第六章:チェック作品の切り時 その3 作品の手直し
作品をもっとよくしたい。ぶっちゃけ、すでに書いたものを大幅に書き換えたい。いやいや、いつも書き換えてもっとよくしていきたい。あの部分を直したい。
これは、作家が多く抱えた経験のある問題だろう。しかし、やがて何となくこれが難しいことに気づく。それは明確な理由とはならず、表面に現れる思考は、「書く気がなくなった」というやる気がなくなるというものである。作品をよくしたいという願いが、作品を書く気をなくすという正反対の思考として表面化してしまうのである。これは、多くの作家が経験しているのではないだろうか。本稿ではこの問題について論じる。
そもそも、なぜこの「書き直し」という作業は難しいのだろうか。まずはその理由を明確化しよう。
ひとつは、終わりが見えないことがある。作品がどんどんよくなっていったとしても、終わりがないのだから、いつまでたってもその連鎖から抜け出せないということになる。完全などは存在しないのだから、ある程度のところで打ち切るしかないのだが、打ち切り時がいまいちつかめない。
無限に書き直すためには、無限の時間が必要である。どこかで、書き直したいという邪念を切り捨てなくてはならない。
もうひとつは、書き直すと読者からの信頼度が下がるということだ。今まで読んでいた部分に間違いがあったなら、もう一度読まなきゃいけないし、読み進めてもまた修正が入るかもしれないと思うと、読む気持ちが萎えてしまう。つまり、書き直す回数はできるだけ少なくし、頻繁に書き直さないようにした方がよい。
また、かなり前の部分を書き直すのは、読み進めている読者にとっては前提となる部分なのだから、すべきではない。
また、書き直す目的も自己満足的なものが見え隠れしてしまう。自己満足的でないとしても、それはつまり書き直す必要のあるところなのだから、そのような必要が出てくる時点でプロットを練っていない事が読者にばれてしまい、信頼度は低くなる。
書き直したいという邪念は、どのようにすれば捨てられるのだろうか?
まずは、過去を変えられるという誤った考え方を捨てることである。書き直すべきことが問題となっているのならば、物語の中でその問題を解決していくことが必要である。
物語の中で解決するとはどういうことだろうか?簡単な例は、打ち切り漫画にみられる。打ち切り漫画は、少ないページ数で未回収の伏線を回収するために、「実はこうだったのだ!」という自白から唐突な解決を行う。非常にあっさりとしていて、笑いすら取れる。また、〇探偵コ〇ンでも、犯人は大体もう二度と出てこないから、退場する前に全てを白状していく。
このような方法が唐突で不自然だからといって、問題解決のために紙面をさくのはおすすめできない。言い訳のようなことをダラダラと続けられても読者はいらだちを感じるだけだし、書く方も言い訳を考える時間は全然楽しくないし、早く終わらせたい。つまり、短く終わらせることで、読者と書き手の利害が一致しているといえる。
結論として、この章でおすすめする書き直しの方法は、「唐突な伏線回収」である。