TIPS 好み
エリカの様子がおかしい。
激務が一段落したので、徹夜の必要がなくなった。
なのに、毎晩、一人でどこかに出かける。
当然、次の日はフラフラになっている。
しかし、目だけが異様にギラついていて、気味が悪いかった。
「毎晩、何か変なこと、してるんじゃないかな……」
とカルも言う。
「変なことってなんだ?」
「それは……、わからないけど……」
「だったら、聞いてみるしかないな」
そう思いたち、執務中のエリカに聞いてみることにした。
「エリカ、今、いいか?」
「あたし、忙しいんだけど?」
「お前、毎晩一人でどこに行ってるんだ?」
「そそそそそ、そんなのあんたたちには関係ないでしょっ!? というか、毎晩一人でソテイラ様の屋敷になんて行ってないし!」
「本当か?」
「本当よ! あそこには、ソテイラ様が置いていったもの以外何もないんだから!」
これはダメだ……。
……めちゃくちゃ怪しい。
「ジンはソテイラの屋敷なんて言ってないのにね、絶対なにかあるよ」
カルは深刻な顔でそう言った。
やはりエリカは何かを隠している。
毎晩、それで何かをしている。
何かは不明だ。
ナニかもしれない。
「ナニって何?」
カルが無邪気な顔で聞いてくる。
ジンは戦将から教えられたナニについて想像する……。
とても人に言える内容ではなかった。
「何でもない。とにかく、確かめるしかない。あとをつけてみよう」
「僕に任せて。そういうのは得意だから」
こうしてエリカをつけることになった。
夜。
誰もが寝静まった頃、エリカが一人で布団を出る。
少し時間を置いてカルが音もなく起き上がり、ジンの肩を揺する。
「……起きて、エリカが動いたよ」
「ふぁふぁふぁ……」
あくびをしながら外に出る。
月明かりだけの静かな夜だ。
この時間になると暑さも大分、和らいでいる。
「……ソテイラの屋敷に向かってる。やっぱり何かがあるんだ」
「そうか……、まぁ、何をしてもエリカの勝手だろ?」
「エリカはまだ天上人の味方のつもりなのかもしれない」
半分眠った頭がはっきりしてきた。
……天上人の味方?
「エリカは天上街の奴隷だったんだよ? 子供の頃から教育されている。天上人を裏切るなんて、……考えづらいとは思ってた」
「本気で言ってるのか? エリカは俺たちを裏切らねぇ」
「……一度はあったじゃないか」
「でも!」
「考えても仕方ないよ。見た方が早い」
「そうだな……」
カルと共に屋敷へ向かう。
ソテイラの屋敷は他の屋敷とは様相が違っていた。
初めて来たときは気付かなかったが、……随所におかしな物がある。
夜なのに明るい部屋。
屋根の上に置かれた不思議な板。
屋敷を這い回る細長い紐。
どれもこれも理解不能だ。
エリカいわく、呪具というらしい。
霊術とは違う形で不思議な術を実現する、もう一つの力。
「こっちだ……、この部屋だよ」
カルが立ち止まる。
襖の隙間から灯りの漏れる部屋だった。
……人の声が聞こえる。
鈴のような女の声だ。
声だけでドキリとするような甘い響きだ。
……だが、その言葉は少しも理解できない。
聞いたことのない言葉だ。
「…………これ、なんて言ってるんだ?」
「わからない……、こんな言葉聞いたこともない。天上人だって、こんな言葉は使わない」
「……天上人でもない? じゃあ、これは…………」
「古語かもしれない。ずっと昔に失われた言葉……」
「そんなもの、どうしてエリカが?」
…………考えても仕方がない。
ジンとカルは重なるようにして、襖の隙間に目を近づける。
……部屋は灯りがついていなかった。
四角く切り抜かれた板だけが明かりを放っていた。
声を発しているのもそれだ。
そこには…………、動く絵が映っていた。
見たこともない造形だが、かろうじてそれが人間だとわかる。
見たこともない景色、見たこともない服装、そして、聞いたこともない言葉で話している。
入道雲が見える。
季節は夏に違いない。
若い男女が喧嘩をしている。
不思議な服で水の中を泳いでいる。
何か切ない感じの音楽が流れる。
やがて古語と思しき文字が流れる。
『青のカルテット ~あの懐かしい夏で~』
「…………う、うぅ」
板の明かりが消え、部屋が闇に包まれる頃、エリカのくぐもった声が聞こえた。
エリカは嗚咽を漏らしていた……。
「…………つまり、これはなんなんだ?」
「わ、わからないよ……」
呆然とするしかなかった。
エリカは板を見ていた。
動く絵だった。
泣いていた。
理解ができない。
ついに狂ったのかと思った。
「……俺は見過ごせねぇ」
襖に手をかける。
カルは肯いた。
一思いに襖を開ける。
「きゃっ!?」
普段からは想像もできないような高い声でエリカが驚く。
「お前、何してるんだ?」
ジンは真顔で聞いた。
エリカはしばらく放心していた。
見つかるとは思っていなかったのだろう。
だが、諦めがついてきたのか、長い溜息と共に言った。
「深夜アニメよ」
「……しんやあにめ?」
「意味はわからないわ。でも、この板に映すことができて、異界の物語を紡ぐものなの」
あまりにも壮大な話だった。
異界、ここではない世界。
……それを映し出すとは。
「それはどんな話なんだ……?」
「学校と呼ばれる場所で若い男と女が幸せに過ごす愛の物語」
「なるほど……?」
「サクラがとにかくエッチで見ててドキドキするの……。でも、リョウコのスレンダーな体もあたしは好きで、やっぱり深夜アニメなんだから、エッチな感じを全面に押し出さないと損だと思うの」
途中からよくわからなくなった。
「つまり、お前はエッチな絵を見てたのか? というか、エッチってなんだ」
「はぁ~~~~~、これだから一般人は……。深夜アニメだからエッチにしてるのであって、エッチが本質じゃないの! ストーリーなの! 感動なの! それが一番の要素だってのに、本当わかってないんだから……」
馬鹿にされたらしい……。
そこまではわかるが、そこから先は全くわからなかった……。
「え、エリカはあの言葉がわかるの……? あれ、古語だよね……?」
「知らない」
「えっ」
「知らないけど、中身を理解するために勉強はしたわ。あたしたちの言葉とそんなに違わないから単語さえ覚えれば、大体、意味は理解できるわ」
「……す、すごいね。エリカは毎晩、言葉の勉強をしてたんだ」
「ま、まぁ、そういう見方もできるわね」
カルが頑張って好意的に解釈する。
でも、絶対違うとジンは思う。
こいつはさっき言っていた。
エッチなのが見たいって。
エリカの顔を見て推し量るに、エッチってのは、つまり、好色とかそんな意味に違いない。
「あんたたちも一緒に見なさいよ」
「「えっ」」
「面白いんだから、騙されたと思って!」
「……本当に面白いのか? 知らない世界の話だろ?」
「でも、その世界では人間が主人公になっている」
「……」
「こことは違うの。天上人なんていない。人間が、人間だけで暮らして、笑って、恋をして……。そういう世界なの」
どうだ、とばかりにエリカは胸を張る。
深夜アニメには、……天上人が出てこない。
人を奴隷にしない。殺さない。食べない。
それは、ジンが目指したものだ。
理想の世界だ。
断る理由はなかったと思う。
こうして三人で深夜アニメを見始めた。
最初はみんなで仲良く見ていた。
が。
「俺は絶対ロボットがいい! ロボットが出て戦わないとダメだ!」
「はぁ~~~~~、これだからわかってないのよ、あんたは! そう思うでしょカル?」
「うん、ジンはわかってないよ。深夜アニメに女キャラはいらないよ。刀剣男士とか水着男子が大切なんだよ」
「そうそう、アニメと言ったら、………はぁ? なんでそうなるのよ! 学園青春ラブコメに決まってるでしょ!」
好みが割れたので、一台しかないアニメを映す板を奪い合うようになったのだった……。