20.
夜の街でチンピラ三人に囲まれた際、いい機会だと思ったのだ。今まで伊織さんや本庄君に散々鍛えられてきたからこそ、その成果を実戦で試すチャンスだと考えた。暗い路地裏に入ったところで相対することになった。
本庄君は言っていた。
「まずは半身になって左腕を下げてデトロイトスタイルをとってみてくださいッス。それだけで相手はただ者じゃないってビビるはずッスから」
言われた通りにした。フットワークも軽く、左右に動いてけん制する。本当だ。相手らは揃って腰を引いた。やるじゃん、俺っち。いや、まだなにをしたわけでもないのだけれど。
これならイケる。やっつけられる。そう思って前に踏み出そうとした時だった。後ろから言われたのだ。
「ミユキさん、痛いですよっ!」
女のコのそんな声とほぼ同時に、後頭部を一撃された。細長い形状の、硬いモノで殴られたのがわかった。それくらいは察知するのだ。どっと前のめりに倒れたところで、顔を横に向けてその姿を見上げた。俺っちが愛してやまないガールズバーの店員、佳代ちゃんがバーテン服姿で立っていた。凶器にしたであろう鉄パイプを持って。
「た、確かに、いてーんだぜ、佳代ちゃん……」
「鉄パイプで殴ったわけですから当然です」
「どうして俺っちを……?」
「以前、『治安会』において、情報漏洩があったでしょう?」
「なかったんだぜ、そんなこと」
「嘘をついても無駄です。確かな情報を掴んでいますから」
「……『情報部』に潜り込んでいた奴の仕業だったんだぜ」
「ええ。現状、『実行部隊』とされるかたがたの住所まではわかりません。でも、名前と面は割れているんです。本当に身を隠したいのであれば整形でもしないと」
「それはおっしゃる通りだ。その通りさ。それで俺っちの今夜の現在地は? どうしてわかったんだい? あとをつけさせないくらいはできていたはずだし、気配に過敏じゃないつもりもないんだぜ?」
「それはその通りなんだろうなって思います。だけど、前もって準備しておくことはできます」
「準備?」
「私に会うためにしばしばこの繁華街を訪れることはわかっていましたから、それなりにヒトを動員して、毎夜、この繁華街を警戒させていたんですよ」
「また俺っちごときに、多くのリソースを割いてくれたもんだな」
「私からすれば、『治安会』は、自ら悪者だとうたっているようなものです」
「まいったぜ。ホントにとんでもない作戦なんだぜ、ベイベ」
「あるいは、そういうことになりますね、キャハッ!」
「君は『OF』のニンゲンなのかい? それとも『UC』? 実は二つの組織って、情報の共有を密にしていたりするのかい? そのへん、どうなんだい?」
「そんなこと、どうだっていいじゃないですか」
佳代ちゃんは鉄パイプを放り出すと、てへっとでも言わんばかりに舌を出して見せた。笑顔である。まさか、笑ってこんなことをしでかすコだったなんて……。
二人の男にそれぞれ両脇を抱えられた。無理やり立たされる。意識が途切れそうになる直前、「佳代ちゃん、なんでだよ……」と声が漏れた。
目が覚めた。覚まさせられた。どうやらそういうことらしい。右を見ると男がバケツを持って立っていた。短い前髪からぽたぽたと垂れるしずく。どうやら思いきり水をぶっかけられたらしい。パイプ椅子に座らされている。後ろ手に手錠をかけられていて、動いたところで椅子をがたがたと揺らすことしかできない。しくじったのか、俺っちは。でも、どうしようもなかったんじゃないのか?
ガラス天板のテーブルの向こうに男女が一人ずつ。知らない男、そして佳代ちゃん。それぞれ立ったまま、こちらのことを見下ろしている。
「この上、なにがしたいんだ? 佳代ちゃんよぅ……」
「さぁて、どう料理して差し上げましょうかねぇ」
そう言った佳代ちゃんの頬を、男がべろんと舐め上げた。そして二人はキスをした。舌を絡ませ合いながら、濃密に。
「その男のことが、好きなのかい……?」
「いえ。このヒトだけじゃありませんよ。反社会勢力とされるヒトのみんながみんなそうなのかはわかりませんけれど、ウチの組織のヒトはみんな無暗に激しくてですね、だからたまらないんです。がっつかれると、とてもイケるんです」
「くそっ。知らなかったぜ。知りたくもなかったぜ。佳代ちゃんがとんだビッチだったなんてよぅ」
「ビッチだなんて言わないでください。童貞野郎のミユキさん?」
佳代ちゃんと男は揃って「ギャハハ」と下品な笑い方をした。
「俺っちを殺したら、絶対に後悔することになるんだぜ」
「殺さなくても、さらったことがバレたら、もうそれだけでヤバいんじゃありませんか?」
「そうだな。それは違いないぜ。君達は、いや、おまえらは必ず沈められる」
「そうはいきませんよ。簡単に死ぬなんてことはあり得ません」
「ルーファスの加護があるからか?」
「呼び捨てにしないでください。私の憧れのヒトなんですから」
「いよいよ見損なったぜ、佳代ちゃん。もう用済みだろ? いいよ。とっとと殺せばいいんだぜ」
「では」
佳代ちゃんが小さな銃の口を向けてくる。口元には邪悪な笑み。最悪も最悪だ。俺っちには本当に女性を見る目がないらしい。肩を落とし、ため息までついてしまう。
その時だった。「カチコミだあっ!」などという叫びが届いた。男の声だ。古臭いテクニカルタームが用いられた点から、ここはどこぞのヤクザの事務所なのかもしれないと考えた。
佳代ちゃんが慌てたように、この狭い部屋のドアのほうを向いた。「まさか、もう見つかったの!?」と驚きに満ちた表情を浮かべる。男のほうが外に出た。途端、銃声、殺されたのだろう。その様子を見ていたらしい佳代ちゃんが「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。本当に頼もしい仲間だ。俺っちが居たい場所、居続けたい場所は、やっぱり彼らのところだ、『治安会』だ。
部屋に姿を現したのは、伊織の姐御だった。右手に九ミリをぶら下げたまま、無表情で俺っちのほうを見る。佳代ちゃんは、「ひ、ひぃぃっ!」と無様な声を発しながらしりもちをついたのだった。
「姐御、本庄君は……?」
「暴れ回ってるよ。だから全部殺すよ。女以外は」
「ま、待って、おねえさん」
「阿保か、女のコ」
「あ、阿保?」
「ウチに弓引いて助かると思ってるの?」
「そもそも、どうしてここが……?」
「まだまだトーシロっぽいし情けないところも消えないから、常にあとをつけさせてたんだよ。ウチの『情報部』にね。どう? ハジメ。そんなこと、気づかなかったでしょ?」
「ああ。俺っちもまだまだなんだな」
「ウチの『情報部』は有能なニンゲンの集まりなんだよ」
「ここ、殺さないで。な、なんだってするからっ」
「残念。私は女だからね」
伊織の姐御が九ミリでもって佳代ちゃんの額を撃ち抜いた。まだ撃つ。何発も浴びせる。仰向けに倒れた彼女の体は弾をもらうたびに跳ねた。びくんびくんと跳ねた。
「ホント、アンタは世話が焼けるんだから」
言いつつ、姐御が手錠から解放してくれた。とても速やかな解錠だった。ピッキング? 多分そうなのだろう。今さら彼女がなにをしたところで驚かない。
本庄君が部屋の出入り口に顔を覗かせた。「なに? ピンチ?」と姐御は問い、「んなわけねーだろ」と答えた本庄君。
「全部片づいたからここにいんだよ。それくらい悟れよ、馬鹿女」
「うるさいよ、馬鹿男。それでルーファスは? いたの? いなかったの?」
「こんな場末のヤクザの事務所でふんぞり返ってるようなら器が知れるってもんだろうが」
「いなかったんだね?」
「だから、そう言ってんだよ」
「じゃ、ハジメを救出してオシマイか」
なんだか体の力が受けてしまい、俺っちは大きく俯いてしまった。
「どうしたんスか? どっか痛いんスか?」
「そうであってもだ、本庄君。君はしっかりしろと鼓舞するだけだろう?」
「まあ、そうッスね」
「やっぱり、俺っちにはヒトを見る目がないと思うかい?」
「現象だけ見るとそうッスね」
「現象、か……」
「頭でっかちに聞こえたッスか?」
「いや。冷静すぎて涙が出る。それって俺っちには持ち得ない資質なのさ」
「ツイてなかったんスよ」
「まったくもって、そうなんだぜ。というか、そう思いたいんだぜ」
俺っちは立ち上がり、本庄君、姐御に続いて、廊下に出た。ビックリするくらい多くの死体が転がっている。しかもそのほとんどがヘッドショット。恐るべき人物らが、俺っちの仲間なのだ。この先、負けることはないだろうし、連戦連勝だろうと思っているし、またそうあることを祈っている。
ホワイトドラムの後藤さんの居室にて。俺っちの他には伊織さんに本庄君。例によって姐御と二人掛けのソファに並んで座り、本庄君は突っ立っている。なにがあっても先輩は敬え。そういった強固な考えが、彼の中では働いているのだろう、
ボスたる後藤さんは言った。
「ちょっと軽率だったね、ハジメ君。君はね、もう少し、きちんとヒトの目を気にすべきだよ。それくらいでちょうどいいんだ」
言い返しようがない。しょぼんとしてしまう。だけど、そこに助け舟を出してくれたのは本庄君。
「後藤さん、お言葉ッスけど、ハジメ先輩のことは、誰も責められないと思うッスよ。好きな女に後ろを取られるなんて、思いもしないし思っちゃいけないと思うッスから」
「おや。君はハジメ君のことをかばうのかい」
「そう言ってるッス」
「じゃあ、例えば、昔の男、いや、現在進行形なのかもしれない、伊織さんが神崎といまだにつながっていたとするなら、どうするつもりだい?」
「まずは手っ取り早く伊織を殺してやるッス」
「おやおや、よく言ったものだね。君に女性は殺せないだろう?」
「殺すッスよ」
「愛しているからかい?」
「うるせッス」
「ちょっと待ってよ、お二人さん。それって今する話?」
「伊織さん。朔夜君はおろか、それは僕達『治安会』の総意なのかもしれないよ?」
「裏切るのが前提みたいなお言葉だこと」
「僕は伊織さんが好きだ。だからこそ、誠実であってほしい」
「わかってるよ、ボス」
「うん。ではさて、ハジメ君の処遇はどうしようかな」
「自宅謹慎でも首をはねられてもしょうがないと思っています」
「まあ、そう言いなさんな。確かに君は脇が甘い。甘すぎるくらいだ」
「でしたら」
「いいや。だからこそ、現状から外さない。肩の力を抜いていこうよ。君が仕事をする上ではそれくらいのほうがいいんだ」
「今回は本当に、すみませんでした……」
「いいんだよ。誰も失わずに済んだことを喜ばしく思う。君は君にできることを考えなさい。そして実行しなさい」
そんなふうに優しく言葉を掛けてもらったので、涙が出そうになった。ずずっと鼻まですすってしまった。
「後藤さん、感謝します。俺っちごときに居場所を用意してくださって……」
「ごときだなんて、自らを卑下する言い方はやめなさい。これは常日頃から言っていることのように思う」
「でも」
「デモもストもない。僕達はファミリーなんだ。考えてもみなさい。家族が欠けて喜ぶようなヒトがいるかい?」
「いないと思います」
「だったら顔を上げなさい。前を向いて生きなさい。いいことっていうのは、往々にして目の前にぶら下がっているものだよ」
くだんのガールズバーから速やかに情報を吸い上げ、佳代ちゃんの葬式に出た。そう。銃殺であったにもかかわらず、葬儀はきちんと執り行われたのだ。適当だとおぼしき額の香典を出して、適当に挨拶をして、彼女の遺影の前に立った。明るい笑顔。無垢な表情。誰も彼女が不特定多数の男性と関係を持っていただなんて信じないだろう。だけど、俺っちは知っている。彼女はどこかのタイミングで悪役を選び、それを最後まで演じて見せた。救いようがあったかと問われると、なかったと答えるしかない。
佳代ちゃん。君は本当に優しい女性だった。君からすれば、いい加減に振る舞っていただけなのかもしれないけれど、それでも好きだった。好きだったんだ。だから、天を見上げてあの世に向かってくれたのであれば嬉しいな。天国に行けたのであれば嬉しいな。
本当に情けない。いや、やっぱりツイていないだけなのかな? 俺っちの人生っていうのは、どうにも上手く回らない。だけど、見放さないでくれるニンゲンがいるからここにいる。大好きな連中がいるから生きることをやめられない。
姐御はスイフトスポーツの中で、本庄君は外で煙草を吸っていた。最近、二人がなにを喫煙しているのかという点について興味がわき、それぞれ銘柄を訊いてみた。
伊織さんのは”パーラメント”というらしい。
本庄君のは”アメリカンスピリット”というらしい。
「なに泣いてんスか、ハジメ先輩」
本庄君にそう言われ、目尻から伝う涙に初めて気づいた。俺っちは目をごしごしと乱暴に拭い、「な、泣いてなんかいないんだぜ」と訴えた。
「そうッスよ。精一杯強がってくださいッス。アンタも、男なんスから」
「でも、なんだかんだ言っても、男ってのはつらいもんだぜ、ベイベ」
「だったら、女のほうがよかったと思ってんスか?」
「微妙なところなのさ。本庄君はどうなんだい?」
「俺は受けより攻めっスから、男でよかったッスね」
「軽い下ネタかい」
「ま、そうッスね」
俺っちはスイフトスポーツの後部座席に、本庄君は助手席に乗り込んだ。伊織の姐御が煙草を灰皿にねじ込みながら訊いてきた。「男同士の話は済んだ?」って。「有意義なやり取りになった?」って。
「なんだか女々しいことを聞かされちまったよ」
「朔夜、それ、先輩に対して失礼だよ」
「いや、いいんだ、姐御。本庄君の言う通りだからな」
「ハジメ、アンタ、女だったら朔夜に抱かれたかったとか思ってる?」
「前にも似たようなことを訊かれた気がするんだぜ」
「ねぇ、どうなの?」
「本庄君にならすべてを委ねられるように思うんだぜ」
「やめてよ、それ。気色悪いから」
「き、気色悪いとまで言っちゃうのかい」
「伊織、言っとくけどな、俺はまだ百パーおまえのこと信じてるわけじゃ――」
「だ、か、ら、やめてよ、もう。そういうの」
姐御が黒いネクタイを引っ張って、本庄君に深いキスをした。唇同士が離れる瞬間、よく見えた。二人の間で唾液の糸を引くのが。
「ああ、わかったよ。わかってんだよ、痛いくらい」
「だったら、忘れないでよ。私が死体になるまでは付き合ってよ」
「って、聞きました? ハジメ先輩」
「お、おおぅ。聞いたぜ。確かに聞いたんだぜ」
「だったらハジメ、アンタが証人。私がヴァージンロード歩くまで、ちゃんと見守っててよ」
ヴァージンロードかあ。それは素敵なことだなあと思った。正直、伊織の姐御が良き妻になる様は想像できないけれど、二人が一緒になって幸せになるなら本望だ。なにより彼女の旦那になる人物がいるとするなら本庄君しかいないし、逆もまたしかりなのである。
「俺っちは二人のことを誰よりも祝福してやるんだぜ」
なんて言うと、二人はこちらに横目を向け、にっと笑ったのだった。俺っちは失敗してばかりだけど、いっぽうで二人の幸せは続くのだろう。そうあってほしいし、そうあってもいいと思うのだ。




