32 不穏1
倒れていた三人は、城下町から派遣された役人だった。
直轄地には検地のために訪れていた。
検地は数年に一度、田畑の収量を測るために行う。
開墾して田が増えたり、災害で減ったりした分を更新するためだ。
こうして計測された面積を元に年貢が決まる。
発見したのはカルで、運んだのもカルだった。
領主とジンも同行していたが、カルが一番力があった。
一人を領主が担ぎ、残る二人をカルが運んだ。
ジンも途中まで手伝ったが、天上人の体躯は人間より大きい。
結局、カルに任せてしまった。
ただ、三人は助からなかった。
発見した時点で事切れていたのだ。
服装の乱れから崖から落ちたと見られた。
「この度は協力に感謝する。人間王が天上人の死を悼んでくれたことにも」
「死人に人間も天上人もないだろ」
領主には感謝された。
気持ちを受け取れと無理矢理酒を飲まされたが悪い気はしなかった。
それから数日が経ち、検地役人は領主の屋敷で弔われた。
城下町にいる家族にも連絡はしていた。
しかし、家族の到着を待っていては遺体が傷むと判断されたのだ。
「ところで、人間王、こんなときに言うのもなんだと思うのだが……」
諸々片付いたあと、ジンは領主に呼ばれた。
領主は言いにくそうに切り出す。
何かを言おうとしては言葉を飲み込む。
そんなことを繰り返す。
「なんだ? 言いたいことがあるなら言えよ」
「あぁ。実はだな、その……。以前より考えていたことがあったのだ。それは、時期的に今しかないと思っている。……検地役人が亡くなったのは、非情に悲しい出来事だが、かと言って、今を逃すのはどうかとも思うのだ」
「はぁ」
全く要領を得ない。
「つまり、何の話だ?」
「その、なんだ、俺は、スグリに結婚を申し込もうと思うのだ」
ここで時間が凍りつく。
記憶が飛んだ。
「…………はっ。俺は、一体……」
衝撃のあまり気を失っていた。
これが戦闘だったなら命はなかった。
……だが、状況は戦闘よりも深刻だった。
「重ねて、願いたい。人間王、いや、ジンよ。スグリを俺にくれないだろうか?」
領主が縁側に手をついた。
毛むくじゃらの顔を赤らめて。
恥ずかしそうにもじもじしながら。
返す言葉もない。
固まっていると、領主は悲しげに、
「……ダメか?」
「いや、ダメというか……。そういう問題じゃなくて、お前は天上人だろうが!」
「そうだな」
「スグリは人間だぞ!?」
「そうだな。問題があるか?」
「ありすぎだろ!」
天上人と人間が結婚など聞いたこともない。
それどころかバサ皇国では禁忌とされている。
人間が天上人の子を身籠った場合は速やかに堕胎するべし。
そういう法律まである。
ジンだって本を読んで、その程度は知っている。
領主が知らないわけがない。
だが、領主はこう返した。
「そうか? これも共生の形だと思うが?」
「それは……」
言われたらそんな気もする。
人間と天上人が共に暮らす世界なら、夫婦となる者が現れても不思議はない。
気づいてみれば簡単だが……。
とっさには飲み込めない。
人間と天上人が結ばれるなんて……。
条件反射でそう考えていた。
共生とは常識を変えることかもしれない。
人間から見た天上人。
天上人から見た人間。
その姿を変えることなのだ。
「どうした人間王? 険しい顔をして」
「……いや、人間と天上人が一緒に暮らすってのは難しいなと思っていた」
「俺と同じだな。俺もスグリに教えてもらうまで、わからないことばかりだった。次第にわかるようになればいい」
言われると、そんな気もしてくる。
難しそうに見えても、やったら簡単だった、という部類だ。
「……悪い。話がそれたな。結婚、周りの奴らはなんて言ってる?」
領主自身は前向きでも、周囲の天上人はそうではない。
彼らの常識では人間は穢れであり、結婚の対象ではないのだ。
ひょっとしたらシヌガーリンのような天上人が現れるかもしれない。
「領主一族は以前に話した通り、共生に賛成してくれている。シヌガーリンが潰えた今、大仰に反対する者はいないだろう」
「でも、裏では嫌がる奴も多いだろ」
笑顔で認めておきながら、裏で暗殺者を手配する。
そういう奴がいないとは言い切れない。
「わかっている、故にスグリが人間だとは明かさないようにする」
それなら、問題は大きくならないはずだ。
しかし、領主というのは偉い奴だ。
結婚相手も厳選された良家の淑女が普通だろう。
エリカが言うには、中流以上の天上人は同程度の位階でなければ結婚しないそうだ。
何より家格と血脈が重要だからだ。
出自不明の巫女と領主の結婚は難しい気がする。
「……最悪、第一夫人は諦めてもらうことになるだろう。政治的影響力の少ない第三、第四夫人であれば、巫女が入っても周囲もうるさくは言うまい」
「お、お前、何人も嫁をもらう気なのか!?」
「……?」
思わず声を荒げるが、領主は首を傾げていた。
妻が複数人いるのは当然という顔だ。
「……スグリはなんて言ってんだ?」
「わからぬ。まだ話をしていない。家長から話をするのが筋だろう」
「それもそうか……」
複数人の妻などけしからん、と言ってもいい。
だが、常識の違いを受け入れよう、という話をしたばかりだ。
無闇に否定するのも気が引ける。
考えて、ジンは言った。
「条件がある。なぜ結婚するつもりか説明しろ」
納得できる返答ができるなら言うことはない。
あとは当人の問題だ。
スグリがよいというのなら、結婚すればいい。
だが、万が一、領主の説明に疑問を覚えるなら、この話はなかったことにする。
兄として最後の役目だ。
「愛しているからではダメか?」
「なんでそう思うようになったかを説明しろ」
「そうだなぁ……。出会いの話は聞いているだろう? あのとき、俺は結構、行き詰まっていてな」
人間が幸せに暮らせる世界を作りたい。
領主はかねてより、そんな思いを持っていた。
しかし、形にする方法に案はなかった。
直轄地の運営は軌道に乗ったが、人間だけの生活だ。
何かが足りなかった。
仲間が足りないのかとも思って、家族に声をかけた。
領主には姉と妹と弟がいる。
それぞれ領内でかなりの地位についている。
家族なら手伝ってくれるだろう。
そう思い家族を集めて、自らの思いを打ち明けてみた。
反応は予想以上に好意的だった。
領主の考えは素晴らしい。
あなたがそう考えるのなら是非とも着いていく。
兄弟はそう言ってくれた。
仲間ができたことを領主は素直に喜んだ。
しかし、彼らはこう言うのだ。
で、何をすればよいのか、と。
考えがないから相談したのだ。
ところが、家族にも同様に考えはない。
皆、上流の天上人で人間など見たこともないからだ。
何をすべきか言えば手伝う。
家族の姿勢は受け身だった。
仲間は増えたが、前には進まない。
手始めに人間を知るところから始めようと思うも、家族にはやんわり断られた。
人間は穢れだからだ。
上流は人間を知らない。
知りもしないくせに穢れだと言う。
なぜなら、太古の昔からそうだと決まっているからだ。
彼らの考えを変えるには人間を知ってもらわねばならない。
だが、穢れに自ら近づく者はいない。
袋小路だった。
諦めようかとも思った。
それを変えてくれたのがスグリだ。
スグリは賢い。
そこに魅力を感じた。
「それだけではないぞ」
スグリは精神的な面でも領主を支えてくれた。
領主が仕事で苦しんでいると、スグリは自分のことのように怒ってくれた。
怒りのあまりに立ち上がって手を振り回す。
その姿が愛らしく、暗い気持ちも吹き飛んだ。
直轄地に来る度に土産をと思っていたが、一度だけ忘れたことがある。
そのとき、スグリはこう言ったのだ。
「無事に過ごしてくれるだけで、わたくしは十分ですわ」
他人からちっぽけな話だ。
感動的なものでもない。
しかし、領主は、その何気ない一言に救われた。
怒られたこともある。
泣かれたこともある。
スグリとの日々は小さな言葉の積み重ねだった。
一年のうち会える時間は限られる。
その少しの時間が領主にとっては宝となった。
「月並みだが、そんなところだ」
領主の話はそれで終わりだ。
本当に月並みだった。
領主らしい壮大な話など何一つなかった。
ただ、領主がいて、スグリがいる。
二人で過ごした時間があった。
それ以上、聞くことはなかった。
気持ちは十分に伝わった。
「あと三つだけ聞かせろ。お前にとってスグリはなんだ?」
スグリは運命の人だ。俺に道を示してくれた。
「スグリのどこが好きだ?」
全部。すべてがかわいい。
「……何か俺からスグリに伝えることは?」
もし成婚した暁には、兄から祝福を送ってほしい。
他には? と聞かれた。
ない。
あとはスグリと領主の問題だ。
これ以上、兄の立場から言うことはない。
ただし、王として言わねばならないことがある。
「俺はスグリの夫でも、戦うときは戦うからな」
領主は言った。
結婚は当人の問題だと。
なら、宣戦布告をしない理由にはならない。
「ははは、容赦がないな! 俺は人間王と戦えるか、正直、自信がない!」
「そこは戦えよ」
「戦わずして負けを認める。それでいいだろう。スグリと一緒になれるのなら」
「何だお前。本当に領主か?」
「領主だ。こんなのでもな」
わはは、と領主は笑う。
本当に変わった奴だと思う。
こうして結婚の話は進んだ。
あとは二人の問題だ。
人間国、ベルリカ領の問題はあるだろう。
だが、それは王と領主がなんとかする。
許可を出した以上、味方をするつもりだ。
それにしてもだ。
妹が嫁に行く。
たった一人の家族が外へ出る。
自分が一人になる。
違う家族になる。
死に別れたわけでもないのに、悲しくなる。
喜ぶべきだ、と言い聞かせても気分は沈む。
不思議な感覚だ。
だが、落ち込んでる時間はない。
このあと、領主に別の相談をされたからだ。