33 不穏2
†スグリ†
アピョー畑の見学に行った数日後。
スグリは難しい占いに挑戦していた。
直轄地の今後はどうなるか?
曖昧な占いだが、今後、最も重要になる土地だ。
悪い未来があるなら条件を明らかにしたい。
占いは時間が先になるほど、また、対象が大きいほど曖昧な結果を出す。
最初の結果は案の定、ぼんやりしていた。
そこから条件を変え、視点を絞り、占いを重ねていく。
最終的にはかなり狭い範囲になった。
領主や兄の今後といった、個人の話だ。
それも半年先は見えない。
一ヶ月先も苦しいくらいだ。
それを丹念に繰り返し、何が原因でこの未来になるのかを明かそうとする。
さて、ここで一つの疑問が生じる。
なぜ何度も占いを繰り返すのか。
よい未来なら繰り返す必要はない。
つまり、思わしくない結果が出ているからだった。
スグリはそのことで数日も悩んでいた。
見えている未来が現状と地続きになっているとは思えない。
何の条件でこんな結果になるのか。
絶対変だ。
何かがおかしい。
考え事をしながら祈殿を出る。
「やぁ、スグリさん。今からどこに行くの?」
祈殿の前にはカルがいた。
まるで待っていたかのように柱に背を預けていた。
「あら、カルさん。わたくしに御用ですの?」
「ううん、そうじゃないけど。なんとなくね」
「?? 用事もないのに、こんなところで立っていたんですの……?」
「あはは、実はジンからスグリちゃんを見てるように言われてね」
「兄さまから?」
「うん。シヌガーリンの残党がいたら危ないからって」
これは嘘だ。
スグリは一瞬で見抜いた。。
まず、シヌガーリンの残党などは存在しない。
領主から確認した話なので間違いない。
そして、兄は危ないからという理由で自分に護衛をつけたりしない。
……何か隠しているのだろうか。
「それでどこに行くの?」
「中庭を歩こうかと。考え事をするのに、よく使うんですの」
「そうなんだ。僕も行っていい?」
「もちろんですわ」
カルは宣言通りスグリについてきた。
そして、話しかけるでもなく、スグリの隣にいるだけだった。
何のつもりかは知らないが、目的は察した。
監視だ。
カルは自分の動向を気にかけている。
その日は結局、祈殿に戻るまでずっと一緒だった。
以来、数日、屋敷にいるあらゆる人物の態度が変わった。
天上人、人間を問わず、妙によそよそしいのだ。
話しかければ受け答えはするが、話を早々に片付けようとする。
そして、別れ際には必ず聞かれる。
――今からどこへ行くの?
そんなに行き先が気になるのか。
巫女の行く場所など祈殿の周りしかないというのに。
あるいは人間のスグリの所在地を知りたいのか。
確かにスグリは祈りに飽きたら人間に戻って外出する。
スグリが巫女であることは、意外にバレない。
さすがに屋敷の者にはバレるが、町の人間は巫女など見たこともない。
気分転換の散歩は結構、気に入っていた。
なぜかそれも禁じられた。
領主にだ。
この人も兄と同じくらい嘘が下手だ。
なぜ外に出てはいけないのか問い詰めると、ダメだからダメ、と議論を避けた。
怪しい。
あまりにも怪しい。
しかも、意味不明なことを聞かれた。
「俺のこと、好き?」
「ばばばばばば、馬鹿なんですの? いきなりなんてこと聞くんですの?」
脈絡のない質問も謎だが、屋敷の人間の行動も謎だ。
領主もハービーも兄も、何かを隠している。
が、こうも結託されると糸口も見えない。
ボロを出しやすい兄と領主の側には、それぞれエリカとハービーが控えている。
四六時中だ。
兄などはヒヌカが常に付き添っている。
会おうとすると、ヒヌカが取り次ぎとして出てくるのだ。
急に王らしくなった。
絶対変だ。
何かがおかしい。
†
思った通り、スグリは悶々としていた。
エリカの言う通りだ。
あれは会わない方がいい。
スグリをエリカに任せ、ジンは戦軍を出迎えに行った。
町の入口で待機。
ほどなく数十名の大軍がやって来た。
率いるのは戦将サグ。
血の気の多い重役だ。
会うのは久しぶりだ。
遠いところ来てくれたわけだし、声をかけようとすると、
「あんたのこと見損なったぜ」
いきなりそう言われた。
「俺が何かしたか?」
「俺はな、戦いを望んでた。こいつら全員もだ。ところがどうした? 俺は何のために呼ばれた?」
「……穢魔と戦うだろうが」
「そうじゃねぇんだよ!」
「戦将。相手は王ですよ。誰かが諌めなければ気づきませんか?」
カルが冷えた声で言う。
「ちっ」
血の気は多いが分別はある。
戦将は形勢不利と判断すると、さっさと退散した。
戦軍もものも言わずにそれに従う。
「呼ばれたのがよほど不満みたいだね」
「だな。でも、あいつらの力が必要なのは本当だ」
町の周辺に穢魔が出没するという報告があった。
昨今の異常現象の延長だろう。
直轄地にもついに余波が来たのだ。
普通の町と違い、ここは人間しかいない。
穢魔と戦える者はゼロだ。
少しでも助けになればと思った。
それに、戦軍がいなくても国は領主の軍勢が守っているので安泰だ。
「あ。それが誇りを傷つけたのか。守りの要は自分たちって自負があったわけだし」
「……うーん、僕はもう一つの方だと思うな」
「そっちはまぁ、やってもらうしかないだろ」
もう一つの方。
戦軍を呼んだ理由は確かに穢魔だ。
が、追加で一つお願いをしておいた。
そちらが気に入らなかった可能性はある。
しかし、戦軍は必要な戦力だ。
ちゃんと練習していてくれればいいんだが。
†スグリ†
十五日が経った。
ついにその日が来た。
「おはようスグリ! 今日もいい天気ダネ!」
朝から兄が変だった。
気味の悪い笑みを浮かべていた。
悪いものでも食ったか、頭を強く打ち付けたのか。
それとも霊術で操られている?
いいや、違う。
「偽物なんですのね?」
「そんなわけないヨ。俺はジンだヨ。スグリの兄だヨ」
「……気色悪いですわ」
本音を漏らすと兄は悲しそうな顔をした。
どうやら本物らしい。
が、気味の悪い態度に説明はつかない。
「スグリ、今日は昼頃についてきて欲しいところがあるんだヨ」
「なんですの、いきなり……?」
……怪しい。
連れ出して何をする気か……。
「どこへ行くかはお楽しみだヨ」
「……」
「た、楽しいヨ? 来ようヨ?」
ちょっと焦った。
来て欲しそうな顔だ。
「まぁいいですわ。何やら企んでいるようでございますけれど、わたくし、並大抵のことでは動じませんから! 覚悟しておいてくださいまし!」
「お、驚かすつもりなんてないんだヨ」
驚かすつもりらしい。
なんてわかりやすい兄なんだ。
そうして、午前が終わる。
昼がやって来た。
兄はスグリを馬車に乗せ、屋敷の外に出た。
いつも使う迎賓用ではない。
幌を被せただけの貨物用だ。
一応、掃除はしてあるらしい。
荷台は座るための布も引いてあった。
がらんとした荷台で兄と二人。
ガタガタと揺られる。
遠出かと思ったが、馬車はすぐに止まった。
「もうついたんですの?」
「そうだ。ここが到着だ」
兄の声が変わった。
「一体、何なんですの?」
質問するのと幌が上がるのが同時だった。
急に光が差し込み、思わず目を覆う。
兄が荷台を降りる。
そこは商店街の出入り口。
常に人が賑わう場所。
そのはずだが、今は人がいない。
がらんとした幅二十トルメの道路が広がる。
往来どころか暖簾を出している店すらなかった。
まるで町の人間が全員引っ越してしまったかのような空虚さに満ちる。
「人がいませんわ。……驚きませんけれど」
「そこは驚くところじゃねぇよ。おーい、始めていいぞー」
兄が誰かに呼びかけた。
始める……。何をだ?
そのとき、どこからともなく弦楽の音が聞こえてきた。
それと同時に馬車がゆっくりと動き始める。
人が歩くのと同じくらいの速さだ。
商店街の入口から始まり、徐々に見える範囲が広がってくる。
ある時点で視界の右側に大きな弦楽器を抱えた女性が見えた。
躍動的な音楽を奏でるのはヒヌカだった。
ヒヌカはスグリと一緒に母から音楽を習っていた。
弦楽器を弾けるのは知っていたので、驚きはしない。
しかし、何のためにここで音楽を演奏するのか。
そこが全く見えてこない。
「兄さま、どういうつもりなんですの?」
「本当はあとの約束だけど、今言うぞ。おめでとう」
「はぁ?」
馬車は進む。
やがて馬車の左側からも音楽が聞こえてきた。
通りの左右に並ぶ町人の姿が見えてくる。
片方に二十人ずつが整列し、それぞれの手に楽器を持っている。
その多くは手に抱えて弾く形のものだ。
彼らは演奏しながら、馬車の動きに合わせてゆっくりと歩き出す。
音楽を聞きながら商店街を旅行する……。
自分でもうまい解釈だとは思わないが、それ以外に状況を説明できる言葉がない。
困惑しながらも音楽を聞く。
すると、今度は馬車の陰から人が飛び出してきた。
カルだった。
長い振り袖のついた踊り子の衣装を身に着けている。
顔を薄布で隠し、大胆に肩を見せている。
着物と帯は群青色で派手さはないが、左右の手に握られた短剣に赤い尾がついており、結果的に映える色合いになっている。
そうして、何をするのかと見ていると、カルは短剣を巧みに操り、見事な舞を披露した。
馬車の荷台で四角く切り取られた視界。
その両端から飛び出してくる音楽隊や踊り子。
まるで部隊を眺めているような感覚になる。
「さぁ、次は我らが里の勇姿をご覧あれ」
カルの合図で通りの左右から男衆が湧き出してくる。
皆が群青色の着物に身を包み、短槍を携えていた。
人間の限界に迫る機敏な動きは町人のものではない。
先日、零の隠里から派遣されたという戦軍に違いない。
彼らの舞は力強い。
短槍を用いた舞は、ややもすれば怪我をしそうなほどに荒々しい。
下手な小悪人などは舞に混ざるだけで退治されそうだ。
舞の最後には、三人の男が土台となり、その上に二人の男が乗った。
最上段にもう一人が乗って、三段重ねの塔ができる。
通常、これは止まった状態でやるのだろう。
しかし、馬車が動いているため、彼らも動きながら塔を作る。
顔が苦しそうだ。
思わず、応援してしまう。
そんな状態から更に四段目の男が乗り、勢いをつけて宙を舞った。
落下地点は馬車の眼前。
驚いて身を引くと、別の男衆が飛んだ男を受け止める。
命を張った跳躍に拍手を送る。
起き上がった男がスグリの前にやってくる。
その手には純白の花束が。
懐かしい花。
シグラスの花だ。
曲が転調する。
存在感を放っていた男衆が左右に割れる。
通りの真ん中を歩いてくるのはエリカだ。
普段とは違い紅の振り袖を身に付けていた。
髪を結い上げ化粧をしたためか一流の芸者のように見える。
カルや戦軍のように小道具こそないが、エリカの舞は手足の動きだけで十分だった。
目を奪われるようなしなやかさだ。
賢いけれど運動は苦手だと思っていただけに、これはさすがに驚いた。
力いっぱいの拍手を送る。
と、そこで唐突に冷静な自分が戻ってくる。
そもそもなぜ彼らは踊っているのだろうか。
核心はそこにあるはずだが、考えが至らない。
音楽や踊りの様子を見ても、楽しませるためには違いない。
だったらいいか、とスグリは思う。
目一杯楽しんでやろう、と。
エリカのあとには、もう一人の舞手が登場する。
黒い着物に身を包むのは兄だった。
エリカに比べれば猛烈に下手くそだが、それでも踊りになっている。
兄とエリカが並んで踊る。
ゆっくりと動く馬車に合わせながら。
そこに、ハービーが加わる。
今度こそスグリは驚いた。
人間だけの話ならわかる。
何らかの目的でスグリを喜ばせようとしているだけだからだ。
だが、そこに天上人が加わることはあり得ない。
巫女の身分を持つとは言え、中身は人間。
人間のために天上人が駆り出されるなど、起こり得ない。
なのに、ハービーがいる。
そして、……踊っている…………!
仕事を卒なくこなす側近だけに踊りもうまい。
エリカといい勝負になっている。
男衆が左右に散る。
背後には内侍と警兵と町人がいた。
もはや何十人という規模だ。
その全員がヒヌカの音楽に合わせ、一緒くたになって踊っている。
総勢百人を超える壮大な演舞。
商店街の横幅を目いっぱいに使っても、まだ足りない。
最前列に立つ人たちが定期的に入れ替わる。
町人たちが続々と出てくる。
息切れした内侍長もいる。
こんな演舞は見たことがない。
壮大でありながら、皆、楽しげだ。
誰もが笑っている。
やがて曲が終盤に差し掛かる。
それと同時に町人たちが馬車との距離を取っていく。
ジン、エリカ、カル、ハービーの四人が残り、その四人も左右にはける。
ぽっかりと空いた場所には、今まで一度も姿を現していない男がいた。
礼装に身を包んでいた。
右手にはシグラスの花束を。
左手には馬鹿でかい切り株を抱えていた。
領主ナグババだった。
そこまできて、ようやく意図を悟った。
これは、この一大演舞は……。
この祭りのような騒ぎは……。
すべて、このときのためのものだったのか。
音楽が終わる。
ほとんど同時に踊りが止まる。
あれほど賑やかしかった通りが、唐突な静けさに包まれる。
領主がゆっくりとスグリに近づいてくる。
抱えていた切り株を馬車の荷台に乗せる。
そして、スグリにしか聞こえない小声で言った。
「スグリ、結婚してくれ」
……まさかこんな日が来るなんて。
夢にも思っていなかった。
今日は誕生日だっただろうか、とか、記念日だろうか、とか。
そういう方向で考えていた。
「……ほ、本気なんですの?」
領主は肯く。
「で、でも」
「俺は止まらぬぞ」
領主は一歩引いて、今度は全員に聞こえるように言った。
「精霊の巫女よ、どうかベルリカ領主ナグババの伴侶として生涯を共にしてくれないだろうか?」
領主は自身の花束を切り株に乗せた。
切り株の誓いを知らぬわけではないだろう。
スグリの故郷のことを調べ、その誓いが絶対のものと知ってなおシグラスを乗せるのだ。
本気だ。
この人は本気で結婚する気だ。
「答えをいただけないだろうか?」
重ねて問われる。
問うまでもないのに、と思う。
妻でも何でも、一言命じればいいだけだ。
そうしたら、スグリは何にでもなる。
その覚悟を持っていた。
だからこそ、意思を問うてくれたことが嬉しい。
思いを汲んでくれたことが嬉しい。
「……はい、謹んでお受けいたします」
花束を切り株に乗せる。
切り株の誓いはここに成った。
晴れた婚約したことになる。
「「「「おめでと――――――――っ!!!」」」」
派手な音楽が、音楽というより楽器をかき鳴らすだけの音が、通りに響く。
カルやヒヌカが飛びついてくる。
頬ずりをされて苦しい。
エリカも兄もやって来る。
男衆が昼間から花火を打ち始める。
バンバンと景気の音が鳴り響く。
「迷惑でなかったか……?」
領主が今更のように聞く。
「……そ、そんなこと、あるわけ……!」
涙が止まらない。
……次々と溢れてくる。
「お、おいおい、泣きすぎだ……」
「……だ、だって…………」
泣くだけの理由があったから……。
それはまだ言えないけれど、今はとても幸せだった。
あちこちから囃し立てる口笛が響く。
領主が大きな手で背中をなでてくれる。
†
「やったね、大成功だ!」
「おめでとう、スグリちゃん!」
「あんたも、幸せな妹を持ったわねぇ」
カル、ヒヌカ、エリカに背中を叩かれる。
演舞は成功に終わった。
これらすべては、前々から準備していたものだ。
結婚を申し込むためだけに、百人以上が協力した。
多くは町の人間だが、天上人も混じる。
スグリに見つからないよう、踊りの練習を重ねた。
指導者はカル、エリカ、そして、戦将だ。
途中に入った男衆の踊りは、隠里で祭りの披露される戦軍の演舞だ。
カルの推薦で急遽国から呼び寄せたのだった。
「ちくしょうが、俺はこんなことをしに来たんじゃねぇぞ!」
祝い酒が振る舞われる。
戦将がやけ酒を決めて、ジンに絡んでくる。
「おい、王よ!」
「な、なんだよ」
「おめでてぇなぁ、おい! 結婚だよ! おめでとう!!」
「……あ、ありがとう」
完全に酔っていた。
そのうち周りの奴らも似たような状態になる。
今日ばかりは、エリカもカルもヒヌカも酒を飲む。
「あはは、ジンの筋肉は本当に綺麗だなぁ……。触っていい?」
「こんなところで脱がせようとするんじゃねぇ!」
「……なんて、破廉恥な夫婦なんでございましょう。わたくしたちは、あんなふうになりたくはございませんわね」
「そうだな、スグリ。俺たちは貞淑な夫婦でいような」
騒がしい会話がそこかしこで聞こえる。
酔ったヒヌカが即興で音楽を奏でる。
エリカとカルが、それに合わせて舞い始める。
そんな感じで、演舞はなだれ込むように宴会となったのだった。