5 人間の国3
電磁砲と送電網計画が進む。
その一方で、忍びは独自のやり方で決戦の日を待っていた。
練兵場となった庭には今日も掛け声が響く。
戦将サグが率いる軍勢だ。
人数は五十名ほど。
隠里にいた頃は穢魔の討伐を任としていた。
人口十万の国において彼らの立ち位置は何か?
正規軍だ。
五十名の部隊だが、寄せ集めの農民千人より強い。
憶測ではなく実話だ。
サグが志願兵を集め、模擬戦をしたのだ。
仕事にあぶれた男や咎人が集まった。
彼らに剣やら槍を与えて戦軍と戦わせた。
話にならなかった。
連携とかそういう次元ではない。
個の力が違いすぎるのだ。
隠里の連中は根底から動きが違う。
サグは、最後までエリカの策に懐疑的だった。
電磁砲? それが何の役に立つのか、と。
最終的に頼りになるのは自身の体だろう、と。
銃などいくら持っても鍛えられた体の前には無力だ、と。
サグは本気だ。
そして、実演してみせた。
自動小銃で武装したエリカと一騎打ちをして、距離百トルメからの勝負を制した。
自動小銃は金属の弾を毎秒百発以上も吐き出す武器だ。
並の動物、穢魔では太刀打ちできない。
だが、忍びには弾が見えるという。
見えれば避けるだけだ。
更に言えば、相手の動きを読めば弾など長い刀も同然らしい。
どうしたらそんなことができるのか。
修行だ、とサグは言った。
修行すごい。
無論、誰にでもできることではない。
弾を見切れるのは、サグの他に忍将、そして、カルだけだ。
この一件はエリカの常識を大きく覆した。
電磁砲計画が出てきたのもこういった経緯がある。
つまり、自動小銃が見切られてしまうなら、更に速い弾を撃てばいい、という発想だ。
さておき。
これだけの実力者がいるのだ。
修行しない手はないだろう、とジンは思った。
そんなわけで、ジンは一月ほど前から忍びの技を習い始めた。
講師はカルだ。
「ジンは勘がいいから、すぐに僕らと同じくらいになれるよ」
少し修行をしてそんな評価をもらった。
指導方針なのか、単に優しいだけか、とにかく褒めてくれる。
いい先生だ。
修行には一日の半分を使う。
政治にも顔を出すが本業はこちらだ。
天上人と戦うとき矢面に立つのはジンだからだ。
ジンと忍び。
体術なら後者がはるかに強いが、決闘の場に忍びは立てない。
唯一にして絶対的な違い、霊術の有無があるからだ。
霊術は呪具とは比較にならない力を持つ。
正直、肉体ではどうにもならない差だ。
しかし、だからといって体を鍛えない理由はない。
霊術を使った戦いは派手になる。
一瞬の判断で死ぬこともある。
弾を見切れる忍びの技能は絶対に役に立つ。
「じゃ、今日もやってみようか」
カルがほがらかに言う。
修行の基本は剣術と体術だ。
素振りや型の稽古から入る。
奥義的なものを期待したが、基礎は大切だ。
一週間ほど素振りを続け、飽きてきたところで実践を入れた。
「僕を好きに殴っていいよ」
言われるがままに殴りかかる。
そして、カルはそれを弾き返す。
全くと言っていいほど当たらない。
同時に自分の中に型が染み付いていないことを確認する。
打ち込むとき、どうすればいいのか迷うのだ。
経験がないせいで、攻め方や戦術の組み立てがわからない。
「ね? 型が大切でしょ?」
優しく諭される。
こうして型の大切さに納得したら、再度素振りに戻る。
飽きたら実践。
カルは教え方がうまかった。
忍びの兵法は基本的に一種類しかない。
剣でも槍でも何でも満遍なく学ぶというものだ。
元々、民に紛れて暗躍するのが生業だ。
常に自分の得意な武器を携帯できるとは限らない。
農民に化けていたら、鍬や斧で。
周囲に材木しなければ丸太で。
どんな状況でも戦えることを想定した流派だ。
背景には武器の希少性がある。
隠里に鍛冶工房は一つしかなかった。
刀がいつでも使えるとは限らないのだ。
逆に天上人の役人は常に刀を携帯する。
そのためか多くの流派を持っていた。
庶民は護身術として。
役人なら教養として剣術を学ぶ。
バサ皇国の起源は悪しき精霊との戦役に遡る。
上流天上人は大半が戦役の功労者。
つまりは、武官の出身なのだ。
今でこそ戦争はないが、戦いの心得を忘れぬために、剣術を学び刀を携帯するわけだ。
何だかんだで知行政も刀を持っていた。
相手にする天上人は大抵、武術の心得を持つと考えていいだろう。
型通りの稽古でもしっかりと続けていきたい、とジンは思う。
修行を始めて一ヶ月が経った。
カルは奥義の習得方法も教えてくれた。
「もう奥義なのか? 型もできてないぞ」
「型はあと十年くらいかかるよ? 奥義は一瞬だから」
「一瞬なのか!?」
……型稽古より簡単な奥義とは一体。
「や、本当は難しいんだよ? でも、ジンは特別だからできるんじゃないかと思って」
「俺ってそんなに剣の才能があったのか……」
「剣じゃないよ。霊感みたいなものかな」
「?」
よくわからない。
奥義とは剣術ではないらしかった。
「覚えてる? 僕らはこれを巫霊ノ舞って呼ぶんだ」
巫霊ノ舞はカルが収容所で使った技だ。
少しの間、身体能力を爆発的に向上させる。
元祖は誰かも知れない。
いつからあったのかも不明。
だが、それはいつしか忍びの奥義として伝授されてきた。
習得方法は簡単だ。
隠里の奥にある禁じられた祠で一週間過ごすこと。
簡単に思えて、そうではない。
その祠はなぜか、穢魔が大量に湧くからだ。
祠にいれば、半刻(約十五分)で周囲は穢魔だらけになる。
生き残るには戦い続けるしかない。
昼も夜もだ。
睡眠の時間も与えられない。
穢魔も馬鹿ではなく、眠った隙をついて襲ってくる。
隙を見せれば死ぬ。
そうした極限状態に身を晒すと、あるときから魂が軽くなる。
自分の体が別物に感じてくる。
更に進むと、魂がはっきりと体を離れる。
そして、体の動かし方に別の方法があることを知る。
学ぶわけではない。
自動的に、知る、のだ。
新しい動かし方は今までの方法と一線を画する。
体に眠る力を最大限に引き出し、時には理をねじ伏せる動きもできる。
一説によれば、魂が精霊界を見たためと言われる。
精霊界を知った魂は地上界に根付く体をより優れた方法で駆動できる。
結果として霊術とは違う形で奇跡を起こせるわけだ。
人によっては十倍もの力が出せるという。
十倍になったら、もはや化物だ。
ひょっとしたら天上人より強いかもしれない。
「その奥義って一度覚えたらずっと使えるのか?」
「うーん、そこも人によるかな。僕なんかは意識しなくても使えるけど、そういう人は他にいなくて、普通は歌を歌ったり、踊りを踊ったりして、魂をもう一度引き剥がす必要があるんだ」
準備には時間がかかる。
これも個人差があり、人によっては二刻(約一時間)もかかってやっと、という人もいる。
巫霊ノ舞も万能ではないようだ。
「あれ。もしかして戦軍が戦う前に歌ってるのは、準備だったのか?」
「そうだよ。彼らは方法を揃えて、効率化してるんだ」
いろいろとわかってきた。
習得の試練はあくまできっかけ。
巫霊ノ舞を使うには慣れが必要。
諸々差し引いても強力なのは変わりない。
奥義と言っていいだろう。
「で、俺ならできるって言ったのは霊術があるからか」
「そうだよ。精霊と縁があるジンなら楽に習得できるかと思って」
「だな。やってみるか」
まずは試練の場にふさわしい場所へ向かった。
穢魔が常時、湧き続ける場所。
当たり前だが町の近くにはない。
天上人もそんな危険な場所に都市は作らない。
国境線の内側だと北西の洞窟が当てはまった。
隠里の祠に比べれば小規模で、穢魔の数も少ない。
近くの農民に聞いたところ、近年の異常現象で急に穢魔が湧くようになったそうだ。
「まずは半日からやってみようか。僕が一緒にいるから安心してね」
「それじゃ試練にならないだろ」
「いくらジンでもいきなりは無理じゃないかなぁ」
「言ったなー。見てろよ。大丈夫だってところを見せてやるから!」
勇み足で洞窟に入っていく。
「……俺、よく生きてられたな」
「あはは、最初はみんなそんなもんだよ」
帰り道。
カルに背負われて帰った。
身長差があるので、背負われても足が地面に付きそうだ。
ちなみに試練の結果は散々だった。
最初は調子よく炎で穢魔を焼いていた。
ところが、炎を使えば使うほど穢魔が集まってきた。
最終的には洞窟の入り口に詰まるほどになった。
外で見ていた農民は、この世の終わりかと思った、と言っている。
それくらい数がいた。
空気がなくなり、炎を使うのが難しくなってくる。
そんな状況からカルは短剣二本で穢魔を次々と解体していった。
「女に背負われて帰るなんて情けねぇ」
「今は女じゃないよ。忍びのときは男だから。仲間に助けられただけさ」
「……そう思うことにする」
本当にいい奴だ。
今日の結果はきちんと胸に刻む。
次はもっと耐えられるようにしよう。
†
夜。
政治や修行を終えると、やっと自由な時間になる。
ジンは大抵、執務室で本を読む。
本は知行政の屋敷に収蔵されていたものだ。
エリカが目を通し、面白そうなものをジンに渡す。
普段は本など読まない。
ただ、読んでみると意外に面白かった。
『人間理解のすゝめ』
その本は天上人から見た人間について書かれていた。
著者は鳥の天上人。
各地を転々としながら、人間の使われ方を研究したらしい。
天上人の種族や身分、商用個人用など様々な観点で人間を分類。
平均寿命や幸福度などを調査していた。
戦うには敵を知るところから。
そして、敵の知る自分を知るところからだ。
発見もいくつかあった。
まず、天上人の種族だ。
天上人には種族がある。
犬だの鳥だの豚だのだ。
あれは外見だけではなく、性質や性格にも影響を与える。
梟の天上人なら夜目が利くし、犬の天上人なら鼻が利く。
そして、狼だったら他の天上人を狩る。
共食いである。
本によれば、昔は共食いが当然だったという。
しかも、そこに罪悪感はない。
肉食動物が草食動物を食うのは自然の摂理だ。
他にも人間に関する法が記載される。
生存権に始まり、所有権、売買規則。
天上人は事細かに人間を管理していた。
規則は読めば読むほど、頭が冷える。
徹底してモノ扱いされる人間。
それは、見たこともない世界の、ほんの一端に違いなかった。
「まだ、起きてるの?」
不意に声をかけられる。
執務室の入り口にはお盆を持ったカルが立っていた。
「これ、お腹が減っただろうから差し入れ」
お盆には握り飯が二つ乗っていた。
思い出したように腹が鳴る。
「腹減ってたんだ。ありがとな」
「勉強は進んでる?」
「そこそこだな」
横にずれてカルを隣に座らせる。
「たとえば、これなんか面白いぞ」
今、読んでいる部分は人間の分類法だ。
そこには人間の階級について書かれていた。
優奴、農奴、商奴、私奴、穢奴。
最上位は行政関連の天上人に仕える人間を指す。
二番目から四番目は読んで字のごとくで、最後の一つは収容所や行政所有の汎用人間奴隷のことらしい。
書には、階位の高さに応じて人間を遇せよ、書かれている。
曰く、奴隷にも階級を設け、やる気を出させるため、らしい。
「天上人は人間のやる気が大切だって言ってんだ。ここにいた奴らは、そんなことまで考えてなかった」
そうでなかったら、ローボーを倒すこともなかった。
奴らは人間を使い捨てていた。
あまつさえ遊具にしたり、焼き肉にしたりしていた。
それを普通だと思っていたが、少し振り返ってみると理由が見えてくる。
今日まで倒した天上人はなんだったか。
看守は犬。
ローボーは狼だ。
どちらも同じ種族だ。
しかも、肉食だ。
だから、あれほどまで人間を酷使していたのではないか。
そういう仮説も立てられる。
だから、白孔雀の天上人であるソテイラは気まぐれにジンを救った。
天上人とは何かがわからなくなってきた。
道理の通じない化物像はすでにない。
奴らは人間と同程度に高度な知性を持つ。
話の通じる奴もいるかもしれないのだ。
「意外だね、ジンがそんなこと言うなんて。全部倒すぞー、って言うのかと思った」
「俺だって、少しは考えてるんだからな」
人間を救うために天上人は倒すべきだ。
でも、人間を殺さない天上人がいるのなら、そいつは倒す必要はない。
それだけの話だ。
「おしゃべりしてる暇があったら勉強したら?」
エリカもやってきた。
礼装ではなく、だぼだぼの服に丸メガネだ。
手には握り飯の乗った盆を持っていた。
「エリカ様がわざわざ夜食を作って上げたの。感謝しなさい。……と思ったけど、もう食べた?」
「さっきカルが持ってきてくれた」
「なんだ残念」
そう言ってエリカは自分で握り飯を食べ始めた。
「仕事以外で話せる時間は少ないから、講義してあげる」
エリカが書物を取り上げて、問題を出してくる。
カルと二人で早い者勝ちで答えを言う。
カルが勝つとエリカに抱きしめられ、ジンが勝つと「できて当然ね」と罵倒される。
不思議な戦いだ。
が、競争自体は楽しい。
こうして夜が更けていく。
静かで、平和だ。
いつまでこんな日が続くのか。
少しだけ疑問に思う。
それから十日後。
一時の平穏は脆くも崩れ去る日がやってきた。