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19 事件2

2019/03/03 誤字脱字修正


    †スグリ†


 兄を離れに戻すと、スグリは領主の部屋を訪ねた。

 領主は眠っていた。

 時折、うめき声を出すも、半ば寝言だ。


「……容態はどうなんですの?」


 治療に当たるハービーに尋ねる。

 彼の霊術は身体機能を強化させるというものだ。

 他人にもかけることができ、病気や怪我に対する回復力を上げる効果がある。


「安心できる状態ではありませんね。霊術を全力でかけて、……なんとかという段階です」

「医者が必要ですわ。ガレンに遣いは?」

「内侍長に頼んではいます。医療系の霊術師を呼ぶようにと」

「では、それまでが山ということですわね」


 スグリは領主の手をそっと握った。

 人間の数倍はある大きな手だ。

 毛に覆われ、爪も長い。

 けれど、温かい手だ。


 腕から先は包帯がぐるぐる巻になっていた。

 領主は爆発を至近距離で受けていた。

 箱状のものが破裂したと見られ、腹部から顔にかけて裂傷があった。

 ただの爆発ではなく、金属片が飛び散る仕掛けが施されていたという。


 事故というには、状況が整いすぎていた。

 明確な殺意を持った者の犯行だ。


「それより、人間王の様子はどうですか? 最有力容疑者なわけですが」

「わたくし、そんなつもりで兄さまと話したわけではありませんわ! 兄さまは領主が招いた賓客でしてよ!?」


 スグリはカッとなって怒鳴った。

 息をするように客人を疑うハービーが信じられない。

 しかし、ハービーは冷淡だった。


「私情を挟むのはおやめなさい。あなたは領主が見出した巫女なのですよ?」


 その言葉で我に返る。

 領主に仇なす者が直轄地にいる。

 皆が一丸となって対応すべきときだ。

 余計なことを考えるべきではない。


「……ごめんなさいですわ」

「改めて聞きます。人間王の様子はどうですか?」

「犯行を否定しておりますわ」


 少し迷って、スグリはそう言った。

 庇い立てしたことは伏せておく。

 言わないのは、嘘ではない。


「証拠は?」

「警兵長は領主様を呼び出した手紙を証拠として上げております。しかし、あれは誰にでも書けるため、決定的ではありませんわ」

「理解しました。証拠はいずれ出るでしょう」

「ハービー様も、兄さ、……人間王を疑っているんですの?」

「彼以外に動機を持つ者がいませんから」


 その点は事実だ。

 この屋敷には領主を殺して得をする者がいない。

 唯一の例外は外から招かれた人間王だ。

 他に候補がない以上、疑わざるを得ない。


 兄を信じたい、とスグリは思う。

 いいや、兄ならば信じられる。

 けれど、兄の周りにいる人間はわからない。

 兄の知らないところで他の者が暗躍した可能性は捨てきれない。


 心苦しさはある。

 しかし、領主に仇なす者は看過できない。


    †


 調査にあたってエリカは要点を三つに絞った。


 一つ、誰が領主に手紙を渡したか?


 領主は人間王の手紙を受け取っている。

 しかし、ジンは出していないし、他の三人も違う。

 深夜に領主の部屋を訪ねたのだから、内侍である可能性が高い。

 この内侍は誰か? 何を見たのか?

 聞けば、情報が出てくるかもしれない。


 二つ、犯人はどこから来たのか?


 領主へ渡す爆発物はいつ中庭に設置されたのか。

 深夜とは言え、屋敷は警兵が見回っている。

 気づかれずに忍び込む余地はあったのか。

 もし外部犯なら犯行後は逃げるはずだ。

 町の人間が目撃している可能性がある。


 三つ、爆発物は誰が作ったのか?


 爆発を起こすには火薬が必要だ。

 バサ皇国にも火薬はあるが、造り手によって質が異なる。

 火薬の残滓を調べれば、製造元を絞れる可能性がある。


 火薬と言えばエリカの武器も火薬を使う。

 こちらはソテイラの奴隷だけが持つ技術なので、一般には流出していない。

 今回の事件で使われた可能性は低い。


「この三点に的を絞って調べていくわ。三組に別れましょう」


 エリカは次々と役割を決めていく。

 さすがは人間国が誇る頭脳だ。

 犯人が見たら、戦々恐々に違いなかった。


 早速、三人で調査を始める。


    †エリカ†


 エリカは内侍への聞き込みを担当した。

 第一発見者の内侍を探して、話を聞く。

 ついでに犯行時刻の現場不在証明をしてもらう予定だ。


 内侍は警兵長によって、一部屋に集められていた。

 天上人が五人ほど。

 エリカは物怖じせずに入室し、目撃者を探した。


「あたしは人間王の宰相。その頭脳を見込まれて、領主暗殺に関わる調査を依頼されたわ。隠し立てすれば、すべてハービーに伝える。そのつもりで答えなさい」


 まずは脅す。

 人間だと舐められたらおしまいだからだ。

 これが効いたのか、五人は協力的だった。


「この中で爆発音を聞いたのは誰?」

「……私です」


 羊の天上人が手を挙げた。


「爆発音を聞いたとき何をしていたの?」

「寝ていました。けれど、眠りが浅いもので……」


 起き出した彼女は中庭を見た。

 すると、火の手が上がっていたという。


「火事だと思って近づいたんです。そうしたら、領主様が倒れていて……」


 そのあとは大騒ぎだった。

 他の内侍を呼んで、ハービーを起こして、領主を運んで手当をして。

 気づいたら朝だったらしい。


「何か気づいたことは?」

「うーん……、特には」

「そう。じゃ、この中で領主に手紙を渡したのは?」

「……」


 問いかけるが返事はなかった。


「内侍が渡さなかったら、領主は手紙なんて読まないと思うんだけど」

「……実は、私たちも不思議に思ってるんです」

「何を?」

「誰が手紙を渡したのかって」


 領主はあんな奴だが、腐っても領主だ。

 侵入者から手紙を受け取るとは思えない。

 少なくとも顔見知りが渡したか、部屋の前に置いたか。

 どちらかのはずだ。


「人間なんじゃないかと思ってたんです」

「それは違うわ。手紙は違う誰かが書いて渡してる。心当たりは?」

「……」


 五人が顔を見合わせる。

 ないわけではないらしい。

 しばし、圧をかけると、一人がおずおずと話し始めた。


「一人、姿を見せていない内侍がいるんです。二日前から姿を見てなくて……」

「二日前から?」

「はい。体調を崩して休んでいるのだろうと、内侍長は楽観していました……」


「その内侍が昨日の夜だけ屋敷に来て、手紙を渡すってこと?」

「私たちって、別に仕事を管理されてるわけではないですから。好きな時間に来て、人間に指示を出せばよくて。だから、その……」

「人間奴隷もいるわけ? 先に屋敷にいる天上人と人間を列挙しなさい」

「あ、はい」


 挙げさせると結構いた。

 内侍長、警兵長。

 内侍が六人。このうち一人は二日ほど欠勤。

 警兵が六人。このうち四人は外回りなので、夜は二人体制。


 そして、人間奴隷が十人。

 人間奴隷は表に出てこないが、掃除、洗濯、炊事を行う。

 ただし、この十人は住み込みではない。

 夜になったら各自の家に戻ってしまう。

 結界がある以上、彼らは容疑者にはならない。


「つまり、手紙を渡したのがあたしたちじゃないなら、欠勤してる内侍が最有力候補なのね。連絡は取れないの?」

「家に行ってみないと……。でも、私たちは待機を命じられてますので」

「なら、あたしが行くわ」


 場所だけ教えてもらう。

 問い詰めれば何か吐くはずだ。

 あるいは、すでに逃げたあとか。


「その内侍、本当に体調不良で休んでると思う?」


 ふと気になって聞いた。

 内侍は迷ってから言った。


「……思わないです。あの、気を悪くしないで欲しいんですけれど、その内侍は人間王の世話係を言いつけられていたんです。そのことが嫌だったみたいで愚痴をもらしていました。だから、仲間内では仕事が嫌で休んでいるだけじゃないかって……」

「なるほどね」


 仮病だから昨日の夜だけひょっこり来たとしても、おかしくないわけだ。


「ちなみにその内侍に領主暗殺の動機は?」

「とんでもない! あの人の頭の中は宝石や香料のことばかりですよ。暗殺なんてありえません」


 なら、関与したにしても、利用されただけか。

 とすると、今頃は用済みだから、いないかも……。

 遺体は屋敷の外かしら?

 そんなことを思いながら、エリカは考えをまとめる。


「ありがとう、参考になったわ」


 お礼を行って部屋を出る。


    †


 ジンは町に出ていた。

 不審な人影がなかったか聞いて回るためだ。


 事件こそ屋敷内で起こっているが、犯行後は逃げた可能性が高い。

 深夜とは言え、目撃者がいるかもしれない。


 屋敷を抜けると警兵が一人ついてきた。

 気にしても仕方ないので無視を決め込む。

 首長の屋敷へ向かう。

 何しに来たんだ、という目で見られる。

 簡単に事情を説明すると、


「りょ、領主様が大怪我ァ!? お見舞いに行かなくてはァ!!」


 家を飛び出そうとした。

 慌てて押さえつける。


「見舞いに行っても無駄だ。たぶん、会えないぞ」

「で、でも、屋敷の前で祈るくらいは!」

「そこまですんのか……」


 愛が重い。

 少なくとも犯人ではないだろう、とジンは思う。


「領主に怪我をさせた奴を探してるんだ。昨日の夜、怪しい奴を見た人間はいないか?」

「夜のどれくらいだ?」

「寝てたから、……深夜だな」


「それだと、夜は皆、家に帰るからなぁ……」

「物音を聞いた奴とかは?」

「それはわからねぇけど。……おい。まさかとは思うが、お前たち、町の奴を疑ってんじゃないだろうな?」

「人間は犯人じゃねぇよ。屋敷には結界が張られてる」


「てことは、天上人様か……。ますます町じゃ見ねぇな」

「町には一人もいないのか?」

「あぁ。全員、お屋敷の中だ」


 ……それだと、犯人は屋敷にいる誰かということになる。

 町の人間は結界で入れない。

 入ったとしても警兵長に気づかれる。


「町の会議で聞いてみる。何かわかったら教える」

「助かる」


 首長にお礼を言って外に出る。


 そのあとは聞き込みをした。

 領主の屋敷に近い店や家を一軒ずつ回る。


「領主様に何かあったのかい?」

「あんた、領主様の敵なんだってね?」


 十軒ほど回ると、すでに噂になっていた。

 通行人の方から声をかけてくる。

 またたく間に人垣ができて、質問攻めにあう。


 それでも目撃情報が出て来ない。

 逆に町に怪しい奴はいないかを聞いてみる。


「怪しい奴と言ったら、元奴隷でしょ。町の人間を目の敵にしてるもの」


 一理ある。

 そう思って、改めて首長に聞くも、


「馬鹿を言うな。奴らこそ天上人を主人と崇める連中だぞ? 領主様に手を出すなど、どう転んでもありえんわ」


 そう言われてしまった。

 町の不穏分子は天上人の絶対的な味方だからこそ不穏なのだ。

 領主というより首長の敵だ。


 こうなると、本格的に手詰まりだ。

 聞いた内容をまとめてみる。


 ひとつ、町の人間は領主の味方。

 ふたつ、町に天上人は住んでいない。

 みっつ、目撃情報はない。


 目撃情報の話をすると、警兵が見ている確率が高い。

 が、外に逃げるのを見ていたなら、人間が犯人とは言わないはずだ。

 よほど逃げるのがうまいのか……。

 いや、本当に外に出ていないのだろう。


 町に天上人はいないし、目撃情報もない。

 最初から最後まで犯人は中にいたと考える方がよい。


 少し見方を考えると、外から来た何者かという説もある。

 首長に、出入りする天上人について聞いてみた。


「直轄地には領主様の許可がないと入れん。が、広いから忍び込めるだろう」

「じゃ、外から来た天上人が領主を襲うってことは……」

「大きな声では言えんがあり得る」


 外から来た謎の天上人説もありなわけだ。

 今のところ一番有力に思える。


「とは言え、お屋敷は警兵様がずっと見張っている。忍び込めるとは思えんな」

「……そうだった。それがあったな」

「大穴としては、……たとえば、警兵様が共犯だったなら忍び込めるぞ」


 首長は考えるのが楽しくなってきたのか、次々に案を口にする。

 警兵長が共犯。

 ……それは、考えてなかった。

 でも、あいつが犯人一味だとすると、人間の出入りは自由になる。

 いや。

 だったら、最初から結界を張る意味あるだろうか。

 最近張ったと言っていたし……。

 ――――と思わせるための結界だったら?


 疑えばきりがない。

 頭がこんがらがってきた。


「……ん? あれ、警兵長じゃないか?」


 そのとき、遠方に警兵長の姿があった。

 手下を連れていない。

 どこか慌てた様子もある。


「領主様に仇なす輩が出たんだ。奔走するのは自然だろう」


 首長は自信たっぷりに言う。

 そんなもんか、と思いこのときは気に留めなかった。


    †カル†


 カルは現場の周辺をうろついていた。

 エリカが来るまでに証拠を探すのが仕事だ。


 忍びの起源は王に造反する者の暗殺にある。

 殺る側の視点で見れば、警兵の見落としたものも見つかるはず。

 ……とエリカは言うが、カルに暗殺の経験はなかった。


 現場を見ても、焼け焦げた跡以外に何も見つけられない。

 あとは、金属片が庭の樹木に刺さっているくらいだ。


 爆弾の入っていた箱は警兵長が回収していた。

 当然、見せてはもらえない。


 エリカなら焦げ跡から火薬の成分なんかもわかるのだろうが、カルにとって火薬は道具の一つでしかなく、使い方は知っていても、作り方は知らない。

 自分なりのやり方を考える。

 自分ならどうやって領主を暗殺するか。


 まず、爆薬。

 天上人は体が丈夫だから選択としては悪くない。


 だが、なぜ中庭で渡したのか。

 屋敷の構造上、中庭は真っ先に避けたい場所だ。


 領主の屋敷は広大な庭と本館、そして、多くの別館からなる。

 別館にはそれぞれ名前がついているが、割愛する。

 形としては中央に本館があり、左右と奥に別館というものだ。

 奥側には別館が渡り廊下で三つもつながる。


 最奥が巫女のために用意された祈りの間。

 その一つ手前が領主の執務室だ。

 カルたちに割り当てられたのは、本館向かって右の別館の先にある離れである。


 庭も建物の周囲を囲う庭園のみならず、中庭が存在する。

 中庭は渡り廊下が張り巡らされ、池もある。

 構造を知らない者が歩けば迷うに違いない。


 少なくともジンは一度で構造を把握できていなかった。

 それはエリカも同じだ。

 できたのはカルだけだ。


 つまり、訓練された者でなければ、歩けない屋敷なのだ。

 犯人は屋敷の構造に精通していた。

 知っている誰かの犯行だ。


 だからこそ、中庭なのが不思議だ。

 中庭は名の通り、三方が建物に囲まれる。

 領主の私室と本館、それから右翼にせり出した本館だ。


 敷地の中央にあり、最も逃げにくい。

 爆弾を渡して領主を殺すのだ。

 普通に考えれば、逃げやすい裏庭か前庭を選ぶ。


 特に裏庭は建物が少ないため目撃者も減らせるし、屋敷の背後は山だ。

 逃げる場所にも苦労しない。

 なのに犯人は中庭を選んだ。


 ……何か、強い意図があったはずだ。


 ふと背後に人の気配がして振り返る。

 忍びがひざまずいていた。


「隊長殿、確認してまいりました」

「ご苦労さまです」


 一つ、カルだけの情報源があった。

 忍びだ。

 彼らは夜通し屋敷を監視していた。


 出て行った者がいれば、必ず忍びが目撃している。

 そして、犯人はこれを絶対に知らない。


「否でございます。昨夜、屋敷の外に展開していた忍びは何人の出入りも認めておりません」

「そうですか……! ありがとうございます!」


 誰の出入りもなかった。

 ……これは大きな手がかりだ。

 というより、答えと言っても差し障りなかった。


 犯人はこちらを欺くつもりだったのだろう。

 逃げたと見せかけて、屋敷に留まる。

 それが狙いだったのだ。


「…………すぅ、はぁ」


 深呼吸をする。

 少しだけ緊張してきた。


 犯人は、まだ、屋敷にいる。

 十中八九、天上人だ。

 追い詰めても勝てる相手ではない。


 いや。

 ……もっと大きな問題がある。

 領主は、大怪我を負って、伏せったままだ。


 犯人が屋敷にいて、領主は怪我をして動けない。

 そして、周囲には看病している者しかいない。

 あまりに容易に狙える状況だ。


「……スグリさんに領主身辺の警護を強化するように伝えてください」

「御意」


 忍びの気配が消える。

 ひとまず、手は打った。

 あとは犯人を探すだけだ。


 堂々と日常生活に戻っているか。

 あるいは隠れているか。

 前者の方が疑われにくくはある。


 が、それはないと思う。

 領主暗殺のような重大事件は、当事者全員が取り調べの対象となる。

 そして、犯人が見つかるまで決して釈放はされない。

 むしろ、見つからない場合は、領主をお守りできなかった咎で全員死刑だ。


 天上人は平気でそういうことをする。

 犯人が捨て身でないのなら、すでに逃走しているはず。

 と誰もが思うだろう。


 だから、犯人は潜伏を選んだ。

 優秀な忍びなら一月は潜伏できる。

 それだけあれば、屋敷の警戒も緩む。

 悠々と逃げることが可能だ。


 周到な計画だと思う。

 しかし、隠れることに関して忍びは達人だ。

 素人芸に劣るつもりはない。


 ……だから、犯行現場が中庭なのだ。

 逃げることを念頭に置いたので気づかなかった。

 屋敷で身を潜めるなら中庭だ。


 渡り廊下があり、茂みも多い。

 隠し通路の類がなければ、まず、ここだ。


 エリカに報告すべきか。

 そんな思いがよぎる。

 だが、犯人がこちらの意図に気づいたら?

 そんな焦りもある。


 カルは時間を優先した。

 最も怪しいと思う場所から順に調べる。


 茂みをかき分け、屋根の上を見る。

 そして、隠れるにはちょうどよいが探す側も最初に見るであろう、渡り廊下の下を覗き込み、


 ――――闇に光る二つの目を見た。


 凄まじい反応だった。

 二つの目はけたたましい音を残して逃げた。


「待てッ!」


 カルはとっさに追いかける。

 日の下に出ると、相手の全身が見える。

 猫の天上人だ。


 薄汚れた着物を着ている。

 隠れていたせいか、足取りもおぼつかない。

 これなら追いつける!


「犯人だ! その人を捕まえてッ!」


 指示を飛ばす。

 忍びがどこからともなくやって来る。

 先回りさせるが、手は出させない。


 相手は罪人でも天上人だ。

 人間から仕掛ければ問題になる。


「待ってください!」


 体当たりとまではいかないが、かなり強めに肩を引いた。

 それが人間に許される限界点だ。


 体力を消耗していたのか、猫の天上人は体勢を崩した。

 カルに寄りかかってくる。


 そして、べっとりと手のひらに血がついた。


「……え?」


 ずるり。

 天上人は力なく倒れた。

 血の臭いが立ち込める。

 カルは呆然と見下ろす。


 騒ぎを聞きつけた天上人が中庭に集まってくる。

 そして、次々と悲鳴が上がる。


 ほとんど無意識で倒れた天上人の顔を見る。

 その目はもうどこも見ていない。

 青白い顔に血の気は一切ない。


 やがて視線が一箇所に集中する。

 赤黒く染められた胸元。

 そこにはあってはならないものがあった。


 短剣の、柄だ。

 猫の天上人は心臓を一突きにされていた。


「……え?」


 頭が混乱する。

 この人はさっきまで走っていた。

 生きていた。

 カルが肩を叩いて振り向かせた。


 その直後に倒れた。

 胸を刺されて死んでいた。


 一体、誰が?

 ……誰にもできるはずがない。

 その場にはカルしかいなかったのだから……。


「え、え、え……?」


 内侍がこちらを見ている。

 どうすることもできなかった。



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