8 バンガ第三人間収容所2
天上人の訓示が終わると、先輩たちが移動を始めた。
どこかへ行くらしいが説明はない。
とりあえず、ジンとカルもあとに続く。
しばらくすると、巨大な縦穴が姿を見せた。
直径は百トルメ、深さは三十トルメほどもあった。
川が縦穴に流れ込んでいる。
覗き込むと穴の底に水路があった。
屋根のようなものも見える。
「すげぇ、……こんな穴どうやって作ったんだ……」
五ヶ所に梯子がかかっており、先輩たちは続々と穴へ降りていく。
「よぉ、新入り。お前たち二人とも俺たちの小隊でやんすな?」
先輩が声をかけてきた。
三十前後の小柄な男だ。
小狡そうな顔をしている。
そして、凄まじい出っ歯だ。
「そうだ。お前は?」
「先輩に対して、そんな口の聞き方をしていいでやすんか? いろいろ教えてあげないでやんすよ?」
「……アガ。いじわる、よくない」
もう一人、先輩がやってきた。
年齢はやはり三十前後で、かなりの巨体だ。
もごもごとこもった話し方をする。
「俺、クム。これ、アガ。……世話係」
「僕らの面倒を見てくれるってことかな?」
カルが聞くと、クムは肯いた。
「そう。よろしく」
アガは意地悪だが、クムはいい奴だった。
早速、収容所について聞いてみる。
「俺たち、ここで何をするんだ?」
「ここ咎人が集まる。穢魔と戦う」
咎人とは収容された人間のことだ。
全体で百二十人ほどいて、六つの隊にわけられる。
そして、毎日、戦いに明け暮れる。
刑期という考えはなく、死ぬまで戦うそうだ。
飯は朝晩の二回だけ。
死なない程度の粗末な飯が出るという。
だから、男たちは大抵、腹を空かせているらしい。
「食べさせない理由ってあるの? ちゃんと食べて穢魔を倒した方が天上人も嬉しいんじゃない?」
カルが聞くと、アガが鼻を鳴らした。
「そんなの嫌がらせに決まってるでやんす。天上人様にとって、人間は殺しても殺しても湧いてくる虫みたいなもんでやんす。収容所も無限に人を入れられるわけじゃないし、減らしたいとすら思ってるかもしれないでやんす」
「そうなんだ……」
他にも自殺や平均寿命の話をされた。
気が重くなる内容ばかりだ。
何かよい話はないのかと聞くと、アガとクムは難しい顔をした。
……とんでもないところのようだ。
死ぬよりつらいと言われるだけはある。
「大体、わかった。いろいろありがとう」
「礼儀正しい新人でやんす! あ! はしごは滑りやすいから気をつけるでやんすよ!」
アガは細かく注意してくれる。
何だかんだでいい奴だった。
世話係としては、当たりかもしれない。
†
縦穴を降りると、空が円形に切り取られた。
滝が流れて込んでいて、底はすさまじい湿気だ。
「このあとはどうするんだ?」
「水浴びと飯でやんす」
収容所に風呂はない。
金属製の風呂釜だけがある。
そこでお湯を沸かし、水路の水と混ぜて行水をする。
風呂釜は三つしかないので、順番待ちの列ができる。
あとになればなるほど、お湯の量が減る。
途中で水を継ぎ足すため温度も下がる。
ジンのときにはほとんど水だった。
秋も深まった夜に水浴びはつらい。
「カルは何で着物のままなんだ?」
咎人は着物を脱いでから水を浴びる。
全くもって当たり前のことだ。
しかし、カルは着物を着たまま布で体を拭いている。
「み、水が怖くて……」
「そうなのか??」
小さい頃、川で溺れたんだろうな、とジンは思う。
行水が終わると夕食だった。
宿舎は食堂と寝室の二部屋しかない。
食堂は長台と粗末な椅子が並ぶだけだ。
百人以上が入ると、非情に狭い。
「これが飯か」
事前に聞いた通りの内容だった。
いや、余計にひどいかもしれない。
そもそも食えるのだろうか。
得体の知れないドロドロしたものだ。
それでも、腹には入れる。
水のような、……というか水の味がした。
食事を済ませると、すっかり日が暮れている。
縦穴の灯りは外周に置かれた篝火だけだ。
室内に灯りは一つもない。
私物も許されないため、夜は寝るだけだ。
寝室は畳の大部屋だった。
寝具らしき布がそこかしこに散らばっている。
それらは、どれも着物だった。
「夜は冷えるでやんすよ」
アガに見覚えのある着物を渡された。
今日の行軍で隣にいた男が着ていたものだった。
遺体がどうなったのか、ジンは知らない。
…………だが、今はもう考えないことにした。
ただ疲れていた。
寝室に仕切りといった気の利いたものはない。
大部屋に場所を作って、銘々が勝手に寝るだけだ。
ただし、新人が眠る場所は誰かが死なない限り、空くことはない。
「僕と一緒でいいなら、ここが空いてるよ」
カルに場所を見つけてもらって、なんとか横になる。
死んだ男の着物にくるまり、微睡みに落ちる。
これが収容所の一日だ。
本当に希望らしきものがない。
†
翌日。
咎人は日の出と共に起きていく。
食堂で昨晩と同じ、水みたいなドロドロを食べる。
アガに聞いたところ、これは芋粥らしい。
頑張って芋や米を探そうとする。
しかし、どんなに味わっても塩味の水だ。
朝食を済ませると、天上人の前で点呼を取る。
犬の天上人は看守と呼ばれる。
収容所の人間を管理する役目らしい。
基本的に朝と夜に咎人の数や戦果を確認するだけで、昼の間は関わりがない。
あと深夜にたまに見回りに来るそうだ。
百二十人も咎人がいるのに天上人は一人。
いい加減な管理だな、とジンは思うが、アガ曰く存外に厳しいとのこと。
まだ知らない何かがありそうだ。
「新人は今日が最初の団体行動でやんすね」
アガに連れられ小隊長に挨拶をする。
咎人の仕事は穢魔を討伐すること。
狩りは二十人ごとの小隊で行われる。
ジンは、カル、アガ、クムと同じ隊だ。
狩場は収容所の周辺の森。
これも小隊ごとに担当範囲があり、その中で討伐をする。
行軍は小隊長を先頭に二列縦隊だ。
編成としては盾役、前衛、後衛の三つだ。
盾役が盾を持ち、前衛が短剣や刀、斧を使う。
そして、後衛は弓や槍だ。
盾役が守る間に前衛が叩き、後衛は支援に回る。
簡単に言うと、そういう役回りだ。
新人二人は、アガに付き添われ真ん中辺りにいる。
動きとしては前衛だ。
盾役を息を合わせ攻撃をする。
ちなみにクムは盾役なので前の方にいる。
小隊は、まず、山に登った。
高所から穢魔を探すためだ。
痕跡を見つけたら、それを追いかける。
基本は狩りと同じだ。
獲物の痕跡探しなら、ジンにもできる。
踏み荒らされた枝や剥がされた木の皮。
見るべき点も知っている。
アガに教えてもらいながら、目を凝らす。
しかし、今日はなかなか穢魔と遭遇しない。
一日中、現れなかったらどうなるのか?
気になってアガに聞くと、
「どんな穢魔でもいいから、最低、三体が義務でやんす。それを満たせないと、飯抜きでやんすよ」
「ひぇっ!」
ただでさえ腹が減っているのに飯抜きとは……。
食わねば力が出ない。
力が出ないと穢魔を倒せない。
飯抜きが続いて飢え死ぬ例もあるらしい。
本当に生き地獄だ。
「しっ、いたぞ……!」
小隊長が合図を出す。
全員が身を伏せたので、ジンも習う。
「何がいたんだ?」
「耳を済ませるでやんすよ」
ズシン、ズシン……。
「なんかすごい音が聞こえるな」
「足音でやんす。あれは、大牛でやんす。……やり過ごすでやんすよ」
「倒さないのか?」
「倒せるわけないでやんす!」
間もなく、その巨体が視界に入った。
大きい。
……大きいと言うか、…………家だ。
家と同じ大きさの牛が、木々をなぎ倒しながら歩いていた。
動きは遅いが、アガが言うには皮膚が非情に固く、剣も槍も効かないそうだ。
その分、大人しい性格で、こちらから仕掛けなければ攻撃はしてこないらしい。
確かにやり過ごした方がよさそうだ。
大牛が通り過ぎるまで、かなりの時間を伏せて過ごした。
ため息と共に立ち上がる。
長時間の緊張を強いられ、全員が疲れていた。
先が思いやられる始まりだ。
次に出会ったのは、群を成すムカデだった。
遠目に見てもわかるほど鮮やかな赤は、通常のムカデではあり得ない色だ。
一匹一匹の大きさは大したことがないが、数がすごい。
移動する群れは赤い川に見える。
位置的には谷を挟んで反対側の山だが、迫力はかなりのものだ。
半刻前(約十五分)前に小隊のいた辺りを回遊している。
「危ないところだったでやんす……」
アガは額の汗を拭う。
「あれも戦ったらダメなのか?」
「ダメに決まってるでやんす! 群を成すムカデに襲われたら生きて帰れないでやんすよ!」
曰く、群を成すムカデは毒を持つ。
人間だったら一噛みで体が痺れる。
群を成すムカデは痺れた獲物に食らいつき、肉を貪る。
奴らは雑食であり、人でも何でも食い散らかすのだ。
その食欲は留まるところを知らず、小隊が全滅した例もあるという。
倒すには他より少し大きな女王を殺すしかない。
女王を失った群を成すムカデは統率が取れなくなる。
そうしてから、数百から数千の群体を各個撃破だ。
いかに戦うのが無謀かがわかる。
「だから、逃げるのが一番でやんすよ」
「いや、でも、今日は逃げてばっかりじゃないか?」
聞いていると、戦える相手の方が少ない気がしてくる。
こんな調子で三匹も倒せるのだろうか。
「仕方ないでやんす。基本、人間より穢魔の方が強いでやんす。昨日は忌むべき猿に出会えて運がよかったんでやんす」
あれで運がよかったのか……。
どうも討伐というのは、倒せる穢魔をいかに見つけるかが重要なようだ。
「そこに気づくとは、新人も賢いでやんすね」
「褒められてもなぁ」
もう夕方が近い。
早くしないと飯抜きだ。
無理をしてでも次に会った奴を倒すべきだ、と思う。
「……小隊長も、そう思ってるでやんすよ。こういうときが一番危ないでやんす」
アガは不安げに言う。
ズキズキと左手が痛み始める。
ちょっとだけ嫌な予感がした。
予感は当たった。
間もなく日が暮れるという頃、小隊は三体の穢魔に鉢合わせた。
あちらにも捕捉されており、時間を考えても、倒すしかなかった。
相手は強者の土蜘蛛と呼ばれる穢魔だった。
名の通り、そいつは強い。
人間の数倍ほどの体躯を持ち、多脚の利を生かし、森の中を立体的に移動する。
武器は口にある牙と体毛だ。
牙は、大牛の皮膚をも切り裂くという。
人間なら一撃で真っ二つだ。
剣や盾、鎧の防御も無意味だ。
金属では強者の土蜘蛛の牙には勝てない。
そして、体毛は一本一本が針のように鋭い。
移動しながら撒き散らすため、雨のように降り注ぐ。
または地面に罠のように敷き詰められる。
先端には痺れ毒があり、刺されば動けなくなる。
頭上を取られたら一巻の終わりだ。
かと言って、無闇に動けば、足元の針を踏んでしまう。
はっきり言って、逃げるべき対象だった。
普段なら遠目に確認した時点で撤退するそうだ。
今回のように鉢合わせたのは運が悪いとしか言いようがない。
小隊からは、逃げたい、という声がちらほらと上がった。
しかし、足回りも武器もあちらが上となれば、逃げることもできない。
剣を放り出して走っても、すぐに追いつかれる。
「ど、どうするんだよ!?」
「うぁあああああ!! 針が降ってくるぞ!」
隊に混乱が広がる。
盾役が役割をこなせない時点で陣形を保つのは無理だ。
前衛が攻撃をしようにも、樹上を走り回る相手では無力だし、頼みの綱の後衛も弓の狙いを絞れていない。
そうこうするうちに、一箇所に押し込まれる。
三匹の強者の土蜘蛛に包囲された。
「これ誘導されてるんじゃないのか!?」
「新入りは勘が鋭いでやんすね!」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!?」
「来るぞッ!」
小隊長が叫んだ。
一匹が樹上から飛びかかってきた。
全員が好き勝手な方向に逃げる。
逃げ遅れた誰かが巨体に押しつぶされる。
牙を逃れても、体の大きさそのものが武器だ。
体当たりされただけでも骨が折れるだろう。
いや、その前に体毛で串刺しだ。
蜘蛛の下敷きになった奴は、見るも無残な姿になっていた。
あっけない死だった。
まだ二日目なのに、また人が死んだ。
毎日、毎日、人が死ぬのか?
――――こんな調子でいつまで生きられるんだ?
「逃げよう! 勝てる相手じゃない!」
カルに手を引かれた。
「どうやって逃げるんだよ!?」
「僕が囮になる。その間にみんなを逃して!」
「バカか、お前! 殺されるぞ!」
「大丈夫、僕は他の人より強いから」
カルは二刀の短剣を構える。
心なしか体がぶれて見えた。
――――何だ、今の?
そう思った瞬間、カルはあり得ない速さで飛んだ。
軌道が人間のそれではない。
木から木へと飛び移り、強者の土蜘蛛の周囲をうろつく。
三匹の興味がカルに向いた。
当然のように体当たりを仕掛ける。
カルはそれを猿のような身軽さでかわす。
飛んでくる体毛も短刀で弾いていた。
「す、すっげぇ……」
「見とれてる場合じゃないでやんす! 逃げるでやんすよ!」
「カルを置いてくのか!?」
「全滅よりはマシでやんす!」
こいつ本気で言ってるのか。
殴ってやろうか、と思う。
ところが、それもできなかった。
「……ど、どうして!?」
強者の土蜘蛛は攻撃の対象からカルをはずした。
逃げる隊列へ一直線に走る。
「あいつら、誰が弱いかを理解してるんだ!」
動物とて、その程度の知恵はある。
戦うなら自分より弱い相手を選ぶ。
自然な判断だ。
一匹が隊列の真ん中に突っ込んでいく。
前衛はかろうじて散開する。
盾役もなんとかかわしたが、一人だけ足の遅い奴が取り残された。
「クム! 早く逃げるでやんす!」
「あわわ……」
クムは足がすくんでいた。
向かってくる敵に腰を抜かしていた
とっさに盾を構える。
それは最悪の選択だ。
強者の土蜘蛛の牙は盾を貫く。
仮にかわしたとしても、足で蹴られれば吹き飛ばされる。
どうにもならない。
誰もがそう思った。
そのとき、左手が痛んだ。
――――タタカエ。
頭の中で声がする。
そこからの動作はほとんど無意識だった。
手を突き出す。
今までに見た一番強烈な炎を想像する。
バランガを焼いた、あの日の大火を……。
眼前が青に染まる。
遅れて爆音が鼓膜を揺らした。
篝火の炎など比較にもならない。
森そのものをなめ尽くすような炎が生まれた。
強者の土蜘蛛など一撃だった。
青い炎が走ったあとには、草も木も等しく燃えた。
焼け焦げた道が、何かの冗談のように横たわっていた。
誰も何も言えない。
全員が呆然としている。
「どうなってんだよ……」と誰かがつぶやく。