B.G.02(お小言なら云わせておけ)
農業は全自動。天気も土も作物も、予定通りに実ってる。お肉もお魚も右に同じく。好きな時に好きなように、いただける。
不足もなければ、無駄もない。
不作もなければ、過剰もない。
それを管理と呼ぶのなら、あたしは悪いと思わない。
ガレージで、段ボールに入ってたお兄ちゃんの使っていた古い本の教科書を読んだら、昔はなんでもかんでも、すごく大変だったんだなあって思う。
本は、お父さんが箱詰めにして、どこかに移動させた。
「健康と幸福は権利です。安心で不安のない社会を目指します」
青い警告ランプを光らせて、無人車がやって来る。
銀の車体の横に蛍光の帯。黄色と青の市松模様。
スピーカーが親身な声で語りかける。
「身体の不調や心の悩み・ご相談は、専用ホットラインを開設しています」番号案内。「二十四時間、いつでもご利用ください」
それがまたお父さんを苛立たせる。
「健康! 当たり前だ! 幸福! 今が不幸だ、バーカ!!」
お父さんは先祖返りする。
リビングの窓に張り付いて、唾を飛ばして拳を振り上げる。
「汚い言葉はやめなさい」お母さんがたしなめる。
でも、特に強く云うわけでもなく、いなしているっていう感じ。
あたし?
健康は軽い喘息が少し。
幸せかどうかは、訊かれた時の気分次第。
でも世界は、健康に努めよと手を焼き世話を焼き、幸福を願ってくれる。
「アカめ!」お父さんが吐き捨てる。
それは血の色、革命の色。
「お気軽にお問い合わせ下さい」再び、連絡先の案内。そして、「人民の皆さまの健康と幸福をお約束します、ご協力に感謝します」
「バーカ!!」と、お父さん。
どっちもどっち。
あたしは日に一度の、この案内が好きでない。
たとえ家の中でも、喚いたり怒鳴ったり、汚い言葉や罰当たりな言葉を吐いたことには変らない。まだ学校があった頃、先生が云っていた。
「誰も見ていない、聞いていないとしても、必ず分かってしまうものです」
ミセス・マダムはふくよかで、豊かな銀色の髪に銀縁の眼鏡をかけた穏やかな先生。
生意気にもそれは誰かと訊ねら、「自分は偽れませんからね」先生は微笑み、「お天道さまが見ている。誰に知られなくても、自分のしたことは、自分自身がよく分かっているはず。だから恥ずかしくないよう、毎日を大切に、丁寧に過ごしましょう」
先生は、いまどうしているのだろう。
生徒のいない校舎は、学校って呼ばれない。
今はただ、箱って呼ばれてる。
コンクリートの箱。
他の先生も箱の中で何をしているのだろう。
そもそも箱の中にいるのだろうか。
あたしの教科書は全て回収された。
代わりに届けられるノートやペンの書き味を、あたしはとても気に入らない。
安物め。
「紙とインクは役目を終えたんだ」
配布された電子端末の中で、旧世紀デザインのロボット分身を着込んだボニーことボニカリス先生が云う。「電子ペーパーは便利だよ。使い込んで馴れなさい。そういえば絵の具を頼んだよね? なぜスタイラスとタブレットではダメなのかな?」
「金色がないから」あたしはむすっと答える。
「金色!」ガビーンとばかりに頭からネジとバネが飛び出すようなマンガそのもので、センセイは目玉をぐるりとさせた。「金色!」
シュッと画面の右半分に、どこか不安を煽るような少し怖い人物画が映された。「君はこの絵を見て、何色だと思っている?」
「……金」むすっとあたし。
「そう! グスタフ・クリムト! 彼の絵は金だ。君が見た通りに金色だ。君は金色と認識している、この画面に映った絵を!」センセイは興奮気味に続ける。「RGB! ディジタルなら自由自在の思い通り! R・G・B! 絵の具の残りを気にしないで、いつでも、いくらでも失敗を恐れずに描ける!」
素晴らしい! またネジとバネをガビーンとばかりに飛び出させる。「君にできないはずはない!」
「できません」むすっとあたし。「感覚が掴めません」紙と筆と絵の具がいいのだ。
「諦めてはいけない」センセイは穏やかに、諭すように、「習うより馴れろだよ」
あたしはやっぱりむすっとする。
馴れたくないし、習いたくもない。
画面の表示は金で塗ったものを映しただけじゃん。
本物は金じゃん。
金色じゃん。
あたしにも、スケッチブックに金を塗らせてよ。
スケッチブックを、ぎらっぎらに塗らせてよ。
「そもそも」センセイは云った。「君は本当に金色を塗りたいのかな?」
あたしは電源ボタンを長押しした。それでセンセイは消えた。
お小言なら云わせておけ。
シルバーとカッパーの絵の具は、ほどなくして入荷未定、品切れの連絡が入った。
ゴールドは云うに及ばず。
うちだけ発注条件が変えられたのかもしれない・かもしれない。