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38 捜査2



 夜が更ける。

 領主に町の見回りをしようと言われた。


 犯人は町の近くに潜伏している。

 次に何か起こるかは不明だが、起こるとすれば町だろう。

 だから、防ぐためにも怪しい場所を見て回りたいとのことだ。


 狙いが領主だったら、格好の的になる。

 ハービーがいたら死ぬ気で止めたに違いない。

 が、いないのでジンが同行した。

 領主を一人で歩かせるのは、あまりに危険だ。


「……危ないと言っても、呪いも治りかけなんだがな」

「そういうときが一番危ないんだよ」


 今ではハービーの治療なしでも外を歩ける。

 しかし、満足な戦闘は無理だろう。

 敵がシヌガーリン級の天上人だった場合、領主一人では勝てない。


 それにジンも屋敷から離れたかった。

 そこにいると嫌でも三人と一緒に過ごさねばならないからだ。


「今日は捜査に出なかったそうだな」

「まぁ、いろいろとな」


 領主にそれとなく聞かれた。

 三人のことは伏せておく。


「今回の件、俺なりに考えてみたんだがな」

「何かわかったか?」

「やはり俺への恨みではないように思うのだ」


 領主は領内の勢力について話した。

 ベルリカ領には多くの上流貴族がいる。

 それらは大きく四つの派閥に別れていた。


 一つ、領主派。

 領主の忠臣によって構成され、政治の中枢を握る。

 ベルリカ領の最大勢力だ。


 二つ、イーナ派。

 領主の母イーナを中心とした女の派閥だ。

 イーナは領主にも諫言できる立場だけに、それなりの権力を持つ。

 しかし、イーナは政治に興味がなく、もっぱら諸侯の奥方を集めてのお茶会や劇の鑑賞会が日課だ。


 三つ、分家派。

 ベルリカ分家は三つの家からなる。

 それぞれに姉ナバーバ、妹シース、弟カパティードが嫁婿として入っている。

 これら三名は分家の動向を見張ると共に、分家を本家に有利なよう動かすための要員だ。

 今も兄弟は密に連携を取っており、分家との関係は良好だ。


 四つ、シヌガーリン派。

 主に領主に不満を持つ集まりだ。

 名門シヌガーリンの庇護下に入れば、反領主という立場が領内でも許された。

 領主にとって頭の痛い存在だったが、シヌガーリン当主の死刑により、派閥は解散した。


 本家主導で残党の処断を進めている。

 多くは閑職へ飛ばしたり、土地を召し上げたり、と散々な様子だ。


 以上四つがベルリカ領の勢力図だ。

 潜在的に敵となるのは当然、シヌガーリン派。

 しかし、権力者が消えたことで派閥は虫の息だ。


 領主に恨みこそあるだろうが、直接挑む度胸はない。

 ないからこそ、シヌガーリンの下に入った連中ばかりだからだ。

 本家が動向を見ているため、怪しい動きがあれば連絡はある。

 報せがないことは何もないということだ。


「お前じゃなくて、俺に恨みがある奴もいるだろ」

「人間王か……。それこそ、シヌガーリンが筆頭だな」


 本家筋は領主を頂点に置く一派で忠誠心の高い者だけで構成される。

 逆臣の存在はまずあり得ない。


 分家はやや距離が遠くなるも血族が一定の権力を握っている。

 その血族は、領主の人間共生構想に賛同を示している。

 領主一族の結束は固く、それがある限り、その臣下が領主に仇なす利はないと言っていい。


「それでも歯向かってくるのなら、それは私怨だろう」


 組織的な行動ではなくなるが、……となると、なぜこの時期なのかという疑問が生じる。

 シヌガーリンが用意していた伏兵か。

 あるいは、領主が手負いと知って発起したか。


「とまぁ、そんな感じでな。いないのだな。領内に怪しい奴は。ひょっとしたら上流でなくて、中流以下の奴がやったのかもしれん。目的はわからんが」


 目的と言えば、昼にエリカが話をしていた。

 検地役人を殺害したのは、土地を調べられたくなかったからだったか。

 領主に話すと、興味を示した。


「ほぅ、面白い発想だな……。しかし、土地に誰が何を隠すんだ?」

「そんなの知らん。お前の方が知ってるだろ」

「そうだが、基本的に直轄地にいる天上人は屋敷にいる者で全員だからな」


 警兵長のように買収された者なら可能性はある。

 しかし、シヌガーリンの一見で内侍長以下全員の身辺整理が行われた。

 敵勢力が今も潜伏しているとは考えにくい。


 外から来た天上人が直轄地の田畑に宝を埋める……、というのも説得力に欠ける。

 なぜわざわざ領主の土地に、というハービーの問いに答えられない。

 結局、この発想も行き詰まりが見えていた。


 仕方なく警備に意識を戻す。


「町のどこを見て回るんだ?」

「隠れやすそうな場所だな。空き家、空き地、蔵だ」


 犯人が見つかっていない以上、隠れているはずだ。

 あるいは直轄地を出るか。


 後者は検問が敷かれたため、難しくなっている。

 もっとも、犯人が道沿いに逃げればの話だ。

 広大な直轄地だけに検問を避けるのは容易だ。

 十分な装備と食料を必要とするが、天上人ならできなくもない。


「ついでに町の外縁も見よう。最近、穢魔の目撃情報が増えているのだ。関係があるかもしれん」

「穢魔ぁ? それ、関係あるか?」


 強引すぎると思うが、


「……いや、待てよ。そう言えば、左手が痛くなったな」


 遺体を見つけたとき、二度とも紋章が疼いた。

 今までも似たようなことはあったが、大抵は命の危険が迫ったときだ。

 そして、ニゲロとか、タタカエとか声も聞こえる。

 今回はそれがないものの、痛みという点は共通していた。


「ふぅむ、精霊が継承を鳴らすか……。霊術の痕跡をしっかりと見ておくべきだったな」

「その痕跡を見るってのはどうやるんだ?」


 前々から気になっていた。

 領主の呪いも、その技で診断されたという。

 特別な霊術だと思っていたが、今の話し方だと領主にもできるように聞こえた。


「やってみるか? マラマンの草を煎じた汁を鼻に垂らすだけだ」


 マラマンは精霊界にあったと言われる草らしい。

 地上界の植物とは根底から異なる。

 どう異なるかと言うと、走るから収穫が大変とのこと。


 足もないのに草が走る……。

 実物を見たくはある。


「使いたいのなら俺のを貸そう」


 領主が懐から竹筒を出す。

 中身は緑色の汁だった。

 手のひらに垂らし、鼻に流し込む。

 臭い。


「……これでどうなるんだ?」

「俺を見てみろ。霊術が臭うだろう」


 領主を見る。

 ……何も起こらない。


「うん? おかしいな」


 人間には使えないのだろうか。

 量を増やしたり、息を止めたり、いろいろ試す。


「見るんだから鼻じゃないだろ。目に入れないと」


 そう思って目に入れる。

 死ぬほど染みる。

 我慢して目を開けると……。


「うわ、何だこれ。もやもやが見える」

「おぉ、それだ。それが霊術だ」


 領主を見る。

 体中から青い靄が立ち上っている。

 ……これが霊術。


「霊術ないし精霊の力だ。精霊の加護を受けたものも同じ靄が見える」


 精霊から直接紋章をもらったジンも領主と同じ靄が出る。

 シヌガーリンが操った死体もそうだ。

 霊術の対象となったものも靄がかかる。


 上流天上人になれば、歩いたあとにも靄が残る。

 後ろを振り返れば歩いてきた通りに軌跡があった。

 これを使えば追跡も思うままだ。


「こんな便利なものがあるなら早く出せよ」

「言ったろう。数が少なく高価なのだ。しかし、面白い発見だな。人間は目なのだな。俺は鼻で見るから、人間もそっちだと思っていた」

「あぁ、だから鼻って言ったのか」


 犬や猫が鼻が利く。

 目ではなく鼻で多くのものを見るという。

 天上人も同じらしい。

 確かに面白い違いだ。


「ただな、言っておくが、それは万能ではないぞ。雑音というか、関係ないものまで見えるのだ」


 高所から町を見下ろせばわかる。

 ぽつぽつと靄がかかった場所がある。

 特にひどいのは商店街。

 全体的に靄がかかる。


 一番濃いのは、領主とシヌガーリンが戦った辺りだ。

 霊術の規模が大きい場合は、かなり前のものでも残るらしい。

 濃さしか見えないため、ずっと前に使われた大規模な霊術と、最近使われた小規模な霊術の区別がつかない。

 他にも霊泉で清められたお守り、各家庭のかまどに作られた御紋。

 様々なものに力が宿る。


 色は青が多いが、時折、黄色だったり緑も混じる。

 軌跡を描いて移動するものもある。

 ……どれが怪しいか?

 聞いても領主は首を傾げる。


 結局、人が隠れそうな場所を巡るしかない。

 町外れの倉庫だとか、空き家だとか。

 ひとしきり見て回った。


 最後に商店街だ。

 ここも特に異常はない。

 不自然な霊的な力もなかった。


 見るべきところは見終わった。

 平和だったと喜ぶべきか。


「待て。……声がする」


 領主が小声で言った。

 耳を澄ませる。

 ジンには聞こえない。


「あの曲がり角だ」


 領主は音もなく近づいていく。

 ジンはその半分の速さでついていく。


「……こんなところにいたらダメですよ。早く隠れてください」


 女だ。

 もう一人誰かがいる。


 領主と二人でそっと覗き込む。

 裏路地は暗くてほとんど見えない。


 だが、その着物の柄は見覚えがあった。


 ヒヌカだった。

 ……なぜこんなところに?


「……行くぞ、人間王」


 領主が裏路地に踏み込んでいく。


「ヒヌカよ。ここで何をしている?」


 領主が声を掛けると、ヒヌカは飛び上がって驚いた。


「りょ、領主様!? それにジンも。どうして……!?」


 ヒヌカの背後を見やる。

 誰もいない。

 人のいない路地がずうっと続くだけだ。


 が。

 マラマンの目薬をさしたジンには見えた。


 裏路地に残った、霊術の軌跡が。

 始点はヒヌカのいた場所。

 全く同じ場所に天上人がいたのだ……。

 そして、そいつは路地を走り、屋根の上へと消えていた……。


 ヒヌカは天上人と一緒にいた。

 それも軌跡が残る上流天上人だ。


 状況が飲み込めない。

 なぜヒヌカが天上人と会っていたのか。

 しかも、上流。

 一般的な上流天上人は人間を穢と考えて近づきもしないのに。


 嘘だろ……。

 何かの間違いなんだよな……。


 そう思う。

 いや、願うと言った方がいい。

 だが、目の前の現実は変わらない。


「俺たちは見回りをしていてな。ここは危ない。一緒に戻ろう」

「……はい、ご心配をおかけしました」


 領主がヒヌカを連れて、路地を出ようとする。

 ジンは動けない。

 軌跡から目が離せない。


「ヒヌカ」

「なに、ジン?」

「ここに誰かいたか?」

「…………。ううん、誰もいなかったよ。どうして?」


 ヒヌカは滑らかに嘘をついた。

 間違いなくこの路地には誰かがいた。

 天上人の、上流の誰かが。


 直轄地に今、領主以外の上流天上人は存在しない。

 存在するという話も聞いていない。


 なら、それは……、存在してはならない誰かだ。

 それも強大な権力と霊術を持つ誰か。

 当然、高貴なる血筋を持ち、格式高い家に生まれた誰か。


 だが、それは些細なことだ。

 九人もの検地役人を殺傷したのだ。

 それくらいの能力はあるだろう。


 問題は、なぜ、そいつとヒヌカがこの場で会っていたのか、だ。

 ヒヌカは何かを隠している。


 だが、その何かがわからない。

 ヒヌカは何も言わない。


 聞くべきだ。

 頭ではわかっているが、ジンは結局、何も言えなかった。


 ヒヌカが。

 ヒヌカが嘘をついている。


 その事実があまりに重すぎた。


    †ナグババ†


 人間王の様子が変だった。

 見回りの間、ずっと考え事に耽っていた。

 悩みか不安があるのだろう。

 話して欲しくはあったが、深入りはしなかった。

 人間国の問題かもしれないからだ。


 見回りを終え、自室に戻る。

 明かりがつけっぱなしだったが、いつものことだ。

 ハービーがいないので怒られはしない。


 その代わり相談する相手もいなかった。

 新たに来た警兵に調査を命じるも、未だ手がかりは掴めていない。

 検知役人を殺した方法も、動機も謎だ。


 ふと、スグリに相談しようか、とナグババは思う。

 彼女ならば現状に対して、有効な一手を示してくれるかもしれない。

 加えて、スグリは占いの力がある。

 未来を見ることによって犯人を特定することも、ひょっとしたら可能だ。


 しかし、この手の話にスグリを巻き込みたくないという思いもあった。

 彼女は天上人ではない。

 根本的にひ弱だし、変に巻き込んで犯人に睨まれたら一大事だ。

 できるなら事件と縁を持たせることなく、そっとしておきたい。


 これならばハービーをガレンに派遣すべきではなかったかもしれない。

 どうせ領内に容疑者はいない。

 犯人は何か特別な目的を持った者なのだ。


 狙いは政治ではない。

 とすれば、愉快犯。

 快楽的に殺しをする者がいないでもない。

 そうした連中は時として常識が通じないものだ。


 さておき。

 問題は人間王だ。


 あのとき、ナグババもマラマンの草を使っていた。

 だから、人間王が見たものと同じものを見ていた。


 人間王の幼馴染。

 ヒヌカといったか。

 あの娘は明らかに天上人をかばっていた。


 位の高い天上人が直轄地に潜伏しているとなれば異常事態だ。


 政治犯ではないと思っていたが、こうなると話が違う。

 上流天上人は何某かの要職につくものだ。

 血筋、家柄。

 そういった束縛が必ずある。


 一人であんなところにいるはずがなかった。

 その天上人が、なぜ人間のヒヌカと話をしていたのか?

 何の話をしていたのか。


 人間王も驚いた顔だった。

 ヒヌカに、誰かいたのか、と聞いていた。

 彼もこの事実を初めて知ったのだろう。


 思っていた以上に事態は複雑だ。

 人間王にとっても想定外の出来事だったのなら、一度話をしてみるべきか。

 ……おそらく、それが善後策だろう。


 今、直轄地にはあまりに謎が多すぎる。

 となると。

 やはりスグリにも相談するべきか。

 しないと決めた直後に意志を変えるのは気が引ける。

 しかし、彼女の頭脳は欲しいところだ……。


 全貌は伝えず、知恵だけを借りればよい。

 そうだ。

 そうしよう。


 ナグババはスグリのいる祈殿へ向かった。

 スグリは朝早くから霊泉に向かって祈祷を行う。

 眠っているかと思ったが、祈殿にはまだ明かりがともっていた。


「スグリ、起きているか?」

「起きていましてよ」


 巫女の寝室を訪ねると、返事があった。

 間もなく巫女姿のスグリが出てきた。

 なぜか上目遣いで睨んでくる。


「領主様、随分と長い間お話になっていたんですのね?」

「……話?」

「とぼけないでくださいまし。エリカさんが領主様と二人だけで話すことがあるとおっしゃって、部屋に入っていきましたわよ」

「…………。いや、……待て。それは何の話だ?」


 エリカが二人だけで話すことがあると言った。

 部屋に入った。

 そんなわけがない。

 部屋には自分一人だった。


「スグリ……、エリカはいつ俺の部屋に?」

「さぁ、……かなり前のことだったと思いますわ。だから、随分長く話しているなと」


 踵を返した。

 執務室の戸を開ける。

 明かりはつけっぱなし。


 がらんとした部屋だ。

 誰かがいる気配はない。


 もし……。

 もしスグリが言っていることが事実なら。

 ナグババが執務室に入った時点で、エリカはすでにこの部屋にいたことになる。


 なぜ勝手に部屋に入ったのか。

 そして、なぜナグババが戻ってきても顔を出さなかったのか。

 エリカという人間が急に得体の知れない何かになったような錯覚を受ける。

 馬鹿な。

 彼女は人間だ。


 気を取り直して、執務室を調べる。

 部屋は間仕切りで二つにわけられていた。

 片方は応接間として長机と座椅子を置いている。


 先ほどナグババがいたのも応接間だ。

 そこには人間が隠れられるようなものはない。

 ……隠れられそうなのは、執務机と衣装棚だ。


 机の下を見る。

 誰もいない。


 衣装棚を開ける。

 誰もいない。


 部屋の中央に立って臭いに集中する。

 わずかではあるが、そこにはエリカの残り香があった。

 最も臭いが強いのは執務机がある方だ。


 もう一度机の下に入り、畳に手を触れてみた。

 ……ほんのりとした熱を感じた。

 何かがここにいたのだ。

 何かではない。

 エリカだ。


 人間王の側近。

 ハービー以上に頭の切れる娘。

 彼女は一体、ここで何をしていたのか。


 ヒヌカ。そして、エリカ。

 ……人間王の周囲にいる連中は、一体…………。


 ナグババは呆然とするしかなかった。


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