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25 事件8


「巫女がいない?」


 その報告が警兵長の下にやって来たのは、空も白み始めた頃だった。


「は、はっ……! 今朝方、お声掛けしたのですが、お返事がなく……」


 不審に思った警兵が戸を開けたところ、巫女の姿がなかったという。


「抜け出すなどあり得ぬ。見張りがいたのだぞ」


 警兵長は自らの足で祈りの間へ向かう。

 鍵は壊されていない。

 開け放つと、がらんとした部屋があった。


 窓の格子も健在だ。

 抜け出る隙きなどなかった。


 ……馬鹿な。


「監視は何をしていた?」

「ほ、本殿との渡り廊下に見張りがおりました。着物を脱ぎ、裏手から抜け出したのかと」

「小娘が……。門番はどうした? 巫女は通らなかったのか?」

「はっ。明け方頃に奴隷が家に帰ったのみで他には……」


 ……面倒なことになった。

 策の完遂までもう一歩だというのに、巫女を逃がすとは。

 一体、いつからいなかったのか。

 夜から消えていたとなると、相当な時間を自由に過ごしたことになる。

 大事がなければいいのだが……。


「いかがいたしましょうか? 巫女を探しますか?」

「……いや、いい。放っておけ。割ける人手もおらぬ」

「ですが……」

「仕方あるまい。第一、今となっては時間切れだ」


 すでに夜は明けている。

 領主の目覚めと同時に執行の確認を取り、正式な許諾が出れば、人間王の処刑が決定される。

 そこまで行けば、覆ることはない。

 巫女があがいても無駄だ。


「おはようございます。お目覚めになりましたか?」


 警兵長は領主の部屋を訪ね、大きな声で挨拶をする。

 目を覚ませばいいという下心だ。

 どうせ室内には疲弊したハービーしかいないので、咎める者もいない。


 案の定、襖の陰からハービーがやつれた顔を見せた。


「……用件があるのなら取り次ぐ。申せ」

「直接お話せねばなりせぬ。此度の事件に関することにございます」


 そう言うと、ハービーは虫でも食わされたような顔をした。

 無言で襖を開ける。


 領主の部屋は香の匂いに満ちていた。

 穢れを払う香だ。

 領主は未だ苦しげにうめいていた。


「お怪我のほどは」

「ご覧の通り、未だ治癒なされていない。傷口が勝手に広がるのだ」


 呪いを受けたためだ、とハービーは言う。

 解呪には高度な知識が必要であり、直轄地ではまず不可能だ。

 専門医を呼んでいるが到着には時間がかかるそうだ。

 どうでもいい話だった。

 どうせ領主は殺される予定なのだから。


「さて、お約束の刻限となりました。人間を処刑する許可をいただきたく」


 本題を切り出す。

 枕元のハービーは、再度、顔をしかめる。


 逆に領主は、虚ろな目で天井を見るばかりだ。

 まさか判断もできぬほどに衰えてはいないだろうか、と不安になる。


「人間王は……、なんと申しておる」

「反省の色を見せないため離れに軟禁しております。領主を許さぬ、殺すなど、物騒な叫び声を夜な夜な上げる始末でして、……警兵たちもいつまでもつか」


 大げさな嘘をぶちまける。

 どうせ領主は動けないのだ。

 確かめることができなければ、嘘は真実となる。


「……一度、彼と話をする場を設けたい」

「なりませぬ! 彼奴らは領主様のお命を狙っているのです! 近づけるなどもってのほか! お伝えしたいことがありますのなら、この私がお伝えいたします。どうかご容赦を」

「……」


 そう言ってしまえば、領主にできることはない。


「お気持ちは固まりましたか? あの人間は敵だったのです。明確に領主様を殺すと、申しているのです」

「……」

「そんな敵が今も屋敷にいるのですぞ?」

「……俺には信じられん。人間王がそんなことを……」


 まだ言うか。

 いつまで夢を見ているのか。


「領主様、現実へ目を向ける時が来ているのですよ」


 領主に詰め寄る。

 思いつめた顔があと少しで堕ちると告げていた。

 もうひと押しだ。


 そうだ。

 巫女が消えた件も人間のせいにしてしまおうか。

 さしもの領主も看過はできまい。


 警兵長は次々に嘘を並べる。

 今この瞬間、領主の心を折れればいい。

 誰も警兵長を止めるすべを持たないのだから。


 そうして、半刻ほどの時間が過ぎ、領主が折れた。


「……好きにしろ。あとは任せる」

「御意に」


 ついに堕ちた。

 納得したと言うより、話を切り上げたかっただけに見えた。

 どちらでもいい。

 言質を取ることが警兵長の仕事だ。


 さぁ。

 これで手はずは整った。

 あとは人間を捕らえ、当主の下へ連れて行くだけだ。

 そうして、まずは人間が処断され、続いて暗殺者が領主を亡き者とするだろう。


「警兵長、火急の報せが」


 邪魔が入ったのは、そんなときだった。


「何事だ」

「人間王が離れを出ました」

「なんだと?」


    †


 夜が明けた。

 洗濯したての衣に袖を通し、ジンは離れの戸を開けた。

 二日ぶりの太陽が眩しい。


「外にお出になることは許されておりません。お下がりください」


 廊下には警兵が待ち受けていた。

 口調は丁寧だが、顔に早く戻れと書いてある。


「俺は外に出る」

「いつまでも下手に出るなと思うな、人間風情が」

「お前こそ、いつまでも俺がおとなしくしてると思うなよ」


 話を聞いてくれないので、炎を使った。

 青い炎は始皇帝の炎だ。

 知行政ローボーが認めたものだ。

 下流の警兵では話にもならない。

 腰を抜かして、道を開ける。


 渡り廊下を抜け、本殿へ。

 そこから更に領主の間がある別殿へ移動する。

 渡り廊下の出口付近で、警兵長が待ち構えていた。


「人間王、なぜここへ、」


 言いかけて固まる。

 警兵長の視線はジンの後ろに注がれている。

 そこには、カルがいた。


「貴様は内侍を殺害した人間! な、なぜ!? …………ま、まさか自首するつもりか!?」


 警兵長の顔が青くなった。

 変な話だ。

 犯人探しをする側からすれば、自主は喜ぶべきことのはずなのに。


 睨んでいた通りなのだろう。

 警兵長は事件に噛んでいる。

 とは言え、糾弾できる証拠もないし、それをしに来たわけでもない。


「カルは殺してない。それを説明するために来た」

「馬鹿な! 今更、そんな言い訳、聞いてやるものか!」

「お前に説明するんじゃねぇ。領主に説明しに来たんだ」

「ならぬな。人間は領主様暗殺の首謀者。会わせるはずがなかろう?」


 警兵長は馬鹿にした笑いを浮かべる。


「エリカ、こいつも話が通じねぇぞ」

「そうみたいね。やっちゃいなさい」

「……!」


 やっちゃいなさい、で警兵長の空気が変わった。

 背後にいた二人の警兵も身構える。

 炎を見せると、三人は露骨にビビった。


「……」

「……」


 若干の睨み合いを経て警兵長が言った。


「よ、よかろう。処刑前の最後のひと時だ。好きに過ごすことを認めよう」


 道を譲られた。

 態度の変化が気持ち悪いが、通れと言っているのだから通らせてもらう。


「あぁ、そうそう。一つ、言っておかねばならないことがあった」


 すれ違いざまに警兵長が言った。


「なんだ」

「領主はすでに人間王の処刑を決められた。命乞いをしても無駄だぞ」

「そうか」


 困る顔でも見たかったのだろうが、別に困ることでもない。

 誤解を解きに行くだけだからだ。



 領主の部屋に入る。

 変な匂いが充満していた。


 領主は布団に入ったまま額に汗をかいていた。


「で、今になって人間王がどのような用件で」


 部屋にはハービーもいた。

 領主の枕元に座り、時折、領主の胸に手を当てていた。

 治療のための霊術だろう。


 頻繁にかけなければ、領主は保たない。

 スグリに聞いた通りだった。


「カルを連れてきた」

「……カル?」


「僕のことです」


 カルが正座をしたまま前に出る。

 その顔を見て、ハービーはハッとしていた。


「……内侍を殺害した人間ですか」

「そう疑われているのは知っています。疑われるのもやむを得ない事情を作ったのは僕自身です。けれど、誓って、僕は殺していません。それを伝えに来ました」


 カルが頭を下げる。

 ハービーは困惑した風に、


「人間王、これはどういうつもりですか?」

「俺たちは領主の暗殺なんてやってない。それを説明しに来た」

「どう、説明するのですか?」

「これを使う」


 腰の刀を掲げる。

 蔵の奥底で眠っていた王家の剣だ。

 儀礼用だが数百年経っても切れ味は落ちない。


 それを鞘ごとハービーに渡し、自分は畳の上に横になった。


「……どうしろと?」

「俺たちが犯人だと思うなら殺せ!」

「はぁ?」

「本当の犯人だったら、こんなことはしないだろう!」


 完璧な理屈だ。

 どこから見ても論破だ。

 しかし、ハービーは首を傾げて、


「よくわかりませんが、人間が疑わしいことに変わりはありませんから、なんとなく殺しておきましょう」


 ハービーが刀を抜き放つ。

 切っ先が鼻の上をゆらゆらと動く。

 どこからともなく笑い声が聞こえてくる。


「くくくく、……面白い男だ」


 領主が笑っていた。


「死なせるには惜しい。だが、許せ。俺はすでにお前たちの処刑を命じてしまった。命令を取り消すのは、領主として、天上人として、できぬことだ」

「その話は聞いた」

「……だったら、なぜ来たのだ。死ぬためか?」

「お前に疑われたままなのは嫌がだったからだ。戦うなら変な横槍はなしがいい」

「……言う通りだ」


「と言いながらも、今ここで死ぬんですか、人間王?」

「俺はお前が俺を信じると信じてるぞ」

「いや、信じてないですけどね」


 真顔のままハービーは素振りをする。

 こいつは本当に考えが読めない。


「あなた方は止めないのですか? 自分たちの主が殺されようとしていますが?」


 ハービーが三人に聞く。


「止めて聞くような人じゃないよ」


 カルは、はっきりと言った。

 エリカも同じだ。

 下手な茶々はいれない。


「忠臣ですね。その点は褒めましょう。では、遠慮なく。言い残すことは?」

「仲間もできた。天上人を倒す夢も見られた。いい人生だった!」

「そうですか。よかったですね」


 ハービーが刀を振り上げる。


「ま、待てっ」


 そこで邪魔が入った。

 声を上げたのは、警兵長だった。


「領主様の寝室を血で汚すつもりですか!?」

「殺せと言っているのだから仕方ないでしょう」

「何を言うのですか! 処刑ですぞ!? そんな礼法に乗っ取らぬ方法があるものですか!?」


 警兵長は食って掛かる。

 さっきまで処刑、処刑と嬉しそうだったのが嘘のようだ。


「なぜ止めるのです? あなたが一番威勢よく殺せ殺せと言っていたじゃないですか」

「や、それは、ハービー殿がこんなところで処断するとおっしゃるからです! おやめくだされ! 領主様の御前で刀を抜くなど!」

「ここで死なれたら困る理由でも?」

「いや、私は別に……」


 ハービーの目が細くなる。


「警兵長。何か隠していませんか?」

「な、何を仰るのですか、ハービー殿……」


 今度は警兵長が汗をかき始める。

 確かに、この慌てぶりはおかしい。


 処刑自体は賛成なのに、今ここですることには反対。

 処刑の場所が重要なのか。

 あるいは別の目的が存在するのか。


 ハービーが質問を重ねる。

 警兵長はますます言葉を濁す。


 そんな折に部屋の外から声がする。


「連れて来いと言われているんですのよね?」

「だ、誰だ!?」

「わたくしでございますわ。何者かが随分と卑怯な真似をしてくれましたので、帰りが遅くなりましたの」

「み、巫女様……」


 部屋の入り口にスグリがいた。

 巫女姿だが、なんだか全体的に煤けていた。


「…………い、今までどちらに? お探ししておりましたのに」

「おや、警兵長、異なことを申しますね。あなたが言ったのではないですか。巫女様は人間がかどわかしたのだと」


 ハービーが告げ口をすると、スグリが眉を潜めた。


「どういうことですの? 説明していただけます?」

「あ、えっと、それは、その……」


 警兵長の顔が白くなる。

 視線も泳いでいる。


「……まぁ、それはよいでしょう。巫女様、領主様に用事があるのでは?」


 ハービーが促すと、スグリは芝居のように言った。


「えぇ、わたくし、精霊様の託宣を受けたんですの」

「それはそれは。どのような?」

「直轄地の門番が証言を持つ人間を捕らえていると」

「なんと、どのような証言で?」


「実は、領主暗殺を企てる者がいるとかで」

「ほぅ! 聞き捨てなりませんね。……しかし、なぜその報告は私に来ていないのでしょう?」

「あら、それは門番に言い含めた方がいるからでございましょう? どなたかは存じ上げませんけど?」


 ハービーもスグリもわざとらしく言う。

 二人して、チラチラと警兵長を見る。


「おかしいと言えば、私が人間王に誘拐されたという話もおかしいですわね? どなたがそんなことを?」

「警兵長ですよ。私はてっきり、人間王が悪人かと思っていたのですが?」

「……」


 警兵長は何も言わない。

 拳を握って、呆然としている。


「やっぱり警兵長が仕組んでたのか?」


 ジンが起き上がると、ハービーは肩をすくめて、


「おや、寝てなくてよいのですか? 殺される覚悟は消えましたか?」

「寝てるのが飽きただけだ。それより、俺は真犯人の方が気になる」

「それについては同感ですね」


 全員の視線が警兵長に集まる。

 領主がついに半身を起こした。


「……説明してもらおうか」


    †


 警兵長は呆気なく口を割った。

 自分が金で雇われていたこと。

 すべては雇い主の計画であること。


 強気の態度もどこへ行ったのか、今はすっかり萎れていた。

 それもそうだろう。

 領主暗殺に加担したのだ。


 親族まで含め極刑。

 家も取り潰しだろう。


 せめてもの救いは計画を吐いたこと。

 それで黒幕の名も知れた。


「シヌガーリンか……。よもや直轄地に潜伏しているとはな」

「あぶり出して即刻死刑でしょう。人間王のみならず領主まで手に掛けようとするなど、情状酌量の余地もありません。……まぁ、土地を奪われたことには同情しますが……」


 ハービーがこちらを見てくる。


「なんだ、やる気か?」

「同情しますが、人間王の人柄や司教ソテイラの証言を鑑みるに、知行政との決闘は形式に則ったものと推察されます。これは私怨による逆賊行為でしょう」


 ハービーはそう締めくくった。

 ある程度はこっちの言い分も汲み取ってくれていているらしい。


「さて、対処はいかがしますか? 警兵長が逆賊となると、内侍長も疑問です。信頼できる手勢がおりません」


 そして、再びこちらを見てくる。

 目線が妙に物言いたげだ。


「俺に倒せって言うのか?」

「おぉ、人間王が自ら出陣なさるのですね? そうすれば、領主も死刑取り消しの恩赦を与えるかもしれませんよ」


 ハービーは芝居がかった口調で言う。

 実際は、死刑という判断が間違っていたわけだが……。

 とやかく言う空気でもない。

 黒幕を倒しせば丸く収まるのだ。

 引き受けて損はない。


 そのとき、領主が唐突に立ち上がった。

 立っただけで、布団に血が滴った。


「領主!?」

「ハービー、客人に何をさせる気だ? 第一、シヌガーリンが黒幕と決まったわけではない。まずは話をすべきだ」

「そんな悠長なことを言っている場合ですか?」

「伝聞で疑うべきではない」


 領主は折れない。

 あくまで主張は一貫している。


「では、シヌガーリンを呼びますか?」

「いや、会いに行く」

「ご自分でですか……?」 人間王にやらせればいいじゃないですか」

「領内の不始末に巻き込んだ非礼を詫びることはあれど、頼るなどあり得ぬ」


 領主の顔は決意に満ちていた。

 対して、ハービーは最後まで乗り気でなかった。

 最終的には領主が押し切った形だが……、外を歩ける容態なのか。

 シヌガーリンは暗殺計画の黒幕だと言うし、会った瞬間に襲われたらひとたまりもないだろう。


 不安は残る。

 しかし、ジンは領主の意向を尊重する。

 話したいというのなら任せようと思う。


 こうして領主は数日ぶりに外へ出た。


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