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7.

 俺っちが今いるビルの屋上から校舎までは一キロ半ほど。幸いなことに遮蔽物はない。遮る物があったとすれば、この配置はあり得ない。


 小学校の一つの教室がテロリストによって占拠されたのだ。連中が希望するところはブタバコに詰め込まれている仲間の解放。叶うわけもない。見切り発車もいいところだ。現実味のある要求でなければ打ち上げるだけ無駄だ。だけど、児童が取り引き材料にされている以上、その命を重視して行動する必要があるわけで。それって万人の価値観と照らし合わせても当然の解釈であって。犯行グループは『亡国の騎士団』。以前も同様の人質事件を起こした極左組織だ。カッコつけな名前だ。相容れない。というか、おまえ達がいなくなっちまえばいいんだぜ、という話だ。


 インカムから伊織さんの声。多少のノイズまじり。


「ハジメ。現状は把握できてる?」

「勿論だぜ、ベイベ、バッチリだ。奴らは素人だな。セオリーってもんがなっちゃいない。部屋のカーテンくらい閉めろって、俺っちは言いたい」

「いつでも撃ちな」

「だけどなあ」

「なに?」

「こちとら対物ライフルだ。ヒトの頭がぐちゃりんこになっちまう様子をベイビー達に見せたくはないのさ」

「いいから撃ちな。三十秒後に撃ちな」

「わかった。ラジャーなんだぜ」


 一度やるとなった途端、俺っちが指をかけた銃のトリガーはひどく軽くなる。一発撃った。空薬莢が飛んでもう一発。二人の男の頭はそれぞれ吹っ飛んだ。伊織さんと本庄君が教室内に入り、集まってきた子供らの体を精一杯抱き寄せる。狙撃以外の手段もあった。だけど、スナイピングが最も適切だと判断したのは後藤さんと伊織さんだ。俺っちはその任務を果たした。自画自賛はしない。優秀な二人の同僚がいたからこそのパーフェクトワークだ。


 インカム越しにまた話をする。


「車に戻ってるんだぜ、ベイベ」

「了解。それにしても、ウチの可愛いスイフトちゃんに対物ライフルを持ち込む。極力そんな物騒な真似は避けたいな」

「だけど、俺っちと仕事をするとなると――」

「そうだね。今後もそんなことがあるかもね」

「伊織さん」

「なに?」

「アンタにとって、俺っちってどんなニンゲンだい?」

「いきなりの質問。急に不安に駆られでもした?」

「俺っちの居場所って、本当にここなのかな」

「アンタには今の立ち位置が似合ってる」

「そう、か……」

「変てこな本音を言わせるな」

「うん、悪い。悪かったんだぜ」

「四の五言わずに今いる立場をまっとうしな。じゃなきゃ私はゆるさない」




 その日の夕方。太鼓みたいにのっぺりとした円柱状の建物、通称ホワイトドラムに立ち寄った。

 

 四階にある後藤さんの居室の前に伊織さんが立つと、自動式の引き戸は音もなくすっと開いた。中にはソファセットがあり、俺っちと彼女が二人掛けに座った。本庄君は脇に立つ。そのうち、ゴルフクラブを持ってスイングしていた御大とでも呼ぶべき後藤さんが、向かいに腰を下ろした。


「さすがに我が組織のメンバーが三人も並ぶと大迫力だね。圧巻だとでも言えばいいのかな」


 俺っちという存在に圧巻という表現は大げさすぎる。立派に見えるのは伊織さんと本庄君だろう。彼らはそれほどまでにスケールが大きく、プロの雰囲気を醸し出しているのだ。


「今回の案件の敢闘賞、技能賞、殊勲賞はハジメに寄越してやるべき。その腕は買うより他にないね」

「ハジメ先輩はスゴいッスよ。そのうち、狙撃距離の世界記録を更新するんじゃないッスかね」

「はっはっは。そう言ってもらえると、ハジメ君をスカウトした僕としても鼻が高いなあ」


 俺っち、あんまり褒められたことがない。だから称賛されると感極まったりしてしまう。そのことに目ざとく気づいたらしい伊織さんに、「なに、アンタ。ここで泣くわけ?」と言われた。「な、泣いたりするわけがないんだぜ、ベイベ」と精一杯強がっておいた。


 後藤さんが「『亡国の騎士団』は潰せそうで潰せないなあ」と放り投げるように言った。「もういいんじゃない? ほっといて。所轄に任せていいと思う」と述べたのは伊織さんだ。「今回みたいにガキどもが人質にとられるようなら話は別ッスけどね。その際は俺達が出張ったほうが話は早いッスよ」というのは本庄君の意見。


「ハジメ君はどう思う?」

「今後もエスカレーションされた際には、きちっと対応すべきだと思います」

「君の正義感は、朔夜君のそれといい勝負だ」

「らしいッスよ? ハジメ先輩」

「俺っちは本庄君みたいにはなれないんだぜ」

「どうしてッスか?」

「筋トレ、三日で飽きちまうからなんだぜ」

「それとこれとは話が全然別ッスよ」

「いいや。継続力ってのは重要なものなんだぜ、ベイベ」


 後藤さんは笑い、伊織さんは肩を抱いてきて、本庄君に至ってはなんのつもりか頭のてっぺんをがしがし掻いてきた。俺っちってば意外と愛されキャラなのかもしれない。そんなことは言えないし、言わないけれど。




 飲んで帰ろうという話になった。事件が一つ片づいたから祝杯というわけだ。ビルの三階にある和風ダイニングで予約を取りつけた本庄君が戻ってきた。「もう一人招集」と言い出したのは伊織さんである。早速、スマホでコールする。


ゆう君。今から出てきな。眠いとかダメだよ。いつまでだって待ってるから」


 悠君。おしたり悠君。それは『治安会』の『実行部隊』、すなわち、俺っち達と同じ釜のメシを食う仲間である。前職は麻薬取締局の捜査官。『マトリ』というヤツだ。そういうこともあって、拳銃の扱いには長けている。大人しそうな物腰である反面、相当な数の修羅場をくぐってきたのだろうと感じさせられる、そんな空気をまとっている人物なのだ。誰がそう呼び始めたのかは不明らしいけれど、彼の二つ名は’弾が当たらない男’。


 悠君は縦社会をわきまえているというか、先輩の言うことには従順でなければならないというしっかりとした思考の持ち主だ。よって伊織さんに呼び出されたら出てくるしかないのだ。


 四人用の四角いテーブルについているさいちゅうに彼は訪れた。童顔の美青年である彼は眠たげで今にも寝てしまいそうな目をしている。背は高くない。茶色い髪はくせっ毛らしい。いつも首に大きなヘッドホンをさげている。歳は三十を迎えたところ。本庄君の二つ年上。俺っちと伊織さんからすると二つ年下だ。急な呼び出しを食らったにもかかわらず、『治安会』のユニフォームとも言える黒いスーツをまとっている点からは生真面目さが窺える。


 俺っちの隣についた悠君は目をこすりながら、「ビールください」と小さく言った。さすがだ。寝起きにアルコールなんて俺っちには無理だ。すかさず反応したのは本庄君である。「そこのあんちゃん、ああ、おまえだ、おまえ。とっととジョッキ持ってこい」と迫力のある声を出したのだ。体に染み込んでいるのであろう体育系のノリ。年少者であることから積極的に場を整えようとする行為を立派にすら感じる。自分にはできないことができる。やっぱりそういうニンゲンは尊敬するに値するのだ。


 本庄君が箸でサーモンの刺身をつまもうとしたところで、伊織さんが割り込んだ。ぺろっと食べてしまったのである。二人して箸をがちゃがちゃとぶつけ合ってのせめぎ合い。マナーはともかく、優勢なのは彼女のほう。「おい、ふざけんなよ、テメー」と彼はリアルにおかんむりの様子。


「別にアンタのモノってわけじゃないでしょ?」

「金は俺が払ってやる。だから俺の食事を邪魔すんな」


 途端、伊織さんはうきうきとした表情を浮かべた。


「二人とも聞いた? 今日は朔夜のオゴりらしいよ?」

「ホント、死ねよ、馬鹿女」

「それじゃあ、俺っちはこの店で一番高い日本酒を飲みたいんだぜ」

「僕は芋焼酎がいいよ、本庄君」

「ハジメ先輩も忍足先輩も遠慮とは無縁なんスね」

「わかった。じゃあ、俺っちが半分持つぜ」

「僕も払おう」

「だから悠君もハジメも、いいんだってば」

「伊織、そいつは俺が述べるべきセリフだ」

「今日もしようねぇ」

「なにをだよ、馬鹿女」

「セックスセックス!」

「そういうことなら、今日という今日はぶっ壊してやんよ」


 悠君は「仲がいいことはいいことです」と言って、ジョッキを傾けた。「今日もしようねぇ」とか、「今日という今日はぶっ壊してやんよ」とか聞かされて、俺っちはドキドキした。自分の場合だと、多分、女のコに裸体をさらしてもらったところで、なにもできないだろうという確信めいた予感がある。もう三十路を過ぎたいい大人なのに、なんとも情けない話である、とほほなのだ、とほほ。




 帰り道。列車の中。悠君と一緒である。思ったよりすいていた。並んで吊革に掴まるだけのスペースはじゅうぶんにあった。


 悠君は大きなヘッドホンをつけていて、自分の世界に浸っている。シャカシャカ鳴るのは彼が好きだという”ブラッド・メルドー”だろうか。俺っちにはジャズの知識もなければ、その良し悪しもわからない。


 悠君の肩をつついてみた。すると彼はこっちを向いてヘッドホンをとった。「なんですか?」と尋ねてきた。


「い、いや、特になにもないんだぜ」

「なにか訊きたいことがあるから、肩をつついたんでしょう?」


 悠君は丁寧ながらも、直球で物を言うところがある。


「そ、そのだな、俺っちからすると、悠君の立ち居振る舞いってヤツが、常々気になっているんだぜ」

「そんな込み入った話は、こんなところでするべきじゃないです。なにをしゃべっても情報漏洩につながらないとも限りませんから」

「ま、まさに言う通りだな、ベイベ」


 問答無用で年下に注意をされてしまう俺っち。意識の低い無防備なセリフを吐いてしまったようで、恥ずかしい。


「もう一件、行きましょうか?」

「えっ」

「ミユキさんが話したいことがあるなら、付き合います」

「わ、わかった。ちゃんと奢ってやるんだぜ」

「そんなこと、気にしなくていいです」

「顔を立てる。先輩としては、そうしてもらいたいんだぜ」

「わかりました」


 次の駅でJRをおりた。もう夜の深い時間帯でどこもすいているだろう。悠君は積極的に動いて居酒屋を探してくれた。目的地までアテンドしてくれた。優柔不断な俺っちなら、どこにしようか決めかねたことだろう。対面式の二人席についた。落ち着けそうだし、ゆっくりできそうなのは間違いない。


「ボトルを入れましょう」

「ボトルってなんのボトルだい?」

「焼酎です」

「焼酎のボトルなんて、全部飲み干す自信はないんだぜ」

「余りそうだったら僕が引き受けますから大丈夫です」


 力強い言葉だと感心した。伊織さんと本庄君も酒豪だ。言葉からして、悠君も負けず劣らずどっこいなのだろう。


 店員がアイスペールを持ってきた。加えて、水、それにお湯が入っているポットを置いてゆく。


「どうすればいいですか?」

「えっと、じゃあ水割りをお願いするんだぜ」


 その作業は手慣れたものだ。マドラーを使って手際良く作る。本当に様になっているのだ。見習うべき所作であるように思う。


 俺っちは出された透明の液体ををぺろりと舐めた。なかなかに美味い。正直、焼酎は得意ではないのだけれど、これならいけそうだ。

 

 刺身の五点盛り、それに鉄板にのったサイコロステーキがやってきた。悠君は香ばしく焼けた肉をぱくりと口の中に放り込むと、熱い熱いとでも言わんばかりに口をはふはふと動かした。男の俺っちから見ても愛らしい様子だ。仕事は徹底的なまでにこなすのに、時にはこうして可愛い姿を見せる。その二面性がなんだか羨ましい。それくらいのギャップがあれば俺っちも女のコにモテる……とか、野暮な話はよしておこう。


 沈黙、沈黙、沈黙。


 なにせ俺っちが話をしたいと言ったわけだ。だからここは自分から話を切り出すところだろうと考えた。とはいえ、「それで、えっと、えっと……」と要領を得ないイントロになってしまった。悠君は「はい」と答えてくれた。目を見て言われたので、少々気後れした。それでも、「そ、そうだな、ベイベ」と、なんとか続きを紡ごうとする。しかし、彼の前で「ベイベ」という単語を使うのは相当サムいのではないかと考えた。それでもとにかくうまいことしゃべりたい。


「あの、だな……」

「はい」

「たとえば、尊敬する人物っているかい?」

「両親です」

「えっ」

「どうして驚くんですか?」

「それは、なんというか、意外な気がして……」

「だけど、両親と同じくらい尊敬できるヒトがいることも事実です」

「それは?」

「『治安会』の『実行部隊』の面々ですよ」

「その尊敬に俺っちは含まれる……?」

「勿論です」


 涙もろい俺っち、うるっとしてしまう。


「僕は代表を、後藤さんを信じています。陶酔って言ったら大げさかなって考えます。それでも、彼が選んだニンゲンが結集すれば、組織の完全性は限りなく百に近づくように思います」

「俺っちはスナイピングしかできないわけだけど」

「確かに喧嘩は得意じゃなさそうですね」

「どれだけ訓練を受けたところで、まるで上達しないんだ。肉弾戦は本当にダメダメなんだぜ」

「僕だってたかが知れています。泉さんに本庄君。逆立ちしたって二人には勝てません。だから、あまり気にする必要はないと思います」

「だけど、そんな無様な現実が俺っちの現状なんだぜ?」

「ですから、スナイプは誰より達者だろうって言っているじゃないですか」

「でもなあ、俺っちが役に立つケースは、滅茶苦茶限られてるからなあ……」

「それでいいと思います」

「そうなのかな」

「僕はそうだって思います」


 後輩の力強い励ましを受けて、とても感激した。感動もした。なんて優しい奴なのだろう。なんて喜ばしい言葉を吐く男だろう。


「この店、奢らせてもらうんだぜ」

「そういう話でしたけれど、せめて割り勘にしましょう」

「とことんイイ奴なんだなおまえさんは、ベイベ」

「やっぱりベイベはやめられないんですね」

「ちなみに教えてくれないか。悠君が誇るべきものってなんだい?」

「実はそのへん、よくわかっていないんです」

「これまた悠君っぽいセリフだぜ」

「楽しいです。ミユキさんと飲めて」

「ホント、イイ奴すぎるぜ、君は。いよいよ泣いちまいそうなんだぜ」

「涙もろいんですね」

「きっとそれも、俺っちのいいところなんだって思うことにするんだぜ」


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