11 旅
2019/03/03 誤字脱字修正
†ヒヌカ†
ヒヌカは川沿いの街道を歩いていた。
半ば草に埋もれ、人通りに乏しい道だ。
周囲も山ばかりで人の気配がない。
街道には穢魔の気配が見え隠れした。
匂い袋を握りしめ、ひたすらに遭遇しないことを祈る。
ヒヌカが旅立ち、十日が経っていた。
旅立ちの準備があれば、ずっとマシな状況だった。
……どうしてこうなったのか。
思いを馳せる。
十日前のことだった。
あの日、ヒヌカは村へ来た虫の天上人へ食事を届けた。
そして、運悪く彼らの話を聞いてしまった。
領主と人間王の暗殺。
……領主が誰かヒヌカは知らない。
しかし、人間王の存在は風聞紙で知っていた。
ジンだ。
収容所で別れた幼馴染はいつの間にか人間を率いる王となっていた。
元々、ジンの家は訳ありだった。
だが、まさか王家とは思わなかった。
さておき、ヒヌカは知ってはならないことを知った。
間違いなく殺される運命にあった。
ヒヌカは持ってきた鍋を捨て、山へ逃げた。
虫の天上人は従者の人間にヒヌカを探させた。
必死で走るも、男の足からは逃げられない。
追いつかれ、ヒヌカは地面に組み伏せられた。
「……お前、聞いたのか?」
「き、聞いてなんて……、」
「天上人の目的は聞いた通りだ。領主と人間王を殺すために、わざわざ南から来てんだよ」
男は何を思ったか自分から秘密を話した。
ヒヌカを押さえたまま顔を近づけてくる。
「あの天上人はもう何人も殺してる凄腕だ。領主でも勝てねぇだろう。そこで、お前に頼みがある」
「……た、頼み?」
「人間王か領主に暗殺の話を伝えるんだ」
「えぇ?」
「お前は死んだことにする。そうすれば自由だ。領主に会いに行けるだろ?」
いきなり何を言うのか……。
第一、会いに行くと軽々しく言うが、ヒヌカは領主の顔も名前も知らない。
どこにいるかもわからない。
「伝はある。ここから南に行った荒れ地に天上人の流刑地がある。そこには元有力者がいる。ティグレという天上人を探せ。そいつなら渡りを付けられる」
流刑地で元有力者を探す?
領主と話をさせてくれと頼む?
天上人の、それも罪人に?
「そんなの無茶です。できるわけありません……」
「いいや、無茶でもやってもらう。村人から聞いたぞ。お前は天上人の妾なんだってな。頼み込んで、なんとかしてもらえ」
それは誤解だ。
村人が噂しているだけで、ヒヌカに天上人の伝などない。
「ど、どうしてそんなことを……」
「奴らに家族を殺されたからだ。だから、計画をどうにかして失敗させてやりてぇんだよ」
男は南に住む農夫だった、という。
突然、天上人に襲われて奴隷にされた。
生きたければ従えと命令され、男は旅の世話をさせられた。
他の男たちも似たような経緯で旅をしているらしい。
「復讐を望む俺。天上人に伝のあるお前。出会いは導きだったんだよ。やってくれるな? いやなら、奴らへ突き出すだけだ。若い女は虫の好物だぞ。卵をいっぱい産み付けてくれるだろう」
断るという道はなかった。
ヒヌカは男の提案を呑み、その日のうちに里を出た。
荷物は男から持たされたわずかな銀だけ。
せめてもの救いは、男が父と姉に事情を説明すると約束してくれたことだった。
そして、十日が経った。
路銀はすでに使い果たした。
ヒヌカがただの娘なら、とっくに死んでいる。
生きているのは経験があるからだった。
トゥレンに流れ着くまでの日々を思えば、まだ耐えられる。
ヒヌカは、これより過酷な道を三年前に踏破していた。
その意味で、あの男は運がよかった。
ヒヌカという人材に出会えたのだから。
それは、とりもなおさず、人間王の幸運でもある。
ヒヌカは暗殺を防ぎうる唯一の盾だ。
巡り合わせを思わずにはいられない。
この手に任せられたことには意味があるのだ。
流刑地に行って、天上人と渡りをつける。
領主に伝言を頼む。
もはや曲芸のような技だ。
だが、やらねばならない。
ジンの命がかかっているのだから。