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44 ハービー


    †ハービー†


 ハービーが城下町ガレンに到着して数日が経っていた。

 警兵長の移送に同行した形だが、待っていたのは山のような仕事だった。


 派閥を問わず、有力諸侯から問い合わせがあった。

 シヌガーリンの当主が亡くなったのは事実か、直轄地で何があったのか、領主は無事なのか。

 次々に舞い込んでくる面会依頼を捌くだけでも、目の回るような忙しさだった。

 そこに警兵長の裁判、そして、処刑が加わる。


 本来、領主がすべき業務だが、側近たるハービーがこなした。

 混乱する諸侯の取りまとめは、分家筋にも協力を仰いだ。

 なるべく貸しは作りたくないが、選り好みができる状態でもない。

 怒鳴りこんでくる諸侯の中には、帝都から派遣された帝政府の役人もおり、ハービーでは御することができなかったのだ。


 領主がいれば、苦戦することもなかっただろう。

 あの人はあれで人を引きつける魅力がある。


 大らかな人柄で、愛嬌があり、位階の高さに反して身分の低い者の意見にも耳を傾ける。

 何より精霊に愛されていた。

 求心力はさすがと言うべきで、憤慨する諸侯の中には、領主が説明すれば一発で納得する者もいただろう。


 逆に、ハービーにはそれがなかった。

 ハービーの位階は中流。

 頼れる実家も政治力もなく、霊術も凡庸だ。

 側近に抜擢されたのは偏に頭脳によるところが大きい。


 領主は家柄に拘らず実務能力で役位を決める。

 今の差配には感謝している。

 しかし、権威が必要な場面には、どうしても弱い。

 今回は分家に依頼して事なきを得たが、もう一人、高貴な血筋の側近が欲しいとも思う。


 そんな日々を過ごし、かろうじて山は越えた。

 そろそろ直轄地を脅かす連続殺人の調査に移ってもよい頃合いだ。

 が、その前にもう一つだけ仕事がある。

 シヌガーリンの後釜問題だ。


 元来、ベルリカ領は、シヌガーリンによって均衡が保たれていた節がある。

 シヌガーリンという仮想敵がいたからこそ、他の派閥は一つになれたのだ。

 それが消えた今、空いた穴を誰が埋めるかで揉めるはず……。


 今もイサン地方の地行政は空白のままだし、シヌガーリンの荘園も引き取り手がない。

 誰だって土地は欲しい。

 ハービーは、少なくない勢力が動いていると見ていた。


 無論、領主の身内にもだ。

 領内に敵はいない、という領主の考えは概ね正しい。


 しかし、土地を欲する輩は一定数存在し、水面下で動いているのは間違いなかった。

 そうした動きは更なる変動を誘発する。

 シヌガーリンの土地は歴史的経緯で存在していた特異点だ。

 それが誰かの手に渡ったなら……。

 その人物は領主派に匹敵する資産を手にすることになる。


 力の均衡は危うくなる。

 そして、一度崩れれば行くところまで行くだろう。

 天上人の欲に限界はない。

 ハービーは、その点で誰も信じていなかった。


 原因はどこかと言えば、やはり領主だ。

 シヌガーリンの土地は領主の直轄地とする。

 即座にそう宣言していれば、誰も欲をかかなかった。


 ところが、領主は土地を人間王に譲ろうと画策した。

 誰だって土地を人間などに渡したくはない。

 わかっていたはずだ。

 それでも、領主は拘った。


 ハービーは領主を責めようとは思わない。

 領主が拘るのなら、その理想の下支えをするのが側近の仕事だ。

 だから、これは支えきれなかったハービーの責任でもある。


 欲をかいた者の正体は暴く必要はない。

 分家を使役して、派閥に忠告を出させれば、応急処置としては十分だ。


 直轄地に手を出した者を探すのは次だ。

 正直、シヌガーリン以外にいるとは思っていない。

 そんな勇気のある者は他にいないからだ。


「ふぅ……」


 思考をまとめたところで息を吐く。

 場所はハービーに与えられた執務室だ。

 城の天守閣にあり、領主執務室の隣室に当たる。


 四面ある壁のうち、三面が本棚となっていた。

 いずれも隙間なく本が埋まり、床にも積み上げられている。

 本で埋め尽くされたこの空間がハービーの領域だ。

 家格の低さは、常にハービーを苦しめてきた。


 格上の諸侯に立ち向かうには勉強をするしかなかった。

 勉学だけがハービーの拠り所だった。

 それで劣れば、自分に存在する価値はないと、今でも思う。

 だから、諸侯の通う学院時代から、がむしゃらに勉強をしてきた。


 そうしたら、領主が側近に採用してくれた。

 学院には血筋のよい坊っちゃんが腐るほどいた。

 そいつらは将来自分たちが重鎮につくことを疑っていなかった。

 だから、領主が頭のよさだけで採用を決めたとき、彼らは怒り狂った。

 そして、一部はシヌガーリンの軍門に下った。


 学はないが嫉妬深く誇り高い連中だ。

 今のような混乱が起きれば、行動を起こすに違いない。

 その辺りから当たるのも手だろう。


「ハービー、まだ起きているのですか?」


 執務室の扉が不躾に開けられる。

 側近相手にそんなことをする者は一人だ。


 ナレス。

 獅子の天上人にして領主の乳母だ。

 ハービーと領主が子供の頃から婆さんだった。

 いくつになっても子供扱いが収まらない。

 城で一番強い人物かもしれない。


「ナレスさん、……あなたこそ寝なくてよいのですか? その歳だと体もつらいでしょう?」

「ま、いつから私に説教など垂れるようになったのですか?」


 ナレスの眉が吊り上がる。

 こうなると長い説教が始まる。

 ハービーは早々に折れることにした。

 寝室に向かおうと腰を上げる。

 すると、ナレスは口をとがらせた。


「私は用事があってきたのですよ、ハービー?」

「なんですか?」

「トゥーソン・ルーマンより書状が来ています。確認しましたか?」

「……いえ、まだです」

「彼は物流を取り仕切る有力者です。あまりないがしろにすべきではありませんよ」

「わかっていますよ。明日、返事をすることにします」


 口うるさいが秘書として動いてくれるのはありがたい。

 書状は机の見える場所においた。

 その瞬間、ナレスは爆弾を投げてきた。


「ところで、ハービー。領主の結婚相手は見つかりましたか?」


 結婚相手。

 そう聞いてハービーは頭痛を覚える。

 忘れていた……。

 その問題もあった。


 領主が巫女と結婚する。

 そんなことを言い出したら、今度こそベルリカ領は崩壊するかもしれない。


「……そのうち、見つかるでしょう」

「また、そんなことを言って。領主の結婚相手を探すのも側近の仕事ですよ。それとも結婚相手の世話まで私にさせる気ですか?」

「いえいえ、ナレスさんの手を煩わせるつもりなど……」

「ならキリキリ探しなさい。よい話を待ってますよ」


 言うだけ言って、ナレスは部屋を出て行った。

 ため息が増える。


 困った。

 宿題がどんどん増えていく。



 次の日。

 ハービーはナバーバの屋敷を訪ねた。

 ナバーバは分家に嫁いだ領主の姉だ。


 彼女の夫は財務担当重役(おもやく)を務める。

 そして、本人は母主催の婦人会の重鎮。

 分家で最も広い土地を持つのもここだ。


 馬車で庭を抜けると、現れた執事に案内される。

 屋敷の規模は直轄地の屋敷と同程度。

 北方で取れる珍しい木材を使用しており、平屋ではなく四階建てだ。

 土地は余っているが、高い建造物の方が見栄えがするためだ。


 冷え切った廊下を歩き、香の焚かれた茶室に通される。

 庭が一望できる広い部屋だった。


 間もなくナバーバが現れた。

 部屋着とは思えぬ荘厳な着物を身に着けている。


「ハービー様におかれましては、日々、お健やかにお過ごしのことと存じます。お会いできて、大変、嬉しく思います」


 領主の姉とは言え、分家は分家だ。

 当然、領主側近は最大限の礼でもてなされる。

 娘、息子、当主代行、と堅苦しい挨拶が続く。


 全員の挨拶が済んだところでハービーも挨拶を返す。

 面倒かつ冗長ではあるが、上流天上人の茶会はこういうものだ。

 通常であれば、面会の数日前から約束をして、土産物も持参する。

 一日前に来訪を告げるのは無作法に当たるのだ。

 故にナバーバも、早速、探りを入れてくる。


「本来であれば一服のおもてなしをすべきところでしょうが、本題より入る無礼をお許しください。どうかはしたない女と思わないでください」

「こちらこそ、唐突な来訪を許していただきたい。ナバーバ様にお力を貸していただけないかとうかがった次第でございます」

「私にでございますか? 夫ではなく?」


「サンガイ財務担当重役(おもやく)にお力添えをいただいたばかりです。その件では大変お世話になりました。ただ、此度の件は、領主母君イーナ様のお力も必要かと」

「母上の……。どうぞ、お話しください」


 ハービーは事情を説明する。

 シヌガーリンの荘園を狙う派閥がいるかもしれないこと。

 領主直轄地で不穏な動きがあること。


 本来、両者は別件だが、あえて混ぜて話した。

 荘園を狙う者が連続殺人犯として疑われているぞ、と言えば、欲をかいた者は手を引くはずだ。

 そんな魂胆があった。


「お話はわかりました。ハービー様は、私たちに何をお求めなのですか?」

「不穏な動きをする者を見つけ出したいのです」

「それを私共、女の派閥で探せとおっしゃるのですか?」


「夫が不審な動きがあれば、最初に気づくのは奥方でしょう。そのような者がいないか調べ上げていただきたいのです」

「けれど、ハービー様。私の婦人会はシヌガーリンの派閥の者はいないのですよ?」

「それでも、調べなければならないと考えております」


 調べるべきは領主に恨みを持つものではなく欲をかいた者だ。

 欲は万人の胸に等しく存在する。

 そこに派閥は関係ない。


「ハービー様のお気持ちは理解いたしました。しかし、私共も手は打っているのですよ?」

「とおっしゃりますと?」


「ハービー様と同じ危惧は誰しもが抱くものです。分家筋は、我がサンガイ家を含めて三家。今でこそ最大の力はサンガイが持ちますが、シヌガーリンの土地次第ではどう転ぶかも知れぬ未来。他家の動向を注視するのは当然のことではございません?」


 ナバーバが指摘するのは、分家間の駆け引きだ。

 確かに分家が最も気にかけるのは分家の序列だ。

 他家に動きがあれば、と監視していたに違いない。

 そうなると、分家のどこかが動くとは考えにくい。


「なるほど、納得いたしいました。すでに手をお打ちでいたとは、ナバーバ様の慧眼にはお見それいたしました」

「お褒めに預かり光栄ですわ。もっとも、私にできることは限られていましてよ? 分家の苦悩などお母様はご理解なさらないのですから」


 ナバーバは婉曲的に、母は監視できません、と言った。

 領主の母イーナは婦人会の長を務め、女社会の頂点に立つ。

 ナバーバでは、イーナを諫めることも監視もできない。


「お母様はズイレンに庭園を作る構想をお持ちなのです」

「……それは初耳ですね」


 イーナの発言力は絶対だ。

 ズイレンが誰のものになろうと、彼女が庭園を作ると言えば、庭園はできる。

 諫められるのは本家筋の領主しかいない。


 つまり、早くイーナを諌めて欲しい。

 それがナバーバの要望だ。


 そう思うと一気に力が抜けた。

 分家筋に欲をかいたものがいる……、と疑って訪問したが、領主の母が庭園と言えば、土地の価値は激減する。

 策を弄して取ろうとする者はないだろう。


「領主様であれば、人間のためにうまくお使いになるでしょう?」

「えぇ、領主様はそうするでしょうが……、私は領の益になるように使うよう進言するつもりです」

「あら、人間を厚遇すれば、将来的には領の益になるのではなくて?」


 そのあとは、土地の使い方を話した。

 実現可能性は別にした妄想に近い内容だ。

 それにしても、思った以上に、ナバーバが領主の思想に毒されている。

 ハービーは、そのことに苦言を呈しそうになる。


 最後に直轄地について尋ねた。


「直轄地で悪事を働く者も、土地を狙うのも、いずれにせよ最初に疑うべきは旧シヌガーリン派ではございませんか?」


 と返された。

 この見解はハービーと同じだ。

 旧シヌガーリン派の監視も依頼すると、それも実施済み、だと言われた。


 分家筋も起こり得る政変に備え、手を打っている。


「精霊様のご加護が、この先もハービー様をお守りすることを祈っております」


 幾ばくかの雑談のあと、ハービーはナバーバに別れを告げた。

 挨拶を済ませ、贈り物を受け取る。

 それには領主への手土産も含まれていた。


「領主様へよろしくお伝えくださいまし」

「えぇ、領主もナバーバ様の手土産を喜ばれることでしょう」


 いざ、茶室を出ようとしたところで、


「ナバーバ様、火急の報せが」


 執事がやって来た。

 ハービーは廊下で立ち止まる。


「……あら、全員死んでしまったの?」

「えぇ、昨晩のようです。例の伝聞機で連絡が」

「困りましたね。たくさん人手が必要だからとおっしゃられていたから送ったのに、殺すならそうと言っていただければよかったのに」


 殺す……。

 単語の選び方が不穏だ。

 が、ナバーバの口調に乱れはない。


「いかがされたのですか、ナバーバ様?」


 茶室に顔を出し、尋ねてみる。

 ナバーバはにこやかに、


「なんでもございません。とあるお方から使用人を使わせて欲しいという依頼を受けたのですが、どうも皆死んでしまったようなのです」

「それはそれは」


 察するに、ナバーバは奴隷を貸した。

 そうしたら、こき使われて死んでしまった。

 そんなところだろう。


 彼女にとって、困ったわ、の一言で済む事件だ。

 上流だから当然だ。

 人間など数字で表せる資源でしかない。

 正しい天上人のあり方だ。

 領主と比べると、頭が痛くなる。

 なので考えないようにする。


 道を選ぶのは領主。

 進むのが側近の役割だ。

 踏み越えるべきではない。


 適当に相槌を打って、ハービーは、その場を後にする。



 城に戻って、鷹を飛ばした。

 鷹は直轄地の屋敷と城を往復する。

 馬車で十日の道のりでも、鷹は一日で飛ぶ。


 ベルリカ領内に不審な動きはなし。

 直轄地の事件は旧シヌガーリン派の犯行である可能性が濃厚。

 それがハービーの出した結論だ。



 ……結局、ハービーは気づかなかった。

 ナバーバが使用人と言ったら、それが人間であるはずがない。

 上流の天上人が、人間を使用人にするわけがないからだ。

 気づいたのは、直轄地に戻ってから。


 手遅れになってからだった。




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