第四章:チェック作品の切り時 その1 茶番
人の作品を読むのをやめる瞬間というのはどんな時だろうか。
まずは「欲望充足の理由追求型」である。
「主人公はお金持ちになった、それはなぜかというと・・・」式や、「主人公のチームは大会に優勝した、それはなぜかというと・・・」式は、その「なぜか」を追う前に、読むのをやめることが考えられる。
これはなぜだろうか。おそらく、スリルが無いからであろう。
例えば、主人公補正で主人公が死なないことがわかっていても、読者の「やはり主人公は死んでしまうのではないか?」という不安がその先を読み進めようという意欲を生む。このときの脳の状態はどうなっているのだろうか?
・・・実に残念なことに、このとき脳はギャンブル中毒と同じ状態になっている。つまり、結果が見たい、結果を確認したいという射幸心である。
スポーツなどのエンターテイメントも、これに該当するといえるだろう。勝敗の結果が知りたいというのが一番の欲求であり、その欲求が我慢できないから見るのだ。
良い結果から、それがなぜ起こったのかを追うタイプの小説は、最初で切られる可能性が高い。「茶番」となるからだ。
しかし、だからといって全ての理由追求型が否定されるわけではない。なぜかというと、まずは「結果が間違っているかもしれない」という、結果の確証性に対する揺らぎである。スポーツの試合で言えば、途中で悪質な反則行為があった場合に、結果が覆されることがある。そのため、敗者のファン側は念入りにその試合の一部始終をチェックすることになるだろう。そして、その結果に対する確証を得ていく。勝者側も、そのような恐れのないように、勝ったという確証を得るために結果が出た後でハイライトを見るだろう。
スポーツ観戦で、弱小チーム同士の試合での観戦は少なく、強豪チーム同士の試合での観戦が多いという特徴がある。ワ〇ピースでいえば、サ〇ジの試合に注目する人よりも、ゾ〇の試合に注目する人の方が多いだろう。これはどういった理由からだろうか。
弱小チームは、いずれ強豪と当たった時に負けるが、強豪は強豪と当たった時に勝負になるからである。つまりその分だけ、弱小チームのたどる結果は見え透いているといえる。弱小と強豪が当たる試合を最初から観戦する人は少ないだろう。しかし、もし弱小が強豪に勝つという結果があれば、人々は、「理由追求型」の見方をするだろう。つまり、結果の確証性が揺らぐため、「後から」試合を見るのだ。
「主人公はお金持ちになった、それはなぜかというと・・・」
この文で、「主人公は実はお金持ちになっていないんじゃないか?」と疑う人は少ないだろう。確証性が揺らがない時、それは「茶番」である。
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