5話 見守る者
「いやぁぁあああ!助けてぇえええ!!」
私の叫びは虚しく、身体はどんどん上空へと上昇していく。
クリュート村が眼下から離れていくのをただ呆然と眺めることしかできなかった。
増していく高度に、地上を見て言葉を失う。
この高さから落ちたらひとたまりも無い。
驚きと混乱、そして恐怖の感情が混ざり合って、私はいつの間に意識を失った。
チョコレートのような甘い香りと、ガサガサという物音で私は目を覚ました。
「え〜っと...」
あたりを見渡しながら唐突に思い出す。
竜は!?私は竜に掴まれて何処かへ連れていかれたはず。
村の南側に聳えるファルタリス山脈の方へ向かっていたことは覚えているのだが、ここは?
どうやら家の中にいる様で、私はソファーに横になっていたようだ。
そこは20畳はあるだろう広いリビングで、中央の壁側に私が横になっていたソファーがある。
壁一面は木の木目が並んでおり、床も同じ素材のフローリングが敷かれている。
ソファーの前に大きな円形の絨毯が敷かれていた。
部屋の左端には、小さめのダイニングテーブルと椅子が置かれており、右端の壁には本棚が連なっている。
少し目を移すと、ソファーの置かれた壁側には大きな窓が3ヶ所に設けてあり、薄く白いカーテンから陽光が部屋の中を照らしていた。
その他には何も置かれていない、とてもシンプルな広々とした部屋だった。
私の身に何かが起こった事は間違いないのだが、竜はどこへ行ったんだ?
てっきり洞穴にある巣にでも連れて行かれて、食べられるのかと思った。
もしくは物凄く理不尽な要望をされたりとか。
いい予感は全くしなかったのだが。
するとカチャっという音と共に、部屋の左端にあるテーブルに近い扉が開いて、一人の女性が部屋へと入ってきた。
紅のショートヘアに、白いバンダナで前髪をあげている。
外見は20代後半くらいだと思う。
スラリとした長身に、細身でハッキリとした身体のラインが伺える。
大人のお姉さんな雰囲気を醸し出していた。
「あら、目が覚めたのね。よかったわ。」
そういって、お盆にマグカップを二つ乗せて運んできてテーブルへと置いた。
どことなく優しそうな感じがした。
「はい、おかげさまで。
ところでここはどこですか?貴方は?」
私の問いに女性は話し始める。
「ここはファルタリス山脈の中心にある山、霊峰サクタスの頂上にある私の家よ。
私はリューネ、世界の行く末を見守る者の一人なの。」
村の南にあるサクタスの山頂?やっぱり私は竜によって山は運ばれていたようだ。
でも、世界の行く末を見守る者とはどういう事だろうか?
「あの、世界の行く末を見守るってどういう事なんでしょう?
というか、近くに竜がいませんでしたか!?」
徐々にトーンを強めながら疑問をぶつけると、リューネは答えた。
「あぁ、あの竜は私なのよ。手荒な真似をしてごめんなさいね。」
そう言って、リューネは両手を目の前で合わせて申し訳なさそうな仕草を作り、片目をつぶって小さく舌をだした。
テヘペロですか・・・。
整った顔からのギャップに、可愛さと色気があるのが少々気に入らないんですけど。
でも、この人が竜?
「リューネさんが竜?名前は凄くしっくりきますけど...。
仮にそうだとして、なんで私を?」
本来ならもっと慌てて取り乱し、簡単に認める事はないのだろうが、こういった事に少し慣れてきていて妙に落ち着いている。
そんな自分が少しばかり嫌になるけど。
「あら、思ったほど驚かないのね。
もう少し面白い反応をしてくれると思ったのだけど。」
優しさのこもった声で、優艶に微笑んで語りかけてくる。
「まぁ、最近驚きの連続だったので。自分でもどうかと思うんですけど、少し驚き疲れたみたいですね。」
そういうと、リューネはふふっと笑って
「それは大変ね、でも安心して。
私は貴方に危害を加えたりするつもりはないから。
ちょっと強引だったけど、話し相手になってもらいたかったのよ。」
「話し相手・・・ですか。」
竜なんて存在が一体私になんの用事があるというのだろう。
実際、ここまでの話でツッコミを入れたい事は山ほどあるが、しばらく成り行きにまかせてみるとする。
「えぇ、とりあえずこちらへきてこれでも飲んで一息つかない?私のオリジナルよ。」
リューネはテーブルの上にマグカップを並べ、真ん中に大きめの器を置いて手招きした。
言われるまま椅子に座り、マグカップを手に取る。
チョコレートの甘い香りがした。
先ほど感じ香りはこれだったのか。
少し躊躇しながらも、マグカップに口をつけて僅かに口に含んでみる。
「ん、美味しい!」
それは香りから想像できる味。
甘いチョコレートミルクだった。
この世界にきてからチョコレートなんて物を口にしたことが無かった。
久しぶりに感じるチョコレートの風味に、自然と笑みも溢れてくる。
「喜んでもらえたなら嬉しいわ。
コロンの実を乾燥させて、煎じてミルクと混ぜてるのよ。」
チョコレートではないのか、しかしこの味はまさしくチョコレートそのものだ。
コロンの実、だったわね・・・。
私は心のノートにしっかりと書き残した。
今度真似てみよう。
「すごく懐かしい味で驚きました。とっても美味しいです。」
まさかこの世界でチョコレートを味わえるとは思ってもみなかったので、とても嬉しい。
「あら、この世界ではまだ知られていない調味料だと思ったけど。
貴方の元いた世界ではこういう食べ物があったのね。」
不意をつかれて、私は一瞬硬直した。
私は今まで誰にも転生したなんて話はしたことがない。
何故この人がその事を知っているんだ?
「転生者って事は内緒だったかしら?
でもこれかする話のためにも、私が貴方のことを知っている事を理解して欲しいの。」
そう言って、彼女は淡々と語り始めた。
「さっき言ったわね。私はこの世界の行く末を見守る者だって。
私はこの世界が作られた際に、時を同じくして神に作られたの。
そして私は、神から一つの役割を与えられたわ。
それは、この世界が崩壊してしまわないように見守る事。
だから私は、世界が生まれてからずっと見守っているの。
もちろん、この世界が終わるまでそれは続いていくわ。」
なんともスケールの大きな話だ。
神から作られた存在だから、私の事を知っているのか。
「見守って、どれくらいの時が経つの?」
神さまが、この世界は作られてから間もないと言っていたが・・・。
「そうね、6500年くらいかしら。」
6500年でまだ生まれたてなの!?
人間の感覚とは根本的に違うということかしら?
しかし6500年か、実際にはその程度の年月で文明は今ほど発達するのだろうか?
そもそも、人が誕生したのはいつなのだろう?
地球では、何億年もの時をかけて生命が進化し人類が誕生したはずだ。
そのあたりも根本的に違うのだろうか?
「人間だった貴方にとっては、とても長く感じるでしょうね。」
リューネはそう言って、チョコレートミルクを一口啜った。
「一つ聞いていいかしら?」
私はリューネに質問した。
頭に引っかかることがあったのだ。
「世界の崩壊を防ぐってことは、そういう事をする存在がいた場合、それに対して罰のような物を与えるの?」
もしそうなら、私はある意味世界を崩壊させてしまっている。
そう考えると、彼女に攫われた理由も疑問も一つの線で繋がってしまう。
そう思うと、背筋に冷たい汗が流れた。
「そうね、そういう存在が現れた場合は処分するわね。」
その答えに、大粒の汗が流れ始める。
「えっと、その……つ、つまりは、わ、わ、わ、私を攫った、理由って……」
震える声でそこまで言って言葉に詰まる。
そんな私を見て、リューネは表情を崩して笑いながら補足する。
「大丈夫、貴方には何もしないと言ったでしょ?世界の崩壊っていうのは世界が終わることよ。貴方の影響で世界の理は変わってしまったけど、崩壊とは違うわよ。」
それを聞いて安堵した。
よかった。
いきなりエンディグを迎えるのかと思った。
「でも、それを見極める為に貴方に会いに行ったのは事実ね。
貴方が世界を崩壊させる存在となりそうなら処分しようとも考えていたわ。」
優しげな表情のままリューネは続ける。
「貴方は、そんな存在にはなりそうにないけどね。」
物凄く恐ろしいこと言われた気がする。
殺されちゃう可能性があったってこと?
でも、何もされないのよね。
やっぱり人徳かな。
だけどとりあえず聞いておこう。
「どうやって判断したの?」
「簡単よ、貴方の中にいる精霊達の存在を感じたからよ。」
リューネがそう言うと、私の胸のあたりからクロノア達が飛び出してきた。
『やぁリューネさん、お久しぶりです。』
え?知り合いなの?
「久しぶりね。元気みたいで何よりだわ。」
リューネは精霊達の顔を見渡して、再び私へと視線を写して説明する。
「その精霊達の様な自我を持った上位の精霊は、邪悪な存在には絶対に力を貸さないのよ。
自我を持たない精霊や悪魔なんかは別だけどね。」
へぇ〜そうなんだ……。
チョコレートミルクを一口飲み。マグカップを置く。
額に大粒の汗が溢れてくる。
幸運を使って契約してなかったら、私死んでたんじゃない?
タイミング的にも契約後すぐの事だし、ラッキーなのかアンラッキーなのかわからないわね。
結果的に全てが良い方向へと話が進んでいるのだけど、本当に幸運様々だ。
「私の話はひとまずこれくらいよ、貴方は私に聞きたいこともあるだろうし、強引に連れてきちゃった手前何かしたいのだけど。」
リューネは考え込んで再び口を開いた。
「そうだ!今日は泊まっていきなさいよ。
長い付き合いになるような気がするし、盛大に持て成すから。」
リューネは満面の笑みを浮かべた。
そんなこんなで、私は精霊達の力を借りて村へ一旦もどり、母の了承を得て外泊をすることとなった。
外泊の理由を考える事が大変だったのは言うまでもないのだが、結果的に幸運のお陰でなんとかなった。
急に母の友人がやって来て、母が友人の家へ外泊することになった為、私が出かける事を疑われずに家を出ることができた。
そう言えば、リューネは長い付き合いになると言ってはいたが、私が死ぬまで付き合いが続いたとしても6500年生きてきた彼女にとってはほんのひと時の事なのだろうなぁ。
そんな事を思いながら、私は精霊達の力を借りて再びリューネの待つサクタスの頂上へと向かったのだった。




