21 事件4
夕食の時間になった。
離れに内侍がやってきて、客間に連れて行かれた。
食事は昨日と雲泥の差だった。
昨日が肉、野菜、汁物、白米だったのに対し、今日はふかし芋と漬物だけだ。
「こちらが本日のお夕食です」
内侍は悪びれもせずに言う。
意図的な差配だろう。
カルが身内を殺したと思われている……。
領主も内侍長もいない夕食は静かだ。
粛々と食べて、離れに戻った。
ため息が漏れる。
「あれ、絶対、疑ってるよな」
「まぁね」
食事中、ずっと内侍に見られていた。
粗探しをする目だったと思う。
「わかってて黙ってられたんだから偉いわ」
「そんなの褒められても嬉しくないな」
昔なら食って掛かったと思う。
今は少し道理を学んだ。
言っても無駄なら言わないことにしている。
「カルはまだ見つからないのか」
「焦っても仕方ないわ。任せましょう」
カルの捜索は忍びに任せていた。
ジンが外へ出ると、警兵がついてくるからだ。
今も部屋の前に警兵が立っている。
監視はぐっと厳しくなった。
自分たちで動けないため、忍びに屋敷の外を探してもらう。
やり取りは矢文や紙飛行機だ。
夕食前に一度報告が来たが、未だカルの手がかりはない。
エリカは待つしかないと言うが、いつまでも待てるわけではない。
領主暗殺と内侍の殺害の罪を償え、と警兵長から再三言われている。
いつ強硬手段を取られてもおかしくない状態だ。
強制執行。
つまり、死刑だ。
もちろん、大人しく殺されるわけもない。
強硬手段を取るしかないだろう。
屋敷内で天上人と戦うわけだ。
相手は警兵だけで六人。
内侍を入れたら十人を越える。
その数の天上人と戦える自信はない。
看守のような下流の天上人でも身体能力は人間と比較にならない。
数は強さだ。
先手を取らねば、まず勝てない。
……しかし、先手を取るということは、何の罪もない天上人にいきなり襲いかかるのと同じだ。
果たしてそれを是とするのか。
「殺らなきゃ殺られる。だったら、殺るしかない。そうとも考えられるけど?」
相手がいつ仕掛けてくるのかもわからない。
そんな状況で怯えているくらいなら手を出せばいい。
考え方はわかる。
「俺は領主と戦うかどうか決めに来たんだ。関係ない奴らは殺したくない」
「言うと思った。……でも、厄介ね。警兵長を止められる人がいない」
領主が無事なら。
あるいはハービーが執務の代行をしてくれるなら。
警兵長の頭を抑えることも可能だ。
証拠のない死刑は不法だ、と。
だが、現状、領主は部屋から出られない。
警兵長に指示を出している素振りもない。
ハービーも同様だ。
治療という名目で領主に付きっきりだという。
……領主ならこんな暴挙は止めてくれるはずなのに。
「なんとか、領主に会えないのか?」
「あのね。殺人犯と思われてるのよ。会わせてくれるはずがないわ」
「スグリに頼めばいいだろ?」
「……あたしは反対」
「なんで?」
「あんたの妹は天上人側の人間よ。信用しすぎるべきじゃない」
最初、腹が立った。
スグリを疑うのか、と。
だが、すぐに思い至る。
それは真っ当な指摘だ、と。
これまでの様子を見ればわかる。
スグリは領主を信頼している。
領主を第一に考えるだろう。
結果的に人間に疑いが向くことは、あり得る。
「けど、スグリにも言わないで、どうすんだよ」
「……考えてないわ」
エリカは投げやりに言う。
警兵に監視され、内侍が口を閉ざした。
領主の情報も入ってこない。
天上人が何を考えているか。
どういう思惑なのか。
何もわからない。
「カルさえいれば……。あんた、呼べたりしないの?」
「お前、無茶苦茶言うな?」
――――カル、俺に力を貸してくれ……!
でもやってみた。
心の中で念じてみる。
ガタリ!
突然、天井の板がはずれた。
「や、やぁ……」
天井裏からカルが現れた。
「お、思ったより近くにいたのね……」
「……うん」
カルは昼から天井裏にいたようだ。
出るに出られず、じっとしていたらしい。
「ごめん、僕、その……」
「無事でよかったな」
「そうね。先にあたしたちで見つけられてよかった」
「お、怒ってないの……?」
「怒る? なんで?」
そう言うと、カルは泣きそうな顔をした。
エリカも肯く。
怒る理由がない。
「何があったか、聞かせてくれ」
「うん……」
本題に入る。
カルはポツポツと語った。
犯人が屋敷にいると思ったこと。
探したら見つけられたこと。
逃げたので追いかけたこと。
肩を叩いて、振り向かせたら、胸に短剣が刺さっていたこと。
「カルがやったわけじゃないんだな?」
「うん。僕じゃないよ」
重要な証言だ。
カルは殺人犯ではなかった。
ただ、周囲にいた奴らはそう思わなかった。
だからカルは逃げた。
留まったら、警兵に殺されるからだ。
「走ってた内侍がある瞬間に死んだわけでしょ。カルが肩を叩いた瞬間に刺されたってことよね。そんなことできるわけ?」
「投げればいいんじゃないか?」
「だったら、僕が気づくと思う」
カルは銃弾を見切る忍びだ。
投擲や仕掛けならカルが見つけている。
……とすると、可能性はぐっと狭まる。
「最初から刺さっていたのかも……」
「おいおい。胸に剣が刺さってたら走れないだろ?」
「鍛えた忍びならできるよ?」
「できるのか……」
「だから、天上人にもできるんじゃないかなって」
仮にそうだとして、何のためにやるのか。
自分の胸に剣を刺して、走って逃げる。
謎だ。
「何にしても死体を調べるのが先よ。手がかりが掴めるかもしれないし」
「死体はもうないんだ……」
「ない?」
「隠れながら聞き耳を立ててたんだけど、警兵長が燃やせって指示を出してたから」
……それは変だ。
いくらなんでもおかしい。
本を読んだ知識では、天上人も弔いをする。
霊公会が主導で葬儀を開く。
その過程を無視して、死体を焼くはずがない。
「証拠を消したかったから。そうとしか思えないわ」
「……証拠。やっぱり何か仕掛けがあったんだな?」
「えぇ。……怪しいわね、あの蜥蜴」
警兵長が絡んでいるのだろうか。
だとしたら、えらい話だ。
調べる側が犯人だったら捕まえられるはずがない。
とんとん。
不意に襖が叩かれた。
カルは条件反射で飛び上がり、直後、襖が開いた。
「人間王、少しよろしいでしょうか?」
巫女姿のスグリが立っていた。
後ろに内侍を引き連れている。
巫女としての訪問のようだ。
カルは……。
天井裏には戻れた、はずだ。
ちらと見ると、天板が開いたままだった。
上を向かれたらバレてしまう。
スグリはいいが、内侍はまずい。
なんとかしないと……。
「あー、肩が凝って仕方ないわ!」
そのとき、エリカがわざとらしく言った!
胸を両手で掴んで持ち上げてみせる……!
巨大な胸が波打つように揺れた。
これにはさすがの天上人も刮目した!
じっと見ずにはいられなかった!
その隙にカルがそっと天板を閉める……。
「肩凝りに効くお薬をお持ちいたしましょうか?」
「いいえ、いいわ。そんなにひどくないし」
「そうですか」
ひとまず、切り抜けたようだ。
「わたくしは人間王とお話をしたく存じます。下がっていていただけますか?」
スグリは内侍を下がらせる。
二呼吸ほどおいて、素の喋り方になった。
「……はぁ。わたくしにも監視がついて大変ですの」
「みたいだな。自由に動けないのか?」
「見た通りですわ。警兵長が必ず従者をつけて歩けとお命じになったんですの」
警兵長が……。
ますます怪しく感じられる。
「それで、巫女様が何の用事なわけ?」
「前置き抜きで申し上げますわ。カルさんがどこにいらっしゃるかご存知ありませんこと?」
「そんなの、あたしたちが知るわけないわ。こっちだって閉じ込められてるんだから」
エリカは流れるように嘘をついた。
指摘する間もなかった。
「そうですわよね……」
「逆に聞くけど、警兵長は何をしてるわけ?」
「今は屋敷の中を調査していらっしゃいますわ」
「領主は止めないの?」
「動けませんもの……」
スグリが言うには、領主は今も難しい状態らしい。
ハービーの霊術で安定を保つのがやっとで、起き上がって話すのも厳しい。
屋敷のことはすべて警兵長に任されているとのこと。
エリカの推測通りだ。
「兄さま」
「なんだ?」
「わたくし、兄さまの実の妹なんでしてよ」
「そうだな?」
いきなり何だろう。
そう思っていると、
「だから、嘘はやめてくださいまし」
スグリはそう言った。
まっすぐ目を見てくる。
「……嘘ってなんだ?」
「カルさんはここにいるんでしょう」
「……」
「その顔、ここにいるんですのね?」
体中から汗が出た。
無理にでも誤魔化すか?
いや。
スグリに嘘をつく必要はあるか?
エリカはカルを隠したが……。
スグリは妹だ。
人間の仲間のはず。
だったら、
「居場所は知らないって言ったはずだけど」
エリカが前に出て言った。
少しばかり間が空いた。
「……そうですの」
スグリは残念そうに言う。
部屋を見回し、何かを見つけようとする。
が、その試みも失敗し、席を立った。
「わたくし、これからは祈りの間から出られなくなると思いますわ。たぶん、会えるのもこれが最後……。用事があれば、内侍を使ってくださいまし」
会えるのはこれが最後。
それがどんな意味かは掴みかねた。
聞き返す前に、スグリは部屋を出た。
ジンはやっと我に返って、エリカの肩を掴んだ。
「……言うべきじゃなかったのか?」
「信用できないわ」
「けど、今は味方が多い方がいい」
「わからないの? もし真犯人が見つからなければ、カルが犯人にされるのよ?」
「だから、どうした?」
「自分の屋敷で狼藉を働いた人間には、いくら領主でも恩赦はかけられない。殺さなければ、求心力を失う。それだけは避けなければならない」
エリカは言う。
これは面子の問題だと。
領主が人間との共生を願っても、領内政治はそれに優る課題だ。
人間一人をかばって天上人をないがしろにはできない。
だから、領主はカルを殺す。
そこに領主の意志は介在しない。
そして、スグリも同じ判断を下すだろう。
「領主は今、それくらい追い詰められてる。危ないのはあたしたちだけじゃないってこと」
「警兵長が仕組んでるのか?」
「かもしれない。でも、証拠がない」
なのに、探しに行くこともできない。
無理に動けば警兵長が黙っていない。
警兵と諍いを起こせば、領主との戦争になる。
どうにもならない。
「ごめん、僕のせいで……」
天井からカルが現れた。
さっきの数倍は小さく見えた。
その体をエリカが抱きしめる。
「カル、いいのよ。あなたは悪くないわ」
そこはエリカに同意だ。
カルは嵌められただけだ。
「これからどうするの……?」
「怪しいのは警兵長だけど、どうやって証拠を掴むかね」
エリカは歯噛みする。
方法がないのは確認済みだ。
ヤキモキしても仕方がない、とジンは思う。
「やることないし、寝るか」
「……あんたのその図太さには負けるわ」
図太いわけではない。
寝るのが一番だと思っただけだ。
最悪の場合は、炎を使う。
警兵長は倒すしかない。
やるしかないと思えば、焦りは消える。
考えて何かが変わるわけでもないのだ。
だったら、寝た方がいい。
†スグリ†
スグリは祈りの間にこもっていた。
屋敷の隅にある別棟で、片側は山に面している。
小さな窓から月に照らされた木々が見える。
その山にはスグリと領主が出会った霊泉があるのだった。
「……どうかお助けくださいまし」
スグリは祈った。
祈ることしかできなかった。
事態はもはやスグリの力では収束できない。
領主暗殺未遂の容疑はカルにかかっている。
天上人を殺した事実も重い。
目撃者がいる以上、言い逃れはできない。
屋敷内での刃傷沙汰は過去の判例上、極刑は免れ得ない。
領主は、人間王への信頼だけで刑を思いとどまっている。
あの傑物がするはずがない。
伏せったまま頑なに信じている。
幾度、警兵長から執行の要請があっても、頑として認めない。
……その信頼を、兄は知らない。
伝えられればよかった。
あなたは、こんなにも信頼されているのだと……。
でも、兄はスグリを信じなかった。
兄はカルをかくまっている。
あの顔を見れば、嫌でもわかった。
しかし、その事実を最後までスグリに言わなかった。
あろうことか嘘をついた。
少しだけ涙がこぼれる。
……信じているのに、信じてもらえない。
そして、スグリはもうこの部屋を出ることができない。
入り口には内侍が一人張り付いた。
これ以降、祈殿からは出られない。
当然の措置だった。
巫女とは祈るのが仕事なのだ。
領主が危篤だというのに、祈らない巫女などあってはならない。
警兵長は言った。
祈りを放棄するなら、内侍長と連盟で直訴すると。
直訴先は霊公会。
巫女を嫌う一派であり、人間国を巡って領主と対立している組織だった。
動けば領主に敵が増える。
たった一人で証拠を見つけられる確証がないのなら、スグリは動くべきではなかった。
そのことがとても歯がゆい。
だから、祈った。
祈ることしかできなかった。
犯人は人間の誰か。
疑いようのない事実だが、スグリはもう少しだけ信じたかった。
†
警兵長は結界に異常がないことを確認した。
結界は今日のために用意していた。
人間王は忍びを操る。
そうした忍びはかつて、ズイレンでシヌガーリンから情報を抜き取っていたという。
策の要は情報の操作にある。
忍びは、ある意味、炎以上に警戒すべき敵だった。
だが、結界がある以上、忍びも手が出せない。
屋敷に入ることがあれば、王を殺すと脅している。
見ていることしかできないだろう。
ここまで瑕疵なく策は進んだ。
巫女も封殺し、領主と側近も部屋に閉じ込めた。
ボケた内侍長などは端から相手にならなかった。
さぁ、仕上げといこう。
警兵長は領主の寝室へ声を掛ける。
領主の治療は今も続いている。
側近ハービーが擦り切れる寸前まで霊術を使っていた。
容態は相変わらず安定しなかった。
ただの爆薬ではなかったのだろう、と警兵長は思う。
治りもしないが殺しもしない。
そんな呪いに違いなかった。
「……何のようだ」
領主は苦しげに返事をする。
「新たに三つの死体が出ました。……今度は屋敷の外。市街地です」
「……なんと、…………誰が殺されたのか?」
「検知役人が三名ほど。任務の最中に殺害されたものかと……」
この推測は本音だった。
聞かされた策に、この殺人は含まれていない。
おそらく、煮え切らない領主を説得するために、当主が手配したのだろう。
屋敷には手が出せないため、外で殺したのもそのためだ。
その意図を汲み、警兵長は反応もしていない結界に反応があったと嘘をつく。
「このまま人間王を放置すれば、さらに殺しを進めるかと……。どうか、ご決断を」
領主に迫る。
……彼は、もはや威厳の影もなかった。
死に瀕したただの獣だ。
「ご決断を」
「……」
「領主としての責務をお忘れですか?」
「……」
何度も問い詰める。
臣下が領主に迫るなど無礼極まりない行為だ。
だが、ハービーは疲れていて何も言わない。
正常な判断ができていない。
領主も同じだ。
真っ当な思考が出切る状態にはない。
だからこそ、何度でも問う。
やがて領主は呻くように言った。
「……二日、証拠がでなければ、……人間王を捕らえ、罰せよ」
「仰せのままに」
ついに領主が折れた。
……執行猶予がついたものの、もはやこの命令が覆ることはない。
なぜなら、これより二日、警兵長が領主に会わねばよいだけのことだから。
命令を覆す隙も与えぬ。
……ただ茫洋と時間を過ごせば、あの人間もオシマイだ。
†ナグババ†
領主ナグババは今も死の淵に立っていた。
人間王の手紙を受け取り、中庭へ行った。
置いてあった箱を不用意に開けた。
軽率な行動は今でも悔やまれる。
人間王の罠と聞かされたとき、嘘だと思った。
あの男は奸計を企てるような人物ではない。
むしろ、領内の敵だと疑った。
ハービーの霊術をもってしても快癒しないのが証拠だ。
ハービーの霊術は身体強化。
体の機能を一時的に強めるものだ。
効果の対象は自身に限定されず、他者にもかけられる。
効能は力を強めるばかりではなく、病気に対する抵抗力や怪我の治りも早める。
……感覚的には治っていてもおかしくない怪我だった。
治らないのは別の要因があるためだ。
霊術による攻撃。
そうとしか思えなかった。
……だからこそ、人間王は違うはずだった。
なのに、警兵長から上がる報告は人間王が犯人である証拠ばかりだ。
騙されていたのだろうか。
人間との共生は夢だったのだろうか。
だとしたら、なんと滑稽な一生だったのか。
信じることは、こんなにも苦しい。
しかし、諦める方がもっとつらい。
人間とわかりあう道を捨てるつもりはない。
為政者ならば、信念に殉じるべきだ。
…………ただ、現状を放置すれば、為政者たる資格が危ぶまれる。
二日という時間は人間王のために設けた時間だ。
精霊の導きがあるのなら、無実は証明されるだろう。
そうでないなら、……彼は敵だったというだけのこと。
割り切る以外にないだろう。
できることなら、無実でいて欲しい。
惜しむらくは、それを自分で証明できないこと。
治らない傷が憎い。
領主はただ祈り続ける。
夜は静かに更けていく。