48 告白3
そして、終わりは唐突にやって来た。
彼女が十二歳になった年、皇帝マナロが倒れた。
難しい病だと聞かされた。
何日も床に伏せる日が続いた。
彼女はマナロの正確な年齢を知らない。
マナロ戦記の登場人物なのだから、少なくとも五百歳以上だろう。
長寿の天上人でも寿命は二百年程度と言われるから、マナロがいかに特殊かがわかる。
つまり、いつ老衰を迎えてもおかしくなかった。
そんな空気は社交界にも満ちていた。
彼女が茶会に誘われたのは、そんなときだった。
主催は霊導師ダフニック家だ。
マナロの病状を見て、霊公会も腰を上げたのだろう。
個人的な打ち合わせというと政治色が強すぎるから、表向きは茶会とする。
茶会は広く参加者を募集するものだが、なぜか公募が閉鎖的になるという不思議なやり口が横行した。
開催は七日後。
場所と参加者は秘密。
開催の事実すら他言するなと言われている。
各派閥が皇帝崩御に伴う政変を見据えていた。
次期皇帝が誰になるか?
どの派閥についていくか?
派閥間でも牽制し合っていた。
特に第一皇子と第二皇子の間は敵対的な空気が流れるという。
彼女は継承権順位から言えば、皇子に及ばない。
しかし、一応、継承権が存在することになっている。
霊公会は万が一に備え、彼女にも声をかけたに違いなかった。
少なくとも彼女はそう推理した。
ヨリコは違った見方をした。
「……その話には、違和感を覚えます」
「どうして?」
「霊公会が媚を売るべきは、継承順位の高い皇子のはず……。他の者を呼び寄せる利がありません」
「第一皇子の支援をして欲しいって話じゃない? あたしは、しがらみがなくて扱いやすそうだし」
「残念ですけれど、あなたの社交界での地位が高いとは思えません。取り入るべきは、あなたの母やご実家のはず……」
「それはそうだけど……」
驚いた。
ヨリコがそんなことまで把握しているとは。
確かにヨリコには社交界のことも話していた。
今日はこんなことがあった、誰それがなんと言った。
そんな雑談のつもりだった。
だが、ヨリコはすべて覚えていたのだ。
覚え、結びつけて考えた。
伝聞系でしか聞いたことのない世界を理解し、推測している。
「さすがあたしの家庭教師ね。じゃ、質問。あたしを誘い出す目的は、何?」
「推測はできます。しかし、」
ヨリコは口ごもる。
「しかし、何?」
「自信がないんです。これは、あくまで推測です。……誰にも知られずに来いと言っているのです。知られたくないことをするではないでしょうか?」
「それじゃわからないわ」
「今、城で起こっていることを考えてください。皇帝マナロが崩御したならば、次代の皇帝を決めなければなりません」
「だから?」
「玉座を狙う者にとって、他の候補者は邪魔だということです」
他の候補者……。
それはつまり、
「……あたしってこと? 冗談でしょ? 継承権何位だと思ってるの?」
「……」
「ねぇ、冗談だって言ってよ!」
「……」
ヨリコは無言だ。
思考の穴を探しているのか、それとも、言葉は尽くしたという意思表示なのか。
彼女は癇癪を起こした。
「あんたね、いくらなんでも、継承権保持者を疑うなんて、不敬にもほどがあるわよ! そんなこと言ったら、あたしだってただじゃ済まないくらいなのよ!」
「だからこそ、私が言わなければなりません。誰も言えないのなら、私が」
ヨリコがやっと返事をした。
声には普段の優しさが微塵もない。
冗談など言っている気配はない。
今度こそ彼女は追い詰められた。
皇位継承権を保持する者は多くない。
いずれも彼女と血を分けた兄弟だ。
……皇位のために身内を殺すなど、そんなことがあっていいのだろうか。
しかも、その告発は皇位継承者を疑うことだ。
社交界に出ているエリカだからわかる。
それはとてつもなく罪深いことなのだ。
皇帝の血筋は高貴なるもの。
常に正しく気高くあるものだ。
奸計を巡らせることなどあってはならないし、疑ってもならない。
「ヨリコ、間違ってたと認めるなら、今のうちよ。あたしだけなら聞かなかったことにできる」
「申し訳ありませんが、できません。どんなに無礼なことだろうと、罪深かろうと……、私は発言を撤回するつもりはありません。私は友達として、あなたを守りたいから」
「ヨリコ……」
迷いはあった。
だが、誰を信じるべきかと問われると答えは決まっていた。
今日まで誰が彼女を支えてきたか。
誰が一番味方になってくれたか。
今更、ヨリコを疑う道理はない。
「最悪を見据えるならば、逃げるべきです。それも七日以内に」
「に、逃げるってどこによ!?」
「……わかりません。誰にも見つからない場所に」
彼女は外のことを何も知らない。
逃げてどうする?
想像もつかない。
こんなときに限って、執事がいない。
政務だとかで呼び出されている。
肝心なときに限っていないとは、なんて使えない執事なのか。
いいや、違う。
執事がいない。
それ自体が誰かの策謀だという可能性がある。
つまり、執事は偶然いないのではなく、離宮を無防備にするために呼び出された……。
否定できる要素はなかった。
急にヨリコの説が現実味を帯びてくる。
先程まで信じるかどうかで迷っていたが、いざ信じてみると、あらゆる出来事が符合する。
血の気が引いた。
七日後などとぬるいことは言わない。
今、この瞬間にも敵は来るかもしれない。
敵。
敵とは何か。
誰が命を狙っているのか。
「しっかりしてください。私がついています」
ヨリコに肩を揺さぶられる。
我に返り、現実を見る。
離宮には侍女が数名。
それ以外は彼女とヨリコの二人だけ。
有事に対応できる者はいない。
どこに敵がいるか知れたものではない。
できることは何か。
……考えることが生きる道だ。
断れば、敵も事情を察するだろう。
残された時間は七日だ。
「まず、伯母様に手紙を送りましょう」
ヨリコの提案で手紙を書いた。
秘密と言われた茶会についても記した。
何かがあったとき、役に立つかもしれない。
あるいは、敵が思いとどまってくれるかも。
甘い期待があった。
無論、頼る気はない。
次の手を打つべきだ。
「……ソテイラ様を頼りましょう」
ヨリコはソテイラに手紙を書いた。
司教を含め、霊公会の面々は帝都に集結していた。
彼女を誘ったのは霊公会の頂点、霊導師だ。
ソテイラも敵かもしれない。
が、今はそれより力が必要だった。
執事にも手紙を書いた。
こちらは届いているかもわからない。
執事は皇帝マナロの勅命を受け、特殊任務についていると言われた。
所在を知る者はどこにもいない。
やれることはやった。
続いて脱出の準備をした。
非常食を作りため、着替えを鞄にまとめた。
枕元に靴を用意して寝るようになった。
離宮の周りも調べておいた。
周囲は一面の森だが、逃げやすい道とそうでない道がある。
明るいうちに地理を覚えようとした。
数日してソテイラから箱が届いた。
ヨリコが至急寄越すように言っていた物資だ。
中身は草の束だ。
「なにこれ?」
「薬草です。……これは薬にもなりますが、使い方を変えれば毒にもなります」
毒は正しく扱えば強力な武器となる。
剣や弓とは異なり、力を必要としない。
毒であればヨリコにも扱えるし、何より言い訳が簡単だ。
ソテイラには薬を作るから材料を寄越せと言えばいい。
「どんな毒ができるの?」
「目潰しです」
完成した毒は粉末だ。
ふりかければ涙とくしゃみが止まらなくなる。
殺傷力はないが足止めには有効らしい。
「あたしも戦う準備をしないと……」
「何か策があるのですか?」
「霊術があるわ」
天上人だから使える能力だ。
由緒正しい血統である彼女は強力な霊術を使える。
はずだ。
問題は一度も使ったことがないという点だ。
上流天上人の霊術は強大な力を持つ。
城内での利用は当然、禁止だ。
いかなる理由であれ、城内で使えば処刑となる。
それだけ罰が重いのは、皇帝の居城で武器を手にしたとみなされるためだ。
通例、上流天上人は学院で霊術を習う。
個々人が自身の力と向き合っていくのだ。
少しずつ霊術に慣れ制御の方法を学ぶ。
いきなり力を解放することは、禁じられる。
そんなことをすれば、自分と周囲を巻き込むからだ。
下手をすれば、学院が塵一つ残らず消し飛ぶこともある。
「使うのはやめましょう。血統が優れていても慣れない武器を使うべきではありません」
「で、でも、使えたら強力よ?」
「隣りにいる私が消し飛んだとき、あなたは平静でいられますか?」
それは、ものすごく説得力があった。
仮に彼女自身が霊術の反動に耐えられても、人間であるヨリコは簡単に死ぬだろう。
毒だけで戦うことにする。
こうして準備を整えていく。
†
やがて運命の日がやって来た。
六日目、小間使いが約束を確認しに来た。
明日、迎えに来ますが、と。
彼女は体調不良を理由に欠席すると告げた。
小間使いは大人しく返った。
そして、夜。
騒々しい物音で彼女は目を覚ました。
「き、来たのかしら……」
「そのようです。外に数人の天上人がいます。罠にかかったのでしょう」
くしゃみの音が聞こえた。
ヨリコが仕掛けた罠だ。
紐に引っかかると頭から毒薬が降り注ぐ仕掛けだった。
「逃げましょう、早く!」
予め用意しておいた風呂敷を担ぐ。
裏口から外に出た。
逃走経路は予め決めていた森だ。
木々の合間を縫うように走る。
間もなく、背後から悲鳴が聞こえてくる。
賊が離宮に押し入ったのだろう。
侍女に彼女を守る理由はない。
抵抗することもなく降伏したはずだ。
味方はヨリコ一人だ。
……いや、ヨリコだって彼女と運命を共にする理由はない。
ただ、厚意で助けてくれているだけ。
「大丈夫、私は最後まで味方です」
そんな不安を読み取ってか、ヨリコはそう言った。
彼女の手を握った。
その手はとても温かだった。
「だ、大丈夫、ヨリコ?」
「はい、気にせず歩いてください」
暗殺者との距離は急激に縮まっていく。
罠が思ったより時間を稼いでくれなかった。
他にも要因はある。
暗殺者は明かりがなくても、森を走れた。
対してヨリコは人間だ。
明かりがなければ、歩くこともできない。
「こっちに逃げたぞ!」
「囲い込め!」
すぐ近くで声が聞こえた。
森を出る前に追いつかれた。
ヨリコに手を引かれ、茂みに飛び込んだ。
目をつぶって、祈る。
暗殺者が茂みの側を通り過ぎていく。
まだ、見つかってはいない。
が、時間の問題だ。
隠れても臭いで索敵される。
「この辺りだ、探して殺せ。遺体を残す必要はない」
冷えた声が近くで聞こえる。
……本当だった。
こいつらは殺すつもりで追ってきていた。
生まれて初めて味わった、死の恐怖だった。
容赦など微塵もなかった。
震えが止まらない。
涙が出てくる。
「大丈夫ですから……」
ヨリコが彼女を抱きよせる。
少しだけ冷静になれた。
考えろ……。
どうすれば逃げられる?
何のために頭を鍛えてきたんだ。
こんなときのためではなかったか。
けれど、状況は絶望的だ。
周囲には索敵中の暗殺者。
やり過ごせる相手ではない。
じっとしていたら、必ず見つかる。
時間は敵だ。
動くなら今。
どう動く?
考え、一つの結論にたどり着く。
一か八かで逃げる。
もうそれしかなかった。
彼女は初めて自分からヨリコの手を握る。
二人なら逃げられる。
そう自分に言い聞かせた。
……ところが、ヨリコは手を振りほどいてきた。
「走って逃げようとしてるんでしょう? それは無理ですよ」
「で、でも、他にどうしようもないじゃない!」
「そうかもしれません」
ヨリコは彼女の頬に手を添えた。
そのときのヨリコが何を考えていたのか、彼女にはわからない。
しかし、その瞳に宿った強気の光は、ずっと頭に残っていた。
「五つ数えたら、反対方向に逃げてください。決して立ち止まらないように」
「ヨリコ、あんた、」
止める間もなかった。
ヨリコはいきなり茂みを飛び出し、暗殺者に向かって走り出した。
「な、なんだ!? 女だ! 女がいたぞ!」
「おい!? こ、こっちに来るぞ!?」
暗殺者は度肝を抜かれる。
人間が向かってくるなど想像もしなかったに違いない。
ヨリコが飛びかかってくる段になってようやく冷静さを取り戻し、その腕を掴んだ。
「何だ、この粗暴な人間は……。突然、飛びかかってくるとは、一体、何をするつもりだったのだ? うあぁあぁぁぁぁぁ!?」
暗殺者が叫び声を上げる。
くしゃみを連発する。
ヨリコが毒薬をぶちまけたのだろう。
「…………貴様ァぁぁあぁぁああ! 天上人に向かって、何を…………。自分のしたことがわかってるのか!?」
「わかってますよ、何が悪いんですか!? あなたたちは、私の家族を殺した! 米を奪って、私たちの願いも聞かずに!!」
ヨリコは叫ぶ。
それは、初めて聞くヨリコの過去だった。
ヨリコの家族は飢えで死んだ。
いつだっただろうか。
芋が翌年まで待てない。
そんな話を聞いた。
あれはヨリコの村の話だったのだ……。
だから、ヨリコは天上人を憎んでいた。
心の底から、何よりも。
「私は許さない!! 家族を殺した天上人を!」
「き、貴様、何を言っているのだ……!?」
暗殺者は混乱していた。
彼の知る人間とは自分に従順な者ばかりだったに違いない。
だから、ヨリコを理解できない。
「わ、訳の分からぬことを叫びよって……! 貴様の村など、俺とは何の関係もないだろうが!! どうやら、よほど頭が悪いらしいな!」
「それはあなたたちの方でしょう! いつか精霊様はあなたたちを罰するでしょう!」
「何を知ったふうな口を……!!」
暗殺者の注意はヨリコに集まった。
ほんのわずかな間だが、彼らは”本命”を忘れた。
その道の玄人であれば、あり得ない失態だった。
だが、ヨリコの気迫は、彼らの経験を上回った。
少しでも悲壮感を出したなら、彼らは目ざとく解を見つけたはずだ。
この人間が囮なのだろう、と。
しかし、ヨリコはカケラほども怯えなかった。
最後まで戦った。
誰もその真意を見抜けなかった。
ヨリコは勝ったのだ……。
戦う前から天上人を圧倒していた。
そして、憎いはずの天上人を守った。
守ってくれた。
友達だから。
その背中を彼女は誰よりも誇りに思う。
……だから、本心を言えば助けに行きたかった。
助けるべきなんだとわかっていた……!
「体でわからせてやろう! この人間がッ!」
「いゃぁぁあああぁあああ……!」
絶叫が森に響いた……。
ヨリコが何をされたのか、……彼女は見ることもできない。
……そのときすでに、背を向けて逃げていたからだ。
心では思う。
ヨリコを助けに行かねば、と。
……だというのに、体は全く言うことを聞いてくれない。
「餓鬼はどこへ逃げた? 吐けば助けてやらんでもないぞ?」
「誰にものを言っているんですか……? 頼み事があるのなら、土下座して頼んでみればいいでしょう?」
「こ、このッ……!! 人間風情が偉そうにッ……!」
「あぁあああぁあ……!! …………はぁ、はぁ……、どうしたんですか? それで終わりなんですか?」
「吐け! どこにいる!?」
「どうしても知りたいなら、自分で探しなさい! あの子はなぁ、……優しい子なんです! けれど、運が悪くて、あんな境遇になってしまって……!! あなたは自慢の友達でした!! ……生きて! 幸せになって!」
後半は彼女に向けられた言葉だった。
逃げながら、彼女は泣いた。
自分は何一つヨリコを理解していなかった。
ヨリコがそんなふうに思っていたことも、こんなに勇気があったことも。
だからこそ、思う。
友達がひどい目に遭ってるのに、どうして助けに行かないのか!?
「…………ふん! なら、どこまで、耐えられるか、試してやろう!」
刀を抜く音。
再度の絶叫。
耳が痛い。塞いでしまいたいくらいに痛い。
しかし、そうすることもできない。
体が逃げること以外のどんな命令も受け付けない。
心の中には別の自分が巣食っている。
――――わかってるんでしょ、戦っても無駄だって。
お前は子供。力のない子供だ。
暗殺者を相手にして勝てるはずがない。
そんな道理すらわからぬほど馬鹿なのか?
馬鹿でないなら冷静に考えろ。
ここは大人しく逃げるのが一番だ。
それがヨリコの気持ちを汲むことでも、
……黙れ。
黙れ、黙れ、黙れッ!!
お前になんか用はない!! 消えろ!! 消えてしまえ!!
勇気を……!! あたしに勇気をちょうだい……!!
…………一縷の望みをかけて、手に力を込める。
彼女にも精霊から授かった霊術があるはずだった。
が、一度も練習をしなかったそれは、うんともすんとも言わなかった。
足を滑らせて山から転げ落ちる。
あまりの情けなさに今度こそ動けなくなった。
…………どうして! どうして!?
どうして私はこんなに弱いのッ……!
間もなく暗殺者が追いついてくる。
泣きじゃくる彼女に手の打ちようはなかった。
そこで別の勢力が割り込んでくる。
「なんだ貴様らは!?」
暗殺者と新勢力が白兵戦になだれ込む。
彼女は見知らぬ誰かに抱きかかえられ、離宮を脱出したのだった。
†
救ってくれたのは伯母の差し向けた手勢だった。
伯母は手紙を読んで、慌てて動いたらしかった。
手紙はヨリコの発案だった。
そのおかげで彼女は生き延びることができた。
少しも嬉しいと思えない。
ヨリコを失った悲しみばかりがある。
彼女は伯母の別荘へと連れて行かれ、そこでしばらく養生することになった。
「大変だったでしょうね……」
伯母からは帝都の様子を聞いた。
彼女が離宮を離れ、二十日あまりが経っていた。
そのたった二十日でバサ皇国は大きく動いていた。
第一皇子ルガールの自死に始まり、第一皇女ピーナカマタースの事故死、更には第三皇子マハルナタオの病死。
継承権保持者が次々と死んでいた。
わずか二十日でだ。
異例どころの騒ぎではない。
そして、一昨日の夜。
皇帝マナロが崩御した。
次期皇帝は、現継承権保持者の中で唯一生き残っている第二皇子ドラコーンにほぼ決まっていた。
「順当に考えれば、あなたへ差し向けられた暗殺者も第二皇子の手勢でしょう」
第二皇子が継承権保持者を皆殺しにした。
残った自分が即位するために。
筋書きはそうだ。
だが、そんな暴走が彼の独断でできるはずがなかった。
「霊公会がついているのでしょう」
叔母の指摘は正しい。
彼女を茶会に誘ったのは、霊導師だ。
第二皇子の背後には霊公会がついている。
本来、皇子や皇女の力関係は、それぞれの母親の生家である高貴なる三つの家によって保たれていた。
だが、そこに霊公会が介入したために均衡が崩れた。
第二皇子が霊公会を使ったか、あるいはその逆か。
いずれにせよ、他の二家が黙ったままなのは、あからさまな力の差が生まれた証拠だ。
だとすれば、第二皇子が次に取る行動は何か。
仕留めそこねた最後の継承権保持者を殺すこと。
それ以外に考えられない。
犯人も目的も知れている。
だが、伯母の力では弾劾はできなかった。
この国の誰も第二皇子を糾弾できない。
彼女を匿い続けるなど不可能だった。
「許しておくれ。私にできることは、これだけだから……」
伯母はそうなることを見越していたのだろう。
特別な天上人を手配していた。
堕人変化の使い手。
そのあまりに穢れた霊術のために、普通の天上人として生きることを禁じられた者だ。
「……お前が天上人である限り、必ず第二皇子はお前を殺すでしょう。生きるためには、これしかないのです」
伯母は彼女の意志を問わなかった。
選べるのだとしたら、二つの選択肢があったと思う。
天上人として潔く死ぬか。
人間になってでも生き延びるか。
彼女が武官であったなら、前者も考えられた。
だが、彼女は第二皇子以外の最後の継承権保持者だった。
その血が絶えれば、バサ皇国は第二皇子と霊公会の手中に収まる。
伯母はそれをよしとはしなかった。
「霊術を解く鍵は私の言葉とします。いつかあなたが継承権保持者として、生きる覚悟ができたのなら、私を訪ねなさい。それまでは、その穢れた体で過ごすことを強いてしまうけれど……、あなたには生きなければならない義務がある」
こうして彼女は人間に変えられた。
人間となった体は、重く、柔らかく、そして、脆かった。
伯母はその穢れた姿に涙したが、彼女は別段気にかけなかった。
ヨリコと同じ人間になれた。
そのことが少しだけ嬉しい。
もっとも、生きようという気持ちなどなかったが……。
伯母には申し訳ないが、第二皇子だの政変だの、そんなのはどうでもよかった。
ヨリコが死んだ。
彼女にとって、それがすべてだ。
ヨリコが死んだのなら、もう生きている意味もなかった。
潜伏先は伯母が手配した。
優秀な人間がいるからと、彼女をソテイラに預けた。
霊公会序列第二位。
まさに敵の手中に等しい場所だが、それだけに隠れ蓑として適していた。
また、人間として生きるのに、これ以上の場所もなかった。
裕福な暮らしをしてきた彼女は、奴隷として生きられなかったはずだ。
手続きの間、彼女はずっと人形のように過ごした。
生きたいとも思わなかった。
最初の頃はずっとふさぎ込んでいた。
そんな折にセイジに声をかけられた。
いろいろなことがあった。
そして、三年の時が経ち、彼女はジンに出会った。
ベルリカ領の城下町ガレンでのことだった。
それから今に至るまではスグリも知っているだろう。
その出会いは、まさしく運命だった。