「シッ! シッ、シッ、シッ!!」


 部屋にもって、ひたすらに、鏡に向かって左ジャブ、右ストレート。気だるくなって、重たくなってくる全身の筋肉。玉のような汗が肌に浮かび上がり、無意識に、両腕が下がってくる。


 そんな反復作業を繰り返していると、気が滅入ってくる。


 だから、そんな時は――


『ぷりっ○ゅあ、ぷりっ○ゅあ!!』

「…………」


 プリ○ュアを視る(OPは飛ばさない)。


「シッ! シッ、シッ、シッ!!」


 シャドー。


『ぷりっ○ゅあ、ぷりっ○ゅあ!!』

「…………」


 プリ○ュア。


「シッ! シッ、シッ、シッ!!」


 シャドー。


『ぷりっ○ゅあ、ぷりっ○ゅあ!!』

「…………」


 プリ○ュア。


「シッ! シッ、シッ、シッ!!」


 シャドー。


『1・2・3・4! プリ○ュア(5!)』

「…………」


 プリ○ュア。


 この繰り返しで、あっという間に、夜がふけていった。




「……あんた」


 師匠せんせいとの練習後に、嘔吐しなくなってきた頃、真剣な顔をしたサキから声をかけられる。


「最近、本当に、どこに行ってんのよ……夜、連絡しても反応しないし……なんで、最近、殴っても言うこと聞かないのよ……」

「…………」

「ねぇ」

「…………」

「あんた、聞いてん――」


 拳を振り上げたサキを見つめると、彼女は、強張った表情で俺を見つめ返す。


「な、なんなのよ……弱いくせに……あ、あたしがいないとなんにも出来ないくせに……な、なによその目……ふざけんじゃないわよ……手加減抜きで、ブチのめすわよ……あんた、私の強さ、知ってるでしょ……?」

「あぁ、知ってる」


 俺は、顔を伏せて、つぶやく。


「最近になって、ようやく、お前の強さを実感した。相当、努力したんだろうな。本当に、尊敬するよ。スゴイと思う。

 でもな――」


 顔を上げて――俺は、彼女を射抜いた。


「その努力を、こんなくだらねぇことに使ってんじゃねぇよ」


 すっと、サキの目から感情が消え失せる。


「ひさしぶりに、躾が必要みたいね。従順にわんわん泣いてれば、血も悲鳴もしょんべんも、漏らさなくて済んだのに」

「……ようやくだ」

「は?」

「ようやくだよ」


 俺は、震える両手を、ぎゅっと握り締める。


「ようやく、お前をブチのめせる」

「…………」

「一週間後、裏山のとこの神社でだ……楽しみにしてろよ、サキぃ……昔みてぇに、わんわん泣かせてやるからよぉ……!」

「ほざくな、雑魚ザコ


 俺の肩を殴りつけて、サキは教室から出ていった。時が止まったみたいに、静まり返っていた教室が、元通りの活気と時間を取り戻す。


 俺は、ただ、ポケットの中に隠した拳を――再び、握り込んだ。




「いや、負けるに決まってるでしょ」

「えっ」


 嬉々として、師匠せんせいに、ついに決戦の日が決まったと伝えると、非情な言葉が返ってきた。


「勝率は、10%……いや、10%もないな。

 君のその細身じゃ、男女の体格差、優位さ(アドバンテージ)は殆どない。総合で慣らしてる相手に対して、左ジャブと右ストレートしかない君が、現在いまの状態で勝てるわけないだろうが。

 チョキとパー抜きで、じゃんけんするようなものだぞ」

「え、いや、でも、俺、けっこー鍛えてますよ?」

「結構、ね。あっちは、相当、鍛えてるよ」

「……もしかして、俺、早まりました?」


 腕組をした師匠せんせいは、重苦しい息を吐いた。


「まぁ、でも、勝ち目がないわけでもない」

「本当ですか!?」


 意気込んだ俺をなだめるように、師匠せんせいは、スパーリング用のグローブを手渡してくる。


「なにせ、コレは、試合じゃない……喧嘩だ。

 やりようは、幾らでもある」


 とんとんと、受け取ったグローブを指でつつかれる。その真意を察して、俺は、思わず顔を上げていた。


「グローブに……仕込むんですか……?」

「恐らく、一撃は入る。彼女は、君が、鍛えていることを知らないからね。だから、もし、その一撃が、“鉄板”みたいに硬い一撃だったら……彼女は、その一撃で、もう立てなくなるかもしれない」

「…………」


 見下げる。師匠せんせいと、幾度も幾度も幾度も、繰り返してきたスパーリング用のグローブを。冥道咲希に勝つためだけに、文字通り血が滲むような努力をし、滲み込んだその粉骨砕身を。


「……師匠せんせい

「ん?」

「俺、一回、スタンガンと鉄パイプもって、サキを襲おうと思ったことがあったんですよ」

「……うん」

「でもね、いざ準備が整って、靴紐を結んでる時に――違うと思った」


 押し黙った先生は、ただ、ゆらりと立ち姿を揺らした。


「だって、情けなさ過ぎるでしょ。幼なじみの子相手にさ、勝てないからって、スタンガンと鉄パイプもって奇襲かけるって。違うでしょ、なんか。それやって勝ったとして、俺は、なにを得られるのかなって。

 なんのために、俺は、咲希に勝とうと思ったのかなって……だからさ、俺、現在いま、グローブを見ててさ思い出したよ」


 俺は、師匠せんせいにグローブを手渡して――笑った。


「俺、アイツと対等になりたいんだ。昔みたいに。恨みつらみもなく、バカげた話をするような、普通の幼なじみになりたいんだよ。

 だから――」


 師匠せんせいは、そっと、俺を抱き締める。まるで、隠すように。


「俺、こんなの使えねぇよ……勝ちてぇよ……今さら、逃げ出したくないよ……アイツに……昔みたいに戻って欲しいんだよ……ちくしょう……な、なんで、俺は、弱いんだよ……なんで……」

「ごめん……試すような真似して……わたしが悪かった……君の覚悟を甘くみていた……」


 柔らかい身体で俺を包んだ師匠せんせいは、そっと身を離してからささやいた。


「やろう」

「……うん」

「たとえ、1%しか勝率が存在しないとしても――きっと、君は勝てる」


 気休めなのかもしれない。もしくは、優しさなのかも。


 でも、師匠せんせいの目は、その狐の仮面越しに、俺のことを捉えて離さなかった。彼の目が言っていた。


 君なら勝てる、と。


師匠せんせい


 だから、俺は、その目に応えようと思った。


「もし、俺がボコボコにされても……絶対に止めないでくれ」

「でも、それは」

「頼む、いや、お願いします」


 俺は、頭を下げる。


「お願いします」

「……わかった」


 そして、その日がやって来た。




「りょーちゃん……」


 バンテージを巻き終わった俺が家を出ると、外で待っていたらしいエリ姉が、不安そうな面持ちでこちらを見つめていた。


「いくの……?」

「うん」

「……りょーちゃんは、男の子だもんね」

「違う」


 俺は、この短期間でこしらえた、自身の傷を撫でながら応える。


「男だとか女だとかは関係ない。俺だから、サキだから、行くんだ」

「……わたしは」


 祈るようにして、彼女は、両手を組んだ。


「りょーちゃんを信じてるよ」

「…………」

「仲良く、出来るよね? ね?」


 歩き始めた俺の背に「りょーちゃん!!」と、大声が浴びせかけられる。


 振り向く。


 その先では、もう、エリ姉は祈っていなかった。


「昔、サキとりょーちゃんが喧嘩してた時」

「…………」

「いつも、りょーちゃんが勝ってたよ」

「……いってきます」

「いってらっしゃい……サキを……お願いね……」


 アップのために、小走りで駆け出して――俺が、昔、いじめられていた頃に、目の前に背中があったことを思い出す。


『りょーくんをいじめるな!! りょーくんをいじめるなら私が相手だ!!』


 勇敢な女の子の背を思い出す。


『だいじょうぶ! りょーくんは、サキが、ずーっと守ってあげるから!』


 己の呼吸を意識しながら、思い出がよぎっていく。


『うん、ジム、通いだそうかなって。お姉ちゃんの行ってるとこ。中学になってから、体格差で負け始めたし』


 あぁ、なんだ、アイツ。


『だから、ひとりで帰らないでって! りょーくんをいじめてたグループ、まだ、ココらへんをうろついてるんだから! ねぇ! 恥ずかしいってなに!? 離れないでよ!!』


 俺のために。


『りょーくんが悪いんだよ。私の言うこと聞かないんだから。力づくでも嫌われても、私は、りょーくんを守るためならなんでもするよ』


 俺のために、強くなったのか。


「まぁ、だからって」


 神社の階段を駆け上って――参道、拝殿の前、トレーニングウェアに身を包んだサキが、ゆっくりと振り返る。


「手加減はしてやらねぇからな?」

「それ、こっちのセリフ」


 グローブをめたサキに、俺は呼びかける。


「パウンドグローブとか、舐めてんのか? 素手で来いよ」

「……死ぬよ?」


 知ってる。


 怪我をしないように、柔らかいパウンドグローブを着けてもらって、適当に寝かせてもらえばそれで終わる。痛い思いも苦しい思いもしないで、また、元通りの関係性に戻れる。


 戻れるから――


「いいから外せ」


 絶対に嫌だ。


「被害届、出さないでよ?」

「お前こそ、ゴリラのおまわりさんに助けを求めるんじゃねぇぞ」


 俺は、構える――サキが、眉をしかめた。


「へぇ、ちょっとは、勉強してきたんだ。でも、わたしの耳には入ってないし、ジムには通ってないよね。

 ネット知識で身に着けた付け焼き刃、私には通らないと思うよ」

「付け焼き刃だって、思い切り押し当てて引けば……切れるだろ」

「押し当てる前に、へし折れてなければね」


 サキも構える。


 当たり前の話だが、俺の構えとは違った。パンチのみのボクシングとは違って、総合は、キックやタックルも警戒しなければならない。下方にまで気を配る構え方が、ボクシングのものと異なるのは当然のことだ。


 互いに見つめ合い――


「…………」


 サキが、音もなく動いた。


 構えたまま、にじり寄ってくる。距離を詰められる。牽制の左ジャブを打ち落としながら、俺は、左を打とうとして――景色が歪んだ。


「ぇ……ぉ……?」


 ぐわんぐわん、揺れる世界、自分が倒れているのがわかった。


 追い打ちはこない。お優しいことに、立つまで、待ってくれるらしい。軽く飛び跳ねながら、首を左右に倒しているサキが微笑んでいた。


「終わり?」


 や、やべぇ……み、視えなかった……顎にもらったのか……ひ、左なのか右なのかもわからなかった……スウェーのタイミングも図れなかったぞ……


 俺は、ゆっくりと、立ち上がる。


「来なよ、付け焼き刃。ブチ折ってあげる」


 構える。


 フロントステップで近づいて……今度は、視えた。


 左。左だ。左ジャブ。スウェーで躱して、サキの驚いた顔を一瞥いちべつ、俺は気が狂うほどに練習した左ジャブを――打った。


「っ!?」


 顎先、掠める。


 かわされたが、当たっている。アレだけ左ジャブに固執した意味があったのか、面食らっているサキは、慌てて距離をとろうとして――


「シッ!」


 深く入った、俺の右に掴まる。


 綺麗に決まった。正面。顎にぶち当てたお陰なのか、サキの両目が一瞬ブレて、好機を抱いた俺は打ちまくる。


「シッ! シッ、シッ、シッ!!」


 素早く立て直したサキは、俺のワンツーをヘッドスリップで避けながら後退する。だが、足元がよろけている。何発か、左が入って、サキの鼻から鼻血が垂れ落ちる。


「シッ! シッ、シッ! シッ!!」


 通用する! 通用している!! 俺の拳が、サキに、ダメージを与えている!! イケる!! イケるぞ!!


 調子にノッた俺は、ワンツーを繰り出しながら、ひたすらに詰め寄って――


「違う!! ダメだっ!!」


 師匠せんせいの叫声を耳にした時には、もう遅かった。


「ぐおあっ!! ぁっ!!」


 俺の左拳が――大木に突き刺さる。


 いつの間に誘導していたのか、巧みな体重移動シフトウェイトで俺を案内エスコートしたサキは、ものの見事に俺の左拳を“大木”へと打たせた。本来であれば、ココを練習場としている俺が、利用しなければならない地の利を逆に活かされた。


「ディフェンス!! ディフェンスだっ!! ボディを閉めろッ!!」


 激痛で開いたボディに、屈み込んで、力を蓄えたサキの右拳が――深々と、突き刺さってえぐり込む。


「ぉっ……!」


 気持ちが、悪い。


 猛烈な吐き気、下半身が消え失せたみたいな感覚。一瞬で脂汗が溢れ出して、声も出せずにその場にうずくまる。


 そして、顔面に、膝が入った。


「がはっ……ぁはァ……っ!」


 凄まじい勢いで、鼻血が噴出する。血で溺れる。呼吸が整わなくなって、後ろに下がることしか考えられなくなる。


「…………シッ!」


 追いすがってきたサキの右拳が、右の眼窩を捉えて打ち放つ。


「ぁ……うぁ……ぐぅ!!」


 涙が溢れ出てきて、右の視界が閉じられる。


 急に拳が恐ろしくなって、不用意に俺はガードを上げた。


「ダメだ!! 上げるなッ!!」


 バァン!!


 凄まじい破裂音が聞こえて、サキのローキックが、足の付け根をいだ。ガクンと膝が崩れて、数百匹のハチに刺されたみたいな、痺れながら広がっていく痛みが、付け根を中心に一気に広がっていって悶える。


「…………ッ!」


 右ストレート、ガードを上げ――バァン!!


 フェイント、同じところに、ローキックが入る。ガクガクと膝が震え始めて、あまりの痛みに、両目から涙がこぼれ落ちる。


 無闇矢鱈に拳を振り回しながら後ろに下がると、無表情のサキが、構えもしないでゆったりと近づいてくる。


「……よわ」


 ハイキック――アレだけ練習したブロッキングが、下段ローに意識がいっていたせいで、まともにカットも出来ず――俺の側頭部に綺麗に入った。


 意識が薄れて、その場に倒れ込む。


「おっと」


 石畳に頭を打ち付ける直前で、サキが足先を差し込んでくれる。


 倒れ伏した俺は、くらくらと、ゆらめいている世界を真横に見つめた。しゃがみこんだサキは、鼻血を上着で丁寧に拭いてから、微笑みかけてくる。


「すごいね、左ジャブと右ストレート。私、躱しきれなかったし。りょーくん、相当、頑張ったでしょ。えらいえらい」

「…………」


 ぼんやりとした意識の中、サキが、俺の頭を撫でている感触が鈍く伝わってくる。わかりやすいくらいの、弱者扱いだった。


「誰に教わったの……あの変な人?」


 師匠せんせいは、腕組をしたまま、動こうとしない。


 俺のことを、じっと見つめたまま――仮面の下から、顎にまで、血がしたたっていた。


「きっしょ、あの人、唇、噛み切ってんだけど。なんなの、りょーくんのストーカー? ブチのめしていい?」

「…………」

「りょーくんはさぁ、むかしっから弱いんだよ。なのに、歯向かうから。暴力で解決するしかないじゃん。言っても聞かないんだもん。りょーくんを守るためには、ぶん殴るしかないって、中学の頃から気づいちゃったよ」

「…………」

「もう二度と、歯向かわないでね。ダルいから。今度やったら、骨折るし、もっと痛い目にも遭わせるから」

「…………」

「ほら、りょーくん、立っ――」


 立ち上がった俺は、サキを押しのけて、ふらつきながら構えた。


「休ませてくれて……ありがとよ……お陰で、鼻血も止まったぜ……」

「……バカなの? 本当に死ぬよ?」

「ばーかぁ……」


 俺は、血反吐を吐きながら笑いかける。


「死んでんのは、テメェだろうが……昔のかわいいサキちゃんを返しやがれ……この人間型ゴリラ……魔王の癖に、人の形してんじゃねぇぞ……生意気にステップ踏んでねぇで、ナックルウォーキングしろコラ……」

「このッ!」


 左フック――タイミングを合わせて――額をぶち当てる。


「ぐっ……ぁ……!」

「あっ、ごめぇ~ん……ちょっと、ふらついて、運良く当たっちゃったぁ……まさか、天下のサキさんが、素人の挑発にノッて、不用意に左フック打ってくるわけないっすよねぇ~……ねぇ~……?」

「ふ、ふざけ――」

「フザケてんのは、テメェだろうが!!」


 怒号。


 びくりと、サキは、拳を引っ込める。


「なんで、勝手に俺を見下した!? どうして、俺を守るために、心まで差し出した!? 昔のサキちゃんはどこだよ!? どこにいんだよ!? 昔のお前は、誰も殴れなかっただろうが!! 無様な暴力になんて、頼んなかっただろうが!! 俺が!! 俺が、ずっと、憧れてた背中は!!」


 泣きながら、俺は、無様に叫び続ける。


何時いつだって……優しかったよ……現在いまのサキちゃんは……背中なんて、誰にも、見せてくれないじゃんか……」

「…………」

「だから、俺は」


 汚らしく、むごたらしく、格好悪く――俺は、構える。


「君に、背中を預けてもらえるように強くなる」

「……ふざけんな」


 顔を上げたサキは、血走った目を俺に向ける。


「ふざけんなふざけんなふざけんな……りょーくんは、そのままでいいの弱くていいの……強くなったら、また、私の言うこと聞かなくなる……昔から、身体も弱くて虐められてて、風邪ばっか引いてたのに……私の目の届かないところで、変な連中とつるむようになったらどうするの……無茶して病気になった時は、どうすればいいの……わ、私の傍からいなくなったらどうすればいいの……ねぇ……どうすればいいの……りょーくん……ねぇ……ねぇ……?」

「風呂沸かして、待っててくれれば良いよ」


 無音。サキの顔から、表情が失せる。


「……足、折るね」


 サキは低く構えて、タックルを仕掛けてこようとして――止まる。


「タックルは、無理でしょ」


 俺は笑う。


「下、砂利だらけだもんな。膝、ぐちゃぐちゃになるよ」

「……うるさいっ!!」


 頭に血が上っているサキは、直情的に突っ込んできて、俺は不用意にガードを上げる。


「…………ッ!」


 そして、ミドルキックが飛んでくる。


「ありがとよ」


 俺は、その足をキャッチして――


「賭けは俺の勝ちだ」


 サキの姿勢が崩れる。


 何度、練習したかわからない動き、目に焼き付いて離れない動作を繰り返す。右手で相手の首を押さえつけて、左手で右腕をとる。


 手首をとったまま、右足で相手の右足を蹴りつける。


「なっ!?」


 崩れ落ちる上体、下がった右腕を両腕で極めたまま、右足で挟み込んで跳躍し――体重を載せて、地面に押さえ込んだ。


「うぁ……ぁ……!」


 とんでもない離れ業で、地面に叩きつけられたサキは、首後ろに全体重を載せられてもがき苦しむ。


「なん、なの……コレ……実戦で、こんな技……相手の動きが読めない限り……き、決まるわけが……」

「賭けたんだよ、お前のミドルキックに。俺の天運を全部な。奥の手ってのは、最後の最後まで隠しとくから奥の手って言うんだぜ」

「ど、どこで……こんな技……?」

「決まってんだろ。どの格闘家も通る、当たり前の基礎レッスンだ」


 俺は、組み伏せたサキを下に笑いかける。


「プリ○ュアだよ」


 合間合間に師匠せんせいと、シャドーの休憩中に、俺はこの場面を何度もリピートして目で覚え込み、動作を繰り返して身体に刻み込んだ。


「ふざけ……るなァ……こんなの……信じられるわけが……!」

「無理だろ。抜け出せねぇよ。左ジャブと右ストレート、プリ○ュアだけは、死ぬほど練習したんだ。抜けられてたま――グァ!!」


 ローキックで痛んだ足をつねりあげられて、俺は、激痛で足を上げてしまった。姿勢を整えたサキは、得意の右ストレートを繰り出してくる。


 スローモーション。なにもかもが遅くなって。


 こちらを見据えた師匠せんせいが、ゆっくりと、頷いているのが視えた。


 ――たとえ、1%しか勝率が存在しないとしても、きっと、君は勝てる


師匠せんせい


 俺は、その1%を――左にめる。


「使うよ、俺なりの奥の手」


 すべては、この一撃のために。どうせ、付け焼き刃の技は外されると想定して、全身全霊をこの一撃のために注ぎ込んできた。


 右が、伸びてくる。


 ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと。


 ――りょーくんをいじめるな!! りょーくんをいじめるなら私が相手だ!!


 目の前のサキちゃんと、呼吸が合った気がした。とくんと心臓が跳ねて、あの日の背中が、俺の両目に焼き付いた。


 だから、俺は打つ。


 左。なにもかもを打ち込んで。


 右ストレートの想いにのせて、左フックを交差させて――打つ。


 めり込む。


 深々と、彼女の、顎に、頬にまでめり込んで。


「サキちゃん」


 ――だいじょうぶ! りょーくんは、サキが、ずーっと守ってあげるから!


「今度は、俺が」


 その一撃が――ふたりで――静かに完成する。


「君を守るよ」


 俺と君の回答(クロスカウンター)


 静まり返る。


 俺の拳を喰らったまま、サキちゃんは、ぼうっと突っ立っていて――急に、こちらに倒れかかってくる。


「うっ……うぁ……ぁ……」


 そして、泣いた。


 彼女の泣き顔を視るのは、数年ぶりのことで戸惑う。


「うぁあああああああああああああああ!! りょーくんが殴ったぁあああああああああ!! ぁああああああああああああああああ!!」

「いや、お前こそ、さっきまでバンバン人のことぶん殴ってたろ。俺の顔面で、リズムゲームしてたレベルだぞ」


 なんだか、ムカついてきて、もう一発くらいくれてやろうかと思い――りょーちゃんを信じてるよ――やめておいた。


「……あーあ」


 俺に縋り付いて泣くサキを撫でながら、じんわりと訪れ始めた激痛に目を閉じる。


「本当に……疲れた……」


 ただ、俺は、気だるい疲れを全身で感じていた。




「すごかったよ」


 決戦から、数日が経って。


 包帯まみれの俺が神社に行くと、師匠せんせいは、いつもの調子で俺のことを出迎えてくれた。


「正直言って、君が勝てるとは思いもしなかっ――」

「もういいでしょ」

「……え?」


 ささやきかけると、狐の仮面越しに、動揺が伝わってくる。


「仮面、外してくださいよ。全部、終わったんだから。

 ねぇ、そうでしょ」


 観念したかのように、“彼女”は狐の仮面を外し――


「エリ姉」

「あ~あ、ばれちゃってたか~」


 いつもの、ほわほわとした笑みを浮かべた。


「がんばって、サラシで胸を潰して男の子のフリしてたのに~、なんで、わかっちゃったの~?」

「胸、ですね」

「…………え?」

「決戦前夜、俺のことを抱き締めてくれたじゃないですか。その時、隠しきれない凶悪な胸部が俺に当たって……『あ、このサイズ、エリ姉だな』って」


 絶妙な顔つきで、エリ姉は俺を見遣る。


 なんだか、あんまり、嬉しくはなさそうだった。


「その前から、変だなとは思いましたけどね。なんだか良い匂いするし、一人称が『わたし』だし、俺と同じタイミングで寝不足だったり……それに、サキにお仕置きするって言ってましたしね。

 そのお仕置きって、俺をサキに勝たせることでしょ?」

「すご~い! しょ~らいは、ワトソン君だね~!」

「そこは、もう、シャーロック・ホームズで良いでしょ……サキが行ってるジム、先にエリ姉が通い出したところなんですよね? 昔の思い出がよみがえった時、サキのそんなセリフも思い出して」

「うん、そうだよ~、いまもかよってるもん。留年中で暇だから、バシバシ、人間でストレス解消してるの~」


 この女性ひと、たぶん、サキより強いんだよな……普通に怖い……。


「サキはど~お? 反省してた~?」

「別人レベルで。毎日、俺の世話しに来るんで、この間、素っ気ない態度とってみたらガチ泣きしてました。

 ザマァ視ろってね、へっへっへ」

「……よく、我慢したね」

「え、なにがですか?」


 エリ姉は、静かに微笑む。


「最後、一発、殴ろうとしてやめたでしょ? 無抵抗の泣いている人間に、追い打ちをかけるのはやめたんだよ、君。

 アレだけのことをされながらも、君は、暴力ではなくてゆるしを与えた」

「いや、まぁ、そりゃあ当たり前でしょ。

 俺、長く甚振いたぶるタイプの聖人なんで」


 本当に嬉しそうに、エリ姉は笑った。


「わたしもね、報復した時があるからわかるの……酷いことをした相手に赦しを与えるのが、どれだけ難しいことか……それが正しいのか正しくないのかはわからないけれど、わたしは、この短い間に教えた技術を……無抵抗の相手を殴るためには、使って欲しくなかった……だから、君には、感謝してる」

「いやいや、そこは俺じゃなくて」


 俺は、そっと――師匠せんせいに、狐の仮面をかぶせる。


師匠せんせいが教えてくれたんでしょ。

 そして――」


 俺は、狐の仮面を剥ぎ取って、薄く微笑んでいる彼女に笑いかける。


「貴女が信じてくれた」

「……ありがとう」


 こわごわと、師匠せんせいは俺を抱き締める。


「ありがとうね、りょーちゃん……痛い目に遭わせて、お姉ちゃん失格だね……ごめんね……ごめんね……ごめんねぇ……」

「こちらこそ、ありがとう」


 抱き締め返した俺は、痛めてない右手で、泣きじゃくる彼女の背を叩く。


「じゃあな、師匠せんせい


 こうして、俺の師匠せんせいは消えた。


 俺はサキと同じジムに通うようになって、本格的に総合格闘技を習っている。大した才能はないと思うが、冥道姉妹と切磋琢磨し合うのは、そんなに悪くもないかなと思っている。過去の遺恨は、殴り合いで流しきったからだろうか。


 そして、数年後。


「ひさしぶりだなぁ」


 俺は、ロードワークで、懐かしの神社の上にまでやって来る。


 階段の上から見下げる町の景色、かつて師匠せんせいが視ていた光景を視てみたくて、狐の仮面をかぶって穴から覗いてみる。


「あれ? 思ったより、見づら――」


 泣き声。泣き声が聞こえた。


 拝殿の裏。男の子が、膝を抱えて、泣きじゃくっていた。


「強く……なりたい……強くなりたいよぉ……!」


 思わず、俺は笑ってしまって、男の子に気づかれる。


「えっ!? だ、誰!?」


 だから、俺は言った。


「力が欲し――」

「防犯ブザー鳴らしますよ!!」

「待って、お手本みたいな反応やめて!! 本当にごめんなさい!! いい年してお茶目なんです、勘弁してください!!」


 狐の仮面をつけたまま、ギャーギャー問答をしていると彼は落ち着いてくる。そうして、ようやく、話を聞くことが出来た。


「ぼ、僕のこと、何回もバンバンって背中、叩いてきて……で、でも、エミちゃん、顔は可愛いから、皆、騙されてて……だ、誰も助けてくれなくて……な、なぜか、僕のことだけ叩いてきて……」

「泣くな、少年。大丈夫だ。俺は、そういうことに関してはプロフェッショナルだからな。どーんと、解決してやろうではないか」

「……本当?」

「あぁ。

 そういう、理不尽な暴力系ヒロインには全力で――」


 俺は、狐の仮面越しに笑って。


思いの丈(クロスカウンター)をぶち込めば良いんだよ」


 どこからか、師匠せんせいの笑い声が――聞こえた気がした。

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[良い点] 文章力と構成 [一言] メスガキ~を繰り返し何度も読んでて、気になったのでこちらも読了。 すごく楽しめたのですが敢えて、敢えて突っ込ませてください めっちゃホー○ーランドで見た練習風景…
[良い点] 短編が断然この方の作品が面白い。ストーリーの構成力もさることながら、続きが読みたくなるこの終わり方が最高。
[良い点] 圧倒的文章りょく! [気になる点] 主人公と暴力系ヒロイン どっちが黒でどっちが白だったんでしょうか…
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