6 城下町1
「敵襲ーッ!!」
国の南端。
田園地域に太鼓の音が轟いた。
あぜ道を騎馬隊が駆け回り、農民の避難を呼びかける。
「状況を報告しろ!」
そんな中、前線へと向かう一団があった。
ズイレンから駆けつけた戦将の一派だ。
「半刻前に南方地平線上に敵影あり。その数十あまりです。既存の包囲水準を大きく上回り、現在も町へ接近しております!」
「町じゃねぇ。ここは国だ」
「…………はっ! 失礼いたしました!」
概要を聞くと、戦将は自ら囲いの上に顔を出す。
囲いは守りの要として、国の周囲に作られたものだ。
木造の塀でしかないが、弓矢を防ぐ程度の力はあった。
「あれか」
茫洋と広がる平原。
田畑にもならなかった荒地に天上人が十人いた。
後ろには馬車とも山車ともつかぬ車がいる。
用途は不明だ。
突撃用の戦車か。
あるいは爆弾か。
「……弓の射程からはわずかに外れております。いかがしますか」
「どうもこうもこっちから手を出すことはあり得ねぇ。王がいなけりゃ俺らは負ける」
「では、待機で」
よろしいですか、と兵は問おうとして、止めた。
天上人の一人が弓の射程に入っていた。
緊張が走る。
戦軍が弓を引き絞る。
次の瞬間、世界を塗りつぶすような大音声が轟いた。
「聞けぇぇぇえぇ! ここにおわすは霊公会が序列第ニ位、ソテイラ・シャム・ヒンディ・ヒンディ・アーズィ様である! 人間の代表との会見を希望なさっておる!! 謹んでこれを受け、即刻、兵を引かれよ!」
戦軍は弓を引き絞ったまま困惑していた。
戦将が全員の気持ちを代弁する。
「どういうつもりだってんだ……」
†
会見の場は速やかに設定された。
並の天上人なら追い払ったかもしれない。
だが、ジンの中にも例外が存在した。
ソテイラだ。
彼には命を助けられたし、知行政との一騎打ちでは立会人を務めてくれた借りもある。
会いたいと言うなら追い返す道理はない。
「出迎えご苦労。招き入れるとは中々の英断であったな」
旧知行政の屋敷に設けられた謁見の間。
それは零ノ隠れ里にあった部屋とは二回りも大きさが違う。
その気になれば百人でも二百人でも詰め込める部屋に、今は十数人しかいない。
部屋の奥の一段高くなった場所にジンが座り、左右に里長を始めとする面々が並んだ。
客人は部屋の中央。
ソテイラは座椅子に腰掛けていた。
来訪の意図は聞いていない。
会いたいから来た、と従者は述べたが、それだけで来るとは思えなかった。
霊公会の序列第二位。
今のジンならわかる。
それは領主よりも位階が高い。
「何しに来たんだ?」
本題から入ると、ソテイラは眉一つ動かさずに答えた。
「霊公会から提案を一つ。人間にとってよい話を持ってきた」
「よい話?」
「然り。人間、お前の炎がどのようなものかは知っているな?」
「あぁ、マナロが悪しき精霊と戦うときに炎の精霊からもらったんだろ」
「いかにも。故に、炎は天上人と深い縁があるのだ」
天上人は精霊の眷属として生まれた。
精霊から加護を受け、それは天上人が地上界に降り立ったあとも続いた。
しかし、精霊は気難しく、祈りをおろそかにすると、時に恵みを奪うこともあった。
そこで精霊との関係を良好に保つために霊公会が作られた。
祈りを捧げ、敬意を払い、精霊の加護を確固たるものとした。
そんな彼らが何よりも価値を見出すのが青い炎だ。
その炎は精霊が天上人を選んだ証。
天上人が他の生命より優れている証左なのだ。
「ところが、始皇帝マナロの死によって炎は失われ、皇国は前代未聞の混乱に飲まれた」
「混乱?」
炎は精霊に選ばれた証。
重要な意味を持つが、なくて困ることはないように思う。
「覇権争いだ。炎が受け継がれなかったために、誰が後継者かわからなかった」
帝位の奪い合いがあったという。
マナロが後継者を指定しなかったこともある。
表沙汰にならないところで熾烈な争いが日夜繰り広げられた。
暗殺者が跋扈し、互いの陣営を削り合った。
結果、四人いた継承権保持者のうち二人が事故死、一人が行方不明となった。
残った一人が必然的に即位したため、継承権問題は収束した。
しかし、不満を持つ者も多く、政権は安定したとはいい難い。
そんな折に人間が青い炎を手にしたという噂が流れた。
炎は継承者の証だ。
当然、誰もが欲しがるだろう。
だが、それは継承者の話を蒸し返すことでもある。
「炎は信仰の対象であると共に、皇国の平定を揺るがす因子にもなった」
炎が誰かの手に渡れば、争いが起こる。
手にしたものこそが正統後継者だと主張ができるのだから。
つまり、誰もが炎を欲している。
「中立の者が炎を管理しなければならない。相応しいのは我々霊公会を置いて他にない。故に我々は、人間を再度、我々の管理下に置くことを望んでいる」
「炎か……。じゃあ、領地を取り戻しに来たわけじゃないんだな?」
「領地? この地はベルリカ領主が管轄する故、霊公会は関与しない」
畑違いというわけだ。
ソテイラは炎が他の勢力に渡るのを嫌ってやって来たのだ。
誰かが炎を手にすれば争いが起こる。
だから、中立組織が人間を管理して……。
「ん? それ、要するに奴隷になれってことか? どこがいい話だよ」
「奴隷である必要はない。我らの願いは炎が誰の手にも渡らぬこと。ズイレンを囲う柵の内側は人間の好きにするといい」
「今だって好きにしてる。何も違わないだろ」
「明確に違う。町の周囲を見たであろう。およそ数万の軍勢だ。炎を狙う賊が国中から集結している。
奴らは皆、人間の命と炎を欲している。
攻め入られていないのは、互いに牽制しあっているからに過ぎぬ。
人間、今、お前たちは自分の意志で生きていない。
軍勢の拮抗が崩れれば、この地の人間はすべて死ぬ」
なぜ国が攻められなかったか?
大筋はエリカの推測通り、互いに牽制しあって動けないためだ。
ただ、目的が違っていた。
国を包囲する軍の狙いは復讐ではなく炎だ。
「私の下に入るのであれば、霊公会が後ろ盾となろう。いかなる天上人が人間に牙をむこうとも、霊公会が序列第二位、ソテイラの名において、敵対勢力を排除しよう」
炎を誰にも渡さない代わりに、国を保護する。
それがいい話なわけだ。
「ジンよ、私は個人的にもお前を手元に置きたいのだ。いくらでも愛でてやれる自信がある」
ソテイラがジンを名前で呼んだ。
人間という種族ではなく、個人として認める。
そんな意図を感じた。
そうまでする価値があると、ソテイラは言っているのだ。
悪い話には思えない。
ソテイラの発言が事実なら、怯えた暮らしをする必要はなくなる。
囲いの内側には人間の自由が約束されるのだ。
だが、そこには致命的に欠けたものがある。
「面白い話とは思うけどな、俺は断る」
「理由を聞こうか」
「自由がないからだ」
「何を言うのか。自由ならある。囲いの内側は人間の自治区だ」
「そんなものは自由じゃない。俺たちが望むのは、お前たちとの対等な――――、戦争だ」
「戦争……? まだ戦いを止めぬというのか? すでにズイレンを解放したというのに?」
「ズイレンの外にも人間はいるだろうが。俺はすべての人間を天上人から奪い返すんだ」
ソテイラが初めて顔色を変えた。
面白いものを見つけた、……子供のような顔だった。
「…………興味深い。……あぁ、それは興味深い。なら、いずれ私も滅ぼされてしまうのだね?」
「命を助けられた奴とは戦わない。戦う相手は選ぶ」
「では、次の相手は?」
「まだ決めてない。けど、領主だとは思う」
知行政は領の中における地方を治める。
次に狙うのは、そいつよりも広い地域を持つ奴、または人間を苦しめる奴だ。
領主は土地を奪われたのだから、いつかは攻勢に出てくるだろう。
「正面から迎え撃って、一騎打ちで決めたい」
「興味深い策だ……。私も協力しよう」
「なに……?」
「領主と戦うにしても、一騎打ちでなければ勝負にならない。戦争を待つ必要はなく、直接、会って申し込めばいい」
「会える相手じゃねぇだろ」
領主は城下町ガレンの城にいる。
到達するまでに数千という天上人を倒さねばならない。
領主と戦うと言っても計画はまだない。
「会えるとも。私がその場を整えよう」
確かにそれができるなら話は早いが――――。
「何が狙いだ?」
「実直な話をしよう。晩秋の頃に『勇者ノ日』を控えている」
勇者ノ日は始皇帝マナロが悪しき精霊を打ち破った日だ。
バサ皇国では、その七日前から祭りが行われる。
「式典では青い炎をもって国民への祝福がなされる予定だが、……炎は誰の手にもない。これは問題だ」
炎がなければ、祭りは不完全なままに終わる。
継承権の問題が蒸し返される可能性がある。
それで、少しの間、炎を貸せということらしい。
「火種をやればいいのか?」
「いや。……青い炎は主を離れると長くは保たない。火種は運べぬ」
「そうだったな」
ジンも昔、同じ実験をしたことがある。
数日も維持できなかったはずだ。
種火がダメとなると……。
「お前、俺に天上人の祭りに出ろって言ってんのか?」
「そうだ。最悪、勇者ノ日に炎があれば、皇国の平穏は保たれる。祭りの間、私と共に帝都ルンソッドに滞在してもらう」
すごい提案だ。
天上人を倒すと言った相手をわざわざ祭りに呼ぶのか。
「お前は俺が皇帝を倒すとは考えないのか?」
尋ねると、ソテイラは薄く笑った。
「私は式典に炎が灯るのであれば、他の行動は制限しない。だが、帝都に集う天上人の実力は地方の比ではない、とだけ忠告しよう」
「望むところだ」
ソテイラは、ジンと領主の会談の場を設ける。
ジンは、祭りに青い炎を提供する。
対等な取り引きだ。
内容は決まった。
あとは契約だ。
ジンは切り株を持ってこさせる。
「……その切り株は?」
「切り株の誓いだ。俺の生まれたところでは切り株の上で誓いを交わす」
「ほぅ、興味深い! どうすればいい?」
「この枝を切り株に乗せろ」
契約の誓いには、サンガイの枝を使う。
両者が切り株に乗せたら契約はなる。
この契約は片方が死以外の理由で反故にはされない。
「手ぬるいな。死しても履行してもらう」
ソテイラが契約を上乗せする。
「死んでも約束は守れってことか」
「いかにも。死ねない理由ができたな、人間よ」
含みを持った言い方をした。
ソテイラは本当に不思議な奴だ。
天上人だが、ジンを対等に見ている。
契約の話をしても怒らなかった。
普通なら格下の人間と契約などできるか、と怒鳴るか暴れるかするだろう。
第一、こうして話に来ること自体が異常だ。
ソテイラは他の天上人と決定的に違う。
両者がサンガイの枝を切株に乗せる。
これで契約は成立した。