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15 直轄地4

2019/03/03 誤字脱字修正


    †ナグババ†


「見事に振られてしまったものだな」


 夜も更けた頃、領主ナグババは執務室にいた。

 今日は一日の締めくくりとして、酒宴を手配していた。

 人間王を誘ったものの、


『王に酒を呑ませてはいけません』


 と従者に断られた。

 酔わせて何かすると思われたのか。

 あるいは毒殺を警戒したか。


 心の距離がある証左だろう。

 王が真っ直ぐな分、臣下は疑り深く慎重だ。


 特に、エリカだったか。

 あの娘は異様な賢さだった。

 聞けば、ソテイラの奴隷だったと言うから、肯ける。


「折角、兄さまの好物を用意いたしましたのに」


 スグリも残念そうに言う。

 酒宴はスグリが企画したのもだ。

 実の妹だけあって好みを知り尽くしていた。


 町人を選りすぐって剣の舞も練習させたという。

 披露する場がなくなり彼らも落胆していた。


 すべては領主と人間王の仲を取り持つためだ。

 協力には感謝したい。

 しかし、ナグババは引っかかりを感じてもいた。


 折角、家族に会えたのだ。

 兄の下へ戻りたくないのだろうか。

 尋ねるとスグリは呆れた。


「まだ言うんですの?」


 同じことは以前にも聞いていた。

 人間王がスグリの兄だと発覚したときだ。

 兄がいることはナグババも知っていた。

 会えるのなら家族に戻るべきだとも思った。


 だが、スグリは断った。

 逆にナグババのために知恵を貸してくれた。

 城へ呼びつける案も、直轄地を案内する案も。

 元はスグリが言い始めたことだ。


「わたくしの願いは、領主様と兄さまには仲良くしてもらうことですわ」

「なにゆえ、そう思う?」

「領主様の夢のためですわ。人間と共生したいのでしょう?」

「その通りだが……」


 スグリにも自由があってよいはずだ。

 今でこそ巫女だが、それ以前は農民の子だったのだから。


「本当にお優しいこと。もう少し、わたくしに厳しくしていただいてもよろしいんですのよ?」

「スグリが自分に厳しすぎるのだ」


 ナグババは思わず苦笑する。

 ローボーが倒された直後、スグリは自殺を考えたという。

 曰く、


『実の兄が知行政を討ったんですもの。責任を取らねばなりませんわ!』


 らしい。

 気持ちはわかる。

 わかるが、思い詰めすぎだった。


 ローボーは臣下と言えど、歴史的に対立してきた関係だ。

 討たれたところで領主一族にとって痛手はない。


「けれど、犬氏族との軋轢が決定的になりますわ」

「構わん。仲良くしろとおっしゃった始皇帝は崩御なされた。むしろ長年の呪縛から解き放たれたと見るべきだ」

「そうおっしゃるのでしたら構いませんけれど……」


 スグリはブツブツとつぶやく。

 領主以上に領地のことを考えている。

 ありがたい限りだ。


 スグリと出会って三年。

 最初こそ彼女は天上人を怖がっていた。

 しかし、今では占星術を使って、ナグババに領地運営の助言をしてくれる。

 信頼関係を築けているはずだ。


 人間と共生できる。

 そう信じられる理由の一端にスグリがいるのは間違いない。


「それで、次の手は考えてまして?」

「あぁ。手がかりは得ている」


 町を歩いていたときのことだ。

 王は従者の目を盗んで、ナグババに声をかけてきた。


『お前は炎に興味があるのか?』


 炎? と聞き返してしまった。

 すると、王は「ないならいい。でも、お前、炎が欲しくて俺を騙そうとしてるって疑われてるぞ」と言い放った。


 ナグババは疑われていることを知らなかった。

 伝え方がまずかったのだろう。

 あらぬ誤解を受けていたらしい。


 つまらぬ失態を犯した自分は愚かだ。

 そして、それを伝えてくる人間王は偉大だ。

 器の大きさが違う。


「兄さまは褒められるような人間ではなありませんでしてよ?」

「いいや、人間王は偉大だ」


 彼となら共に歩める気がする。

 だからこそ、親睦を深めたい。

 スグリに気持ちを伝えると嬉しそうにしてくれた。



 その後、スグリと少し話をして、祈殿まで送り届けた。

 すでに深夜だ。

 彼女は寝た方がいい。


「さて、どうしたものか」


 ナグババは一人になって考えを進める。

 スグリに頼り切りでは不甲斐ない。

 ここらで一つ妙案を披露したい。


 問題はエリカだ。

 疑われていては、仲良くもなれん。


 むんむんと考える。

 懐かしい感覚だ。

 思えば、以前からそうだった。


 ナグババは領主になる以前から人間のことを考えていた。

 人間は何を思うのか。

 何をしたいのか。

 どうすれば仲良くなれるか。


 きっかけはもっと昔だ。

 もう二十年近く前になるか。


 あれは勇者ノ祭りの最中だった。

 ナグババは始皇帝マナロから直接、言葉をもらったのだ。


    †


 十七年前。


 彼は父と共に勇者ノ祭りに招かれていた。

 勇者ノ祭りは晩秋に行われる祭だ。

 そこには領主と後継者が参加することになっていた。


 ナグババはベルリカの長子で、成人の儀を済ませたばかりだ。

 帝都も祭りも初めてだった。


 小躍りしながら旅支度を済ませ、揚々と馬車に乗り込む。


「おい、息子。裸で出立する気か?」

「おっと、父上! これは失礼つかまつった! 楽しみなあまり、下帯を忘れた模様です!」


 ち○こを隠して出立した。

 二十日の旅程は飛ぶように過ぎた。

 初めて見る帝都は、その巨大さでナグババを圧倒した。


 ガレンも栄えた町だが、帝都は格が違う。

 建物も売り物も種類が豊富だ。

 同じ国でも見たことのない建築様式があったりする。

 自分の世界がいかに小さかったかを思い知る。


 準備に明け暮れる父親を尻目に、ナグババは遊び呆けた。

 祭りに参加せずとも、十分に楽しんだ。


 しかし、いざ祭りが始まると、町は一層活気づいた。


 出店が各地の珍味を売り、辻芸人が超人的な技を披露する。

 七日も続く祭りは、一夜ごとに趣向を変える。

 初日は白無垢を着た少女たちの礼拝。

 二日目に賛美歌。

 そうして、七日目に始皇帝マナロが炎ノ儀を行って締めくくられる。


 故にこれから七日は更に楽しくなるのだ。

 嫌でも胸が躍る。

 だから、まさか、その楽しさが初日にして弾け飛ぶとは思いもしなかった。



「息子よ、……今日の夜、謁見が許された」


 祭りの朝、父が言った。

 父にしては珍しく表情が硬かった。


「謁見とは、まさか皇帝陛下にですか?」

「その通りだ……」


 始皇帝マナロ。

 バサ皇国の建国史に語られる伝説の勇者だ。


 子供なら誰でも憧れるが、御目見を許されるのは一握りの天上人だけ。

 ナグババはそのわずかな権利を持つ一人だった。


 勇者に会える!

 こんな素晴らしいことがあるだろうか!


「決して粗相のないようにな。間違っても、お声掛けをいただこうなどと功名心に走ってはならぬぞ……」


 ナグババは胸をときめかせるが、対照的に父は暗かった。

 なぜ父はそんなことを言うのか。

 勇者から英雄譚を聞いてはいけないのか。

 ナグババは不思議に思っていた。

 実際にマナロを見るまでは。


 夜。

 登城許可が降り、ナグババは父と共に皇城へ向かった。

 てっきり二人きりと思ったが、似たような親子が百組といた。


 その数百人が一つの広間へ通される。

 天井に描かれた黄金龍は今でもよく覚えている。

 蝋燭の灯りを受けて揺らめく姿は、あまりにも不気味だった。


 皇帝が現れるまで百組の親子は沈黙して待っていた。

 口を閉じなければならない圧力があった。

 わずかに頭を上げて周囲を見ると、皇帝の側近が見えた。


 当代の伝説と呼ばれる者ばかりだった。

 官位は血統や家格で決まるが、側近はマナロが自ら選ぶ。


 皇帝は勇者を好むのだ。

 数百年の間、各時代の最強を側に置き続けた。

 この場もそうだ。


 北海の大海賊ティグレ・マタリーノ、帝都の剣闘士テイバ・ブーチ。

 本来なら絶対同じ場所に揃うはずのない最強が居合わせている。

 あんな癖のある連中をまとめるマナロとは何者か。


 賢しらだったナグババは推理を試みた。

 実に愚かしい行いだった。


「皇帝マナロ様の御前である」


 従者がマナロの来訪を告げる。

 一言で空気が変わった。

 部屋の温度が数度は下がった。


 そして、マナロが姿を見せる。

 異様な存在感を放っていた。

 平伏しているので、顔は見えない。

 なのに睨まれているとわかった。


 息苦しさが場を満たす。

 マナロが何をしたわけでもない。


 百余人の大人が放つ恐怖が部屋を汚染するのだ。

 隣の父も当たり前のように震えていた。


 父は偉丈夫だった。

 常に優雅で雄々しい存在だった。

 その父をして恐怖は払えなかったのだ。


「……なんだ、この雑草みたいな奴らは。俺様はこんな奴らの相手をするために時間を取られたのか」


 しわがれた声が広間に響く。

 確かにマナロは英雄だった。

 しかし、民草が思い描くような美しい英雄ではなかった。


「くだらん。戻るぞ」


 マナロが側近を連れて去ろうとする。

 父の顔が青ざめる。

 事ここに至ってナグババも焦った。


 マナロが去る。

 それは大事件だった。


 なぜなら、謁見しておきながらお言葉をもらえなかったからだ。

 裏を返すと、言葉をかける価値もない者と言われたも同然だからだ。

 マナロが価値なし、と認めた者は国にとって価値がないのと同義だ。


 つまり、つまり、今、この場で領主としての父、そして、長子としてのナグババは役位を失う。

 それくらいの意味を持つ行為だった。


 この場には同様の境遇の親子が何人といる。


 ――――国中の領主を入れ替える気なのか。


 その場の気分で決めてよいことではない……。

 しかし、側近は誰もマナロを止めない。


「お、お待ちください! ……せめて、何か、お、お言葉を」


 最前列の親子が声を上げた。

 しびれを切らしたに違いなかった。


「あ?」


 マナロが足を止める。


「我ら一同、マナロ様のお言葉をいただきたく参上いたしました! どうか、どうかお一言だけでもいただけないでしょうか!」


 声は震えていた。

 しかし、この場において誰よりも勇気があった。


「お前は名前も顔も知らねぇな。いつから俺様に意見できるようになった? あ?」

「決して意見というわけではッ……!」

「言い訳するんじゃねぇ。お前は俺様に指図しただろうがッ!」


 マナロが怒鳴り、親子はしどろもどろに言葉を重ねるのみだった……。

 そのあとの出来事は思い出すだけでもつらい。


 マナロは親子を除く全員に労いの言葉をかけた。

 数百人の地位はひとまず維持された。

 ただ、一組、声を上げた親子を除いて……。


 彼らの勇気は素晴らしかった。

 救われたのは事実だから、感謝しよう。


 だが、マナロに立ち向かうことは、やはり蛮勇に過ぎた。

 泣きながら去る親子を見て、ナグババは震えていた。


 なぜ正しいことをした親子が罰せられるのか!

 そんな正義の怒りに燃えていたか?

 否だ。


 ただ、安堵があった。

 洪水で流される家々を見て、自分が無事でよかったと思う気持ちだ。

 他者の不幸で自分の安全を確認する。


 久方ぶりに自身の獣を意識した。

 天上より来る種族でも、その半身は獣だ。

 命の危機は、それを思い起こさせる。


 つまり、マナロとはそういう存在だった。

 もはや勇者でも何でもない。

 歩く災厄も同然だ。


 決めた。

 もうあいつとは関わらない。


 領主になっても、あいつとは会わない。

 そうできるよう考える。

 自分は賢いから、それができるはずだ。

 ぜひそうしよう。


 ナグババは心に決めるのだった。



 一夜が明けて、祭りの二日目。


 町は相変わらず賑わっていた。

 夕方になると、中央広場で賛美歌が斉唱された。


 少女たちが精霊とその眷属たる天上人を讃える。

 中央広場沿いには背の高い建物が並び、どの建物からも広場を見下ろす観客でいっぱいだった。

 空には霊術で浮かぶ船が何隻もある。


 浮かれた空気が町のそこかしこにある。

 それに馴染めず、ナグババは一人裏通りへ入っていた。

 どうしても昨晩のことが脳裏をよぎるためだ。


 マナロの怒りで役位を失った親子。

 生きることを許された自分。


 自分はとても偉い存在で、価値あるものだと思っていた。

 しかし、マナロを前にすれば、有象無象も同然だった。

 今だって偶然、生かされているに過ぎない。


 祭りが虚しいものに思えてくる。

 ため息をつきながら石をけとばす。


 裏通りは静かだった。

 祭りの裏方と思われる役人が時折、走り抜けるだけで、他に人影はない。


 なんの変哲もない通りだが、このとき、この通りを歩いていなければ、自分の生き方は変わっていただろう。

 あるいは模範的な領主になっていたかもしれない。


 考えても栓ないことだが、ナグババは常々思う。

 通りでの出会いは、それくらいナグババの人生に影響を与えたのだ。


 彼はそこでマナロに出会った。


「…………え?」


 異様な圧力を感じて顔を上げる。

 目に飛び込んでくる、豪華な衣装。

 数千年生きたと言われても納得するくらいに深い皺。

 何より背後に連れた大海賊ティグレの眼差し。

 突然過ぎて頭を下げるのも忘れた。


「なんだ、お前。ここで何をしている?」


 そして、あろうことかマナロの方から声をかけてくる。

 従者は? 従者はいないのか?

 いや、そんなことより、気の利いた返事をしなければ殺される。

 早く、ほら、早く!


「わ、私は、ナ、ナグババ・ベルリカ。領主サルババの息子です」

「ふん。昨日、山と来た連中の一部か。つまらぬ奴らばかりだったな」


「す、すみません! いずれは面白い領主になるつもりでして……」

「面白い? どんな領主になる気だ?」


 頭が真っ白になる。

 面白い領主ってなんだよ……!

 何言ってんだ、この口は!


 しかし、答えないわけにはいかない。

 日頃から父に問われているため、展望は持っていた。

 定型句はすんなり口をつく。


「み、皆に優しくできる偉大な領主となります」

「面白さがわからん。皆とはどういったものを指す?」


「えっと、……それは、……天上人も動物も草木も……、生き物すべてです」

「なぜ人間を省いた?」

「…………、は?」


 その問いは理解できなかった。

 なぜ人間を省いたか?


「生き物すべてなら含まれるはずだ」

「そ、それはそうですが……」

「なぜ省く?」


 答えられない。

 なぜって、人間は奴隷であり道具だから。

 奴隷も道具も“皆”には含まない。

 それは当たり前の話で、まさに無意識の判断だった。


「向き合い方を考えるんだな」


 マナロはそれ以上、何も言わなかった。

 そして、興味は尽きたとばかりに歩み去った。

 大海賊ティグレには、このことは他言無用と釘を差された。


 マナロが消え、寂れた通りから圧が消える。


 ……向き合い方を考えろ。


 その言葉が胸に残っていた。



 後日、皇帝の行方不明が事件として語られていた。

 賛美歌を鑑賞する予定だった皇帝が突如として消えたというのだ。


 ナグババは図らずも消えた皇帝を見つけていたわけだ。

 皇帝はあんな裏通りで何をしていたか、それは、今となってはわからない。

 だから、これは想像の域を出ない。


 あの日、ナグババはマナロがやって来た方向へ漫然と進んだ。

 寂れに寂れた通りはもはや天上人の居住区ですらなくなった。

 その先は人間街。

 帝都に救う余剰人間の巣窟だった。


 あまりのみすぼらしさにナグババは目を覆いたくなった。

 我慢して歩き、そして、それを見た。


 あれは人間の葬式だったのだと思う。


 人間たちが棺にすがって泣いていた。

 愛された者の死なのはわかった。

 だが、それはあくまで人間の話であり、ナグババには無も同然だった。

 無視して歩き、人間街の果てに来た。


 マナロが何のために裏通りを抜けたのかは、最後までわからずじまいだった。

 まさかとは思うのだ。

 マナロは悪しき精霊を打ち倒した大英雄だ。

 人間は恩賞として神々に授けられた奴隷。

 最も使い道をわきまえている天上人のはずだった。


 だが、なぜ、マナロはあの通りにいたのか。

 何と向き合えと言ったのか。


 あのときの自分にはわからなかった。

 人間を知れば、わかるのかと思った。


 それから、自分なりに人間を調べ、交流し、多くのことを学んだ。

 知れば知るほど人間は天上人に近い存在だった。


 優れている点もあれば劣る点もある。

 互いに手を取り合えば世界がよりよくなるだろう。

 その発想に至るのに時間はかからなかった。


 共生という天啓を受けたのもその頃だ。

 この手で成し遂げたいと強く思った。

 そうして今に至るが、未だ道半ばだ。


 人間王との親睦を深めることで目標へと一気に近づくだろう。

 明日はどのような趣向を凝らすか。

 ナグババは夜更けまで考え込むのだった。


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