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46 告白1


    †???†


 数刻前。

 人間王と領主が温泉地へ向かった。

 彼女はそれを確認すると、そっと皆の輪を抜けた。


 残された時間は短い、と彼女の直感は告げていた。

 いずれ逃げねばならない時がくるだろう。

 その前に、どうしても確かめたいことがあった。


 領主の本心だ。

 本当に人間との共生を願うのか。

 なぜそんな願いを持つに至ったのか。

 腹を割って話したいとすら思っていたが、結局、その機会は訪れなかった。


 直轄地が不穏な空気に包まれた今、領主と話せる時間はない。

 次善策として、彼女は巫女の部屋を訪ねた。

 領主と婚姻する予定の少女。

 人間王の実の妹。

 成婚の暁には、人間王と天上人の架け橋となるだろう。


 その覚悟はあるか。

 領主の本心を問いただすと共に、彼女の気持ちも聞きたかった。


「あら、お一人でいらしたんですの?」


 巫女は祈殿にいた。

 彼女が訪ねると、座布団を用意してくれた。


「それで、今日はどちら(・・・)の方のご用件なんですの?」


 巫女は言った。

 ごく自然に。

 ……少しだけ反応が遅れた。


「どういう、意味?」

「人間としてお訪ねになったのか、それとも、天上人としてお訪ねになったのか。どちらかと思いまして」

「……」


「意外ですの?」

「何が?」

「わたくしが知っていることが」


 知っている。

 何を?

 ”私”の正体を?


 馬鹿な。

 知られているはずがない。

 ジンですら三人の中の誰か、という段階なのだ。

 ずっと部屋にこもっていた巫女にわかるはずがない。


「根拠は?」

「ありましてよ。わたくし、はじめから疑っていたんですの」


 巫女は語る。


「最初にあなたがここへ来たとき、わたくし、警兵長と揉めていたでしょう?」


 思い出す。

 警兵長が屋敷に勝手に結界を張った。

 巫女はそれを怒っていた。


「わたくしは結界に引っかかってしまうんですの。だって、変装しているだけの人間なんですもの。でも、あのとき、警兵長は何も言わなかった。なぜだと思います?」

「……」


 彼女は答えない。

 いや、答えられない。


「簡単な話ですわ。人間の数があっていたんですもの」


 警兵長は巫女の正体を知らない。

 当然、巫女を天上人として計上する。

 結界にかかった人間の数は、巫女以外の人間の数。


 しかし、実際は巫女の分も数えられるから、一人分多くなるはずなのだ。

 もしそうなったら警兵長は騒ぎ立てただろう。

 なのに、現実はそうはならなかった。


 なぜなら、あの中に一人天上人が混ざっていたから。


「結果として、警兵長に怪しまれることがなかったんですのよ。あのとき、わたくしと一緒にいたのは、兄さまとエリカさん、カルさんだけ。この中の誰かが天上人と考えられますわ」


 彼女は巫女の言葉を何度も繰り返す。

 ゆっくりと事実が飲み込めてくる。

 結界の事実を知ってから、移動には注意を払っていた。


 けれど、最初に受けた不意打ちは考えていなかった。

 指摘されるまで気づけなかった。


「それで、そのあとは?」

「残ったのはカルさん、エリカさん、そして、兄さま。けれど、兄さまはご自身で結界を確認していますわ」


 ジンも外れる。

 これで候補者は二人。


「あなたは、兄さまに気づかれたと知って、表示器具を破壊したそうですわね?」


 当たり前だ。

 気づかれたのだから、証拠を掴ませないことが肝要だ。


「その行動が決定的でしたわ。だって、そうでございましょう? ヒヌカさんとカルさんは捨て子。赤ん坊の頃から人間に育てられたんですのよ? 一体、いつ自分が天上人だと気づく機会があったというんですの?」


 面白い指摘だった。

 確かに物心つく前から堕人変化を受けたなら、気づくこともないだろう。

 論理的思考が可能となった年齢で、天上人の接触が必要だ。


「大人になってから、天上人から説明されたとは……」

「いいえ、考えられませんわ。お二人とも隔離された環境で育ったんですもの」


 ヒヌカはバランガに、カルは隠里に。

 何の因果か二人ともが人間だけの環境で成長した。

 バサ皇国という環境にありながら、二人の生活には天上人が一切関与してこなかった。


 これが普通の奴隷だったなら。

 その辺にいる農奴だったなら。

 話は違ってくる。

 そうはならなかった。


 面白い。

 まるで彼女を追い詰めるために用意されたかのような布石だ。


「カルが隔離環境を出たあとに天上人から接触を受けた可能性は?」

「ないとは言い切れませんわね」

「だったら、」

「だったら、収容所からの脱出はもっと簡単になったはずですわ」


 カルは人間王と共に収容所に入っていた。

 結界があり、脱出に時間を要したと聞いている。

 天上人の自覚があるなら、そうはならなかっただろう。


「自分が天上人という認識を最も自然に持てるのは、十二歳まで帝都でお過ごしになられたあなただけですわ。その年齢でしたら、天上人としての自覚を持つこともできますわよね? エリカさん?」


 巫女はついに名指しで呼んだ。


 見事だ、と彼女は思った。

 頭脳では他人に負けないつもりでいた。

 勉強の日々が自分を賢くしたと信じていたが……。

 眼前の娘のように世の中には天才が存在する。


 負けを認めなければならないだろう。

 彼女は座布団を降り、頭を垂れた。


「お見事……。エリカは人間の私につけられた名。その正体を見破られたスグリ様の慧眼、感服いたしました」

「……随分と話し方が変わるんですのね?」

「公務の場につくことも多かったものですから」


 微笑みを向けると、スグリは毒気が抜かれたような顔をした。

 この程度でひるむようでは、交渉事には向かないな、と彼女は思う。


「普段からそれくらい穏やかな笑みを浮かべていたら、印象も変わるんでなくて?」

「それは、私の本質ではありません」


 ”エリカ”は彼女の素の性格だ。

 帝都にいた頃は、ほとんど外に出したことはない。

 人間になり、ソテイラの下へ行ったことで生まれた、素の自分だ。


「位の高い天上人だったんですのね」

「えぇ。詳しくはお話しできませんが、それなりではありました」

「可能な範囲でお聞きしてもよろしくて?」

「もちろんです」


 その問いは予期していた。

 紛れ込んだ天上人が危険な者ではないか。

 巫女は知っておきたいのだろう。


「ただ、すべてを知ることで生じる不利益もございましょう。ある程度、絞られた内容しかお話できないことをご承知ください」

「構いませんわ。わたくしは、なぜあなたが兄さまと一緒にいるのかしか興味はございませんもの」


「でしたら、長くはなりますが、私の身の上話を聞いていただきたく思います。巫女様には多くを知っていただきたいのです」


 なぜなら、巫女は領主の妻になろうとする者だから。

 巫女の進む道がいかなるものか、巫女は知っておくべきだった。


 だから、彼女は語る。

 思い出したくもない過去を。

 天上人が人へと堕ちた忌まわしき日を。


    †


 彼女は”さる天上人”の娘として生を受けた。

 バサ皇国帝都ルンソッドでも”知らぬ者はない”有名な天上人だ。


 家には奇妙なしきたりがあった。

 通常、子供は生まれた順に長男、次男と呼ばれる。

 だが、彼女の家では長男が死ねば次男が長男に繰り上がる。

 そんな決まりがあった。


 彼女は次女だった。

 上に何人の姉妹がいたかは不明だ。

 生まれた時点で腹違いの姉がいたこと。

 それが唯一の事実だ。


 生活は裕福だった。

 望んで手に入らないものなどなかった。

 彼女には城の一室が与えられ、好きなものを好きなだけ置くことができた。

 侍女長が常にそばにいて、困ったことは何でも任せた。


 もちろん、自由があるだけではない。

 彼女には義務が課せられていた。

 詩歌の勉強、弦楽、舞踊の練習、作法の習得。

 そして、茶会への参加だ。


 彼女の仕事は愛想を振りまくこと。

 同世代の諸侯と交流し、独自の基盤を築くこと。

 そして、将来の夫を探すことだった。


 当時、彼女の生活に人間はいなかった。

 位階の高い天上人には普通のことだ。

 人間は穢れであり、近づいてはならぬもの。

 存在はするらしいが、自分たちには関係のないもの。

 そんな距離感だった。


 人間と出会ったのは、皇帝マナロがきっかけだった。

 マナロは変わり者で知られていた。

 考えが読めず、怒りっぽい。

 誰もがマナロを恐れていた。


 彼女もそうだ。

 可能なら距離を置きたいと願っていた。

 しかし、仕事の都合で会わねばならないときもある。

 そういうときは粗相がないよう、石になりきっていた。


 事件は八歳の頃に起こった。

 その日、マナロの機嫌は最悪だった。

 何があったかは知らない。

 聞くほど、彼女も馬鹿ではなかった。

 やり過ごそうと神経を使った。

 だが、悲劇は避けられなかった。


 彼女がいつものように石を演じていると、マナロが茶器を落とした。

 誰が悪いでもない。

 落としたのはマナロ自身だ。

 そして、その瞬間、彼女はマナロと目が合ってしまった。


「あぁ、苛々するッ!! なんだ、この餓鬼……、生意気な顔をしやがってッ。お前は人間とでも戯れてろッ!!」


 運がなかった。

 そうとしか言いようがない。


 マナロの機嫌は天気と同じ。

 出かけたら、運悪く、雨が降った。

 それと同じだ。


 ただ、その雨が異様に強く、雷を伴っていて……。

 更に運がないことに、雷が家に落ちた。

 そして、何もかも燃やしてしまった。

 それだけのこと。


 謁見のあと、母は泣いていた。

 娘がなんと言われたか?

 人間とでも戯れていろ、だ。


 皇帝の言葉は絶対だ。

 法を上書きする力を持つ。


 もちろん、幼い彼女が冷静だったわけもない。

 人目もはばからずに泣いた。

 とにかく、怖かった。

 何が怖いかわからないが、怖かった。


 間もなく皇帝の側近がやってきて、無言で彼女を連れて行った。

 山奥の離宮へ入れられた。

 意味もわからないまま、そこでの生活が始まった。

 母とも隔離され、執事が一人つけられた。


 寂しい生活だった。

 けれど、彼女には友達がたくさんいた。

 手紙を書けば、会いに来てくれる。

 そう信じていた。


 甘い期待だった。

 いくら書けども手紙の返事はない。


 ……友達ではなかった。

 そう気づくのに時間がかかった。

 所詮は社交界で築いた関係。

 取り入る価値がなければ、見捨てられるだけ。


 虚しさが募った。

 八歳にして生きることを諦めた。

 死のうと思った。

 だが、執事が許さなかった。

 無理やり飯を食わされ、どこへ行くにも監視がついた。


 絶望に溢れていた。

 ……それを救ったのが人間だった。


 人間と戯れろ。

 それが皇帝の命令だから、側近は生真面目に人間を連れてきた。

 やって来たのは大人の女だ。


 初めて見る人間だった。

 穢れというのだから、もっと汚いのかと思った。

 思ったより普通だ。

 身なりもよいし、知性を感じる。


 その女はソテイラの奴隷だった。


 あとで知った話だが、側近も人間の手配には苦慮したそうだ。

 皇帝に罵倒されようとも、彼女の位階は依然として高い。

 下手な人間をあてがえば不敬罪となる。

 そのくらいの権力、基盤は最低限維持されていた。


 人間は穢れ。

 穢れでありながら、彼女の身分に相応しい誰か。

 そんな無茶な要望を叶えようと奔走したらしい。


 その点、ソテイラの奴隷は具合がよかった。

 まず、ソテイラ自身の位階が高い。

 霊公会の司教という身分も申し分ない。

 そんな天上人が例外的に私有する人間奴隷だ。

 ソテイラの人間奴隷を穢れと指摘する猛者は、バサ皇国にはいなかった。


「はじめまして。家庭教師ということで来たのですけれど」


 無謀な人間だと思った。


「あ、あんた、人間のくせに天上人に物を教える気なわけ?」

「はい、そうですが?」


 殺そう。

 これは殺さないといけない。

 不敬罪だ。


 体が勝手に動いた。

 もちろん、執事に止められた。

 執事は死ぬほど面倒くさがり屋だが、仕事はする。

 元大海賊だけあって、彼女の血統をもってしても敵わない。

 春画本を読みながら、片手で彼女を押さえつける。


「殺させなさい!」

「ダメでしょ、殺しちゃ。皇帝の命令、覚えてるっす?」

「くっ……」


 抵抗の余地はなかった。

 仕方なく勉強を教わることになった。


「では、勉強を始めましょう」

「好きにすれば! あたしは、あんたの言うことなんか聞かないから!」

「あらあら」

「人間なんかに物を教わるなんて、最低の気分よッ!」


 ところが、やってみると、これが鼻水が出るくらい面白かった。


 理科、歴史、算術、評論文。

 勉強は四つの分野に別れていた。

 彼女は特に理科と算術が好きになった。


 考えればわかるというのがいい。

 作法や舞踊には理屈がない。

 決まりだからこうする。

 なぜかは聞くな。

 そんなのばかりだ。


 詩歌などはもっとひどくて、良し悪しがその場の空気と権威で決まる。

 こんなクソみたいなことがあってたまるかと思っていた。


 その点、勉学は基準がある。

 正解がある。

 やればやるほど難しいことができるようになる。


 最初の数ヶ月で彼女は初等算術を完璧に履修した。

 執事曰く、すでに財務大臣を超える能力だという。


「上達がお早いです。勉強がお好きなんですね?」

「別にしたくてしてるわけじゃないんだからね! やれって言われたから勉強するんだから!」

「はいはい、そうですね」


 家庭教師とも仲良くなった。

 優しいし、教え方もうまい。

 他の天上人もこんな風だったらいいのに。


 幽閉から数ヶ月後。

 母に会う機会が与えられたので、彼女は母にその話をした。


「あなたは、穢れを受け入れたのですか……? あなたを娘とは思いたくもありません。もうここには来ないで!」


 子供心に無邪気に話したことを後悔した。

 話さなければよかったと思うも、何もかもが遅い。

 離宮に戻って、少しだけ泣いた。

 泣いたら、母との離別を割り切った。


 元より大して仲がよかったわけでもない。

 彼女は乳母に育てられたし、母との会話など数えるほどしか記憶にない。

 年に数度顔を合わせ、社交界で連携する程度の関係だ。

 ”友達”だった奴らと本質は変わらない。


 彼女の位階と利用価値。

 結局はそこしか見ていない。


 彼女は八歳にしてすでに達観していた。

 政治の本質を見切り、心を殺す術を身に着けていた。

 その日以来、家庭教師の見方も変わった。


「あんたもどうせ、あたしの権力が目当てなんでしょう?」


 ある日、彼女は家庭教師に向かって言った。

 人間は首を傾げ、


「なぜそう思うのですか?」

「そういう天上人しかいないからよ!」

「私は人間なんですけれど……?」


 一撃で論破された。

 だが、彼女は食い下がり、


「に、人間でも同じでしょ! あたしの権威を使って、」

「使って、奴隷がどうするんですか?」


 どうするのだろう。

 わからない。


 第一、この人間は命令されてやって来た。

 つまり、仕事だ。

 権威が目的で近づいてきたはずがない。


「仕事目的であたしに近づいたんでしょう!」

「??? 家庭教師なのだから、そうなのでは?」


 彼女自身、何を言ってるかわからなくなった。

 何か大きな企みがあると睨んでいた。

 彼女に近づく者は皆そうだったからだ。


 だから、人間にも狙いがあるはずで。

 けれど、人間は人間で……。


「えっと、つまり、だから……!」

「私は仕事で勉強を教えています。企みなんてないんですよ」

「だ、だったら、なんで勉強の時間以外もここにいるのよ!?」

「勉強以外の時間をあなたと過ごすのは、純粋に私が楽しいと思うからです」

「な、何よそれ!? 一緒にいて楽しい!? 相手を誰だと思ってるわけ!?」


 思わず、怒鳴り返した。

 人間のくせに生意気な発言だった。

 一緒に過ごせて光栄だとか、お話ができて幸せだとか。

 天上人ですら彼女に向かって、そう言うのだ。

 まして人間ともなれば、お仕えできるのならいつ死んでもいい、くらいは言わねばならないはずなのだ。


 そういう意味のことを言おうとした。

 口が全然違う言葉を吐いた。


「と、友達になってあげてもいいんだから!」

「わぁ、それは嬉しいお話です。友達になりましょう」


 手を握られた。

 触れられたのは、これが初めてだった。

 人間は穢れ。

 とすると、今、自分の手は穢れたことになる。


 恐るべき事態であり、母がこの場にいたのなら発狂していたかもしれない。

 しかし、彼女はごく自然にこう思えた。


 ――――ま、いいか。


 失うものがなかったからだ。

 母に見捨てられ、皇帝に嫌われた。

 離宮に閉じ込められ、外界とも隔離された。


 穢れも何もあったものではない。

 第一、この人間はいい人間だ。

 初めてできた本当の友達だ。

 友達が穢れてるなら、自分だって穢れていてもいい。


「人間! と、友達なんだから、勝手にどこかに行っちゃダメよ!」

「はいはい。友達なんだから、人間なんて呼んだらダメですよ?」

「じゃあ、なんて呼べばいいわけ!?」

「ヨリコ。私の名前です」


 こうしてヨリコは友達になった。

 本当の意味での友達だ。




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