赤いパーカー
「ねぇ赤いパーカー着て来てる男子って知ってる?」
「知らないけど、何で? あ、もしかして一目惚れしたけど名前が分かんない的な?」
リスのようにタマゴサンドを口いっぱいに頬張りながら、恋バナ好きなみっちゃんは目をキラキラと輝かせる。
話題を振ったのはわたしだけど、お行儀が悪い。
ちゃんと飲み込んでからと伝えるようにお茶を差し出せば、コクコクと頷いたみっちゃんはお口を空にする。そしてサンドイッチの代わりに私の話に食いついた。
「アコの初恋なら協力するよ!」
お行儀は悪くともみっちゃんはわたしの自慢の友達だ。
だから本当に初恋を迎えた際には是非お手伝いをしてほしいところだし、みっちゃんが新たな恋を見つけた時は全力でお手伝いをするつもりだ。
けれど今回はそういう話ではない。
「違うよ。ほら、わたし昨日休んだじゃん?」
「うん」
「実は一昨日の帰りに具合悪くなってさ、駅で休んでたんだよね。そこでパーカー貸してもらって……。一応お礼は言えたけど名前聞くとこまで頭回んなくて」
「だから探している、と。でもさ、探すにしても駅を使う人ってうちの学校だけでも結構な人数いるけど見つかるかな? 顔わかる?」
「わかんない……けど、うちの制服着てたからうちの生徒なのは間違いないよ!」
悪く言えば、同じ駅の利用者でうちの学校の男子生徒で赤いパーカーを貸してくれたってことしか分からないけれど。
それでもみっちゃんは「それだけ分かれば十分!」と手を叩く。
「ごはん食べたら他の子にも聞いてみようよ。赤いパーカーって結構目立つし。アコ、そのパーカー今日持ってきてる?」
「いつ会えるか分かんないからちゃんと持ってきてる!」
「じゃあ早く食べて聞き込み開始しよ~」
頼もしいみっちゃんは再びリス化してサンドイッチを平らげていく。私もみっちゃんほど早くはないけれどお弁当を空にしていく。
そして早速聞き込みを開始した訳だが――
「みっちゃん、今日は撤退しよう? 今度一人でちゃんと返却するから」
「え、でもこういうのって早く返した方がよくない?」
「そうだけど!」
『赤いパーカーの男子生徒を知らない?』
そう尋ねて返ってくる答えはいつだってたった一人の人物を指していた。
三年生の円城先輩を。
遠くから聞こえた声もあの日に聞いた声によく似ていて、十中八九間違いないのだろう。
でもわたしには男女問わず色んな人達に囲まれているあの先輩に突撃する自信はない。
いや、一人で今度返しに行くのにもメンタルをすり減らさないと無理だけど!
でもあの中に、コミュ力の塊であるみっちゃんは相応しくても、窓際読書系女子のわたしには場違いもいいところだ。
あの中に行くくらいだったら『柏木、あの円城先輩に告白したんだってよ。鏡見てから出直して来いよ』と言われた方がマシである。
告白なんてそんな恐れ多いことはしないけど。
というか円城先輩だって知ってたら借りたりしなかった。
風邪の寒気なんて気合でどうにかできなかったのか、って一昨日の自分を殴りたい!
百面相を繰り返すわたしをみっちゃんは不思議そうに眺めていた。
けれどもう少しで昼休み終わっちゃうね、と呟くと半分だけ開いたドアをガラっと開いて顔を出した。
「すみませ~ん。円城先輩、少しお時間いいですか?」
「みっちゃん!」
なんでそんな目立つような真似を!
お慈悲を~と腕に縋りついたみたものの、みっちゃんにすればただの付き添いの用事である。
早く済ませてしまいたいのだろう。
「誰? アキラ、知り合い?」
「じゃないと思うけど……?」
「もしかして告白か? 昼休みに突撃してくるタイプは初めてじゃね? モテ男はなんでもありだな」
「モテ男って、古くね?」
教室内で何を言われようともビクともしない。
それどころか「どうしたの?」と廊下までやって来てくれる円城先輩に「すぐ済みますので」とペコリと頭を下げた。そしてこのタイミングで「アコ」と私へのパス。
ベストタイミングである。
なにせわたしの用事なのだから。
多くの先輩達の好奇な目に突き刺されながら、わたしはパーカーの入った袋を先輩へと突き出した。
「あの、これ! ありがとうございます!」――と。
すると先輩は一昨日の出来事を思い出したのか「ああ!」と両手を打ち付けた。
「具合良くなったんだね」
「はい、お蔭さまで」
「それなら良かった。パーカー、わざわざ返しに来てくれてありがとうね」
「いえ、お借りしたものはお返ししないとですから」
あの日と同じく少しゆっくりと話す円城先輩と、テンパるわたし。
そして突き刺さる視線。
すぐにわたしは我慢できなくなって「本当にありがとうございました!」と深く頭を下げると、みっちゃんの手を引いて早々と退散した。走ると危ないって怒られるから早足で。でも気持ちはダッシュ。
こうしてパーカー返却という重大ミッションをこなしたわたしは、みっちゃんにお礼としていちごみるくを奢り、日常へと戻る――はずだった。
「あ、アコちゃんだ。おはよう」
「お、おはようございます」
「今日もビクビクしてるね。チワワみたい」
「わたしは人間ですので」
「それは知ってるよ~」
あの日を境に『珍獣枠』として気に入られてしまったわたしは、発見される度に声を掛けられるようになってしまったのだ。
人気者の円城先輩がそんなことをすれば自然と女子生徒達の視線はわたしに集中する。
「あ、みっちゃんじゃん。新作のチョコ買ったんだけど食う?」
「食べます!」
いや、正確にはわたし『達』か。
気に入られたのはわたしだけではなく、みっちゃんもだ。
あの日の勇敢さと、食事中のリス化が先輩達の心を射止めたらしい。
彼らはこぞってみっちゃんを見つけるとお菓子をあげるようになっていた。
今日も登校数分で手のひらに沢山のお菓子を乗せている。
「アコと一緒に食べますね!」
ルンルンと嬉しそうに笑うみっちゃんの手にはきっとまだまだお菓子が増えることだろう。少なくともわたしが昨日作ったクッキーは追加される。
でも今日はいつもよりも多いようだ。
新作のお菓子の発売日だったのかな?
クッキー食べるだけのお腹の隙間が残っていればいいけど……。
そんな心配をしつつも、いつの間にか隣に並んでいた円城先輩から少しずつ距離を取る。けれど人気者の先輩にすぐに距離を詰められてしまう。
「みっちゃん、人気だね」
始まったのはみっちゃんの話題。
わたしの友達で、大好きなみっちゃんの。
だからいつもよりも声に力が入る。
「みっちゃんは可愛いし優しくて。わたしの自慢の友達ですから!」
魅力を伝えたいという願望はいつもは決して合わせることのない先輩の顔を見上げてしまった。するとイケメンと名高い、円城先輩の視線と交わる。
それだけでも恥ずかしくて、顔は真っ赤に染まってしまうのにそこに円城先輩の追撃が加わる。
「俺はアコちゃんの方が好きだけどね」
その言葉を深い意味で捉えるほど恥知らずではないつもりだ。
けれどふわっと笑うその顔はやはり学園一の人気者で、週に1度は呼び出されるほどのモテ男のそれで。
わたしの思考が停止してしまうのは仕方のないことだろう。
「みっちゃん、いちごみるく買ってあげるからこっちおいで~」
「本当ですか? やった~。あ、アコに何がいいか聞かないと」
「アコちゃんの分は緑茶とミルクティーとココア、3パターン買っておけば大丈夫大丈夫」
遠くでそんな会話が聞こえてくる。
3パターン全てを網羅するくらいだったら買ってくれなくてもいいからこの状況から救い出してほしい。
だがそんなささやかな願いは彼らに届くことはなかった。
「アコちゃん? おーい、アコちゃん。もしかして風邪ひいた? あ、パーカー羽織る?」
フリーズ状態だったわたしが再び通常運転を開始したのは、制服の上から掛けられた赤いパーカーに周りの生徒達がざわついた時のこと。
つまり完全な手遅れ。
こうなったスタートも赤いパーカーで、これから広まるだろう噂も赤いパーカーが引き金。
どうやらわたしは赤いパーカーと縁がないらしい。