18 事件1
急な知らせで起こされた。
外はまだ明るみ始めてもいなかった。
「緊急事態……?」
ジンは寝ぼけながらも聞き返す。
カルがもう一度、要点を話してくれる。
「うん、警兵長から、ジンを連れてくるように言われてる」
「……何があったんだ?」
「詳しいことはまだ……。エリカが事情を聞いてくれてるところ」
「わかった」
ジンは外用の着物を羽織って、離れを出る。
本来なら王が略装で人前に出ることはない。
あるとすれば、天災か敵襲、またはそれに準ずる非常時のみだ。
そして、今はまさしくその非常時だった……。
応接間では警兵長が待っていた。
今日も背の高い部下を引き連れている。
隣には内侍長もいる。
名前は確かオンゴイ。
年老いた猿の天上人であり、物腰が柔らかい。
内侍とは屋敷の台所を担う役職だ。
つまり、内侍長は事実上、屋敷の管理者である。
逆に警兵は屋敷の外、町の治安や直轄地への出入りを監視する役割だ。
警兵長と内侍長が双方揃うのは昨日の時点で一度もなかった。
警兵長は鋭い眼差しのまま言った。
「やっと来たか、人間王。事情は聞いているな?」
「いや、詳しくは知らない。領主に何があったんだ?」
「何がとは白々しい。お前が一番知っているのではないか?」
「……何のことだ?」
微妙な間が空いた。
エリカが助けてくれた。
「人間王はご覧の通り、今、離れを御出になられたばかりです。状況を説明をしていただけますか、警兵長?」
「……ふん」
警兵長は鼻を鳴らす。
そして、一部始終を説明した。
「昨晩、何者かが領主様の暗殺を試みた。領主様のお命に別状はないものの大怪我を負われ、今も療養の最中である」
「――――」
瞬間、何を言われたかわからなかった。
領主が暗殺で大怪我?
誰が。
いつ。
なんで。
何から聞けばいいのかもわからない。
「発覚したのは昨夜未明だ」
警兵長は説明を続ける。
第一発見者は内侍の天上人だという。
その天上人は、中庭で爆発音を聞いた。
不審に思って中庭へ向かうと、そこには倒れ伏した領主がいた。
すぐに他に内侍を呼んで、手当てをした。
幸い大事には至らなかったが、領主は今も臥せっている。
以上が事件の概要だ。
爆発の原因は中庭に置かれていた箱だという。
贈答用の装飾をされた箱だ。
また、領主の懐には手紙が入っていたという。
犯人は領主を手紙で呼びつけ、爆発物の入った箱を渡したと見られている。
領主が無警戒に箱を開けたなら、霊術は無意味だ。
死ななかっただけ幸運と言える。
「犯人は手紙と箱を用意した奴か……。一体、誰がやったんだ?」
聞くと、警兵長は目を細めた。
「いつまで演技をするつもりだ、人間王?」
「演技?」
「言葉にせんとわからんか。人間、首謀者はお前だろう」
「はぁ?」
「お前たちは領主様の敵であろう。お前たち以外に、この屋敷にいる誰が領主様の暗殺など企てる?」
屋敷にいるのは領主の臣下と自分たちだけ。
臣下の忠誠が絶対なら……。
確かに犯人は自分たちしかいない。
しかも、ジンは宣戦布告をする意志を示している。
「でも、俺はやってないぞ」
「ふん。これを見ても、まだ言い逃れするできるか?」
警兵長が尻尾で指示を出すと、蜥蜴の片割れが懐から書状を取り出した。
「……それは?」
「これはお前たちが首謀者であることを示す動かぬ証拠だ。見ろ」
広げた紙を突きつけられる。
そこにはこう書かれていた。
『渡すものがある。中庭にて待つ。人間王』
「お前たちが領主様を呼びつけた証拠だ。言い逃れはできまいぞ」
「いやいやいや、こんなの書いてないぞ!」
エリカを見やる。
首を振る。
カルもだ。
「誰も書いてないって言ってる!」
「そんな言い訳が通用するものか。動かぬ証拠がある以上、聞く耳は持たぬ。即刻、死刑とする。逆らうのであれば、力づくにでもやるぞ」
「なんて強引な奴なんだ……!」
第一、書状は証拠にもなっていない。
名前が書いてあるだけだ。
いや、名前ですらない。
人間王の署名があるだけ。
それで犯人にされるのは困る。
もっと重要な点だが、ジンはこんなに字がうまくない。
「大人しく殺されろ、人間」
「そっちがそのつもりなら……、どっちが強いか教えてやらないといけないな」
警兵長の顔色がさっと変わった。
「に、人間風情が、天上人をなんと心得るのか!? 領主の客だから見逃してやっていたものを……!」
警兵長が立ち上がる。
あと二言三言かわせば、確実に火がつくだろう。
スグリが現れたのは、そんなときだった。
「これは何の騒ぎですか?」
猫耳猫尻尾のスグリは部屋を見回す。
立ち上がった警兵長を見て、概ね事情は察したらしい。
「警兵長、客人の前でなぜ立ち上がっているのですか?」
「……これは失礼しました。はしたない真似でした」
「あなた方の話し合う声は廊下まで聞こえました。何を話していたのですか? 内侍長」
スグリはあえて内侍長に問いかける。
「はぁ、ま、その……。警兵長が人間王たちを暗殺の首謀者をおっしゃるので、少々揉める形になりまして」
「揉めるなどとんでもない。私は警兵長の責務上、人間を裁こうとしただけです」
「裁くとおっしゃいましたね、警兵長。証拠はあるのですか?」
「もちろんです」
警兵長は手紙を取り出す。
自信満々ではあるが、スグリはすぐに首を振る。
「……そんなものは、いくらでも偽造が可能です。確たる証拠ではありません。警兵長、あなたの職務は真相を究明すること。しっかりとお願いします」
よほど不本意な反応だったのか、警兵長は露骨に顔を歪めた。
「致し方ありませんな。そのようにいたしましょう」
警兵長が引き下がる。
スグリの差配で、その場は収まった。
†
警兵長が出ていくと、スグリに謝られた。
領主暗殺という大事件を前にして、皆気が立っているのだ、と。
そう言うスグリも目の下に隈があった。
昨晩はずっと起きていたのだろう。
見舞いは? と聞いてみると首を振られた。
今は絶対安静なのだという。
長居してもできることはない。
大人しく離れに下がることにした。
「……大変なことになったな」
早速、対策会議を開いた。
対策と言うが、何対策かも不明だ。
「領主暗殺……。とんでもない事件ね」
「何でこんなときに起こったんだろう……」
人間側の思いとしてはカルのつぶやきに尽きる。
領主の申し出を受けるか否か。
人間にとって重要な決断をするために来たのだ。
領主が重症なら見学も中止だ。
「……それより、大丈夫なのかしらね」
「何が?」
「暗殺未遂だったんでしょ? もう一度、狙われるんじゃないの?」
「確かに……!」
犯人は見つかっていないのだ。
だったら、二度目がないとも限らない。
「どうすりゃいいんだ? 領主を守る? ……いや、それは変な話だな」
宣戦布告しに来た相手だ。
なぜ守らねばならないのか。
倒すために守る?
「一理あるわ。領主が死ねば、一騎打ちも難しくなるもの」
「相手がいないとどうなるんだ?」
「順当に行けば、次の領主になるわね」
「それは誰だ?」
「領主が亡くなってから決めるはず。突然の暗殺なんだから」
つまり、それまで決闘はできない。
しかし、それより人間国の安全が心配だ、とエリカは言う。
現状、人間国の周囲には軍勢がいる。
ソテイラが連れてきた霊公会の私兵と領主軍だ。
彼らは人間国から自由を奪うが、脅威から守りもする。
軍のお陰で人間国は野党の被害がない。
天上人にも低俗な輩が一定数はいる。
そういう連中にとって人間国は資源の塊だ。
領主が死んで軍が引き上げたら、大挙して押し寄せるだろう。
「じゃ、領主がいないと困るんだな……」
「そゆこと。まだ死んでもらうわけにはいかないわ」
「俺たちで犯人を探すのは?」
「向こうが望むのならやる価値ありね」
望むなら。
その条件が厳しい。
犯人は人間! 今すぐ死刑!
警兵長はそれぐらいの勢いだった。
手伝いを頼んでくるとも思えない。
「勝手にやるか?」
「勝手にやるしかないわね」
発言が被った。
エリカと意見が被るのは珍しい。
「……こっそりやろうね?」
話はまとまった。
領主暗殺を目論む犯人を探す。
そして、警兵長に突き出す。
図らずも領主を守ることになったのだった。
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