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4.

 好きな女のコがいる。彼女はガールズバーで働いていて、だからどの男性客にも愛想よし。俺っちによくしてくれるのも業務の一環。でも、惹かれるのだ。惹かれてしまうのだ。艶やかなボブカットに少しだけチークののった丸い頬。いつもオーダーすると、「お待たせしましたあ」と拙く幼いしゃべり方をする。そのへんがまた可愛いのだ。三十路を過ぎた男がそんな感情を抱くだなんて、ちょっとおこがましいかもしれない。それでも足繁く通っている。いいお客さんになっている。


「ハジメさん、今日はどんな仕事をしてらしたんですか?」

「えっとね、ちゃんが相手だから話すけど」

「なんですか?」

「ヒトを一人、殺したのさ」

「えーっ、ホントにぃ?」

「その反応からして、まるっきり信じてないだろ、ベイベ」

「だってハジメさんって、ヒトを殺すようなヒトには見えないですもん」

「それでも、任務とあればるのさ。そういう職業なのさ」

「どうしたって嘘に聞こえますよぅ」

「ま、それでもいいんだけどさ。ところで、佳代ちゃんにとって、俺っちはどういうニンゲンなのかな」

「うーん、言っていいですか?」

「うん。なんでも言ってくれ、ベイベ」

「冴えないサラリーマンに見えます。ウチに来るのも、ちょっと背伸びしてる、みたいな。黒いスーツは、まあまあ似合っていますけれど」

「そうか。そうなんだね。とほほだ、とほほ」

「あ、ごめんなさい。率直に言いすぎました」

「どういう立場にあろうが、冴えないっていうのは正解かもって思うのさ。そんな感じなんだけど、俺は佳代ちゃんのことが……」

「私のことがどうかしましたか?」

「いや、なんでもない。なんでもないんだぜ」

「いつにも増して妙ですね、変なハジメさーん」

「それだけ俺っちの悩みは深いということさ」

「元気を出していきましょーっ」

「そうだね。なにをやるにしても元気が必要なんだぜ」




 とぼとぼと帰り道をゆく。カノジョが欲しいなあと改めて思う。実は俺っち、少し情けない話かもしれないけれど、生まれてこの方、恋人がいたためしなんてないのだ。だから女性と二人で生活するなんて想像もつかない。気が合って趣味も合う。そんなヒトが隣にいてくれたらいいのになあと本気で考える。男としての幸せがほしいなあと強く強く感じるのだ。


 そんなふうに少々落ち込み、顔を下げながら繁華街を歩いている時のことだった。誰かと肩がぶつかったのだ。よくあることだと思う。だけど、相手はゆるしてくれなかった。「おい、待てよ、あんちゃん」と低い声で呼び止めてきたのだ。悲しみに打ちひしがれている中、背後を向く。「うげっ」と声を上げそうになった。相手は三人もいるのだ。サラリーマンの装い。みな酔客だろう。気が大きくなっていて、それで喧嘩を吹っ掛けてきたのだと思われる。一応、俺っちは俺っちなりに訓練を受けているのだけれど、三人は無理だ。元々、格闘は得意ではないのである。だって専門はスナイピングなのだから。


 人々は俺っち達を避けるようにして行き過ぎる。みんな他人のことには無関心だ。薄笑いを浮かべてやまないこの三人にいたぶられてしまうのだろうか。無様な姿を晒してしまうのだろうか。抵抗もできないままアスファルトを舐めてしまう羽目になるのだろうか。塞ぎ込みそうになるところにおまけに殴られてしまうのだろうか。


 その時だった。左の肩を強い力で掴まれた。下がっていろとでも言わんばかりに俺っちのことを後ろにのける。優に八十五はある長身、見慣れた広い背中。黒いスーツ姿の本庄君だった。彼は凄んだ。三人に向かって、「やんのかやんねーのか、どっちだ?」と強い口調で問い掛けた。相手らはすごすごといった感じで引き下がった。服の上からでもわかる筋肉質な体を見たらそりゃビビる。そんな男を向こうに回して喧嘩をしようなどというやからはまずいない。


 三人が去ったのち、本庄君は俺っちのほうを振り返り、なんのつもりかフレンドリーに隣から肩を抱いてきた。あるいは「しっかりしろよ」と叱責されるだろうと考えていたのだけれど、彼はそんなことは言わない。「それぞれ得意分野があるッスからね」と笑顔を作って見せた。ああ、敵わないなと感じた。こんな清々しい笑みを見せられたら、女性はイチコロだろうから。


「伊織さんは? 大切なバディはどうしたんだい?」

「今日は休肝日だとか言ってッスよ。刹那的に見えて、実はばあさんまで生きるつもりなんじゃないッスかね」

「君は無言でそれにつきあうべきだと思うんだぜ、ベイベ」

「飲みたい時に飲まなきゃ俺じゃないんスよ」

「自虐的なのかストイックなのか、わからないんだぜ」

「繁華街巡りはそれなりに楽しいもんッスね」

「だから、こんなところに?」

「そういうことッス。それで、これからどうします? 顔、赤いッスけど、次、行くッスか?」

「酒は飲みたいぜ、ベイベ。だけど、店で飲む気分じゃないんだぜ……」

「なに凹んでんスか」

「色々あるんだぜ……」

「んじゃあ、ハジメ先輩の家にお邪魔したいッス」

「実は家にヒトを招き入れたことはないんだぜ。諸々のごたごたが起きて、それをきっかけに自宅を特定されると、ややこしいからなんだぜ」

「そこんところは先輩のほうで上手くやってくださいッス」

「き、君は本当に奔放だね」

「行きましょう。悩みがあるなら聞くッスよ。つーか、先輩」

「なんだい、ベイベ」

「やっぱ、語尾のベイベはやめるべきっスよ。サムいから」

「き、君は本当に正直だぜ」


 四つも違う後輩に物事を相談する。それってちょっと恥ずかしいことなのかもしれないけれど、本庄君になら胸の内を打ち明けられそうな気がした。




 帰路の途中にあるコンビニでアルコールとつまみを仕入れることにした。本庄君はジャックダニエルの七百二十ミリリットルのボトルを二本、かごに入れた。酒豪なのだ。でもって、ウイスキーを好んで飲むのだ。俺っちは白ワインを一本手にした。会計については彼が「いいッスよ」と払ってくれた。


 自宅に到着。リビングに入ると、本庄君は「おぉっ」と声を上げた。ネクタイを緩めながら、「もっと散らかってるもんだと思ってましたよ」と続けた。


「男の一人暮らしなんて、こんなもんじゃないかい?」

「まあ、そうッスね。スーツと下着がいくつかあって、私服がちょっとあれば充分スから」


 本庄君がコンビニ袋からウイスキーを二本とも取り出した。続いてワインも。俺っちがグラスを取りにキッチンへと向かおうとした時、彼が「あ、俺はイイっす。ラッパ飲みするんで」という言葉を受けた。大酒飲み、まさにここにありと言ったところだ。


 俺っちはワイングラスを持って、四角いちゃぶ台の前に座った。正面には本庄君がいる。彼は傾けていたボトルを縦に戻した。


「美味しいのかい? ジャックダニエルのラッパ飲みなんて」

「そこそこってとこッスね。美味くもないし、不味くもないッス。ところで、テレビなんか見るんスか? 飾り物ってわけでもないッスよね?」

「ドラマをね、撮ってあるのさ」

「ドラマ? 刑事モノとかッスか?」

「い、いや、そうじゃないんだぜ」


 本庄君がきょとんとしたのがわかった。

 俺っちは苦笑というか、苦笑いというか。


 本庄君はイイ奴だ。

 こちらがなにを言い出すのか、きちんと待ってくれている。


「じゃあ、なんスか?」

「……笑わないで聞いてくれるかい?」

「笑わないッスよ」

「実は、恋愛モノを好んで見るんだぜ……」

「へぇ」

「本庄君には用事がないと思うんだぜ」

「どうしてッスか? 伊織の奴がそばにいるからッスか?」

「そうだぜ、ベイベ。伊織さんよりイイ女を、俺は他に知らないんだぜ」

「顔立ちは整ってる。浅黒い肌がなんとも色っぽい。胸はデカいし腰のくびれもハンパない。イイケツしてりゃ脚も長い」

「そんな伊織さんに愛されてるのが本庄君だ」

「ニンゲン、見た目じゃないッスよ」

「そういうものなのかい?」

「極端な話、そいつの中身に心酔するくらいじゃなきゃ恋とは言えないッス」

「ぶっちゃけ、伊織さんのことはどう思っているんだい?」

「さあ。とりあえず、毎日、隣にいりゃあ、あんま、ありがたみはないッスよ」

「心配事は一つもないのかい?」

「ホント言うとね、実はそうでもないんス」

「なにが不安なのか、聞かせてもらいたいんだぜ」

かんざきひでって男、知ってるッスよね?」

「この国において、その名を知らないニンゲンは珍しいんじゃないかい?」

「もっと突っ込んだ話ッスよ。伊織の奴と神崎は軍属時代に関係があった。平たく言えば不倫ッスね」

「でも、結局のところ、神崎は奥さんを選んだんじゃないのかい? 彼女の体をまるっとたいらげたわけだから。それって考えようによっては、最大級の愛情表現ともとれるんじゃないかい?」

「それでも、仮に神崎が現れた時、伊織はどうするんだろうなあ、なんてね」

「どうもしないと思うんだぜ」

「そうッスか?」

「そうに違いないんだぜ」

「イイ奴ッスね、先輩は。それにしても」

「なんだい?」

「いや。先輩を笑わせられるようなネタでもありゃいいのにと思うんスよ。俺自身、もっと陽気であればなあ、って」

「実のところ、俺っちってば重症の根暗なんだぜ」

「なんでも八割できるより、一つを十割できるニンゲンのほうが偉いスよ」

「だけど、俺っち、今夜は本庄君の世話になっちまった。天下の『治安会』のメンバーが格闘もままならないっていうのは、きっとメチャクチャ恥ずかしいことなんだぜ」

「だから、それぞれに個性があって当たり前なんスよ。こと近接戦闘においては俺のほうが上かもしれないッスけど、狙撃に関しちゃ敵わない。そもそも後藤さんに引き抜かれたくらいなんスから、もっと自信を持つべきッスよ」

「君は優しいんだぜ、本庄君。ずいぶんと勇気づけられた気がするんだぜ、ベイベ」

「なら、良かったッス」


 本庄君がグラスにワインを注いでくれた。俺っちはそれを一気にあけた。彼はボトルをちゃぶ台に置くと、なんとも言えない笑顔を寄越したのだった。何度だって言いたい。そりゃ女は惚れるわけだ、と。


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