45 異変1
昼過ぎから雨が降り出した。
秋とは思えぬ雨脚に屋外での捜査は中断された。
カルは忍びと共に町内の捜索へ。
エリカは遺体安置所に籠もりきり。
ヒヌカは内侍長の相手をしている。
長雨は日が暮れてもやまず、中庭を濡らす。
ジンは庭で素振りをしていた。
濡れた柄は普段と感覚が異なる。
雨中の戦いを想定し、勘をつかもうとした。
温泉地から急報がやって来たのは、そんな頃だった。
「王よ、お耳を拝借したく」
無から忍びが現れた。
いつものことなので驚きはしない。
「何かあったか?」
「温泉地の山が異様な光に包まれているとの一報です」
……山が、光っている。
耳を疑うような報告だが、まさか嘘をつくはずもない。
空を見上げるが、距離があるため見通せない。
現地に足を運ぶしかないようだ。
雨を考えれは、火事という線はない。
精霊が絡んだ何かとしか言えないが、そうなるとジンでは手に負えない。
領主の協力が必要だ。
内侍を捕まえ、領主を呼びに行かせる。
それから、戦軍に現地待機させるよう忍びを走らせた。
しばらくして、領主がやって来た。
「山が光る? なんだそれは」
領主も発光に関する知識はないらしい。
それもそうだろう。
山が光るなど、どう考えても異常だ。
「調べに行こう」
「……気持ちはわかるが、屋敷を空けてよいものか悩むな」
領主は難色を示した。
二人が出ていけば、屋敷は手薄だ。
山の発光が誰かの策謀で、領主とジンを呼び寄せるものだったなら……。
そう考えると、二人で行くべきか考えたくなる。
だが、考えても答えは出ない。
殺人事件に山の発光だ。
結び付けるのは不可能だし、そもそも発光が異常事態だったら、偉いことになる。
「わかった、急いで見てこよう」
「僕も行くよ!」
折よく巡回に出ていたカルも戻った。
三人で温泉地へ向かうことにした。
半刻ほどで温泉地へ到着した。
雨のせいで温泉もぬるい。
湯気を出す山も、今は沈黙していた。
現場は温泉宿の裏手。
小高い山だ。
「あれが光か」
麓まで来ればわかる。
白とも黄色ともつかない淡い光を放っていた。
見上げた限りでは山頂か中腹かもわからない。
登坂する前に、最悪の事態を考え、周囲の人間を逃がすことにした。
温泉地にも民家はあり、距離をおいて点々と並ぶ。
戦将に命じて、戦軍を散開させた。
二十人もいれば、呼びかけは十分だろう。
残る三十人を登坂組とした。
新兵器の電磁砲は雨中では使えない。
山中ということもあり、軽装備だ。
雨の中、滑る斜面を黙々と登り続ける。
麓近くは木々の生い茂った森だが、中腹から先は木々が薄くなっていく。
山頂付近に到着すると、光ははっきりと見て取れた。
蝋燭や松明ではあの色の光を出すことはできない。
小さな太陽をおいたような色合いだ。
「足場が悪いから気をつけろ」
先導する領主が言う。
山頂近くは温泉が湧き出す。
小さな花がはえる程度で、ほとんど岩場だ。
雨の中、無理に登れば足を滑らせるだろう。
……しかし、今はそれどころではなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……、くそっ」
「ジン、大丈夫?」
「すまん、時間をくれ……」
ジンは左手を握ってしゃがみ込んだ。
包帯を解くと、紋章が青く輝いていた。
ここまで紋章が主張したのは、初めてだ。
痛みもひどい。
……行くなということか。
あの光は危険だ。
近づかない方がいいのかもしれない。
だが、今更、引き返すのも癪だった。
危険があるなら取り除いた方がいい。
「大丈夫だ、行こう」
カルに肩を貸してもらい、岩場を登る。
間もなく山頂に到着した。
もうもうと湯気が立ちのぼる。
日が暮れていることもあり、視界はかなり狭まっている。
念のため、領主とジンはマラマンの草を使った。
「……ひどいな」
一瞬で視界が黄色に染まった。
この周辺一体が、力に満ちていた。
少し距離を置いたら領主の色が消えるほどだ。
これを霊術と呼んでいいのかもわからない。
とてつもなく強い何かがある。
その力は山頂の厳選に近づくほど濃くなっていた……。
最後の岩場を乗り越え、ジンは力が渦巻く源泉を覗き込む。
膨大な湯気が吹き出していた。
マラマンのせいもあり、何も見えない。
「任せておけ」
領主が宝剣を振るう。
眩しいほどの光が霧を吹き飛ばす。
一瞬だけ、泉の様子が見て取れた。
「……冗談だろ」
信じがたい光景が広がっていた。
そこには……、折り重なるように倒れた、天上人の遺体が積まれていた。
雨脚が強まる。
霧が一層に深くなる。
光は立ちのぼる蒸気から発せられていた。
異常があるのだとすれば源泉ではなく、積み上げられた遺体の方だ。
見える範囲で天上人の服装を確認する。
色の違いくらいしか見えないが、男女や年齢に偏りはなかった。
無差別に殺されたように見える。
生存者の望みはないだろう。
天上人とは言え、湯の源泉に浸かれば火傷はする。
身じろぎ一つしないことはないはずだ。
見える範囲で二十、いや、三十人はいる。
それだけの天上人が、一度に死んでいた。
呆然とするしかなかった。
「遺体をこのままにはできん……」
領主が源泉に降りようとする。
瞬間、左手が刺されたように痛んだ。
ジンは領主の肩を掴んだ。
「行くな! あれは危険だ!」
「しかしだな……!」
「紋章は何度も俺を助けてきた。こいつを信じろ」
「……わかった。距離を取ろう」
領主はしぶしぶ肯いた。
植生がある辺りまで戻ると、マラマンも反応を示さなくなった。
見上げると、山頂が乳白色に染まっていた。
密度が高すぎて、反対側も見えない。
……あんな場所にいたことが信じられない。
皆で体に異常がないかを確かめ合う。
無事を確認したら、対策を練る。
危険なのはわかるが、どうやって危険を回避するかだ。
「あの天上人は領主が呼んだのか?」
「俺ではない。……待て、だったら誰が」
別の誰かが呼んだとしか思えないが、それは道理が通らない。
直轄地に入るには領主の許可が必要だからだ。
無断で侵入すれば厳罰は免れ得ない。
覚悟して入る者は限られる。
それがシヌガーリンの当主だった。
「あんなのがまだいるのか?」
「違うだろう。実は先程、ハービーから鷹が届いたのだ」
領内の動向に異常はないとの返事だ。
要約すると、シヌガーリンの死による混乱は沈静化に向かっている。
分家にも目立った動きはなし。
興味の矛先は分家間の序列であり、領主に興味を持つ者はない、とのこと。
直轄地に手を出す者はいない。
だったら、ここに天上人を呼んだ目的は贄にするため。
そう考えた方が筋が通る。
領内の天上人に敵はいない。
直轄地に三十人もの天上人を招いた点で人間が犯人でもない。
残る可能性は絞られる。
「人間王、俺たちは伝承の目撃者になるのやもしれんな……」
何のために天上人を殺すのか。
答えはどこにあるのか。
動機を探り、方法を考え、多くの可能性を検討してきた。
そのいずれもが、否定されてきた。
なぜなら、犯人は常識の内側にいなかったからだ。
禁呪に手を出す者。
唐突にその単語が脳裏をよぎる。
「禁呪だ。禁呪そのものが目的だったに違いない」
同時に領主も言った。
殺すことに意味がないのなら、殺すことで何かが得られるのだ。
禁呪の可能性が高まった以上、このまま屋敷には戻れない。
あれはもう、始まっているのかもしれないのだ。
「カル、お前は屋敷に戻れ」
「ど、どうして!? 僕もいるよ!」
「ここから先は霊術を使える奴だけで行く」
禁呪は精霊の力の範疇だ。
霊術のない者が関われば、自衛すら危うくなる。
「……わかったよ」
戦軍を連れて下山するカルを見送り、ジンと領主は再度山頂へ向かった。