9 バンガ第三人間収容所3
夜。
食事を済ませると、アガとクムがやって来た。
「……今日は助かったでやんす」
アガには覇気がなかった。
心なしか前歯が萎れている気がする。
「あっちで話そうか?」
カルが気を遣って二人を連れ出す。
川辺に枝を積んで焚き火をした。
枝は帰り際にカルが調達した。
短剣で枝を切り集め、穴に落としておいたのだ。
火に当たると体がじんわり温かくなる。
「クムとは長い付き合いなんでやんす」
アガはぽつぽつと話した。
アガとクムは化粧箱を作る奴隷だったらしい。
化粧箱とは持ち運びのできる小さな箪笥のようなものだ。
風呂敷で運ぶと壊れる繊細なものをしまう。
アガは農民の子だったが、生活が苦しくなった両親に売られた。
以来、天上人の下で職人として働いた。
クムとの出会いも、そのときだったという。
「クムは兄弟みたいなもんでやんす。だから、助かったでやんす」
「気にすんなよ。別のときに俺を助けてくれたらいい」
「そうでやんすよね? 気にしちゃダメでやんすよね?」
「……それ、自分で言うんだ」
カルが苦笑する。
「ところで、あの炎、なんだったでやんすか?」
強者の土蜘蛛は仲間がやられたのを見て、逃げていった。
成果としては一匹だけだが、
うまいことばらして、三体分の成果として報告した。
丸焦げの強者の土蜘蛛を見て、看守は目を細めたが、追及はされなかった。
「俺もわからん。突然、使えるようになったんだ」
ジンはバランガでのことを話す。
三人は首を傾げながら聞いていた。
「……精霊様の加護でやんすかねぇ。カルは何か知らないでやんすか?」
「ううん、聞いたことないや……。人間が加護を受けるなんて初めてかもしれない」
「これって加護なのか?」
「霊術を使えるんだから加護だとは思う」
「霊術?」
「天上人だけが使える術のことだよ」
霊術とは精霊から授かった不思議な力のことらしい。
多くの種類があると言われ、単純なものだと何かを操る力。
複雑になると、相手の動きを封じたり、言葉を奪ったりもできるそうだ。
一つわかっているのは、天上人は一人一つの霊術しか使えないこと。
これは生まれつきで決まり、変えることはできない。
「へぇ、カルは物知りでやんすね」
「いろいろ見てきたから。……でも、人間の霊術は知らないなぁ」
「別に知らなくてもいいだろ。使えるんだから使えばいい」
「そうでやんす! これは役に立つ武器でやんすよ!」
それはジンも思っていた。
うまく使えば、勝てなかった穢魔にも勝てるようになる。
小隊長も気にかけているだろうし、明日にでも作戦を練ることにした。
その後、アガとクムとはいろいろな話をした。
なぜ収容所に来たのか。
その前はどんな生活をしていたのか。
ジンは町の人間が何をしているか知らない。
二人の話は何を聞いても勉強になった。
「人間の生活は主で決まるでやんす」
とアガは言う。
バサ皇国は人間を奴隷とする。
しかし、奴隷の扱いに決まりはない。
管理が個人に任されてるのだ。
アガのいたところでは、座敷牢で化粧箱を作ったそうだ。
部屋から出られず、来る日も来る日も木を削る。
心を病む者も出たらしい。
それで人間がダメになったら元も子もないと思うが、天上人としては代わりを買えば済む話だ。
要するに使い捨て。
そのやり口はあまりに黒い。
逆に替えが利かない仕事につけば、生活は天国になる。
化粧箱でも高級品には衣装が施される。
そういう細工ができる人間は数が少ないし、育てるにも時間がかかる。
天上人はその手の職人を重宝する。
アガのところでも細工師だけは別格の生活をしていた。
一日三食。布団で眠れ、七日に一度は休みがある。
ほぼ天上人と同等の生活と言っていい。
アガは細工師になりたかったらしい。
「けど、俺もクムも機会がなかったでやんす。一度、木を削る係になったら、細工はやらせてもらえないでやんす」
落ちたらそれで終わり。
二度と登れない仕組みなのだ。
町というものが、少しだけわかった気がする。
天上人の考えも朧気に掴めてきた。
利益になる奴は大事にする。
しかし、大多数の人間は使い捨てにされる。
人間が絶滅するとは思わないのだろうか?
その疑問はカルが答えてくれた。
「天上人は寿命が長いからね」
種族にもよるが二百年から三百年が普通らしい。
人間が長くて五十年とすると、五倍以上だ。
子供の数も少なく、一家に四人子供がいたら多いらしい。
八人兄弟も珍しくない人間とは雲泥の差だ。
必然的に天上人自体の数が少ない。
カルの経験上、一般的な町で数百人。
小さくなると数十人しかいないそうだ。
人間が百人に対して天上人が数人。
数の差はそれくらいあるらしい。
しかも、子供の数を考えれば、天上人一人あたりの人間は時間と共に増えていく。
だから、扱いが粗雑になるのだ。
とは言え、はいそうですか、とは思えない。
たくさんいるから殺されても仕方がない、と思う動物はいない。
……いや。
虫は殺されることを織り込み済みでたくさん卵を生むと聞いたことがある。
人間もそうなのか。
殺されるからたくさん生むのか。
頭を振って、考えを払う。
殺されていいと思う奴などいない。
天上人は絶対、間違っている。
「ジンがそう思ってくれると、僕も嬉しいな」
カルに話すと、そんな返事が来た。
「なんで?」と聞き返すと、まだ秘密、と言われた。
……そう言えば、カルは以前に話があると言っていた。
首飾りに何かがあるとか。
あれは一体、なんだったのか。
†
翌日。
小隊長に作戦の話をした。
小隊長は二十代の男だ。
逞しい体で髭が濃い。
髭の話をすると、収容所では髭が長い奴ほど偉いとされた。
咎人に髭を剃る習慣はなく、自然と伸びる。
髭の長い奴ほど長く生きていて、つまり、強い奴という理屈だ。
その点、ジンは髭が少ない。
カルに至ってはツルツルだ。
頑張っても偉くなれないと聞いて、カルは苦笑いしていた。
「炎を使った作戦か。それは俺も考えていたところだ」
小隊長も炎を使うことに乗り気だった。
正体不明の炎に忌避感はないらしい。
生きるか死ぬかの状態で選り好みはできないためだ。
作戦はすぐにまとまった。
盾役、前衛、後衛の布陣はそのままに、攻撃の要をジンの炎にする。
つまり、三段構成の囮というわけだ。
炎の長所は攻撃力だ。
生き物は大抵、火に弱い。
穢魔もそれは例外ではない。
どんな奴でも一撃浴びせれば十分だ。
即死でなくとも燃えてしまった以上、死を待つだけだ。
だから、小隊としては、炎を浴びせやすい状況を作ることに注力する。
注意すべき点は人間が炎を避けること。
炎の射線上に入らないようにすること。
画期的なのはどんな穢魔に対しても、同じ作戦が使える点だ。
一度、布陣が完成すれば、応用も利く。
細かな点は実戦で修正していけばいい。
そんな感じで作戦はまとまった。
その日から、炎が実戦で使われた。
効果は当初の期待以上に上がっていた。
やはり戦う相手を選ばないで済むのがいい。
群を成すムカデでも炎なら一撃だ。
こいつらは知能が低いので攻撃を避けたり、逃げたりすることもない。
突っ込んできたところに炎を投げつけるだけで倒せた。
囮役すらいらないので手軽な相手だ。
今までの苦労はなんだったのか、と皆が呆れた。
一日、三体の義務も簡単だ。
大抵の日は最初に見つけた一群で終わる。
数日もすると、穢魔が逃げることに苛立つ者も出始めた。
討伐は死闘ではなくなった証拠だ。
ほとんど狩りに近い感覚になる。
時間が余るようになったので、小隊で薪を集めたり、食糧を探したりした。
冬が近いので、焚き火の薪が必要だ。
食糧もできたら確保したい。
だが、穢魔がうろつく森だけあって、普通の動物はいない。
冬も近いので木の実もない。
皆で頭を捻る。
そんなとき、ジンはふとひらめいた。
「こいつ、食えるんじゃねぇか?」
倒した大牛に寄りかかりながら言う。
穢魔にも肉がある。
肉は焼いたら食えるものだ。
「え――――!? これは穢魔でやんすよ!? 食べるなんておかしいでやんす!」
「でも、俺は腹が減った!」
「小隊長――――!! ジンがおかしなことを言ってるでやんす――――!」
騒ぎを聞きつけ小隊長がやって来る。
食べたいと話すと、やはり嫌な顔をした。
「穢魔は名の通り穢れた存在だ。口にするなど……」
「じゃあ、いい。俺だけで食う」
「よせ! ジンは大切な役目を持つんだ。腹を壊したらどうする?」
「そうでやんす!」
「なので、アガ。お前が代わりに食え」
「ひぇぇでやんす!」
こうしてアガが食べることになった。
大牛の分厚い皮を炎で炭化させてから切り裂く。
中から程よく蒸された肉が出てくる。
なるべくうまそうな腹の肉を切り取った。
アガは泣きそうな顔だったが、匂いを嗅ぐとよだれを垂らし始めた。
一思いにかぶりつく。
「どうだ? 毒か?」
小隊長が聞くと、アガは変な顔をした。
「うぅうぅうう!」
「ダメだ。毒だったらしい。すまんな」
「うまいでやんす!」
「なに、本当か?」
「やや獣臭いでやんすが、引き締まった赤身は肉汁がたっぷりでやんす。しかも、分厚い皮でくるんだ状態で焼くことで、蒸し焼きにされたでやんす。結果として、新鮮味を残した赤身でありながら、しっかりと火が通ってるでやんす!」
「おぉ、なんだかわからんがうまそうだな」
「なんだ、食えるのか?」
アガの評価を聞いて他の奴も集まってくる。
短剣で切り分け全員で食った。
ジンも一抱えもある肉塊に食らいつく。
「うめぇ!」
鹿と猪の中間くらいだろうか。
バランガで食べていた肉に近い味だ。
しかも、何がすごいと言えば、大牛の大きさだ。
一頭が家と同じくらい。
その中身の大部分が食えるのだ。
二十人の小隊でも一冬は食いつなげる。
「隠し場所を作れば冬の間も飯に困らないでやんす! 大手柄でやんす! クムもそう思うでやんすな?」
「……う、うん」
「どうしたでやんす?」
「なんでもない」
クムは黙り込む。
腹でも痛いのかなと思っていると小隊長に肩を叩かれた。
「ジンよ、小隊長として感謝する」
「あぁ、俺たちも感謝だ!」
「感謝で肉が食えるならいくらでも感謝するぞ!」
皆に褒められる。
小隊の結束もかなり強くなってきたようだ。
食事事情が改善され、小隊の空気も明るくなった。
飯を食わねば人間は余裕を持てない。
余裕がなければ、他人を気遣ったり、深く考えたりができない。
逆に、余裕があれば、次々と新しい考えが生まれる。
看守に内緒で保存食を隠せる場所。
炎を使った新しい作戦。
倒れる者が減ったことで練習や連携もできるようになった。
ジンの小隊だけ突出して死亡率が減った。
しかも、好成績を収めている。
他の小隊からも問い合わせがあったので、ジンは穢魔の食べ方を伝授した。
間もなく収容所全体で食糧事情が改善された。
看守もさすがに何かがあると察したようだが、今のところ炎には気づかれていない。
最初は生きられるか不安だった収容所だが、そんな調子で少しずつ余裕が持てるようになっていった。