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2 村の異変

    †ヒヌカ†


 トゥレンからほど離れた場所に小さな村があった。

 戸数は二十ほどしかなく、斜面を切り開いた棚田で細々と稲作をしていた。

 村長がティグーだから、ティグーの村と呼ばれる。


 ヒヌカと一家は二月前に、この村へ引っ越していた。

 逃げた女郎を補填するため、天上人による人間狩りが始まったためだ。

 年頃の娘は見つかり次第、女郎にされるという。

 身を隠すには小さな村が適していた。


 村での生活は慎ましやかだ。

 丘の上の空き家を貸してもらい、三人で住み、時折、畑に出て仕事をする。


 村での農作は共同作業だ。

 家ごとに田畑を見るのではなく、大勢ですべての田畑の面倒を見る。


 ヒヌカは料理番を買って出ていた。

 元々、ティグーの村には料理番がなかった。

 村の女たちは畑仕事の合間に畑で野菜を取り、その場で煮炊きして食うのが普通だった。

 鍋は持ち寄りで、水は川で汲む。

 そして、適当な枯れ葉と枯れ枝と石で焚き火をして野菜を煮る。


 当然、調味料もなければ、下ごしらえもない。

 いくら何でもあんまりだった。

 以来、ヒヌカは自宅で作って振る舞うようにしていた。

 ヒヌカの料理は大評判だった。

 村の会議で、金をやるからこれからも頼む、と決まったくらいだ。


「いつもありがとねぇ」


 料理を持っていくと、あぜ道に人が集まる。

 今日は女ばかりが十人ほどだ。


「家と田畑を貸してくださってるんですから、これくらいはしないと」

「お妾さんなのにいい娘だねぇ」

「……あの、わたし、妾ってわけじゃ……」

「またまた、あんたみたいな美人が放って置かれるわけないでしょ?」

「そうよ。天上人様のことだって詳しいじゃないか」


 女たちは肯きあう。

 いつの間にかヒヌカは天上人の妾ということにされていた。


 下流の天上人は人間を妾として囲うことがある。

 天上人と直接的な関係を持つため、妾は通常の奴隷よりも位が上だ。

 妾経由で天上人に悪い噂を流されれば、一般の奴隷は偉いことになる。

 そのため、奴隷は妾に逆らえない。

 妾が支配する村もあるほどだ。

 村の人が妙に優しいのも、このせいだろう。


 誤解されたまま距離を置かれるのは気分がよくない。

 しかし、そのお陰で身の安全が保証されていると思えば、強く否定する気にもなれなかった。



 昼食後は畑仕事をする。

 秋も深まり稲刈りが終わった季節だ。


 ヒヌカの家は丘の上にあり、果樹がよく育った。

 その分、冬はやることがない。

 鍋を片付けたら手伝うと約束して、ヒヌカは家に戻った。

 すると、姉が紙切れを差し出してきた。


「ほれ、今日の分」

「わ、風聞紙だ。どうしたの?」


 風聞紙はヒヌカが十日に一度買いに行く決まりだ。

 前回買ってからまだ五日しか経っていない。


「気分転換にちょいと町まで。あ、金はいらないよ。ちょっと前かがみになったら、古紙屋がタダでくれたのさ」


 姉は谷間を見せつけてくる。


「お姉ちゃん……、そういうのよくないよ」

「持ってるものは使わないと損だろう? それより、偉いことになってるよ」


 言われて風聞紙に目を通す。


 イサン地方知行政ローボー・シヌガーリンが人間に討たれた。

 その人間は青い炎を操っていた。

 前皇帝陛下の炎に違いないと霊公会の非公式発言あり。

 人間はズイレンに立てこもり人間王を名乗る。

 前代未聞の大事件に、バサ皇国は混乱と悲しみに包まれている。


 そんなことが書かれていた。

 細部はわからないが大意は汲み取れたと思う。


「人間が天上人を倒すなんて、……すごいね」

「それ、やったの誰だと思う?」


 姉がニヤニヤと笑う。


「……まさかジンなの?」

「なんだい、今更。青い炎はあんたも見たでしょうが」


 そうだ。

 そうだけど……。


「嘘みたい」


 ジンが看守を倒したとき、ヒヌカは夢を見ているのかと思った。

 天上人は絶対だった。

 倒せるはずがなかった。


 その常識をジンは破った。

 そして、今度は更に大きな常識を破った。

 人間が奴隷を止める。

 そんな生き方をしているのはジン以外に誰もいない。

 遠いところに行ったんだな、と思う。


「会いに行かないのかい?」

「ううん、待つって決めたから」


 家には赤い布を吊るし、目印としている。

 ジンが戻ってきたとき、わかるようにするためだ。


「父さんならあたし一人で十分さ。村の人も助けてくれるし。知ってるかい? あたしらは姉妹で妾ってことになってるんだよ」


 言外に込めた意味まで汲み取って、姉は平然と言う。

 勇気づけようとしてくれているのがよくわかる。

 姉も父も優しい人だ。

 頼めば旅を認めてくれるだろう。


 けれど、家族にはたくさん恩をもらった。

 父は他とは違う自分を見捨ててもよかったのだから。

 自分は恩を返さなければいけない。


「行かないよ」


 ヒヌカはもう一度、強く繰り返した。



 異変が起きたのは、そんなある日だった。

 ヒヌカは女たちに混じって村の畑に芋を植えていた。

 訪問者は唐突にやってきた。


 街道からではない。

 彼らは山中の茂みから現れた。


「なんだい、ありゃあ」

「さぁ……」


 女たちは手を止めて、顔を見合う。

 山から人が降りてくるなど初めてのことだった。

 訪問者は全身をすっぽりと着物で覆っていた。

 頭まで隠しているので、肌が見えない。

 随分、寒がりだなとヒヌカは思う。


 人数は数えて十二人。

 全員ヒヌカと同じくらいの背丈で、気味が悪いくらいにばらつきがない。


「ちょっと、何の用だい?」


 女が畑から出て、声を掛ける。

 ギィと人の者ではない声が返ってきた。

 女が惚ける前で、先頭の一人が頭巾を外した。


 ……現れたのは複眼を持った虫の頭だ。


「えっ、天上人様!?」


 女たちがドタドタと平伏する。

 ヒヌカも慌てて頭を下げた。

 農村では滅多に天上人が来ないため、とりあえず最敬礼が一般的だ。

 大して身分が高くない相手でも、頭を下げておいて損はない。


 しかし、それは通常の話だ。

 虫族だけは違う。

 彼らはあまりに逸話が多いため、最も有名な種族だった。


 曰く、虫族は人間を奴隷にしない。

 人間を卵の苗床としてしか使わないのだ。

 言葉や思考が苦手で他の天上人からも疎まれている。

 異常に数が多く、虫族が天上人の半分以上を占める。

 噂は様々だ。


 確かなのは虫族の多くが南方に住まい、気温の低い北へは来ない点だ。

 また、多くの虫族が森や地中に住まい、雑踏や町を嫌う。

 こんな場所にいるはずがなかった。


「突然の来訪ですまないな。しかし、他に適当な場所がなかったのだ」


 呆然としていると、別の声がした。

 五人の男が天上人の後ろから現れた。

 薄汚れた衣服で背嚢を背負っている。


「……あなたがたは?」

「俺たちは見ての通り奴隷だ。旅のお供をしている」

「虫の天上人様が旅をするんですか……?」

「いらぬ詮索はためにならんぞ。この方々のために宿を手配せよ」


 男はきつい口調で言いつけた。



 突然の来訪に村は混乱した。

 幸い空き家があるので、宿の提供は困らなかった。


 だが、天上人の思惑が見えないとなると、警戒の度合いも違った。

 生贄を要求されるのではないか。

 そんな噂がまたたく間に広がる。


「すまないが頼むよ」


 夜。

 ヒヌカは天上人に食事を届けるよう言いつけられた。

 他でもない村長命令だった。

 妾だし料理もうまい。適任だろう。

 その意見に誰も反対しなかった。


 ヒヌカは家で事情を説明し、粛々と料理を作った。

 虫族が何を食べるかはわからない。

 そもそも顔を見ても、ヒヌカには何の虫か判然としなかった。

 目がたくさんあったから、蝿かもしれない。

 しかし、蜻蛉も目はたくさんある。

 虫の種類はそれしか思いつかない。


 姉は自分が代わりに行くと申し出てくれた。

 それを丁重に断り、家を出る。

 明かりのない村は驚くほど静かだった。

 虫の鳴き声に包まれる。

 目が慣れるのを待ってから歩き出す。


 ――――つらい思いをさせてごめんね。


 畑の女たちにそう言われた。

 嘆くような声音だった。

 虫族の天上人について何か知っているかと聞くと、皆、一様に黙った。

 知らないから黙っているのか、言いたくないだけなのかはわからなかった。


 ……怖くないと言えば嘘になる。

 が、適任だという自覚もあった。


 天上人に囚われ、死ぬ寸前までいったのだ。

 食事を届けるくらい何でもない。

 大丈夫……。

 自分ならできる……。


 天上人に貸し出された空き家の前に立つ。

 明かりが漏れていない。

 ブブブ、と鳥肌が立つような羽音が響く。


 戸を叩こうと、手を挙げて、


「イツ コロス。リョウシュ?」


 聞き取りづらい声で天上人が言う。

 仕えていた人間が答えた。


「まず、人間王を名乗る者を殺す。その次に領主。書状にはそう書いてあります」


 背筋が寒くなった。

 鍋を持つ手が震えた。


 人間王。

 自分はそれを知っている。

 どこで見たのか。

 風聞紙。

 そうだ。

 風聞紙に書かれていた単語だ。


 人間王は知行政を倒した人。

 青い炎を持つ人。

 ……それはジンのことだ。


「ソコニ イルノハ ダレダ」


 いきなり羽音が大きくなった。

 ぼろい家屋が揺れるほどの振動に包まれる。


 ――――バレた。


 恐怖が足元からせり上がってくる。

 二歩ほど後ずさりをして、やっと冷静さを取り戻す。

 やはり自分が適任だった。

 ヒヌカは鍋を家の壁に投げつける。

 そして、家の横の草むらに飛び込んだ。



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