10.
午前中。薄暗い後藤さんの居室にて。今日も木製の本棚にはゴルフクラブが三本、立て掛けられている。
「スナイピングしか特技がないとなると、それはそれで退屈だろう?」
「い、いや、いやいやいや、後藤さん。そんなことはないですよ? そうでなくたって」
「そうでなくたって、なんだい?」
「い、いえ。スナイピングだけできればいい。後藤さんはそう言って、俺っちをスカウトしてくださったように思っているんですけれど……」
「訂正する。過去の発言は忘れてほしい」
「そんな、無責任な……」
「伊織さんから報告を受けた。ハジメ君は肉体的な鍛錬をようやく始めた、やっとこ業務と向き合うようになったみたいだ、ってね」
「だからって、俺っちは、ですね……」
「例えば朔夜君」
「か、彼がどうかしましたか?」
「朔夜君は疑わしきは罰するを体現する人物だ。自分の直感を素直に信じている。彼の行動はね、たとえ正解であったとしても不正解であったとしても、いつだって”はなまる”をつけるに値するんだ。猪突猛進。時代錯誤。馬鹿正直。どれも素敵な感性だよ。だからこそ、敬意の念すら抱いている」
「俺っちにも、そうなれと?」
「なれると思っているのかい?」
苦笑しながら、思わず頭を掻いてしまった。
「俺っちには無理です。そこまで強くあることはできないですから」
「それでも、だ。逡巡の暇すらゆるされない場面に出くわした時、君がどう動くかには興味がある」
「ドのつく失敗をしたりした場合、容赦なく切ってください」
「だから、そういう言い方が、すねているように聞こえるんだってば」
「そうなんですか?」
「そうだよ。君だって可愛い部下だからね」
「そう言ってもらえるからこそ、迷いが生じるんだとも思います」
「ヒトにもっとも必要とされる性質って、なんだかかわかるかい?」
「なんですか?」
「なんだかんだ言っても、エゴなんだよ。意志を持たない脳が高尚な美学を捻り出せるわけがない」
今の俺っちには、後藤さんのセリフを不器用にしか解釈できそうになかった。
本庄君いわく、伊織さんに「あんまり私の手を煩わせるな」と言われたらしい。当然、彼女の宝物である黄色いスイフトスポーツは借りられず、だからホワイトドラムの地下駐車場で眠っていた車を拝借してきたとのこと。ファミリーで席を埋めるようなブルーのエコカーである。丸みを帯びたフォルムは愛らしく映る。
海沿いの高速をゆく。車の中でのブリーフィング。
「今日はどういった案件なんだい?」
「詳細、要るッスか?」
「そりゃもう。聞かせてもらいたいんだぜ、ベイベ」
「ガキを狩ります」
「ガキ?」
「男のガキッスよ。歳は十七だか十八だかッス」
「そんな子供を殺すってのかい?」
「JKをレイプしたんスよ」
「それは、また……」
「この案件には特殊性があるッス」
「なんだっていうんだい?」
「犯人は計三人いたんス。一人は留置場に拘留、一人は自宅待機。その両方が、すでに涅槃を見てるんスよ」
「殺られたってことかい?」
「そう言ってるッス」
「いずれも裁判所に向かう途中で殺された?」
「その通りッス」
「誰がまた、そんな真似を……?」
「ヒントは出しました。なのに見当すらつかないんスか、先輩」
「き、厳しい言い方だぜ、ベイベ」
「失礼があったなら謝罪するッス」
「い、いや、いいのさ。年齢的に俺っちが先輩だというだけであって、頭も体も君のほうがずっと優秀なんだから」
「すねてるように聞こえるッスよ?」
それは後藤さんにも言われたなあと思い、苦笑が漏れた。
「今んとこ二人ッスけど、奴さんらを殺したニンゲンってのは、どうも被害者のじい様らしいんスよ」
「じい様?」
「ええ。定年を間近に控えた祖父ッス。現職の刑事なんス。だから武器も持ち出せるし、その扱いにも慣れている」
「なるほど。そういうことか」
「要はじい様の復讐戦ってわけッス」
「復讐戦ってことは、えっと……」
「ええ。くだんのJKは、自分の部屋で首を吊って死んじまったんスよ」
「それは、ゆるせないんだぜ」
「そうッスよ。馬鹿みたいな話ッスよ」
怒りで頭がふつふつと沸騰してきたのか、本庄君は舌打ちしてから「くそったれ」と吐き捨てつつハンドルをぶったたいた。叩かれたほうは痛いだろうなっていうくらい強烈に。相変わらずだ。フェミニストだし、弱者の味方でもある。レイプした側がいて、された側がいるのだ。たとえ子供の年齢だとしても、強姦するような輩には未来などゆるさないという決意の表れだろう。
俺っちも内心では怒っているからだろうか。怖い怖い本庄君の態度を目の当たりにしても、それほどビビりはしなかった。むしろ頭の中を支配したのは、やっぱり憤りだ。レイプされたのだ。身も心もずたずたに斬り裂かれたのだ。その結果として死を選んでしまったのだ。選ばざるを得なかったのだ。到底、看過できるはずもない。少女の人生を奪ったニンゲンの罪は限りなくヘヴィだ。
「それで、段取りは? 俺っちはなにをすればいいんだい?」
「目標車両は黒のセダン。俺が強行するッス。そのフォローをお願いしたいんスよ。運転席と助手席の係官が必ず出てくる。そいつらの足止めをしてもらいたいんス」
「二人を殺せってことかい?」
「無力化してくれりゃあいいッスよ」
「本庄君はその隙に?」
「ええ。だから、ってか、二度も説明する必要ってあるッスか?」
「わかったぜ。ああ。わかったんだぜ」
「後藤さんは彼に、被害者のじい様に、もうヒトを殺めてほしくないって言ったんス。俺も同感ッス。汚れ仕事を請け負うのは、俺達みたいな連中だけで充分なんスよ」
「うん、その通りだぜ、ベイベ。確かにウェットワークは俺っち達の仕事だ。そして、俺っち達自身が食いっぱぐれないために、こなさなきゃいけない案件ってのはあるはずだと思うんだぜ」
「雨、降ってきたッスね」
本庄君がそう言ったのを受け、フロントガラスから空を見上げた。朝からどんよりとした天気だったけれど、ついには勢いよく降り出した。ワイパーが動く、規則正しいテンポで。運転席のほうを向くと、本庄君がまるで凶悪犯みたいな顔をしていた。目を細めて、口元を邪にゆがめている。ぞっとさせられたことは言うまでもない。
住宅街のT字路。本庄君が運転する車は、信号がないその道路をとおせんぼした。停止させられたのは黒塗りのセダン。本庄君は降車した。俺っちも外に出た。相変わらず、曇り空から雨が降り注いでいる。
車から黒スーツに身を包んだ大柄な男が二人、出てきた。本庄君は銃を向けてくる男らをやりすごす。すたすたと直進し、彼らを両手でそれぞれ突き飛ばす。そしてショルダーホルスターから抜き出し左右に持った銃でもって銃を防弾であろう後部座席の窓に連続でぶっ放し始めた。男らはもちろん、彼を撃とうとする。俺っちはそんな二人のことを九ミリで撃った。それぞれの脚を撃った。膝の裏あたりを。それでじゅうぶんだと考えたから。
本庄君の目にはもはや犯人の少年しか入っていないようで……。
彼はぶちやぶった窓から車内へ向けてガンガン撃った。まもなくして事が終わったのが知れた。少年は物凄い恐怖にかられたことだろうし、怯えたことだろう、あるいは生かしてくれと懇願したかもしれない。それをゆるさない本庄君は、死の弾丸を撃ち込んだのだ。撃たれるべくして撃たれた。死ぬべきだから死んだ。あるのは現実、リアルだけだ。
青いエコカーに戻ると、彼は「簡単なお仕事だったッスね」と冷たく、いや、冷たくはない、ただ静かに言ってのけた。だけど、空しさを覚えたように苦笑して見せたのはなぜだろう。それは多分、彼が、本庄朔夜といういうニンゲンが優しすぎるからだ。
「本庄君一人でやれた案件だったと思うんだぜ」
「そこはまあ、ツッコミはなしってことで」
「わかったんだぜ」
「どうもッス」
「中途半端な時間だけど、食事とかどうだい? 奢らせてもらうぜ?」
「回転寿司でもどうスか?」
「回らない寿司だっていいんだぜ?」
「昔からそうだったんスよ。ええ。ちっこい頃から、回るほうが好きだった」
「君は可愛いな、ベイベ」
「ガキ扱いされちまった」
本庄君が目を細め、笑みを深める様は、見ているほうをなんとも言えない気持ちにする。言わば、いっさいの毒気を抜いてくれる。そんな爽やかさに満ちたいい笑顔なのだ。




