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1.

 俺っちの名前は、ミユキハジメ。小学生の時分にはずいぶんとからかわれた。「もうこういちでいいんじゃね?」といった具合に。その時は素直に引き下がるというか、なにも深くは考えなかった。別にどう呼ばれたっていいかなって。でも、歳を重ねるうちに、自分の名前に誇りを持つようになった。こういちじゃない。俺はミユキさんちのハジメさんだぞって声高にうたいたいくらいにまでなった。


 俺っちの得意分野はスナイピングだ。元の職は自衛軍だったのだけれど、その名の通り自衛軍のニンゲンは自衛のための軍のニンゲンでしかなく、原則、積極的かつ能動的に動くことはない。やはり専守防衛が基本であって、交戦規程についてもピンと来ないモノだった。それじゃあ音もなくヒトを美しく仕留めたいという、言わば邪悪で好き勝手な欲求を満たせない。そういうことから、それなりの期間、自衛官を勤めたあと軍を退役し、中南米でゲリラに加わり、自由を繰り返した。結果的に言うと、そうするより他になかったのだ。それが自分のアイデンティティが叫んだ結果だったのだ。


 そこに危険が伴うことは重々承知していた。スナイパーに言い訳はゆるされない。敵に捕縛されたら最後、真っ先に、見せしめのようなかたちで処刑される。立場上そうなのだ。役目上そうなのだ。そういう中にあって仕事を続けるにあたっては、それなりの重圧に晒された。けれど、そのプレッシャーがちょうど良かった。生きているって実感できたから。


 なのに、だ。三年前のある日、唐突に国に戻りたくなった。本当に唐突にだ。望んだ自由も適度な圧力もうっちゃって、自分を育んでくれた土地に帰りたくなった。掘り下げて言うと、つまるところ俺っちは臆病者でしかないのかとも考えさせられた。誰かにそう罵られても反論のしようがない。そう。俺っちはニッポンが恋しくなったのだ。ホームシックにかかってしまったようなものだった。


 栃木の実家に帰るとリアルが待っていた。母に「アンタ、これからの仕事どうするの?」と真っ先に問われたのだ。うっとうしいとは思わなかった。その指摘はもっともだからだ。職探しをすることにした。自分が有しているスキルを活かせる職場なんて簡単に見つからないだろうと思いながらも、首都に出た。首都。それは神戸沖の人工島、いざなみ県いざなみ市である。どうせなら華やかな場所で働きたいと考えた。東京はダメだ。もはや文化の中心であるというだけで、そこに身を置くのは楽しくないように感ぜられた。労働するならやっぱりいざなみだったのだ。


 安いビジネスホテルに宿泊しながら、新しい働き口を探した。当時の俺っちはもうほとんどアラサーだったわけで、そしてできることと言えばスナイピングだけ。一般的な仕事先に就職するにあたっての優位性は皆無と言えた。


 貯金を切り崩す毎日。なのにガールズバーに足を運び続けた。多少割高でも、どうせなら接待してくれるのは女のコのほうがいい。浅はかにも、そう考えてのことだった。


 その日も夜が深まってきた。そんな折のことだった。店員の女のコ達が「キャーキャー」騒ぎ始めたのだ。あるいは男前の有名人がおしのびでやってきたのかと思い、俺っちは出入り口のほうに目をやった。すると、視線の先に映ったのはじいさまだった。芸能人でないだろうと思った。少なくともテレビで見掛けたことはなかった。白い頭髪は薄い。黒いスーツを着ていた。えらくのっぽで独特の雰囲気をまとっていた。晩年のクリント・イーストウッドを想起させた。


 席は他に空いているにも関わらず、じいさまは俺っちの隣の丸椅子に座った。「ギネスちょーだい」などと、ともすれば子供っぽい口調でオーダーした。物腰からして一服つけるのかなと思った。だけど吸わない。そのうちだ。まさに気軽にといった感じで話し掛けてきた。


「君、元は軍人だね?」


 突然の問い掛け、しかも正解なので、俺っちは思わず「へっ?」と間抜けな声を発してしまった。


「そうなのかい? 違うのかい?」

「い、いや、違わないんですけれど……。どうしてわかるんですか?」

「ま、それはさておきだ。年上にはちゃんと敬語で話すことができるんだね」

「それは、まあ、当然のマナーというかなんというか……」

「名前は?」

「俺の、ですか?」

「君以外に誰がいるんだい」

「ミユキ・ハジメっていいます」

「ミユキ・ハジメ君か。いい名前だ。響きがいい」

「そ、そうですか?」

「うん。そう思うよ」


 名前を褒められたことなんて初めてなので、つい嬉しくなった。


「軍ではどんな仕事を?」

「スナイパーです」

「スナイパーか。だけどそんな特技を活かせる場面は限られていただろう?」

「言ってみれば、そうなんですけれど……」

「だから、どこぞの国の反政府組織に加わった」

「どうしてそこまでわかるんですか?」

「論理立てて思考するとそうなるんだよ」

「中南米でゲリラ活動に従事していました」

「だけど、そこには無駄を感じるしかなかったんじゃないかい?」

「無駄だとはまでは思わなかったです。俺、スナイプができたらそれで良かったので」

「僕なら君に新しい居場所を提供することができる」

「新しい居場所?」

「ウチの仕事において、スナイピングが要求されるケースがあるということだ」

「俺の技能が必要になる場合もあるってことですか?」

「我が組織に狙撃手が一人いれば面白い。そんなふうに、僕は思う」

「面白いんですか?」

「君を凄腕と見込んでの物言いだ。君は自らの能力に自信はないのかい?」

「なくはないですけど……」

「ちゃんと言おう。僕は君を雇いたいと思う」

「ですから、どうしてまた、そんなふうに……」

「僕は君の力を欲している。それだけだよ」

「俺に仕事をくれるんですか……?」

「くどいね、君も。だから、そう言ってるんだってば」


 俺っちは感動して涙ぐんでしまった。就職するにあたっては結局のところ失敗続きだろうと予測して、中々食い扶ちを得られないだろうと考え込み、なかば塞ぎ込んでいたのだから。


「俺っちは貢献できますか?」

「そう言っているつもりだ」

「ありがとうございます」

「君は自らを卑下しすぎだ。もっと自分を信頼したほうがいい」

「ここは売り込むシチュエーションだと思います。だけど、その、貴方の迫力に気圧されてしまって……」

「あっはっは。迫力、迫力か。年老いてもまだ、僕にもそういうところがあるんだなあ」

「名前はなんていうんですか?」

「ゴトウ・タイゾウという。ゴトウはよくある後藤で、タイゾウもよくある泰造だ。『治安調査会議』という組織を預かっている」

「聞いたことがないです、そんな名前」

「非公式の組織だからね」

「俺っち、それに参加してもいいですね?」

「くどすぎるね。そうしてほしいと言っているんだ。これはスカウトだよ」


 目尻から涙が伝うのを感じた。もはやスナイパーとして生きられない、生きる場所なんてない。そんなふうに強く強く思っていたから。


「泣かないでよ、ハジメ君。僕の勘は大抵当たるし、その上で、君のことを優れたスナイパーだと感じているんだから」

「仕事が決まって、これで親に心配をかけないで済みます」

「あっはっは、って、笑うところじゃないね。親御さんを安心させるために職を得るのは尊いことだ」


 後藤さんの言葉はすんなりと飲み込めた。本当にすんなり胸に落ちた。


 スナイパーとしての、ミユキ・ハジメ。


 やがてその役割を果たす場面が訪れそうだとなんとなく感じた。後藤さん。言いたい。俺っちは貴方の存在を、本当にありがたいと思ったんだぜ。


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