7 城下町2
城下町ガレン。
交易を中心に栄えた活気のある町だ。
太い街道が東西に伸び、南は海に面している。
港には多くの船が寄港し、せわしなく荷物の積み下ろしをしている。
目立つのはなんと言っても領主の城だ。
町を歩けば、嫌でも威容が目に入る。
迷ったら城を目印にしろ、と言われるらしい。
ジンは馬車に揺られて、ガレンに入った。
ソテイラと約定を交わして十日。
彼は約束を守り、会談の場を設けてくれた。
これに関しては、ひと悶着あった。
里長はしきりに罠を疑い、最後まで参加に反対していた。
「必ず狙いがあるわ。簡単に会える相手じゃないもの」
エリカも同じだ。
ずっと疑い続けている。
「でも、実際、会ってくれるんだろ?」
「だから、おかしいのよ。いくらソテイラが偉くても、領主に命令権はない。どうやって領主をその気にさせたか、想像もつかない……。絶対に何かあるわ」
エリカは悶々と考え続ける。
難儀な性格だ。
「見えてきましたぞ」
密将ヨンカが窓から顔を出す。
彼は天上人の政情に詳しいため、連れてきていた。
いつもの三人に密将。
その四人が人間国の代表だ。
「おぉ、すごいな」
釣られてジンも城を見上げる。
頭がおかしいくらいにでかかった。
壁だけで百五十トルメはあるだろう。
それがぐるりと天守閣を囲んでいる。
どうやって建てたのか想像もつかない。
「止まれぇ!!」
間もなく城門に到着する。
ソテイラが書いた紹介状を渡す。
門番は顔色一つ変えずに開門を指示。
家がまるごと入りそうな門が鈍い音を立てて開かれる。
そこから先は領主の城だ。
カルが短剣を抱きしめる。
「うぅ、さすがに緊張してきたね」
「そうか? 俺は城は初めてだから楽しみだな、ワクワクすっぞ!」
「さすがだなぁ」
そんなやり取りの間に馬車は城門をくぐる。
広い前庭が現れる。
背の高い草をかき分けるように石畳が敷かれる。
「すっげぇな……」
圧巻なのは、城だった。
首が痛くなるほど見上げなければ、城の入り口も見えない。
城壁の内側にあるのは、幾百もの柱。
見上げるほどの柱の先に領主の牙城はあった。
背の高い城だと思ったが、実はそもそも高い位置に建っていたわけだ。
「変な造りだな。高いところが好きなのか?」
「天上人の戦が、空中戦を主とするからでしょうな」
密将が説明してくれる。
天上人の戦は空に始まる、と言われる。
空を制圧すれば、地上部隊を一方的に叩けるからだ。
それは城攻めも同じで、攻城側は上空から霊術で攻撃する。
その後、身体を強化した軍勢で突っ込むのが常套手段だ。
防御側は制空権を奪われないよう高射攻撃で対抗する。
天上人の戦には、弓も剣も槍も登場しない。
代わりに霊術が使われる。
想像もつかない世界だ。
「領主様の客人とお見受けする」
天守閣の真下に来ると、空から出迎えが現れた。
鳥の天上人だ。
彼らは飛んで城と地上を行き来するようだ。
しかし、人間は空を飛べない。
どうやって城に行くのか。
と思っていると、体が浮いた。
「なんじゃこりゃあ!?」
「我が霊術だ。じっとしていろ」
不機嫌な天上人が指を曲げる。
凄まじい勢いで空を飛んだ。
百五十トルメの高さまでわずか数秒。
……地面が、人が、ものが、何もかもが小さく見える。
到着したのは円形の広場。
天守閣に続く道以外に何もない。
昇降用の広場らしい。
「ついたぞ。領主がお待ちだ」
「……あ、あぁ、ご苦労さま」
かろうじて威厳を保った返事をする。
天守閣は木造の建物だった。
いくつもの塔からなり、それぞれが回廊でつながっていた。
手すりはあるものの、見下ろせば地面は遥か下だ。
城の中も事情は同じで、廊下の左右に壁のない場所が多い。
最下層に廊下を集中させ、そこからすべての塔に移動できるようになっている。
各塔に入るには廊下から階段を登る。
一度、階段を登ると、内観は普通の城だ。
壁もあるし、床もしっかりしている。
天上人に案内され、回廊を歩く。
通されたのは謁見の間だった。
大きさは知行政の屋敷と変わらない。
広くて障害物がないため、剣で戦うには適している。
ただ、霊術のやり合いには向いていない。
炎を使えば床が消失してしまう。
空だけにそれは困る。
「……あんた、今日の趣旨は理解してるわよね? この場で戦うのはご法度よ。見届人がいないんだから」
考えを見透かされてしまった。
正しいのはエリカだ。
今日は戦いに来たわけではない。
「宣戦布告だろ。大丈夫、言うだけだしな」
「それでも気を引き締めなさい。相手は領主よ。……簡単には御せない」
「お前、緊張してんのか?」
「し、しない方がおかしいでしょ!」
エリカが緊張するほどの相手なのか。
領主。
名の通り領を治める存在だ。
バサ皇国には二十一の領がある。
領の下には地方が、その下には町と村がある。
ローボーが治めていたのはイサン地方だ。
そして、イサン地方はベルリカ領に含まれる。
ベルリカには他に三つの地方が存在し、バンガ地方、サグナ地方、イコロス地方だ。
うちバンガは聞き覚えがある。
収容所の名前にもなっていた。
ちなみにガレンがあるのはイコロス地方。
領南部の海沿いの地域だ。
サグナ地方はイサン地方より更に東方にある半島らしい。
こう見ると、ズイレンがいかに小さいかがわかる。
ベルリカのイサン地方の一つの町だ。
天上人はまだまだ広大な土地を持っている。
いずれすべて奪うにしても、足がかりはここだ。
領主には勝つつもりではいる。
しかし、油断するつもりもない。
あのローボーを従えていた者だ。
強いのも理解している。
「領主様がお見えになりました」
そのとき、鹿の天上人が姿を見せる。
ジンのいる下段より二段高い上段の御簾が開く。
同時に堂々とした歩みで入室する者があった。
「な、何ぃ!?」
思わず声が漏れる。
それは、獅子の天上人だった。
華美な着物に身を包んだ人間の二倍はあろうかという体躯。
まさに人の上に立つ者として相応しい。
これまでに会ってきた天上人とは別種の威厳だ。
ジンはその顔をあえて睨んだ。
……睨もうとした。
しかし、どうしても別の場所に目が行ってしまう。
獅子は帯を締め忘れていた。
つまり、着物の前が全開だった。
「きゃ、きゃああああああああああああ……!」
エリカが叫んで目を覆う。
領主が首を傾げる。
いや、気づけよ。
前、前だよ、前。
領主はち○こ、丸出しだった。
†
「いや、実にすまなかった。まさか帯を締め忘れることがあるとは思わなかった」
領主はたてがみをいじりながら謝罪した。
「……あなたは、その忘れっぽさはなんとかならないんですかねぇ」
帯を締めさせた鹿の天上人がため息をつく。
およそ領主に対する臣下の態度ではない。
できの悪い友人を注意するような感覚だ。
……なんだろう。
思っていたのと違う。
「で、客人よ。よく来たな。俺がナナグバ・ベルリカだ。司教の紹介状を持ってきたと聞いたがどのような関係なのだ?」
ナナグバは上段から下段にまで座布団を持ってきた。
そして、ジンの眼前に座った。
「いや、お前、近いな?」
「この方が話しやすかろう。何が面白くてこんなに離れて、大声で話さねばならんのだ?」
「それな! 俺もいつも思ってた!」
「なに納得してんのよ!」
エリカに頭を叩かれる。
そうだ、問題はそこではない。
「俺はお前に言うことがあってきた」
「ふむ、聞いているぞ。だが、実は俺も人間王に用事があってな」
「なにぃ?」
領主とは初対面だし用事があるとは思えない。
いや、領地のことか。
何か取り引きを持ちかけてくる気だ。
「人間王よ。俺と和平を結ぼうではないか」
「……」
領主は満面の笑みを浮かべていた。
無邪気な顔がじっと見てくる。
……。
何を言われたのかとっさに理解できない。
「……和平って言ったのか?」
「そうだ。俺は人間と共に生きたい。天上人と人間は対等な立場になるべきだ」
額から汗が伝う。
今度こそジンは困惑した。
――――何を言ってるんだ、こいつは。
天上人にとって人間は奴隷だ。
神から与えられた道具だ。
誰もが当たり前のようにそう思っている。
共に生きるという発想が出てくるはずがない。
「人間王は天上人と人間が対等な世界はどう思う?」
「そんなのは無理だ」
「なぜ諦める?」
説明するまでもない。
天上人は自身を特別な種族と考える。
人間を見下すことはあれど、対等に扱うはずがない。
「俺は対等だと思っている」
が、領主はそう主張する。
人間を尊重すると言う。
理解できない。
「そんな天上人はいねぇ」
訳のわからないことを口走ってしまう。
眼前の領主に、目の前にいるんだが? と突っ込まれる。
”いる”ものを”いない”とは主張できない。
……認められないだけだ。
そんなのはわかっている。
わかっているが、認めるわけにもいかない。
人間を大切にする天上人。
それは矛盾した存在だからだ。
「まぁ、なんだ。今すぐに返事をしろというわけではない。ゆっくりと考えてもらいたい」
ジンもエリカも固まっていた。
正直、混乱していた。
察した領主がそんな申し出をする。
「お前が言ってることは一つもわからねぇ」
「なんと……! どの辺がだ?」
「最初からだ」
ゆっくりと言葉を吐き出す。
考えはまとまらない。
時間が欲しい、と思ったところで、エリカが後を継ぐ。
「あたしも同意見よ。まずは、そうね……。和平の定義を教えなさい」
「ふぅむ。難儀な奴らだ」
領主はたてがみをいじりながら、
「天上人と人間が仲良くすることを俺は和平と呼ぶ」
「定義が甘いわ」
「定義が甘いですね」
二箇所から突っ込みが入る。
エリカと領主の後ろに控えていた鹿の天上人だ。
「和平というからには何らかの条約が結ばれるべきよ」
「妥当なところで不可侵、権利の保障などでしょうね」
「それだ。そういうものを結びたい」
「他の天上人が認めないわよ」
「他の天上人が認めないでしょうね」
再度、ダメ出しが入る。
領主はもごもごと何かを言う。
反論にはなっていなかった。
「ぼろぼろじゃねぇか」
「……ぬぅ、ではズイレンを人間国として認知しよう。それなら最初の一歩としてよいのではないか?」
「条約の内容と天上人の体制次第ね。……今の話、あんたが思いつきで言ってるように聞こえるわ。バサ皇国として合意は取れるわけ?」
「この人間の意見は鋭いですね。まぁ、現実的に合意は取れないでしょう」
鹿の天上人が真顔で言う。
領主は思いつきで行動しているらしい。
「そもそもの話だけど、なぜ和平なんて言い出したわけ? 天上人が人間に申し込む利点が一つも見えないわ」
「人間の言う通りです。利など一つとしてありません」
「ハービーはどっちの味方なのだ? 領主は俺だぞ?」
「もちろん、頭のおかしい思いつきの発言なんかしない、素敵な領主様の味方ですよ」
てことは、目の前にいる領主の味方ではないわけだ……。
「さっきからなんだ、お前らは。俺が前向きな話をしているのに文句ばかり言いおって!」
「具体性を伴わない話を否定しているだけですよ、領主」
「大切なのは気持ちだろう! まずは。互いのことをひけらかす。そうして信頼関係を築くべきだ!」
「それで陰部を見せられた方の気持ちにもなって欲しいんだけど?」
「……」
「あぁ、領主様のアレはそういう意図があったんですね。事故だと思っていました」
「……」
なんだか領主がかわいそうになってきた。
しかし、助け舟を出す相手ではない。
ジンは領主と戦いに来たのだから……。
『こちらの部屋でよろしいんですの?』
そのとき、廊下から声が聞こえた。
若い女だ。
聞き覚えのあるような声だ。
「むむ、すまぬが時間が来てしまった。今日はこれで終わりとさせてもらう」
「お、おい、こっちの話は終わってないぞ!?」
宣戦布告をしていない。
言わねば、何のために来たのかもわからない。
「だが、すでに会わせたい人が到着してしまったようでな」
領主が困ったように笑う。
会わせたい人とは誰なのか。
鹿の天上人が廊下に出て、来訪者の応対をする。
「予定より早いですが、もう来たんですね。会いたくて仕方ないわけですか」
「べ、別にわたくしは兄さまに会いたいなんて言ってませんわ!」
「……はぁ、では、会わずに下がられますか」
「そ、それとはこれとは話が違いましてよ! わたくしの気持ちとは関係なく、わたくしはあくまで巫女という立場で人間国の代表と」
「はいはい、わかりましたから、さっさと行ったらどうですか?」
鹿の天上人が誰かを引っ張ってくる。
……見たことがある顔。
…………いや、絶対に忘れることのない顔だ。
「お久しぶりですわね、兄さま。お元気そうで何よりですわ」
連れて来られたのはスグリだった。
宣戦布告など頭から吹っ飛んだ。
ジンは石になるしかなかった。