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47 告白2


 ヨリコとの暮らしは楽しかった。

 一日の流れは、朝食、勉強、昼食、勉強、そして、自由時間。

 数日に一度は勉強が武術になる。

 執事にせがんで習うことになったのだ。


 基本はこの繰り返し。

 勉強は十分に楽しい。

 自由時間の課外授業は更に楽しかった。

 ヨリコは様々な遊びや実験を教えてくれた。


 他の奴隷とも交流した。

 ソテイラが登城する際、毎回、何人かを連れてくるからだ。

 皆、賢く様々なことを教えてくれた。


 彼らとも友達になった。

 一年に数度しか会えないが、友達は友達だ。

 九歳の誕生日は皆で祝ってくれた。


「あー、これ余計なことかもしれないすけど、あんた、天上人として終わってるっすよ?」


 そんなある日、執事に言われた。


「終わってる? あたしが?」

「ふつー、人間と仲良くしねっすよ。天上人ってそういうんじゃないっすよ」

「普通なんて知らないわ! だって、もう一年もここにいるんだもの!」


 その前は母と一緒に茶会巡りだ。

 茶会がない日は一日中、習い事。

 城の外だってろくに知らない。

 出かけたことすらないのだから。


 諸侯の勉強は十歳から始まる。

 学院に入り、近い歳の者たちと様々なことを学ぶのだ。

 まだ九歳の彼女は城の外を一つも知らない。


「あー、そっすよね。けど、世界には常識ってもんがあるんすよ」

「なにそれ、知らない」

「うーん」

「あたし、困ってないもの。だったら、知らなくていいわ!」

「そっすね(諦め)」


 執事は何も言わなくなった。

 彼女にとって世界は離宮で閉じている。

 ヨリコがいてたくさんのことを教えてくれる。

 それで十分、幸せだった。


 とは言え、執事は手を打っていたようだ。

 ヨリコが外のことを話すようになったのだ。


「私には妹がいるんですよ。ノリちゃん、というんです。私たちは元々、農村の生まれでした」


 ヨリコとノリちゃんは、つらい幼少期を過ごした。

 食べ物がないのだ。

 どれくらいかと言うと、手元にある芋を植えて増やそうとすると、来月の食糧がなくなるくらいだ。

 結果、芋を増やすことができない。

 今食べてしまう。

 もちろん、来年に芋は取れないから、次々と人が死ぬ。

 畑はあるのに何も育たない。

 育てることができない。


「……それが人間の普通なの?」


 彼女には想像できない世界だった。

 食べ物は侍女が用意する。

 外の世界はそうではないのだ。


 他の奴隷からも話を聞いた。

 全員が口を揃えて、厳しい生活だったという。

 ある農村では、やっと育った芋を全部天上人が持っていくこともあった。

 別の町では、人間を的にした弓矢の大会が開かれた。


 どうしてそんなことをされて怒らないのか。

 我慢できずに彼女は聞いた。


「人間は奴隷ですから」


 ヨリコは悲しげに答えた。

 奴隷だから。

 説明には一言で十分と言わんばかりだった。


 奴隷だから?

 だから、何をしても許されるの?


「そうなんです。それが、当たり前なんです」

「あ、あたしはヨリコをいじめないわ!」

「えぇ、あなたはとっても優しい人ですよ。私はそれを知っています。だからこそ、あなたの将来が心配でもあるんです」

「し、心配って何よ?」

「他の天上人と馴染めないのではないかと」


 執事にも言われたことだ。

 世界には常識が存在する。

 そして、彼女は常識から逸脱していた。


 人間の扱い方は通例、学院で学ぶ。

 上流は基本的に人間とは会わない。

 見かけることもなく一生を終える。

 それが普通だ。


 人間と交流を持つのは下流天上人の仕事だ。

 それだって、父母から扱い方を学ぶ。

 常識とはそうして形成されるのだ。


「あなたは特殊な環境で暮らしています。きっと将来、苦労する気がするんです」

「なんで、あたしが周りに合わせないといけないのよ! 周りがあたしに合わせなさいよ!」

「ふふ、その心意気は頼もしいですね」


 ヨリコに手を握られた。

 そのとき、彼女は決意した。

 無邪気な決意だった。


 人間と友達になることが許されない常識などクソだ。

 クソを押し付けてくる奴らもクソだ。


 人間と友達になって何が悪いのか。

 悪いという奴が悪いのだ。


 それを変えたかった。

 どう変えるかなど知らない。

 漠然とした思いだった。


    †


 季節は巡る。

 彼女は十歳になった。

 学院へ入学する年齢だが、許可が降りなかった。


 離宮での生活が続いた。

 別にそれでも構わなかった。

 彼女は学院を卒業できる程度の学力は持っていたし、ヨリコは更に高度な勉学も教えてくれたからだ。


 他方で社交界への復帰を許された。

 彼女にとって嬉しくもない話だが、彼女抜きで話は進んでいた。


 手始めとして、復帰を祝う会に出席する。

 主催は母。

 会うのは二年前にもはや娘ではないと言われて以来だ。

 母はにこやかに彼女を迎えた。


 嘘のように気持ち悪い笑みを浮かべている。

 それで悟った。

 この人は、過去をなかったことにしようとしている。


「母上が根気強く周囲に訴えた成果ですよ。母上に感謝しなければなりませんね」


 見たこともない諸侯にそう言われた。

 押し付けがましい厚意に吐き気がした。


 母は彼女を呼び戻してご満悦のようだが、一つ誤算があった。

 彼女が二年間で、母の想定し得ないほど賢くなったことだ。


 彼女はなぜ呼び戻されたかを理解していた。

 偏に彼女の価値だ。

 それだけ、彼女の価値は上がっていた。

 理由の一つは容姿だ。


 彼女は姉妹の誰よりも美しかった。

 それは諸侯にとって、何より価値のあることだった。

 母が利用しないはずもない。


 が、彼女は母に従わなかった。

 礼儀作法や舞踊、詩歌。

 そんなものは二年も前に捨てていた。

 何もできないし、する気もない。


 社交界では笑われ者になった。

 最初のうちは母も寛容だったが、数度、失敗を繰り返すと、呆気なく本性を見せた。


「あなたのせいで、母がなんと言われているか知っていますか?」

「……」

「毛無し猿を産んだと言われているのですよ? 恥ずかしさのあまり、母は死んでしまいそうです」

「……」

「お前が女らしさを身につけず、勉学などばかりしているから! 踊りも満足にできず、流行りの宝石やお茶も、何も知らぬから!」


 母は彼女に暴力を振るった。

 十歳の彼女に抵抗する術はない。


「あー、やめてもらえます?」


 庇ったのは執事だった。


「痴れ者がッ! 執事の分際で、この私に楯突くつもりですか!?」

「そうですけど、何か?」

「な、な、なにをッ……!?」

「すみませんね。育ちが悪いもので。ま、それでも、皇帝にお手紙を書くくらいはできるんすよね。なんて書いてほしいです、お手紙?」

「……こいつっ。覚えておきなさい!」


 母は舌打ちをして消える。

 彼女は立ち上がって鼻血を拭った。


「あんたに助けられるとは思わなかったわ」

「や、自分も柄じゃないとは思うんすけどね。子供を殴る親だけは許せねぇんですわ」

「随分と庶民的ね」

「元庶民すよ? ちょっと柄が悪いだけで」


 そんな出来事があった。

 けれど、彼女は茶会に出続けた。

 彼女なりに社交界は利用価値があると判断したためだ。


 人間を友達にしている。

 それを許せる者を探そうと思った。


 仲間が増えればできることも増える。

 何かが変えられるはずだった。


 茶会には誘いが絶えなかった。

 演舞、詩歌、音楽。

 教養のある女こそが美しい女。

 それは女の中の話であり、男は違う。

 男は驚くほど外見にしか興味がない。


 彼女は十歳にして社交界の中枢に潜り込んだ。

 そこには派閥も仁義もクソもない。

 女からは大変な不評を買った。


 だが、彼女の居城は離宮であり、嫌がらせもできない。

 その分、母に嫌がらせが飛び、母は次第に心身を弱らせていった。

 自業自得だと彼女は思う。


 こうして、彼女は多くの天上人と交流を持った。



 一年が過ぎた。

 彼女は最低限の舞踊と音楽を覚えた。

 相変わらず好きではないが、目的のための手段と考えれば、努力する気にもなれた。


 支えてくれる存在も見つかった。

 伯母だ。

 伯母は子供に恵まれない人だった。

 嫁いだ女にとってこれほどの不幸はない。

 長らく不遇の時代を過ごしたからか、それとも、自身に子供がないからか、伯母だけは彼女に優しくしてくれた。


 彼女の立ち位置が悪くなったとき、後ろ盾になってくれるのも伯母だ。

 そこに他意はなかったと思う。

 母と違って、伯母には彼女を利用する価値がない。

 彼女の地位が上がっても得をするのは母だからだ。


 年の何度か、個人的な茶会にも誘われた。

 伯母と二人で過ごす時間は温かだった。

 利害のない単なる血縁関係。

 その距離感がちょうどよかったのかもしれない。


 伯母とは手紙もやり取りした。

 ヨリコ以外の友達とも言えた。

 けれど、ヨリコのことは話さなかった。


 伯母は人間を見たことがなかったからだ。

 興味もなく、理解もない。

 立場的な問題もある。

 人間の話題は、少なからず伯母に不利益をもたらす。

 それは避けたかった。


 彼女に必要なのは同年代の味方だ。

 これからの国を作る、そんな人がいい。



 更に一年が過ぎた。

 社交界にいる全員と交流を持った。

 人間の話題など誰も聞いてくれなかった。


 全滅だ。

 これだけ天上人がいて、仲間はいなかった。

 衝撃的な事実だった。

 さすがに泣いた。


「悲しいことがあったんですね」


 布団にくるまっていると、ヨリコがやって来た。


「別になんでもないわ。疲れただけ」

「そんな風には見えませんけれど?」

「放っておいてよ! なんでもないんだから!」

「はいはい、一緒にいてあげますね」


 ヨリコは枕元に座った。

 頭をずっと撫でてくれた。

 悔しくてもっと涙が出た。


 こんなに優しい人なのに。

 ヨリコは賢い人なのに。


 外に出たら人間奴隷の一人でしかない。

 誰も素晴らしさをわかってくれない。



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