9 城下町4
塔からは町が見下ろせた。
街道沿いに灯る明かりが綺麗だ。
「話ってのは?」
「あんたの妹のことよ。なぜ領主が妹を拾ったのか……。あたしには、それがわからない」
「それって、問題か?」
「えぇ。領主の狙いが絞りきれないもの」
エリカは指を二本立てる。
「思いつくところで二つの筋書きがあるの」
一つ目は、スグリの話を事実と仮定したとき。
位階の高い天上人は人間の命に関心がない。
道端で見かけても放置が基本だ。
拾って、三年も世話をするとなれば、相応の理由がある。
つまり、領主は本当に共生を望んでいる可能性がある。
「城での歓待もそう。すべての行動に一貫性が生まれる」
二つ目の筋書きはスグリの話が嘘だった場合。
スグリは脅されて作り話をしていた。
故に三年前に救われたという話も嘘だ。
実は最近連れてこられただけかもしれない。
「嘘なんか言ってどうするんだよ?」
「罠にかけるためよ」
「それこそ意味ないだろ」
「あるわ。あんたの左手に」
左手。
「炎か」
「そう。炎の価値はソテイラが言っていた通りよ。誰もが欲しがっている。殺して奪えるものなら、すでに死んでる。でも、炎は、あんたの手にあって、奪えない。だったら、騙して、自分の都合のいいように動いてもらうしかない」
天上人をして人間を罠にかける理由。
唯一の可能性がそれだ。
「領主は嘘をついてるってことだな」
「えぇ。共生なんてあり得ないもの」
妙に強い口調だった。
領主の言葉を否定したい。
そんな気持ちが透けて見える。
「もちろん、嘘と決まったわけでもないわ。嘘をつくにしても、もっとマシな嘘はいくらでもあったはず。なぜ、わざわざ疑われやすい嘘をついたのか? あたしたちは領主を知らなすぎる」
「だったら、どうするんだ?」
「宣戦布告は保留にするわ。仮に領主に何らかの狙いがあるなら、それを見切ってから戦う」
「面倒くせぇな」
別に戦ってもいいとジンは思う。
倒してしまえば、思惑など関係ない。
「人間の敵だけ倒すんじゃなかったわけ? 共生を望んでいるのが本当だったら?」
「……そうだったな」
天上人は悪者。
倒すべき敵。
ずっとそれが前提だった。
人間を殺さない天上人は殺さない。
そう決めていたが、実際、そういう天上人を見たことはない。
ソテイラが唯一の例外だ。
すぐに頭が切り替わらない。
「妹の件もあるわ。あんたが領主を倒すなら、敵に回るかもしれないのよ?」
「そうなのか?」
「妹の話が真実だったときに限ってだけどね」
スグリの話が真実。
つまり、領主はスグリにとって命の恩人だ。
恩人を実の兄が殺したら……、どう思うか。
考えるまでもない。
「逆に脅迫されているだけなら、説得する余地が生まれる。あたしは、そういうことを言ってるの」
”事情を探る”は、スグリの調査を含むわけだ。
示された筋書きは二つ。
一つ、領主の発言が事実。
スグリは領主を心から慕っている。
二つ、領主の発言が嘘。
スグリは騙されているか、脅されている。
不思議だ。
後者の方を望む自分がいる。
戦え、という声が聞こえる。
「今回の件、あたしに預からせてもらう。あんた、自分の妹を殺せないでしょ?」
「こ、殺す? どうしてそんな話になるんだよ!?」
「領主と戦うことになり、かつ、あんたの妹が敵に回るなら、いずれそうなるわ」
エリカは言う。
お前は敵を殺さねばならない、と。
その敵には肉親も含まれるのだ、と。
いきなり目の前の風景が滲んだ。
血なまぐさい処刑場が脳裏に浮かぶ。
ジンは泣き叫ぶスグリを無理やり押さえつける。
断頭台に首を入れて、固定する。
剣を振りかぶる。
鬼だ、悪魔だ、と罵られる。
ジンはごめんごめんと謝りながら剣を振る。
重い手応え。
飛び散る血潮。
ころころと転がる生首。
王とは……。
そうか。エリカの思う王とはそういう存在なのか。
「……聞いてる?」
「聞いてる。お前が決めていいぞ。けど、俺はスグリを殺さねぇよ」
「あのね、肉親にだけ甘いなんて許されないわ」
「そうじゃない。俺は誰であれ人間を殺さねぇ」
自分は天上人から人間を救う。
そういう者を王だと思う。
裏切ったから。敵だから。
そんなことで人間を殺したくない。
「全部許す。どんな奴でも人間は人間だ。天上人でないなら、全員、仲間だ」
エリカは口を半開きにしていた。
やがて腕を組んで、
「そう思うなら、勝手にすればいいわ。けれど、今言った方針は理解して」
「わかってる。この話はお前に任せた」
領主の思惑は何か。
スグリは嘘をついているのかどうか。
特に後者はジンでは暴けない。
肉親だからこそ偏見や先入観が混じる。
人間国としての判断はエリカが行う。
そう決めて、二人は部屋に戻った。
†
一夜が明けた。
用意された寝具は一級品で、ぐっすりと眠れた。
あとで聞いたが、カルと密将は交代で監視をしていたらしい。
その割に疲れ一つ見せないのはさすがだ。
朝食を済ませると、領主の間へと通される。
謁見の間ではない。
執務室だ。
雰囲気は広間に似ている。
大部分が板張りだが、応接間だけ間仕切りがあり、床も畳だった。
机を挟んで向かい合う。
今日もスグリは領主側に座っていた。
当然という顔だ。
あくまで立場はそちららしい。
場には人間側四人と領主にスグリ。
あわせて六人がいた。
「さて、驚きの再会から一晩経ったが、気分は落ち着いたか?」
領主が茶化すように言う。
今日はち○こは出していない。
「あぁ。でも、これから先、俺は関わらないことにした」
「んん? それはどういう意味だね?」
「あたしが人間側の代表として話すわ。意思決定もあたしがする」
エリカが宣言すると、領主は目を細めた。
「……ほほぅ、そういう風に来るのか。それで、申し出の返答は?」
「保留よ。あんたが人間との共生を望むと言うのなら、その証拠を見せなさい。もし、あたしを満足させるだけの証拠が見せられないのなら、当初の予定通り宣戦布告を申し出るわ」
スグリがハッとした顔になる。
宣戦布告の話はやはり知らなかったようだ。
でなければ、昨日はあれほど楽しげにできなかっただろう。
他方で、領主は平然としていた。
まるで知っていたかのようだ。
「驚かないのね?」
「人間王は知行政を一騎打ちで破ったと聞き及ぶ。領主の城に来る目的は何かと言えば、それしかなかろう」
「どうしてわたくしに黙ってたんですの!?」
「そんなことを言ったら、感動の再会が微妙な空気になってしまうではないか! 嫌だろう、実の兄と敵として再会するのは」
「そ、それはそうでございますけど……! わたくしは巫女としての立場があるんですのよ!?」
なぜか領主とスグリがもめ始める。
エリカが机を指で叩いた。
「内輪もめはあとにしてくれる?」
「おぉ、すまぬ」
「これ、受け取ってくれるかしら?」
エリカは宣戦布告の書状を押し付ける。
領主は意外なほど素直にそれを受け取り、
「こうなることは予想の範疇だ。あっと驚く証拠を見せてやろうではないか!」
楽しげに言う。
よほどの自信があるのか、楽天的なのか。
この時点では何とも言えない。
エリカの方の意図はわかる。
領主の話が嘘かどうかを探る腹だ。
いい加減な話しかできないなら、疑惑は深まるというわけだ。
「この書状は、そちらが納得できなかった時点で開けることにするが、それでよいか?」
「結構よ。ただし、期限は切らせてもらうわ。三日以内に証拠を見せなさい」
「三日ときたか! それは無理だなぁ、なにせ移動だけで十日はかかる」
……移動?
どこへ連れて行く気だ。
「ここより十日の距離に俺の直轄地がある。まぁ、見ればわかってもらえるだろう」
直轄地は、確かに、スグリが住んでいるという場所だ。
そこに一体何があるのか。
これが罠だったら人気のない場所へ連れて行かれて、あれこれなのだろうが、今更、退くという選択肢はない。
翌日。
人間王のために馬車が用意された。
向かう先は領主の直轄地。
吉と出るか凶と出るかは、運次第だ。