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5 町1


 蝉が鳴いていた。

 日差しが瞼を焼いている。


「……ん。ここは、どこだ?」


 ジンは目を開ける。

 見たこともない景色が広がっていた。


 眼前には幅の広い川。

 振り返れば背の高い草。

 真夏の太陽が川面をキラキラと照らしている。


 ずぶ濡れの着物は自分が川に流されたことを示していた。

 沼地のような場所に運良く引っかかったようだった。


 …………なんでこんなところにいるんだ?


 ぼうっと辺りを見回す。

 何があったかが思い出せない。

 とりあえず、景色を見ようと思う。

 草地を歩き、土手を見上げる。

 登るのに邪魔なので、首飾りを着物にしまう。

 首飾り。


「―――――」


 頭の中に次々と映像が浮かぶ。

 村へやってきた化物。

 焼かれた森。

 握りしめていたヒヌカの手。

 しかし、その手はいともたやすくすり抜けてしまって……。


「ヒヌカッ…………! ヒヌカ!?」


 名前を呼ぶが、周りには誰もいない。


「クソッ…………!」


 ヒヌカを助けると約束したのに……。

 これじゃヒヌカを置き去りにして逃げたのと変わらない!!


「クソッ、クソッ……!」


 土手に拳を打ち付ける。

 血がにじむまで何度も、何度も。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 肩で息をする。

 怒るのにも体力がいる。

 今の自分は体力も空っぽだった。


「腹が減ったな……」


 太陽の位置を見るに今はもう昼時だろう。

 川に流されてから飯を食ってない。


 人がいる場所を探そう。

 川へ逃げれば、ヒヌカだって生きているはずだ。

 飯食って、それからヒヌカを探そう。


 気持ちが前向きになってくる。

 ジンは拳を開くと、今度は草を握って、土手を登り始めた。


    †


 人里は簡単に見つかった。

 土手に近くに道があり、その道沿いに歩くだけでよかった。


 里には人がいた。

 人ではない者もいた。

 例の化け物だ。


 鳥だけではない。

 犬も馬も牛も虎も。

 様々な奴がいた。


 …………人間を見ても襲う素振りはない。

 互いに互いを無視していた。

 多くの者が入り乱れ、せわしなく行き来している。


 建物の多さにも圧倒された。

 バランガの家をすべて集めたより多かった。

 それも板葺きや瓦の屋根ばかりだ。

 第一、隙間なく家を建てて、田畑をどこに作る気なのか。


 しかし、もっとおかしな点があった。

 人間たちに元気がない。

 バランガに来た人足と同じ顔だ。

 生まれたときからずっと不調だったと言わんばかりの疲れ方だった。


 対して化物たちは豪気だった。

 派手な着物に身を包み道の真ん中を歩いていた。

 ある者は人間に車を引かせていた。


 胸糞が悪くなる光景だった。

 悪い夢を見ているのかと思う。

 人間たちはなぜこんな仕打ちを受け入れているのか。

 なぜ化物の手足などになっているのか。

 いっそ一言言ってやろうではないか。


 と思うが、今はヒヌカを探さねばならない。

 ヒヌカがあの場を逃れたなら、必ず外の世界に出ただろう。

 外を探せばきっと見つかるはずだ。


 そのとき、道行く人間が自分を見ていることに気がついた。

 彼らはジンの首を見ていた。

 ふと首に触れる。


 首輪だ。

 人間は誰もがあれをつけている。

 ジンは近くを歩いていた少年に声をかけた。


「おい、そこのお前。その首につけているものはなんだ?」

「何だってお前、」


 少年は薪を背負っていた。

 気だるげに顔だけをジンに向け、


「お、お前……、なんで首輪がないんだよ!?」

「それはないといけないものなのか?」

「何言ってんだよお前!? なかったら大変なことになるんだぞ!?」

「大変なことってなんだ?」

「…………はぁ!? なんで知らないんだよ!?」


 ジンは自分が村から出てきたことを説明した。

 化物に襲われたことも、自分が人を探していることも。


「……事情があんだな。だったら、この辺りのことを教えてやる。ついてきな」


 少年に手招きされ、ジンは裏路地に身を滑り込ませる。

 通りを変えただけで雰囲気は全く違った。

 道端には得体の知れないゴミが捨てられ、猫や犬の死骸も転がっている。

 常にハエを払わなければ、すぐに顔が痒くなる。


「どこまで行くんだ?」

「もうちょっと先だ……。話をするなら、誰もいないところじゃないといけないからな」


 とは言え、すでに通りに人はまばらだった。

 化物はおろか人間もほとんどいない。


 さぁこっちだ、と少年が別の通りに出ようとしたとき、着物の裾が引っ張られた。


「うん?」


 振り返ると女の子がいた。

 少年に比べると、ずっと汚れた、動物に近い格好だった。

 歳はやはりジンと同じくらい。

 髪は茶色で頬に傷があった。

 なぜか必死にジンの着物を掴んでいる。


「お前、俺に何か用か?」

「……だめ」

「ダメ?」

「その人について行ってはだめ」

「なんでだよ。俺が何も知らないからいろいろ説明してくれるんだぞ」

「とにかくだめ。こっちに来て」

「あ、おい!?」


 女の子の剣幕に負け、ジンは来た道を連れ戻される。

 ……何が起こっているのかさっぱりわからない。


 意外なことに、少年は追いかけてこなかった。

 ただ、獲物を奪われた犬のように悔しげな顔をしていた……。



 女の子は無言で歩いた。

 用件を聞いても答えない。

 だめ、の一点張りだ。

 要領を得ないのでさすがにジンも腹が立ってくる。


「お前は何なんだ? 俺はあいつと話をするつもりだったのに」


 女の子は唐突に立ち止まる。

 ジンを振り返り、


「あいつはあなたを売るつもりだった。だから、私が助けた」

「売るつもりだった? なんだそれは」

「あいつはいつもそうだから。首輪のない人を見つけたら、いい加減なことを話して騙すの。騙された人は銀を払ったり、人間屋に売られたりする。町の子供は悪い奴ばかり」


 わかる単語が出てこない。

 あまりに話が通じないせいで女の子も首を傾げる。


「…………あなた、何も知らないの?」

「うん、全然知らない。よくわからないけど、俺は助けられたのか?」

「そう」

「なら、ありがとう。俺はジンだ。お前は?」

「私に名前はない」

「なんだそれ。名前がない人間なんて初めて見たぞ」

「ここでは普通。みんな数字とか記号で呼ばれてる。私は(シャム)

「変な名前だな」


 いや、それよりも。

 ジンは自分が村から出てきたことを説明した。

 シャムは黙って聞いていたが、やがて単語の意味から話してくれた。


 豪華な着物を着て偉そうにしている化物は天上人というらしい。

 彼らは等しく人間ではない。


 動物と人間を足したような姿をしている。

 男は動物に近く、女は人間に近い外見だという。

 信じがたい話だが、この町ではそんな化物が我が物顔で歩いている。


「あいつら、なんであんなに偉そうなんだ」

「偉いから」

「人間はどうなんだよ」

「人間はみんな天上人の奴隷」

「は?」

「首輪はその証。見て」


 シャムが首輪を見せる。

 動物の革で作られたそれは、よく見れば文字が刻んである。

 その人間がどこの天上人の所有物かを示すためだという。


 つまり、人間は天上人のもの。

 家畜や飼い犬と同等の存在らしい。


「なんだそれ……。俺はそんなのは認めねぇぞ!」

「どうして?」


 人間と家畜は違う。

 人間は言葉が話せて難しいことも考えられる。

 だから、家畜にしてはいけないのだ。


 そんな内容を説明すると、シャムは首を傾げた。


「あなたの言うことは変。首輪がないせい?」

「変なのは俺じゃねぇ!」


 話が通じない。

 自分でもどうしていいのか、わからない。


「それで、首輪がないとどうなるんだ?」

「そういう人間は野良になる」


 人間は奴隷でなければならない。

 野良はそもそも許されず、野良人間は捕まえ次第、人間屋に連れて行かれる。

 そこで幾ばくかの銀と交換に商品となる。


 若ければ若いほど高くなる。

 子供の値段は大人の数倍にもなるという。

 逆に年寄りを買うのは虫の天上人くらいのものだとか。


「虫の天上人様に買われたら最悪。生きたまま地獄を見るって言われてる」

「ひどいことをされるのか?」

「卵を産み付けられるんだって」


 卵ヲ産ミ付ケラレルンダッテ!!

 曰く、対象は白髪の生え始めた年齢から。

 つまり、三十代後半になれば、人間は肉塊と同程度の価値しかないわけだ。


 ――――人間だぞ? そこらの動物とはわけが違うんだぞ?


「あなたも奴隷になるために作られた。どうして働かないの?」


 どうしてと聞かれても困る。

 ジンは奴隷ではない。

 というより、”作られた”の意味がわからない。


「人間は天上人様が作った奴隷なの」


 曰く、天上人様は不思議な術を使える。

 その中には奴隷を生み出す術もあり、人間は全部、天上人様が作った生き物だという。

 頭が痛くなる。

 ――――こいつ、本気で言ってるのか?


「親子の関係があるのは天上人様だけの話。人間の親子は全部、まやかしなの」

「……」

「私の店は服を作る店。私も針仕事ばかり。だけど、最近は布を売る仕事もする。布は重いから女の人間じゃ運べない。男の人間がいないとだめ。だけど、元々針仕事のために女の人間ばかり集めたから、男の人間が少ないの。だから、頼めばきっと奴隷にしてくれると思う」


 いつの間にか話は勧誘に変わっていた。

 どうやらシャムの主が人間の男を求めているそうだ。

 だから、どうか。

 彼女は食事を勧めるような気軽さで聞いてくる。


 普通、奴隷を勧められたら怒ると思う。

 しかし、シャムに悪気はなかった。

 悪気がないからこそ、ジンは悲しい気持ちになった。

 化物の持ち物であることが当たり前の人生とは一体どのようなものなのか。

 とても想像が及ばない。


「あなたに他に行くところがないなら私からも頼んでみるけど、」

「なぁ、他の人間は助けに来ないのか?」


「……助けに来る? どうして?」

「奴隷なんだろ? 誰かが来て助けようとしないのか?」

「なんで助けられないといけないの?」


 ……やはり通じない。

 根底から何かが違っている。

 だが、何がどう違っているのか、それをどうしたら正せるのかがわからない。


 悔しかった。

 ヒヌカを救えなかったときとは違う悔しさだった。


 ……力だけじゃダメだ。

 もっといろいろなことを知らないと……。


「お前は俺を助けてくれた。だから、俺もお前を助けたい。天上人の奴隷じゃない暮らしもあるんだ。俺はそこから来た。お前にもそんな暮らしをさせてやりたい」

「…………よくわからない」


 シャムはそう言った。

 わからないだろう。

 今はそれでいい。

 だが、いつかは助ける。


 ……ジンはそう心に決めるのだった。



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