7 バンガ第三人間収容所1
ジンは箱から出され、馬車の荷台に乗せられた。
荷台には同じような男が何人もいた。
縛られたまま延々と移動する。
景色がどんどん移ろっていく。
町並みは消え、何もない草原に出た。
放し飼いにされた牛や馬の姿が見えたが、ジンはぼんやりしていた。
ずっとヒヌカのことを考えていた。
探そうにも、探せなくなってしまった。
どうすればいいのだろうか……。
途中の町で、違う馬車に乗り換えた。
男の数は更に増え、肩が触れ合う距離で押し込まれた。
ジンは小柄な少年の隣に座った。
髪が細くて女のような顔だ。
というか、女だった。
年齢は十二、三くらいか。
肩の細さを見るに、かなり小柄だ。
「僕の顔に何かついてる?」
女が顔を上げた。
随分とかわいらしい奴だ。
が、今はそれもどうでもいい。
「別に。女も乗ってるんだなと思って」
「女……? あ! もしかして僕のこと!? 僕は男だよ! 失礼だな!」
少年はカルと名乗った。
声も仕草も女っぽいが男らしい。
「そうか、……俺はジンだ。よろしく」
「よろしくね。ジンは何をして捕まったの?」
「俺は……」
捕まった経緯を説明する。
うまく話せない部分もあった。
言葉に詰まってもカルは辛抱強く聞いてくれた。
「……そっか、ジンは隠れ村の出身だったんだね」
「隠れ村?」
「天上人に見つかってない人間だけの村って意味だよ。まだあったなんて知らなかったな」
「ほ、他にはないのか!?」
「あった、と言うべきかな」
カルは詳しく説明してくれた。
まず、ここはバサ皇国という国らしい。
そこは天上人の国で、人間は全員が奴隷だ。
上下関係は絶対遵守。
人間は天上人に逆らえない。
生まれたときから奴隷として生きるしか道はない。
バサ皇国はそんな国だ。
だから、かつては天上人から隠れ、独自に暮らす人間がいたという。
それらは密かに連絡を取り合い、連携を取っていた。
カルもそうした隠れ村の出身らしい。
しかし、天上人も隠れている人間の存在を知り、摘発が続いた。
今ではカルの知る隠れ村は、ほとんど消えてしまったそうだ。
「見つかった村は、どうなるんだ?」
「大体は山の深い場所にあるから、略奪だけされて皆殺しかな。少なくとも隠れ村の人間は従順ではないからね。管理するにも、道なき道を十日も歩かないとたどり着けないような村は不便だし。放っておいたら逃げ出すし。定期的な収入にはならないし。あとは反骨精神を他の人間に広められると困るし。……とにかく、殺した方が利があるんだよ」
顔はかわいいが言うことはえぐい。
論理的に詰められ、わずかな希望も砕かれた。
バランガはやはり滅ぼされたのだ……。
「……よくそんなに冷静に話せるな」
聞くと、カルは苦笑した。
「慣れ、かな?」
カルは旅の話を聞かせてくれた。
ずっと東から一人旅をして来たそうだ。
目的は他の隠れ村が生きているか確認するため。
奴隷にはならず、隠れながらの移動だ。
過酷な旅だったという。
何度も死にそうな目に遭った。
だがカルはその度に機転を利かせ切り抜けてきた。
すごい話だ、とジンは思った。
バサ皇国が何かは知らない。
しかし、聞くに、シャムがいたような町があちこちにある国だ。
自分より年下の女の子が、そんな世界で生きてきた。
それも一人で。
胸が熱くなる。
この気持ちは、尊敬。
そう、尊敬だ。
自分もそんな風になりたい。
「ところで、ジンの首飾り、見せてもらっていい?」
カルはジンの首飾りを指さした。
「これか?」
村を出る前に母から託されたものだ。
ジンにとっては家宝だが、他人にとってはただの石だと思う。
見るだけだと念押しして、カルに渡す。
「…………やっぱり本物だ。こんなところにいたなんて……」
「え?」
「え、えっとね、実はジンに大切な話があるんだけど、」
カルが突然真顔になる。
そのとき、馬車がガタリと揺れた。
「到着したぞ! 降りろ!」
外から怒鳴り声が聞こえた。
運搬役の天上人が男たちを追い立てる。
馬車が止まったのは、森の中だった。
気味の悪い森だった。
生き物の気配に乏しく、肉食獣ですら身を隠そうとしていた。
天上人に歩けと命令される。
二十人ほどで黙々と歩いた。
やがて朽ちかけた門が姿を見せた。
入口には看板がかかっていた。
――――バンガ第三人間収容所。
「やっと来たかッ!」
入口には犬の天上人が待ち構えていた。
でかい。
縦にも横にもジンの二倍はある。
犬が顎で指示を出すと、背後にいた人間が箱を倒した。
刀やら槍やらの武器がばらばらと出てくる。
猿ぐつわと縄が外される。
体は自由。
そして、眼前には武器。
……ここで何をさせる気なのか。
犬が大音声で言った。
「ようこそ、人間諸君! ここは罪を犯した愚かな人間を役立てるための収容所だ!! 入った以上は生きては出られない! 希望を捨てろ! 過去を忘れろ! 貴様らの刑期は等しく無期懲役! ここで貴様らは兵士になる! さぁ武器を取れ! 戦ってこいッ!」
人間たちは互いに顔を見合わせる。
言われた意味がわからない。
一人が手を挙げる。
「……た、戦えとはどのような意味でしょうか?」
「戦うのだッ!! 貴様らは戦うためにここに来たッ!!」
「刑期が無期というのは、…………その、短縮する可能性はあるんですか?」
「戦いに勝てば褒美をやろうッ!!」
「どうか一度だけ娘の顔を見るために戻ることはできないでしょうか……」
「戦うことが喜びだッ!!」
様々な質問が飛ぶ。
だが、犬は同じ言葉を繰り返すだけ。
端から答える気がないのだろう。
――――まぁ、なんでもいい。どうせやるしかないんだろ。
ジンは男たちを押しのけ、一番に武器を選んだ。
「戦ったら飯が食えるのか?」
「ほぅ、中々の胆力だ。無論、夜になれば飯を出す。ちなみに戦う場所はこの森だ。木のない場所の方が少ない」
「そうか」
なら刀身は短い方がいい。
槍は論外だ。
ジンは小ぶりの刀を見つけ、それにすることにした。
「お、俺も選ぶぞ……!」
「森の中なら短弓だよな!?」
「馬鹿、矢はどうするんだよ!?」
その様子を見て他の男たちも武器を取る。
どの道、戦うなら少しでも有利な武器がよい。
武器箱の前で押し合いになった。
「よーし、武器は持ったな! これより先は貴様らの先輩が案内してくれるだろう!」
武器が行き渡ると、天上人が森を示した。
そこには武器を持つ人間が待っていた。
何十人という数だった。
合流するとそれなりの規模になる。
「さて、編成も完了したな!! では、行って来い!! 新人は初日だからと手を抜かず、しっかりと戦うように!! なお初陣を生き残れるのは経験上、十人に一人だ!! 今回は多くが生き残ることを期待するッ!! さぁ行けッ! 初陣だッ!」
「「「なぁ…………!?」」」
これだけたくさんいて、生き残れるのはたった二人……!!
男たちに動揺が走る。
「嫌だッ! 俺は行かないぞ!?」
泣きわめく奴も出てくる。
不安で震える奴もいる。
だが、先輩は声をかけるでもなく森へ進んでいく。
背後を犬の天上人に固められ、結局、全員が森へ行くことになった。
†
山の中腹で二十人ずつ六つの小隊に別れた。
小隊には三、四人ずつの新人が組み込まれた。
ジンはカルと同じ小隊になった。
新人はもう二人いて全部で四人だ。
慣例だと言われて四人で先頭を歩いている。
その少し後ろを先輩たちが続く。
行軍中は無言。
黙々と歩を進めるのみだ。
カルに言われ、ジンは状況の把握に努める。
味方の位置と装備、地形、足元。
見るべき点は結構あった。
だが、一番大切な情報が足りていない。
何と戦うのかを聞いていないのだ。
指示も与えられずに新人が先を歩いている。
それでは戦にならない。
先輩たちが距離を取っているのも謎だ。
布陣という奴だろうか。
「……おかしいだろ、こんなの」
隣を歩く男が言った。
「何がおかしいんだ?」
「俺たちを先に歩かせるなんて、まるで囮じゃねぇか」
囮……?
確かに、これは囮だな、とジンも思った。
そのとき、じわり、と左手が痛んだ。
「避けてッ!」
カルが叫ぶのと、樹上から何かが落ちてくるのが同時だった。
「あぁぁあぁぁぁぁあああ!?」
何かが男の肩を直撃した。
男が悲鳴を上げる。
落ちてきたのは一見して、ただの猿だ。
猿くらいで大げさだな、と思うが、次第に事の重大さに気づいてくる。
猿にはあるべきものがなかった。
「な、なんだこいつっ……!」
顔がない。
猿は顔の部分すべてが口だった。
その口で男の首に噛み付いている。
見る間に猿の体が膨らんでいく。
……この猿は血を吸っている!
男が膝をつく。
頭に行くべき血を全部吸われ、男はとっくに事切れていた。
その目はもうどこも見ていない。
白目をむいたまま、顔を青白くして口から泡を吹き、
「下がれ!」
いつの間にか背後に先輩がいた。
首根っこを掴まれ地面に引き倒される。
突っ込んできた一人が猿の腹に短剣を突き刺す。
凄まじい量の血が吹き出した。
飛沫がジンの足にかかる。
ぬるぬるした感触がたまらなく気持ち悪い。
先輩たちは背中合わせに立ち、頭上を警戒していた。
木々がざわめいている。
甲高い鳴き声も聞こえる。
「た、助けてくれぇええええ!」
もう一人の新人が槍を捨てて山を駆け下りる。
「バカ! 一人で動くな!」
先輩が叫ぶが、間に合わない。
新人の頭に何匹もの猿が飛びかかる。
斜面を転がり落ちていく。
悲鳴が聞こえる。
数秒と続かなかった。
わずかな間に二人もやられた。
だというのに、誰一人表情を変えない。
助けに行く素振りもない。
「忌むべき猿の群れだ! 警戒しつつ移動だ!」
誰かが指示を出す。
すると、先輩たちは陣形を維持したまま山を下り始めた。
……ジンは全くついていけない。
とにかく、立ち上がって見よう見まねで同じことをする。
「来るぞ!」
猿が頭上から降ってきた。
間近で見ると、動物とは思えない体だった。
顔には目も鼻も耳もなく円形の口があるばかりだ。
手足もぐねぐねと動いている。
先輩たちは協力して猿を叩き落としていく。
連携など当然習っていない。
すべきことがわからない。
落ち着け。
深呼吸だ。
できないことは無理にやるな。
死なないことだけを考えればいい。
しかし、それも難しい。
猿は頭上を飛び交い、ふとした瞬間に落ちてくる。
動きが全く予測できない。
せめて攻撃の予備動作さえわかれば…………!!
そんな不安を見抜かれたのか、猿は的確にジンを狙ってきた。
避けることなど不可能だった。
体を捻って、首への直撃は免れた。
だが、肩に体を巻き付けられた。
猿を掴むのと、猿が口を開けるのが同時だった。
何十本もの歯がうねうねと動く。
「うぉおぉおぉおお……!?」
執拗に首を狙ってくる。
噛みつかれたら……!
あの男と同じ末路だ!
刀を投げ捨て、死ぬ気で引き剥がそうとする……!!
「しゃがんで!」
カルが叫ぶ。
頭上を風切り音が通り過ぎる。
短刀の一閃で猿の頭が切り飛ばされる。
眼前に猿の頭が落ちてくる。
歯の先に血が付着していた。
首に触れると鋭い痛みが走った。
手のひらにべったりと血が付着する。
噛まれていた。
あと少し助けが遅かったら、自分は……。
「すまん、……た、助かった」
「立って! まだ終わってないんだから!」
刀を探し、構え直す。
少しでも油断したら死ぬ。
永遠にも思える時間が過ぎた頃、猿が山奥に引き上げていく。
先輩たちはジンなど最初からいなかったかのように隊列を組む。
「敵が引き上げるぞ。首を回収して帰還しよう」
猿の首と新人二人の遺体を担いで山を降りる。
今日は楽でよかったなと笑う声もあった。
†
山を降りると夕暮れ時になっていた。
草地で整列しそれぞれの小隊が、得体の知れない首やら尻尾やらを提出した。
犬の天上人は数を確かめると満足げに肯いた。
「新人がいた割には上々だな。何人が生き残った?」
天上人は新人だけを前に呼ぶ。
ジンとカルの他には、一人しかいなかった。
「新入り二十名のうち生き残った者は三名! これが新たな仲間だ! みな歓迎するように! …………いや、待てよ」
天上人は鼻を鳴らしながら、一人の新人に近づく。
その新人は腹を押さえていた。
顔は青白く、立っているのもやっとという様子だ。
「これはダメだな」
天上人は腰の刀を抜き、新人の首を飛ばした。
血しぶきが飛ぶ。
顔に血がかかっても誰も何も言わない。
「訂正しよう! 新入り二十名のうち生き残った者は二名! これが新たな仲間だ! みな歓迎するように!」
拍手が鳴り響く。
男たちが無言で手を叩く。
ここは罪を犯した愚かな人間を役立てるための収容所。
入った以上は生きては出られない。
希望を捨てろ。
過去を忘れろ。
貴様らの刑期は等しく無期懲役。
ここで貴様らは兵士になる。
さぁ武器を取れ。
戦ってこい。
……それが、バンガ第三人間収容所だった。