22 事件5
†ヒヌカ†
旅は順調に進んだ。
流刑地を抜け、道中の町で金を稼ぎ、金が溜まったら次の町へ。
一人では心細いが、隣に人がいるだけで安心した。
特にティグレは体が大きいので、人間相手の交渉に不安がなくなった。
「あー、面倒くさいなぁ。地面が動いたら楽なのになぁ」
道中も常に楽観的(?)だ。
急ごうと思いつめていたヒヌカと全然違う。
一緒にいると、なぜか兄を思い出す。
大家族のヒヌカには温厚な兄がいた。
寡黙で面倒見がよく、少しもティグレに似ていない。
思い出すのはティグレに筋肉がないからだろうか?
ティグレは見るからに痩せている。
鍛えていないに違いない。
背は高いのだから、鍛えればいい体になるはずなのに……。
「んほっ、……これはまた…………」
ティグレが奇声を上げる。
彼は道中ずっと変な本を読んでいた。
変な本と言うと本人は怒る。
魂の潤滑油と呼べと言う。
ちなみにどんな本かと言うと、裸の女が描かれた本だ。
ティグレは面倒くさがりだが、本のためなら何でもする。
立ち寄った町で気に入った本を見つけたら、一日で本が買えるだけの金を稼ぐ。
本は決して安物ではない。
一冊で十人家族が一月以上暮らせる額になる。
それを一日で調達するティグレは、人間なら天才の部類だろう。
本人は知識を金に変えた、と言うが、ヒヌカには意味がわからない。
しかも、道中も本を手放さない。
本の中身が裸の女でなければ、立派な人間と言えただろう。
とてつもない面倒くさがりで、春画のためにしか働けない。
どうしようもないクズだった。
しかし、嫌いにはなれない。
ティグレが物知りだからかもしれない。
彼はヒヌカが見た虫の天上人の正体を伝聞だけで特定したのだ。
曰く、南に巣食う蚊の氏族だそうだ。
虫氏族は全般的に個体数が多い。
天上人の半数以上を虫が占めるという。
虫にも種類は豊富だが、蚊の氏族は他者との交流を持たない。
蚊という虫がそもそも忌み嫌われているためだ。
蚊は生き物の血液を吸う。
天上人にとって血は精霊から賜った神聖なるものだ。
それをかすめ取る蚊は徹底して嫌われた。
結果として、蝙蝠や蚊といった吸血性の天上人は本土を追いやられた。
以来、南方の島々で暮らすという。
しかし、そんな彼らも時折、本土に姿を見せる。
もちろん、後ろ暗い目的がある。
主な仕事は暗殺と拷問。
天上人同士の戦いは霊術を使うため必然的に死闘となる。
暗殺にしても同じで、要人を殺すには相応の損害を覚悟しなければならない。
しかも、霊術は血脈によって決まるため、ある程度の家柄でなければ暗殺もままならない。
となると、暗殺者のなり手は限られてくる。
そこで虫の出番だ。
彼らは個体の命に執着を持たない。
群略のために平気で個を捨てることもある。
虫の性質は暗殺に適しているのだ。
加えて、蚊の天上人は血を吸うことで相手の霊術を複製できる。
その稀有な能力もあって、暗殺者に抜擢される事が多いという。
「だとすると、あの天上人たちは不法滞在だから、偉い人に言えば捕まえてもらえますよね?」
「あー、そうね。若いのによく知ってるね。ふひっ」
「……よかった。これなら、領主に事情を説明できなくとも、最悪、警兵に言えばなんとかしてもらえますね」
「どうだかね。蚊の天上人は女王に近いほど強くなるからね。黒絶死がでてきたら、警兵じゃまず勝てないだろうね。ひひひっ」
よほど裸の女が好きなんだな、と思う。
その割にはヒヌカに目も向けないのは、どういう了見なのか。
というか、人間向けの春画なんか読んで楽しいんだろうか。
「女は紙の中に限るんだよ。現実の女なんてのはね、所詮、現実だから」
謎だ。
謎だが、強い美学を感じた。
あれだ。
筋肉みたいなものだろう。
ティグレのお陰でお金には余裕があるし、今度、筋肉の春画を買おう。
そんな調子で旅は進む。
船を使ってひたすらに南へ。
一度、船で寝ていたらもやいが外れて、町中で目が覚めた。
運河の町は活気があって、人々の往来も激しい。
路銀を稼ぎ更に南へ。
そして、ついに領主直轄地にまでたどり着いた。
旅立ちから三十日余りだった。
到着してみれば、あっという間だ。
最初の二十日は苦しかったが、ティグレと一緒になってからは、旅そのものを楽しむ余裕すらあった。
直轄地の入り口には検問があった。
受け入れを拒まれると覚悟したが、人間の出入りは自由だと言われた。
不思議な決まりだが、領主の方針だそうだ。
「よかったですね、通れて」
「そうね。呪いが役に立つとは、何があるかわからんね」
「……ここでお別れですか?」
ティグレとは直轄地までの約束だ。
彼には彼の目的地がある。
「んまー、そうなるね。ここからは一人で大丈夫でしょ?」
「……はい、大丈夫です!」
本当は不安だ。
でも、迷惑はかけたくない。
「あ、そ。でも、念のため、用意しておくに越したことはないかな」
ティグレは懐から本を取り出した。
道中、熱心に読んでいた春画だ。
渡された。
「え、えーと、……ど、どうすれば……?」
「最後の方に手紙を書いたよ。領主なら見てわかる。協力するよう書いておいたから、うまく使って」
「……あ、ありがとうございます!」
少しだけ感動した。
あんなに面倒くさがりな人だったのに。
まさか筆を執ってくれるなんて……。
「いろいろ世話になったからね。ま、判まではないが、春画に手紙を書いた時点で俺とわかるでしょ」
「ふふ、確かにそうですね」
そんな手紙を寄越す人が何人もいるはずがない。
「今まで本当にお世話になりました」
お礼を言うと、ティグレはひらひらと手を振った。
案外、いい人だったかもしれない。
†
さて。
ここからはヒヌカ一人だ。
困っても助けてくれる人はいない。
目的を再確認する。
領主か人間王に縁ある天上人を探す。
暗殺者が差し向けられたことを伝える。
領主の耳に入ればよいので、ヒヌカが直接話す必要はない。
むしろ領主が人間に会うはずがないので、言付けでよい。
そして、あわよくば人間王への面会を頼む。
よし……。
手順を確認したら、検問へ戻る。
詰め所には二人の門番が常駐していた。
共に鳥の天上人だ。
鳥には嫌な思い出がある。
ヒヌカの村を焼いた天上人も鳥だった。
二人は詰め所で木札を使った遊戯に興じている。
ヒヌカが近づいても顔も上げない。
背中の汗が止まらない。
勇気を出して声をかけた。
「あ、あのっ……、職務中のところ申し訳ございません。どうしてもお伝えしたいことがございます」
地べたに平伏し、最大限の礼を見せる。
ティグレは人間の姿をしていたこともあり、必要以上の礼を求めなかった。
だが、通常、天上人に声を掛けるには、可能な限り姿勢は低い方が望ましい。
それでも、天上人の機嫌が悪い場合は、話は聞いてもらえない。
まして自分の奴隷でないならなおさらだ。
「なんだ? ここは相談所じゃないぞ?」
「存じております。ただ、直轄地に領主様がいると聞きましてやって来たのです」
「……人間が領主に何の用だ?」
鳥の天上人は訝しむ。
ヒヌカは手紙を出すかどうかを迷う。
ティグレは領主なら見ればわかると言った。
裏を返すと、領主以外は見てもわからない可能性がある。
大犯罪者の名前を出すべきかも怪しい。
迷って、要件を先に告げた。
自分が村を出た経緯から、道中で出会った天上人から手紙を預かったこと。
さすがに領主暗殺は想定しなかったのか、鳥たちは驚いていた。
「……その話、真か? まさか領内にそのような間者が紛れ込むとは」
「はい、確かにこの目で見てまいりました」
「どうする……?」
「即刻、お伝えせねばならんだろう」
鳥たちは速やかに対応を決断した。
「手紙を。それも領主様にお届けする」
「はい、こちらでございます」
懐から春画本を取り出すと、鳥は怪訝な顔をした。
が、何も言わず布で包んでくれた。
ここから領主の館までは馬を走らせ一日の距離だという。
明日には領主の耳に届くだろう。
天上人はそう確約してくれた。
……終わったのかな?
呆気なく話が進み、ヒヌカはしばし呆然とする。
「しかし、よく、ここまでたどり着いたな。人間にしてはあっぱれだった」
鳥が労いとして、白米と菜を出してくれた。
こんな上等な食事は久しぶりだ。
食べた途端に眠気と疲れが吹き出してきた。
「証人として呼ばれるやもしれん。人間はしばし、ここで休息せよ」
空いている部屋も一つ提供された。
布団だの何だのを運んでくれる。
……すべての天上人がこれくらい優しければいいのに。
眠りに落ちながら、ヒヌカはそう思った。