41 捜査5
犯人は誰かという議論は夕方まで続いた。
エリカが仮説を述べ、内侍長がやんわりと否定する。
切り返しの質問が飛び、内侍長がそれをきっかけに新しい事実を思い出す。
時折、内侍や領主が口を挟む。
内侍も領主に仕えるだけあって教養が深い。
最初こそ遠慮していたが、途中から忌憚なく話すようになった。
人間も天上人も関係ない。
白熱した時間だ。
ヒヌカは裏方として活躍した。
お茶を入れ、軽食を作り、内侍長の薬の管理もする。
なぜだか内侍長と仲がよいらしく、祖父を世話する孫のようにも見えた。
ヒヌカは村を天上人に滅ぼされ、トゥレンでも家族を人質に取られた。
天上人という種族を憎む理由は十分にある。
しかし、ヒヌカは自分を苦しめた天上人と、ここにいる天上人を区別していた。
個を憎んで、種は憎まない。
里の奴らとは根本的に考え方が違う。
もし人間と天上人が一緒に暮らすのであれば、この考え方が当たり前にならねばならない。
誰も人間と天上人を区別しない世界だ。
「古来には様々な術を使う者がおってな」
議論はいつしか内侍長の講義に変わっていた。
現代では、文献も残らない古典の数々を、内侍長は記憶を頼りに語ってくれる。
それらはバサ皇国が成立する以前の話だ。
古来、霊公会が今ほどの権力を持つ前は、天上人と精霊の関わり方は様々だった。
異なる教えを説く集団が複数おり、それらは精霊を崇めもすれば、利用もした。
禁呪の源泉となる術は、利用を考える一派によって開発された。
その一派は薬剤や呪文を用いた呪術で、霊術を行使していた。
当時の天上人には個人が強力な霊術を持つことはなく、儀式による霊術が主流だった。
個人が固有の能力を持つのは、マナロが血を賜ってからの話だ。
利用を考える天上人には、派閥があった。
生活を楽にする目的が大半だが、中には術の力に魅せられた者もいた。
そうした一派は、やがて複雑な術式により強大な霊術の起動に成功する。
それが禁呪だ。
どれほど強力だったかは、記録にはない。
口伝であるため、誇張も入っているだろう。
しかし、今でも禁呪という名は残っている。
バサ皇国の法でも言及され、禁呪指定された術の行使は厳罰に処す、と記載される。
故に現代において、実践する者はいない。
いや、いないとされている。
伝承では人里離れた山奥で暮らし、今も禁呪の研究をしている連中がいるという。
そいつらは禁呪に手を出す者と呼ばれ、恐れられている。
禁呪に手を出す者は決して人前に現れない。
だが、目撃例は多く、人里に降りてきて幼子をさらった報告例もある。
排除を試みた為政者もいたが、成功した例はない。
なぜなら、集落の位置すらわからないためだ。
存在そのものが曖昧で、なおかつ恐れられる者たち。
それが禁呪に手を出す者だ。
「……というのが、禁呪に手を出す者の逸話じゃ。後半はよく知られた話じゃろう?」
「そうなのか?」
「あぁ、おとぎ話としてよく知られた話だ」
領主が言うには、天上人の間では有名らしい。
なんでも、禁呪に手を出す者の逸話は、子供が夜遊びしないよう話し聞かせる怪談の類だという。
夜遅くに外に出ると、禁呪に手を出す者にさらわれるよ、と。
……そう言われると、納得の内容だった。
バランガでいう穢魔だ。
夜遅くに外を歩くと穢魔に食べられるよ。
母にそんな話をされた。
天上人の場合、子供に話す怪談は古典に基づくのだ。
「で、実際、いるのか? その何とかってのは」
「いるかと聞かれれば、いないだろう。あくまで伝承だ」
「左様。山奥に集落などおとぎ話じゃ。……ただ、禁呪のすべてが失われたかは、わかりかねますな」
「禁呪に手を出す者は非現実的として、呪殺の可能性はあるってわけね……」
用いられたのはディラウの根とプティの実だ。
なぜ二つを混ぜたのか。
なぜ一つではダメだったのか。
仮に幾多の迫害を潜り抜け今日まで生き残った禁呪があるとするなら、……その理由を説明するかもしれない。
問題はやはり殺し方。
その手間をかける理由がどこにあったか、だ。
儀式的な意味合いなら話は通じるが、何のための禁呪なのかは知れない。
プティが手元にあれば実験も可能だが、希少性が高すぎて生息地すら不明だ。
そんな希少な植物を使ったのだから、必要性があったということなのか。
エリカは非力な人間が犯人だと仮説を立てた。
しかし、人間が天上人の禁呪を知っているとは考えにくい。
犯人像が再びぼやけてしまう。
全員が黙り込む。
議論は行き詰まりを見せていた。
†
夜も更けたため、会議は一旦解散された。
エリカと内侍長は文献をあたることとし、ジンと領主は見回りに出た。
昨日と同様、町の外縁をぐるりと巡る。
深夜だけに出歩く者もいない。
少しだけ犯人の話をした。
人間だったら、どうする? と領主に聞いてみた。
「どんな者でも過ちは犯すものだ。犯人が人間だったとしても、俺は憎まず、ただ裁く。共生とはそういうものだろう?」
領主はごく自然に言った。
思わず、笑い出すところだった。
こいつの強さとは何か、と聞かれたなら、ここにあるとジンは思う。
気張らない。無理をしない。
自然体のままで理想を貫けるのだ。
「外に知られたら問題になる発言だな」
「そうだな。人間王は秘密を守ると信じてるぞ」
領主は笑う。
今日は分かれ道で二手に分かれた。
ジンは川沿いに通りを歩く。
深夜だけあって、人はいない。
通りには明かりもなかった。
提灯は領主に渡した。
ジンは青い炎を明かりにする。
真っすぐ行けば温泉地だ。
その先には深い山がある。
そんな立地だけに家の数も減ってくる。
道の片側には草原が、反対側にはかろうじて家並みが。
馬車が通れる程度に整備された道だが、篝火はない。
ただただ、暗い。
だからこそ、見つけたのは偶然だった。
「……なんだこれ」
道の端に緑色の染みがあった。
手のひらくらいの大きさだ。
緑色の液体が溜まっている。
蔵で見かけた染みと色が似ていた。
液体はどこかから滴り落ちているようだった。
顔を上げると、塀があった。
民家の塀だ。
作り方が雑だったのだろう。
肩くらいの高さに釘が飛び出していた。
その釘も緑色になっていた。
ごく自然に考えると、この釘に何かがぶつかったのだろう。
そして、液体が入っていた何かが傷つけられて、ここにばらまかれた。
乾いていないし、なんなら今も釘の頭から液体が滴っている。
水たまりができてから、ほとんど時間は経っていない。
明かりを地面に戻す。
緑色の染みは地面に点々と連なる。
川沿いの道を温泉地の方へ。
つまり、こういうことだ。
路地の奥から何者かが出てきた。
そいつの持っていた何かが釘で傷ついた。
緑色の液体が漏れた。
何者かは、それに気づかずに移動を続けた。
この液体は殺人現場にあったものと似ている。
この先にいるのは犯人だ。
唾を飲み込む。
少しだけ足踏みする。
行こう。
自分に言い聞かせ、歩を進めた。
緑色の染みは等間隔で続いていた。
不気味なほど綺麗な直線だ。
やがて道を外れ、草むらへ入った。
膝の高さくらいの草が茂っている。
川の音が聞こえる。
以前に通ったときは意識しなかったが、近くを川が流れているようだ。
液体のあとは草に紛れ見えなくなる。
道路にできた染みが真っすぐだったことを踏まえ、可能な限り真っすぐ歩いた。
やがて小川が現れる。
炎で照らしていなければ落ちたかもしれない。
周囲を見回す。
都合のよいことに橋があった。
橋と言っても、丸太を二本並べただけだ。
丸太には緑色の染みがあった。
先へ進む。
滝が近いのか水の音が激しくなる。
周囲の音が消えていく。
いつしか森の入口にいた。
何の気配も感じられなくなる。
圧倒的な闇があるばかりだ。
木々のざわめき、虫の声。
それらがよく聞こえた。
炎を使う自分は、さぞかし目立っていることだろう。
相手からこちらは見えるが、こちらから相手は見えない。
深呼吸をする。
……大丈夫だ。
紋章は痛んでいないし、まだ、危険はない。
そう思うことにする。
足元を照らし、緑色の液体を探す。
進む先は森の奥だ。
ふと闇の中に何かが浮かび上がった。
炎を強めて、あたりを照らす。
そのとき、木陰の中に人影が……!
距離にして十トルメほど先だ。
木の陰からこちらを伺うような姿勢で、誰かがこちらを見ていた……!
「どうしたんですか?」
「……ッ!?」
声をかけられた。
後ろから。
……息が止まった。
心臓も止まるかと思った。
ゆっくりと、振り返る。
そこには、……三十代くらいの町人がいた。
店からやって来ました、とばかりの服装だった。
顔にも背丈にもこれといった特徴はない。
怪しい人物かと言えば、そうではない部類だ。
ここが町中であればの話だが。
多くの町人が寝ているような深夜に、なぜ仕事着の男が出歩いているのか。
あまりにも場違いではないか。
「どうしたんですか、こんなところで?」
再度、尋ねられる。
ジンはやっとのことで答えた。
「……今、そこに人影がいなかったか?」
「人影?」
男が森の奥を覗く。
「誰もいませんね」
「怪しい奴は見なかったか?」
「ははは、それを言うなら、私の目の前にいるあなたが一番怪しいですよ?」
男は笑った。
……こいつは、わかっているのだろうか。
その言葉は男自身にも当てはまることに。
「どうしましたか? 顔が怖いですよ?」
「……何も見てないならいい。お前は帰れ」
「あなたは、どちらに?」
「俺は怪しい奴を追う」
「危ないですよ」
「なんで危ないってわかるんだ?」
「夜は暗いですから」
男はそれだけ言ってジンに背を向ける。
大人しく帰るくらいなら、なぜこんな場所に来たのか。
疑問だが、関わっている時間が惜しい。
男がいなくなるのを見届けてから、ジンは森へ入った。
人影を見た辺りを調べる。
月明かりすら遮る森は、本物の闇に満ちている。
炎を強め、辺りを照らす。
すると、そこが崖だとわかった。
人間五人分くらいの高さか。
せり出した岩に蔦が絡み、森と同化していた。
足元には草を踏み荒らした跡が。
バランガで培った狩猟の経験を活かすに、それは獣の足跡ではなかった。
これだけ幅広い足跡は人間か天上人だ。
足跡は崖沿いに移動している。
進行方向を割り出し、追いかける。
そして、見つけた。
崖下に大きな窪みがあった。
洞窟と言うには浅いが、雨風は十分にしのげる深さだ。
蔦で巧妙に隠されていたが、近づけばわかる。
かき分けて中を覗く。
「……なっ」
そこには…………、たくさんの人間がいた。
何人もいる。
等間隔で並び、直立不動で立っていた。
「な、なんだよ、お前ら……。ここで何して、」
気づく。
人間は全員、目を開けたままだ。
瞬きがない。
し、死んでるのか……?
最も近い人間に触れてみる。
冷たい。
こ、こいつらは……。
……間違いなく、死んでいる。
でも、遺体には見えない。
死んだら、こんな綺麗に立てないはずだ。
固められている?
なんで?
……頭が混乱する。
自分が見ているものが信じられなくなる。
虚ろな目をした人間たちが虚空を眺める。
その目が、動いたようにも思えた……。
……落ち着け。
これはどう見てもおかしい。
何かの事件だ。
事件は自分では解決できない。
エリカだ。領主だ。
あいつらを呼ばねばならない。
頭にはそれしかなかった。
窪みを飛び出し、来た道を引き返す。
そこで領主が町を巡回していることに気づく。
屋敷に戻っても空振りに終わるかもしれない。
かといって、町のどこかにいる領主を見つけるのも難しい。
一人では無理だ。
どうすればいいのか。
「王よ、我らも手伝いましょう」
そのとき、忍びが現れた。
本当に突然に現れた。
陰からついて来ていたに違いない。
もしかしたら昨日も一昨日もそうだったのかもしれない。
黙って怖いことをするなと思うが、今だけはありがたい。
「領主とエリカを呼んでくれ! 残りはこのあたりに人がいないか探せ!」
「御意に」
忍びが散開する。
ジンは炎を打ち上げ、周囲を照らした。
半刻ほど周囲を探した。
しかし、結局、誰も見つからなかった。
†
「んもぅ~、何なのよ、こんな夜遅くに……」
しばらくして、忍びがエリカを連れてきた。
眼鏡にだぼだぼの服。
寝巻きのままだ。
「怪しい者を見つけたと聞いたが」
ほぼ同時に領主も到着する。
ジンは炎を掲げて、先導した。
「こっちだ」
「ちょ、ちょっと、この格好じゃ、そんな草むら歩けないわよ!」
「なら、俺が運ぶ」
「きゃっ!?」
エリカを抱きかかえ、川原へ向かう。
丸太橋を渡り、森へ。
崖沿いに歩き、……そして、窪地に戻ってきた。
「人間王、ここがそうなのか?」
「あぁ……」
「よし、俺が先に行く」
領主がゆっくりと蔦をかき分ける。
「これは……」
「おかしいだろ? 人間がそんなにいるなんて」
「い、いや……。人間王よ、何もいないぞ?」
「そんなわけあるか……!」
エリカを背負ったまま窪みへ入る。
領主の発言に嘘はなかった。
何もいない、がらんどうだ。
並んでいた人間が跡形もなく消えていた。
「嘘だろ……。ほ、本当にいたんだぞ!?」
「誰もあんたが嘘をついたとは思ってないわよ」
エリカが自分の足で立つ。
迷いなく洞窟の奥へ進み、……岩で隠されたそれを見つけた。
「やっぱり」
「な、何があったんだ?」
「臭いでわかるでしょ? 洗われてるけど、そう簡単には落ちないわ」
臭い……?
今まで思い至りもしなかった。
冷静になって確認してみる。
それは、今日の昼間に嗅いだ臭いだ。
「……ナントカの根があるのか?」
聞くと、エリカが立ち上がる。
同じ場所にしゃがんでみた。
そこには、鍋が置かれていた。
臭いのものとは鍋だ。
「これで作ってたのか……? 呪薬を?」
「でしょうね。ここが犯人の拠点だったのよ」
「では、人間王が気づいたから慌てて逃げたと?」
「間違いないわ。でも、忍びが探した限りでは見つかってない。逃走の準備があったんでしょうね。思ったより遠くへ行っているはず」
「ふむ。増員が必要だな」
領主は窪みの外へ出て、剣と鎧を召喚する。
空に光の柱をぶち上げる。
何をしてるのかと思ったが、おそらく狼煙の代わりだ。
あれを見た警兵がやってくるのだろう。
その背中にエリカが呼びかけた。
「領主、探すのは人間よ。わかってるでしょうね?」
「なんで、人間なんだ?」
ジンが聞き返す。
「わからないの? あんたがここを見つけてから、あたしたちが来るまで一晩と経ってないのよ? 撤収作業をした犯人は、あんたの動向を見張ってたの。それができるのは誰?」
「……」
できるのは誰か。
洞窟の近くに潜んでいた犯人?
それとも、犯人はあの遺体の中に混じっていた?
いいや、違う。
ジンはそいつに会っている。
「来る途中で会った、町人だな」
「そうよ。そいつが犯人なの」
「普通の人間に見えたけどな……」
特別な力もなさそうだった。
いかにも普通の人間に見えた。
「だから、今まで見つけることができなかったのよ」
町中に紛れてしまったから。
理屈としては申し分ない。
領主は複雑な表情をしていたが、人間を探すと確約した。
「戦軍にも探させなさい。彼らも目撃してるはずだから」
戦将は言っていた。
人間が夜な夜な出歩いていて不用心だ、と。
穢魔が出るから注意しろ、と。
エリカに指摘されるまで忘れていた。
「よく覚えてるな」
「これくらい当然よ」
犯人像も絞られてきた。
町人に紛れていて、夜に出歩く人間だ。
夜。歩く。人間。
ジンにはもう一人だけ心当たりがある。
ヒヌカは本当に散歩だったのだろうか。
そんなわけがない。
町の一角で天上人と会っていたのだから……。
「どうしたの、怖い顔して?」
「い、いや、……何でもない。気にするな」
エリカは怪訝な顔をする。
言うべきか。言わないべきか。
わからない。
話が難しすぎるのだ。
三人の中に一人、天上人が混じっている。
だとしても、エリカとヒヌカ。
二人の動きが怪しい。
エリカにヒヌカのことを話したら、何が起こる?
それぞれが別の思惑を持って行動していたとしたら?
仲間がバラバラになる。
一番怖いのはそれだ。
シヌガーリンのやり口と同じだ。
互いに疑い合うように仕向けられる。
それだけは避けなければいけない。
警兵と戦軍が到着し、捜索が始まった。
洞窟を拠点としていたことから、似たような場所があると踏み、山狩りもした。
船で逃げた可能性も考え、川下も探した。
何十人という規模で、夜を徹して行われた。
しかし、日が昇る頃になっても手がかりは得られなかった。
犯人を人間と仮定するなら、容疑者は町に住む数千人の人間だ。
隠れ家に逃げ込まれると探す方法がなかった。
仮眠をとって作戦の立て直し。
そう取り決めて、明け方ごろに解散となった。