16 直轄地5
翌日はあいにくの雨だった。
雨脚が強くて外出する気にはならない。
屋敷で過ごすしかないため、領主を探すが、
「領主が寝坊?」
「……えぇ、申し訳ございませんわ」
朝食の席でスグリに謝られた。
領主は夜更かしで起きられなかったらしい。
今もぐっすり寝ているそうだ。
「随分、怠け者なんだな」
「ふ、普段はきちんとしてらっしゃる方なんですのよ?」
「ち◯こ見せてくるのにか?」
「そ、そういう日もございますわ」
あってたまるか。
思うが、それ以上言うとスグリが可愛そうなので黙る。
「それにしても、スグリはすっかり領主側の立場なんだな」
「えぇ。救われた命ですもの。しっかり恩返しいたしませんと」
スグリは気負いなく言う。
領主の味方でも人間王とは敵対しない。
そんな意志が感じられた。
朝食後は領主が起きてくるまで自由時間だ。
と言っても、やることはない。
「スグリさんのところに行こうよ。まだ、あんまり話せてないでしょ?」
カルの提案でスグリと話すことになった。
スグリは屋敷の一番奥の部屋にいる。
屋敷はいくつもの建物が渡り廊下で接続される。
カルは全貌を把握したと言うが、ジンには無理だ。
どちらが出口かもわからない。
本殿を抜け、祈殿に入る。
その建物がスグリの生活圏だ。
風呂や厠など必要なものが揃っている。
そして、一日の大半を過ごすのが祈りの間だ。
訪ねると、スグリは祈りを捧げているところだった。
祈りの間は何もない板の間だ。
広さは畳八枚くらいか。
窓は格子のはめられた天窓が一つだけ。
壁も床もむき出しの板で内観は質素だ。
スグリは部屋の中央で天窓に向かって祈っていた。
正座のまま礼を二つ。
祝詞をつぶやき、再度、一礼。
立ち上がり、天窓の下へ。
よく見れば、小さな膳に食事が盛られていた。
それを交換するのが朝の儀式らしい。
終わった頃合いで声を掛ける。
「あら、いらしてたんですの?」
「他にすることもないからな」
「なら、占いでもいたしましょうか?」
「占いか……」
スグリと占いがうまく結びつかない。
村にいた頃も、占いなどしていなかったはずだ。
「そういや、スグリはなんで巫女になったんだ?」
領主に拾われた。
生活を助けてくれた。
そして、巫女になった。
最後だけ飛躍がある。
猫耳猫尻尾をつけて天上人のフリをする必要がどこにあるのか。
「もちろん、占いの力があるからですわ」
「そんなのなかっただろ」
「授かったんですのよ」
「授かった?」
「兄さまと同じですわ。わたくしも精霊から力をいただいたんですの」
それは初耳だ。
曰く、領主と共に精霊の泉へ言った際、スグリは力を得たのだという。
屋敷の裏口から山に入り徒歩半刻(約十五分)。
山の中腹に滝がある。
滝壺は精霊界に近い泉と呼ばれる泉だ。
バランガで言えば、精霊の洞窟のような場所だ。
領主は直轄地に来ると、必ずそこで祈りを捧げるという。
あるとき、スグリも一緒に連れて行かれた。
領主と並んで祈ると、声が聞こえたという。
「囁くような声なんですの。聞き取れはしなかったんですけれど……」
そこでスグリは力を得た。
占いを通じることで、朧な未来を知ることができるのだ。
その力で領主を救ったこともあるという。
以来、巫女として領地運営に関する占いをしているそうだ。
「それ本当なわけ? 事実なら兄妹揃って精霊から霊術を授かったってことでしょ? あり得ないわよ」
「あり得てるだろうが」
「この目で見るまで、あたしは信じない」
エリカは徹底して疑う姿勢だ。
領主のことといい、エリカは疑り深い。
「実際に見せた方が早いですわね」
スグリはそう言って、目を閉じる。
そして、何事かをつぶやく。
しばらくすると、スグリの体から靄が立ち上ってくる。
薄緑の光だ。
空の囁きに似ている。
そっくりな囁き声まで聞こえてくる。
……窓から空を見る。
いた。
例の薄明かりだ。
まさかとは思う。
あれはスグリが呼び寄せていたのか……?
「聞こえましたわ」
スグリは目を開ける。
難しい顔をしていた。
「何がわかったんだ?」
「兄さまは今日の夜、風呂場で転びますわ」
「なんだそりゃ。風呂に入るのをやめればいいのか?」
「大浴場でしたから、離れの風呂をお使いくださいまし」
便利な力だ。
予め起こることがわかれば対処もできる。
ある意味、最強の霊術かもしれない。
「その力で見た未来は変えられるのね?」
「基本的にはそうですわ。ただ、変えるには条件を見極める必要がございますの」
「条件?」
「えぇ、未来はすべて条件で決まるんですの」
条件を変えれば連動して未来も変わる。
ただ、占いでは条件が何かまではわからない。
占いの結果から推察するしかないわけだ。
その点、風呂場で転ぶ未来はわかりやすい例だ。
風呂に行くことが条件だと推察されるためだ。
「どれくらい先まで見えるんだ?」
「一番長くて一ヶ月というところですわね」
やろうと思えば、更に先の未来まで占える。
しかし、占いの結果は曖昧になっていく。
風呂場で転ぶ未来は今日の話だから具体的に占えた。
これが一ヶ月先になると、風呂場で何かが起こる、とか、どこかで転ぶ、という具合になる。
また、先の未来になるほど占いに時間がかかる。
一ヶ月先を占うには丸一日。
ずっと集中し続けねばならないため、かなりの労力だという。
それを補うために実際の占いでは場を用意する。
場には二重円の中に五芒星が描かれた大きな紙を敷く。
そして、四隅に霊楽鈴を立てる。
これはたくさんの鈴を紐でまとめた祓具だ。
こうして作られた場にスグリが入り、祝詞を捧げる。
すると、先ほど見たように光が降りてくるという。
精霊が降りてくると、霊楽鈴が勝手に鳴り出すのだとか。
それは少し見てみたい。
一連の流れは、精霊と肉体の距離を近づけ、占いの時間を短縮するためらしい。
占いにも工夫があるようだ。
スグリはそうした儀式を通じて、領地について数日に一度の頻度で占う。
それが巫女の務めだという。
「本物だとご理解いただけましたか?」
「そうみたいね……」
エリカもしぶしぶ認める。
実際に当たるかどうかは、まだわからない。
しかし、スグリは明らかに霊術を行使していたし、領主が取り立てるのだから本物だろう。
「でも、不思議だね。兄妹そろって霊術を使えるなんてさ」
「そうね……。血筋が関係してるのかもしれないわね」
スグリとジンの共通点はそれだ。
精霊は王の血筋に力を与えるのかもしれない。
どんな理由があるかは不明だ。
ジンは天上人を倒せと言われたつもりでいた。
しかし、スグリは天上人の味方なのに、力を得ている。
単純に血筋の問題なのか。
精霊に別の意図があるのか。
考えるだけ無駄だ。
精霊の気持ちなどわかるはずがない。
ただ、スグリとは敵対したくない、とは思う。
ふと気づく。
その未来も占ってもらえばわかるはずだ。
――――いや、やめておこう。
ジンは何も言わないことにする。
知ってしまう方が怖いからだ。
未来は自分で決めたい。
仕事の邪魔をしすぎないよう、祈殿を出る。
本殿に戻ると、領主が起き出していた。
たてがみがボサボサだ。
どう見ても寝起きだ。
「今、起きたのか?」
「あぁ、面目ない……」
領主は落ち込んでいた。
「どうやったら今日を楽しく過ごせるか考えていたら眠れなくてな」
「……子供かよ」
裏表がないのはいいことだ。
だが、無邪気すぎる。
エリカは疑うのをやめないようだが、領主はこんな性格だ。
炎を狙って策謀を巡らせるとは思えない。
「折角だから、スグリの話でもしよう」
領主にスグリの働きぶりについて聞いた。
巫女の仕事は祈りと占い。
それ以外に冠婚葬祭の執り行いがある。
通常、それらは霊公会の領域だ。
しかし、直轄地ではスグリが代理で行う。
巫女の存在を広めるのが狙いらしい。
「スグリが人間だと、いつか公表するつもりなのだ。それまでに権威を持たせたくてな」
誰もが崇める巫女が人間だった。
人間にも霊術が使える。
そうなれば、天上人と人間の距離は縮まるはずだ。
というのが、領主の目論見らしい。
「意外と考えてるんだな」
「スグリには内緒だぞ?」
「……わかった。占いは役に立ってるのか?」
「大助かりだ。実際、命を救われたこともあってな」
それは豪雨で視界が悪かった日のことだ。
領主は政務の都合で屋敷を出なければならなかった。
それをスグリが引き止めたという。
土砂崩れがあるから、と。
「雨の中を追いかけてきてな。馬車の前に飛び出したのだ」
スグリは危うく轢かれるところだったそうだ。
強く訴えるスグリの言葉を信じ、領主はその日の外出を諦めた。
そして、翌日、通る予定だった道が土砂崩れで埋まったという報を受ける。
「それがスグリを巫女にしたきっかけだったな」
「霊公会とかいうのは怒らなかったのか? 占いはあいつらの仕事なんだろ?」
「揉めた。だが、直轄地の内側だけということもあり、お目溢しをもらった」
元来、占いや儀礼は霊公会の領分だ。
仕事を奪うと報復があるらしい。
その点はハービーが調整したそうだ。
裏で手を回し、霊公会に矛を収めさせた。
更には儀礼のやり方をスグリに教えさせるなど、教師派遣の約束まで取り付けた。
聞くに、ハービーはやり手の政治家なのだろう。
「それでスグリがな」
領主の話は続く。
驚くほどスグリの話しかしない。
政治の話をされてもわからないから、ちょうどよくはある。
二人の共通の話題でもあった。
エリカは面白くなさそうにしていたが、それなりに盛り上がった。
夜になった。
風呂に入ろうと思い、はたと思い出す。
大浴場に行くと転ぶという占いだ。
離れの風呂に入ろう、とジンは思う。
着替えを準備していると、廊下が騒々しくなった。
「人間王、風呂に入ろうではないか!」
領主が離れにやって来た。
一人で酒を呑んでいたらしく、息が臭い。
「俺は離れの風呂に入るから……」
「何をケチ臭いことを言っておるのだ! 大浴場に決まっておろう!」
「うおぉおぉ!?」
片手で担ぎ上げられる。
逆らおうにも体格差がありすぎる。
手足をばたつかせるが何の効果もなかった。
あれよという間に大浴場へ到着する。
着物を脱がされる。
背中を押されて大浴場に入った。
そして、床に転がっていた糠袋を踏んだ。
水を含んだそれはよく滑った。
気づいたら仰向けに倒れていた。
占いは当たった。
未来を決める条件は、大浴場へ行くことではなかったようだ。
「わはは、寝るには早いぞ人間王!」
察するに領主だろう。
領主が酒を呑むことが、風呂場で転ぶ未来の条件だったのだ。
……そんなことよりも、ぶつけた頭が痛い。
†ナグババ†
人間王と風呂に入った。
また少し仲良くなれた。
と、そのときは思った。
しかし、夜が更けて酒が抜けると、自分がしたことが恐ろしくなる。
離れにいた人間王を誘拐し、無理やり脱がせ、風呂に突き飛ばした。
あんまりだった。
接待にすらなっていない。
酒で失敗をする愚かな為政者などいるのか?
いる。
ここにだ。
スグリがあんなに腐心してくれたというのに……。
酒に酔って台無しにした。
そんなクズがいるのか?
いる。
ここにだ。
申し訳なさしかなかった。
スグリは今夜も執務室に来るだろう。
どんな言い訳をすればいいのか。
あまりの気の重さに酒に手を伸ばしたくなる。
右手が酒瓶を掴む。
左手ではたき落とす。
――――馬鹿! それで失敗したのをもう忘れたのか!
明日からどうやって話を進めるか。
エリカとの距離は相変わらず開いたままだ。
妙案もない。
酒で失敗を積み重ねる。
気が重い。
襖が叩かれたのはそのときだった。
思考が現実に戻される。
ナグババは居住まいを正し、
「入れ」
「……」
無言のまま襖が開く。
内侍の天上人だった。
一言も喋らないのは不気味だが、畳に置かれた包みで来訪の主旨はわかった。
誰かが手紙を寄越したらしい。
内侍が去ってからナグババは手紙を開ける。
スグリだろうと思っていたが、差出人は意外な人物だった。
人間王からの手紙だ。